Written by かつ丸
モニターに写る巨大な物体。
第三新東京市に向かい、地上数十メートルの位置を、すべるように飛んできた。
重力の影響を受けないのだろうか。それともATフィールドの能力の一つなのか、それはリツコにもわからない。
使徒。
アダムが生み出ししモノ。
滅びをいざなう彼らのことは何も分かってはいないのだ。三週間前が3体目、そして今きているこれが4体目。
どこから生まれるのかもなんのためにここにくるのかも、はっきりとしたことは何も。
それともリツコが知らないだけで、人為的に生み出されたものだということなのだろうか。
あの化け物は。
だから予測できたのだろうか。
シンジを送りつけた組織が?
前回の使徒と形も能力も違う、開発は簡単ではないはずだ。
あのような生命体を生み出す、そんな力を持つ組織など、はたしてこの世に存在しうるのだろうか?
それでも使徒は来ている、その事実だけは消えない。
シンジの言葉どおり、使徒が迎撃にでた初号機にむかって両腕から光のムチをふるう。
バターを薙ぐように高層ビルを切り裂いていくそれを、間合いをとって初号機がよけている。
ムチの長さを最初から知っている、そんな動きだった。
マシンガンから数発の銃弾を放つ。一瞬使徒がひるんだのを見て取ると、ダッシュして初号機は使徒との間合いをつめた。
いつのまにか右手にプラグナイフを構えている。
体当たりをするように、初号機が使徒を市街地から押し出した。
使徒に肉薄したまま使徒の赤い光球をプラグナイフで刺す。
突き刺された場所からは激しい火花がとびちっている。
悲鳴をあげることはない、しかし痛みを感じるのか、使徒がムチをふるって抵抗をしている。初号機の装甲具を白く光るムチが貫き、そこからは赤い血が出ている。
シンクロをしている、だからシンジ自身の痛みとなっているはずだ。けれどそんなことなどまるで意に介した様子もなく、エヴァのナイフは光球から動くことはなかった。
ひたすらに、ただひたすらに使徒のコアをえぐり続けていた。
長い時間がすぎ、使徒がその活動を完全に止めるまで。
「なんであんな無茶な戦い方したの!?」
「………すみません」
ミサトが吼えている。シンジはただうなだれている。
その姿をリツコは見ていた。
「謝ればいいって問題じゃないわよ! いい? あなたは一人で戦ってるんじゃないのよ。私や、リツコや、他のネルフの職員もみんな、使徒を倒すためにここにいるの。情報分析も、作戦もそのためにやってるのよ。だから勝手なことをしないで」
「……はい」
「………今日はたまたまうまくいったけれど、次からはちゃんと指示に従ってね。そうじゃなきゃみんな死ぬはめになるから」
「…はい、わかりました」
ミサトの言葉はおそらく理不尽なものだ。
エヴァをあやつり、実際に戦っているのはシンジで、彼がおのれの意思を持っている限り、現場で自分なりに判断して動くことを止められはしない。
彼は人形ではないのだから。
それを認識したからこそ、ミサトは苛立っているのだろう。
使徒を倒しているのはあくまでシンジであり、それはミサトではない、彼女は傍観者でしかない、そのことに。
シンジにはミサトの気持ちがわかっているのだろうか、反発するでも言い返すでもなく、彼は頷くだけだった。
相変わらずミサトの方は見ようとしない。
彼女のことを怖がっているようにも見える。理由はわからないけれど。
「ミサト、もうそのくらいにしてもらえないかしら。この子の検査がしたいんだけど」
「……わかったわよ。それじゃあね、シンジくん」
「はい、すみませんでした」
リツコの言葉に冷静さを取り戻したのか、取り繕うようにシンジに小さく微笑んだ後、ミサトは部屋を出て行った。
そしてまた、この病室でリツコはシンジと向かい合っている。
フィードバックの影響で、シンジの身体は随所に軽い炎症を起こしていた。物理的な力までが連動されることはない、だからエヴァがやられたのと同じ個所に穴があいたりはしなかったが。
もしそんなことがあれば命すらあやういだろう。初号機の損傷はけして軽くはない。
医師の検診はすでに済んでいる。大きな問題はないという報告も受けていた。
今リツコがシンジのもとに来たのは、E計画責任者としてのパイロットの状況確認、そういう理由になる。
誰に対する言い訳というわけではないが。
ここを立ち去ったミサトの後姿を追っているように、シンジはドアの方を見ている。
リツコもそんな彼に声をかけることもせずに、その黒い瞳を見ていた。
どれだけ時間が経っただろうか。
「………一緒に、暮らしてたんです、ミサトさんとは」
リツコの方を見ることもなく、独り言のようにシンジがつぶやいた。
「ミサトさんと……アスカと……ペンペンと。……いやなこともいろいろあったけど、それでも、あそこには確かに僕の家が、僕の居場所がありました」
アスカとはドイツにいるセカンドチルドレンのことだろうか。
使徒の来襲を受けて、エヴァ弐号機の日本への移管は決定している。そうなれば当然そのパイロットである彼女もここにくることになるだろう。
そのことはシンジには話してはいない。
共に生活していたと言うのかシンジは、彼の言う「未来」で。
ミサトなら望むかもしれない、それはリツコも想像できる。
前回の戦いの後、シンジとの同居を申し出ていたのだ、彼女は。
シンジ本人の強い拒絶で、それは現実にはならなかったが。
リツコ自身も手を回した、ミサトの要望が取り上げられないように。彼女とシンジを近づけるのは危険に思えたからだ。そのことをミサトは知らない。
「…どうしてミサトを避けるの?」
「………僕は、結局何もできなかったから。命を捨ててまでミサトさんは僕を守ってくれたのに、それなのに、それなのにあんな結果になってしまったから……」
人類を滅ぼした、その思い込みの故だろうか。
つぶやくシンジは暗い顔をしている。
「思うんです。……あの時、ミサトさんが僕を見捨てていたら、僕があの兵士達に殺されていたら、サードインパクトは起こらなかったんじゃないかって。違う形になってたんじゃないかって。そして……」
シンジがリツコの方を向いた。
焦点の合っていない瞳、彼が見ているのは自分ではないのかもしれない。
ここを出て行ったミサトでもない。
彼が「未来」で出会った誰かを見ている、そんな気がした。
「そして?」
「……そして、もし、ミサトさんが結果を知っていたら、彼女は僕を助けたりしなかったんじゃないかって」
一筋の涙が、黒い瞳からこぼれ、まだ幼さの残る少年の、その頬を伝っていた。
「……あなたの言ったとおりに、使徒が来たわね」
また長い沈黙の時が過ぎた後、口を開いたのはリツコだった。
シンジの涙はもう乾いている。
「それで? あなたはどうしてここにいるの? どうやって未来から帰ってきたの?」
シンジの言葉を信じているわけではない。
まだ疑っている。ありえないと思っている。
けれど否定する材料もない以上、踏み込んでいくしかないだろう。
シンジがネルフにとって不確定要因なのは確かで、そしてゲンドウやリツコが知りえない情報を握っている。
原因がなんであれ、利用できるものならば利用しなければならない。
今のところシンジが告白しているのは、リツコに対してだけなのだから。
「……よくわかりません。すべてが失われた後のあの赤い世界で、僕とアスカの、二人だけが残されていました。でも、食べるものが何もなくて……怪我をしていたアスカはすぐに死んでしまって…そして僕も…」
「あなたも死んだというの?」
「………わかりません。ただ、意識が遠くなった瞬間、誰かの声を聞いたような気がしました。そして……気づいたらあそこに、最初の使徒が現れたあの場所にいたんです」
リツコが調べた限りでは、この街に来るまでのシンジの経歴に疑問が入る余地はなかった。
預け先での平凡な生活。学校も休んだ様子はない。
エヴァやおかしな組織と接触した形跡など無かった。
すべての事実はシンジの言葉を肯定している。
「あなたが望んだわけではないのね」
「僕は……ずっと後悔していました。みんないなくなればいいと、そう願ってしまったことを。僕の心の闇が、みんなを殺したことを……僕こそ、生きていく価値なんて無かったのに」
「………」
「だから、やりなおす機会を与えてくれたのかもしれません。……今はそう思っています」
誰が?、とは訊かなかった。
そのことにあまり意味があるとは思えなかったから。
代わりにリツコは訊ねた。
「……シンジくん、あなたは何がしたいの? これからどうするつもりなの?」
「…サードインパクトを起こさない。少なくともあんなふうに世界を壊さない。それが僕の望むすべてです」
強い意志を持った光、それが今のシンジの瞳には宿っていた。
ただの中学生には持ち得ない、凄惨な光が。
「そのためなら………どんなことでもします」