オレンジ色に光る水槽が、からみあう二人の姿を照らしている。
床に広がる白衣。
その上で、金色の髪の女性を黒い髪の少年が組み敷いている。
いや、支配されているのは彼の方だろう。
自分の上で荒い息を吐きながらぎこちない動きを続ける少年を、かすかに妖しい笑いを浮かべながら、リツコは見つめ続けていた。
ときおり感極まるようにおとがいを上げる。しかし、その目は少年から逸らさない。
瞳に焼き付けようとするかのように、ずっと見つめている。
遥か昔、彼女が初めて抱かれた相手、その一人息子。
彼の父親もこうしてリツコを見つめていた。
冷たい瞳で。
あの時の視線はまだ覚えている。
引き裂かれる痛みの記憶とともに。
少年は、かつての自分とは違い、抵抗などしない。
しかしあの時の自分より遥かに年若な彼とこうしていることが、犯罪とそしられても仕方のないことは、リツコにもわかっていた。
愛情ではなく、この少年の心の隙につけこんだ結果だということも。
少年が持つひ弱な肌の感触。まるで少女のような華奢な腰つき。細い腕。
けれども荒々しいその欲望は、確かに男を感じさせた。
まだ幼い、しかし若い力にあふれたケモノ。
彼に身を任せるように、いつしかリツコの理性も失われ、暗い渦の中へと堕ちていく。
この先には破滅しかない、それを忘れるために。
Written by かつ丸
黙り込んでしまったリツコの後ろ姿を見ながら、彼女に語りかける言葉も持たず、シンジはただ余韻に浸っていた。
長いエレベーター。ゆっくりと昇っていく。
これを使い下に降りたのはたかだか数時間前だろうが、今のシンジにははるか昔のことのように感じられる。
汚れた・・・・という感覚はしない。
大人になったとも思わない。
しかし、自分がずっと想っていた蒼い髪の少女、彼女にもう会うことはできない。
それだけは分かっていた。
彼女と同じ姿を持つ得体の知れない存在のことではない。シンジを庇って閃光と共に消えた少女。
彼女に会う資格をシンジは失ったのだ。幻でも、夢の中でさえも。
そのことだけが哀しかった。
ようやく地上につき、エレベーターのドアが開く。
無言のままドアからでた二人を待ち構えるように、一人の女性がそこには立っていた。
夢の終わりを告げるために。
赤い軍服。
片手に拳銃を握りしめたまま、二人を見据えている。
銃口は下に向いているが、こちらを見るミサトの瞳が持つ光は、シンジがよく知るそれとは違った。
軍人の顔。
乾いた声が問い詰める。
「どこ行ってたのよ、あんたたち」
「・・・・別に、あなたに話す必要はないわ。もう用事はすんだし」
ミサトの視線を跳ね返すように事務的な口調でリツコが応じる。
そんな二人を前にして、シンジは少し後退った。
今、ミサトの顔は見たくなかった。思わず目を伏せる。
何も話そうとしないシンジを見て、ミサトの顔色も変わった。
リツコを睨みつける。それはすでに軍人の顔では無かった。
「・・・・・あんた、あんた何をしたか自分で分かってるの!?」
「・・・・あなたには関係無いわね。私たちの問題だもの」
「関係無いですって?・・・・・関係無いわけ無いでしょう!! この子は私の家族なのよ。なんてことするのよ!!」
「・・・・・妬いてるのね? あなた」
「リツコ!!」
顔を赤くしてミサトが吠える。しかし、リツコの心が動いた様子はない。
傍らに立つシンジの方に顔を向けると、やはり感情のこもらない口調で話した。
「・・・あなたはもうお帰りなさい」
「・・・で、でも・・・リツコさん・・・」
とまどうようにシンジが言葉を濁す。
水槽の中の『レイ』を壊した彼女を、はたしてゲンドウが許すだろうか。
今、彼女と別れてはいけないのではないだろうか。
「・・・私は大丈夫だから・・・・」
シンジの気持ちを読み取ったように、リツコがかすかに微笑む。
「ぼ、僕は・・僕は・・・」
「・・・また会えるわ。その時に話しましょう。それじゃ・・・」
そしてそのまま踵を返すと、ゆっくりとその場を立ち去っていった。
規則的に響く足音。かすかな残り香。
初めて彼を包んでくれた人。
それを感じながら、シンジはただ後ろ姿を見送ることしかできなかった。
掛ける言葉も、自分がこれからすべきことも、何も分からない。
自分はただの子供でしかないのか。彼女を守ることはできないのか。
通路の向こう、暗がりの中に白衣が消える。
それでもシンジはその場を動こうとはしなかった。
流れる涙を押し止めることすらせずに。
「何故ダミーを破壊した?」
シンジ達と別れて数時間後。
異変を察知したのだろう、保安部がリツコの身柄を拘束し、独房へと連行した。
ゲンドウが姿を現したのはそれからさらに長い時間が経った後。
壁を見つめるリツコの背中に、檄高するでもなく、静かな口調で問いかける。
感情を表に出すことは無い。少なくともリツコは見たことは無い。
自分に対しては。そして他の大部分の人に対しても。
例外はある。一人はレイ。そしてシンジ。
その存在に特別な意味を持つレイにだけでなく、ほとんど遺棄しているといってもいい自分の息子に対して、ゲンドウが心を置いていることにリツコは気づいていた。
遠ざけることで、傷つけることを避けようとする。
はなはだ身勝手で、そして不器用な形ではあるが、この男なりの愛し方なのだろう。
リツコが求めても得られなかったもの。
憎かったのかもしれない、シンジのことが。
だから汚したかったのだろうか。
「壊したのはダミーではありません。『レイ』です」
爆発しそうな感情を抑えながら、かすれた声でリツコは答えた。
ゼーレから帰ってきて、話すのはこれが最初。
お互いの裏切りでできた溝は、もう埋まることはないのだろう。
「・・・・もう一度訊く。なぜだ?」
「あなたに抱かれても嬉しく無くなったから・・・・・・素敵でしたわ、あなたの息子は。あの時のあなたの気持ちが分かる気がします」
沈黙。
リツコが投げかけた言葉は、ゲンドウに幾ばくかの衝撃を与えたのだろうか。
しかし、今さら彼に何が言えるだろう。
「子ども相手に・・・・・」
「・・・・年齢はシンジくんの方が近いですわ。誰かのように無理やりではありませんし」
「・・・・・・君には失望した」
かすかに声を荒らげたゲンドウの言葉に、逆にリツコの心は冷えていった。
さげすむように答える。
「失望? 一度も期待などしなかったくせに・・・・・私には何も・・・・何も」
そう、彼が本当に期待していたのはシンジにだけだろう。
今も愛している妻の、忘れ形見。
何に対してかはわからない。しかしその生きざまで自分を超えることを望む。父親とはそういうものかもしれない。
しかし彼はリツコが汚した。
以前ゲンドウがリツコを汚したように。
動揺しているゲンドウを感じ、リツコがは嘲りのこもった笑い声を小さくあげた。
これは報いなのだ。
そう思えば胸がすく気がする。
背後でドアが閉まる音がした。
それとともに明りが消え、部屋が暗くなる。
行ってしまった。
もう来ることはないだろう。
一人残され、リツコにも少しずつ冷静さが戻ってきた。
自分の言った言葉を反芻する。
5年越しの付き合い。始まり方も最悪だが、終わり方もそうだった。
しょせん利用されるだけの関係。だが自分も彼を利用していたのだ。
母を乗り越えるために。
昨日、リツコを抱きしめてくれた少年の顔を思い浮かべる。
シンジを汚したのはあの時ではない。
今日、ゲンドウに告げたことで、彼から貰った何かを汚してしまったのだ。
暗闇の中で、静かに涙を流しながら、リツコは壁に向かってつぶやいた。
小さな声で。
「ごめんなさい・・・・・・シンジくん」