久し振りの会話。
モニターの向こうの彼女からは、なんの感情も感じられなかった。
事務的な口調。しかしその内容はシンジに大きな衝撃を与えた。
「嘘だ!! カヲルくんが使徒だなんてそんなの嘘だ!!」
「事実よ、受けとめなさい・・・・・出撃・・・・いいわね」
宙を浮かぶ銀髪の少年。
展開されるATフィールド。
襲いかかる無人の弐号機。
全てが信じられないことばかりだ。
しかし、カヲルに裏切られた、その思いはシンジの中でどす黒い怒りに変わっていた。
「アスカ・・・・・ごめん」
弐号機の顔にプログナイフを突きたてる。
赤いエヴァンゲリオンの動きが止まる。そのまま突き飛ばすようにLCLの海へ突き落とす。
その衝撃で壁が崩れる。
シンジの目の前に現れたのは、磔にされた白い巨人と、それに対峙するように浮かぶカヲルの姿。
初号機の手がカヲルを掴む。
エントリープラグのモニター越しにカヲルが微笑んでいるのが見える。
どこか哀しそうに。
「カヲルくん・・・・どうして!?」
悲鳴のようにシンジが問いかけた。
シンジの手によって死ぬ。そのために彼は生まれてきたというのだろうか。
Written by かつ丸
全ての使徒は消えた。
残されたのはエヴァシリーズ、そしてリリスとアダム。
これから補完計画の発動が始まる。
独房につながれながらも、リツコは的確に事態を把握していた。
ゼーレへ行ったことも影響している。ネルフの中だけでは見えなかったろう。
ゲンドウと敵対する、大きな力の存在が。
ゲンドウがその身体にアダムを取り込んでいたことは知っている。
リツコと寝ている時にも最近は手袋を外そうとはしなかった。
自らが依代になろうというのか。
彼がしようとしていること、それはゼーレの思惑とは違うのだろう。だから彼らは情報を欲しがっていたのだ。
リリスについて、そしてレイについて。
所詮リツコはただの手駒だ。重要な情報など知りはしない。でなければゲンドウも差し出したりはしなかったろう。
ただ一つの彼の誤算は、信じなかったことだ。リツコが彼を愛していたことを。
激情のあまりに全ての『レイ』を破壊するなど、彼の想像の外だったのだろう。
わかっていればゼーレから返されたリツコを即座に拘束しただろうから。なんのためらいも無しに。
唯一許された自由、端末に写る画面を覗く。
本部内、駐車場の一角そこの監視カメラが写す映像には、うずくまる少年の姿があった。
最後の使徒をその手でほふって以来、彼がふぬけたようになっていく様子を、リツコはここから観ていた。
アスカの病室で彼がしたことも。
別に嫌悪感は感じなかった。女を知っているはずなのに、アスカに触れようとしなかったシンジは、むしろ好ましく思えたほどだ。
ただ臆病なだけかもしれないが。
シンジの状態を知っているはずなのに、ミサトは彼に構おうとはしない。
まるでシンジを避けるように、ネルフの秘密を探ることに執着している。
今も彼女はマギをハッキングして情報を盗んでいるようだ。この端末からでもそれくらいはわかる。
少し前ならそのことだけで消されていただろう。
しかし、もう時は熟している。ゲンドウにもミサトなどに係わっている余裕も理由も無い。
仮に今全てを知ったからといって、ミサトに何ができるというのか。
何もできはしないだろう。
突然画面が乱れる。マギ本体の異状を示すアラームが灯る。
おそらく各地のマギからのハッキングだ。
・・・始まった。
物語の最終幕が。
もう一度舞台にのぼらねばならない。
たとえそれが、ただの道化でしかなくても。
警報があたりに響く。
アナウンスの声が木霊する。
『サードチルドレンはエヴァ初号機に搭乗し待機せよ』
それが自分に対して言われているとわかってはいたが、シンジにはまるで現実感が無かった。
屋内駐車場の非常階段の下、まるで身を隠すようにそこに座り込んでいる。
先程からずっと。
使徒はもういないと言っていた。
カヲルが最後だと。
だったら、何故自分がエヴァに乗る必要があるのか。
サードインパクトを防ぐ役割、それはもう果たしたはずではないのか。
そのためにトウジを傷つけ、レイを死なせ、カヲルはこの手で殺した。
これ以上自分に何をしろとゲンドウはいうのか。
生きろとあの時カヲルは言った。
シンジたちは死すべき存在ではないと。
しかしそれは違う。自分にはそんな資格はなかったのだ。
ミサトを裏切り、リツコを守れなかった。
そしてアスカを汚した。
アスカの病室、自分の手を染めた白濁する液体を見て、シンジは気づいたのだ。
その瞬間、欲望の対象としてしか彼女を見ていなかった自分に。
自分の本性に。
滅びてしまえばいい。
この世からいなくなってしまえばいい。
澄んだ笑顔でシンジを見つめていた銀髪の少年こそ、生き残るべきだったのだ。
自分などではなくて。
ようやくプログラミングを終え、リツコは自律防御システムを作動させた。
第666プロテクト。
これであと数日の間はマギをハッキングすることはできない。
先程まで恐慌状態にあった周囲の様子も徐々に沈静化していく。
それをリツコは醒めた眼で見つめていた。
日本政府の、そしてゼーレの攻撃は、これで終わったわけではないだろう。
今度は物理的な力がくる。とてもネルフには抗しきれない力が。
それがわからないゲンドウではあるまい。
だからきっとその時だ。ゲンドウがその目的を果たそうとするのは。
アダムとリリスの融合。
神への扉。
自分が絶対存在となることで、ユイを、初号機を取り込もうというのか。
全ての生命に死を与えようとするゼーレの企み。
どちらに転んでも人類に未来は無い。
だが、そんなことは今の自分にはどうでもいいように思える。
学生の頃、何度か訪れたこの地で、研究者として在籍していたユイと会ったことはある。
その時は何の感情も持たなかった。ただきれいな人ということだけしか。
あの時ユイも思わなかったろう・・・・リツコが彼女の息子の最初の女になることなど。
お互い様なのかもしれない。そう思えば不思議と彼女に憎しみは湧かなかった。
しかしすんなりとゲンドウを彼女の元へやるのはしゃくだ。
不毛な感情でも、それは理屈ではない。ロジックではないのだ。
マギのコードをいじり、自爆プログラムを設定した。
これを使うことで、ゲンドウの目論見はついえる。
彼と刺し違えて人生が終わるのなら、それはきっと幸せな最期になるだろう。
「悪く思うなよ、坊主」
額にあてられた拳銃の感触とともに、兵士がシンジに死を告げる。
それをどこか遠い世界のことのように、シンジは聞いていた。
いや、彼は嬉しかったのかもしれない。
これでカヲルのいるところにいけると。
銃声がとどろく。弾丸が頭を撃ち抜く。
シンジではない。シンジに銃を向けていた兵士の。
駆けよる足音と共にさらなる銃声。そして周囲で人が倒れる気配。
「・・・悪く思わないでね」
その言葉と共にひときわ大きな音が響き、その後シンジの腕を掴むものがあった。
それが誰かは分かっていた。今、シンジが一番会いたくない相手、その一人。
「・・・・行くわよ、シンジくん」
見おろすミサトの顔は、般若のように思えた。
ターミナルドグマ、リリスの前。渚カヲルの死んだ場所。
そこでやがて来るはずのゲンドウを待ちながら、リツコはPDAの画面を見つめていた。
モノクロの液晶に写る、ミサトとシンジの姿を。
「・・・そう、それがあなたの選んだ道なのね。ミサト」
エヴァシリーズを全て滅ぼすことで、ゼーレの補完計画を阻止する。
それをシンジに託そうというのだろう。
初号機は戦自に制圧されている。それでも乗せようというのか、自分を犠牲にしてでも。
手の中のPDAを見る。
自分がやろうとしていることが、ひどくちっぽけなことに思える。
それに今ミサトが一緒にいる相手、あれはリツコの男なのだ。
これを使った結果、彼と最後にいるのがミサトになるというのは、すこし悔しい気がした。
画面に向かい自嘲気味に呟く。
しかし、その顔は、どこか晴れやかだった。
「私も、もう、こだわるのはやめるわ。・・・ 所詮、あの人は母さんの男だものね」