Written by かつ丸
「どうして、待ってくれなかったのよ!!」
燃えるような怒りを碧い瞳にほとばしらせながら、栗色の髪の少女がリツコのほうに迫ってきた。
再び日向の乗る選挙カーに迎えられて、本部施設に帰ってきたそうそうのことだ。まだ、電力は復旧していない。
薄明かりのなかで、それでも彼女が放つ炎が見えるような気がした。
頭に血が上り顔は紅潮している。
アスカがそのような反応をみせることはシンジを単独で出した時から想像がついていたが。
エヴァの準備はもうされていない。さきほどまでケイジにいた作業員たちの姿もほとんど見えなかった。みな、切断された回線の復旧にまわっているのだろう。
ゲンドウもすでにここから離れたようだ。発令所の方だろうか。
答えずに周囲を見渡すリツコにいっそう腹が立ったのか、アスカが視線をさえぎるように目の前につめよってくる。
「ねえ、なんでアタシより先にこんなやつだしたのよ!!」
「…状況を考えなさい」
リツコの傍らで何も言わずに立っているシンジを指差して叫ぶアスカが、リツコには正直疎ましく思えた。
どんな理由があるにせよ、間に合わなかったのは彼女の落ち度だと、そう考えないのだろうか。
ネルフの目的は使徒の殲滅だ、子供のご機嫌を取ることではない。
もしかしたらリツコが帰ってくるまではつっかかられていたのかもしれない。少し離れたところでマヤが辟易とした表情でアスカをみている。
レイの姿は見えない。一緒に行動していたわけではなかったのだろう。
「もう少し待っててくれたらよかったのよ。何のために苦労してここまで来たかわかんないじゃない。……ねえ、サード、良かったわねえ、手柄を独り占めできてさ」
「………」
「抜け駆けして自分だけいい思いしようなんて、あんた男らしくないのよ!」
「………」
いつのまにかアスカの矛先はシンジに向けられていた。
その大きな声に、あたりの職員は唖然としてこちらを見ている。いぶかしげな、理解し難いといった顔で。
暗闇の中で状況もわからずに初号機を送り出して数十分、やられればなすすべはないその恐怖に怯えていた者もいただろう。シンジが単独で使徒を倒したことに感謝こそすれ、非難をしようとするアスカに同情できるわけがない。
彼女は本来それくらいのことがわからない娘ではない、この場の空気も見えているはずだ。 だが自分自身の言葉で興奮してしまい、止まらなくなっているに違いない。
「…シンジくんを責めてもしかたないでしょう」
「なによ! みんなしてこいつばっかりえこひいきしてさ。 司令の息子だからって、いい気になるんじゃないわよ、あんた!」
「………あなた」
アスカの言葉に、リツコは思わず絶句していた。怒りのあまり怒鳴りつけそうになる。
人目が無ければそうしただろう。
とても見過ごしにできるものではなかった。
実情を知らないから、たとえそうだとしても。
ゲンドウを侮辱されたからか、シンジが貶められたからか、それは自分ではわからない。
おそらくその両方かもしれない。
地上で見たうずくまるシンジの姿が、まだ心に残っている。それが一番の理由だと思う。
他人から抜きん出たい、そんな自己顕示欲を戦う理由にしているこの少女に、彼を責める資格など無い。少なくともリツコは認めない。
ことさらに冷たい声で言った。
「…見苦しいからいい加減にしてちょうだい。子供の相手してる暇はないのよ、みんな」
「な、なによ…」
「……リツコさん、いいんですよ、別に……僕は気にしてませんから」
そう言ったシンジの言葉には、なんの感情も感じられなかった。
アスカの方を見ることもしない。彼女から目をそむけているわけではない、まるで世間話の間に割り込むだけのように自然に振舞っている。
それでも、社交辞令ではなく本気で、彼は二人がそれ以上言い争うのを止めようとしたのかもしれない。リツコはそう感じた。
栗色の髪の少女には伝わらなかったようだが。
鋭い目でシンジを睨みつけ、そしてアスカは踵を返した。そのまま去っていく、大きな足音を立てながら。
リツコを含めたほかの職員は、ただ見ているしかできなかった。
言葉を無くすとは、こういう時に使うのだろう。
「全くひどい目にあったわよ」
「それはこっちのセリフでしょ、あなた下手すれば懲罰ものなのよ」
「しかたないじゃない。だいたい電気が止められるなんて誰も予想できないもの。保安部の連中は何してたのかしら、信じられないわ」
停電の間、ミサトはエレベーターに閉じ込められていたそうだ。
予定通りに午前の実験に顔を出していればリツコたちとともに行動できたはずだ、だからまったく責任が無いとはいえないだろう。
確かに普通なら予見できるはずもないのだが。
ハード面でもソフト面でも復旧作業はかなりおおがかりなものになっていた。今、研究室の端末でリツコが見ているのも関連のデータだ。
地上では使徒の後始末の準備が始まっている。マヤはケイジで初号機の機体チェックをしているはずだ。
止まった時間を取り返すようにネルフ中の職員が駆けまわっている。
そんななか隣の指定席に座ってミサトがコーヒーを飲んでいるのは、彼女の仕事などなにもないからだった。
暢気な顔は、別にしてはいない。他の職員のいるところはさすがに居心地が悪いのだろう。
「…内部に手引きをした者がいる、そういうことでしょうね」
「どこのバカよ、いったい。それで使徒がきて自分たちの身が危うくなってたら世話無いわよ。ここが何してるところか分かってないんじゃないの」
「私に言わないでちょうだい。…でもそんなに無能な相手じゃないと思うわよ、犯人はまだわかってないんだから。うちの保安部や警備関係の目を欺くなんてかなり凄腕じゃないかしら」
「………心当たり、あるの?」
コーヒーカップを持ち上げていた手を、すでにミサトは降ろしていた。
どこか不安そうな表情をしているのは、彼女自身に心当たりがあるからにちがいない。
半軍事組織だとはいってもネルフは純粋な軍隊ではない。ゲンドウ直属の部局には諜報組織もあるだろうが、そこの職員は彼の子飼いだ、裏切ることはあるまい。消去法で考えれば、今回の事件を行なえる人材というのは限られてくることになる。
ゲンドウや冬月も、当然リツコと同じ結論を導き出しているだろう。
そしてミサトも、また。
名前を出せば、彼女はきっと否定するのだろうが。
答えないリツコの代わりを務めるように、研究室のドアが誰かに叩かれた。
「…やあ、おじゃまだったかな」
入ってきた加持の悪びれない表情、それこそが事実を語っている、そのようにリツコには思えた。
「どうしたんだ葛城は、慌ててでていったけど」
「理由は加持くんのほうがよくわかってるんじゃないの? ミサトの顔赤かったわよ、照れてるのね、かわいいじゃない」
「…そうかい? あれは俺には怒ってるように見えたよ」
先ほどまでミサトが座っているところには、すでに加持が座っていた。
彼女は加持の顔を見るなり立ち上がり、一言二言捨て台詞を言ったと思うと走るように出て行ったのだ。
停電の間中加持とミサトが閉じ込められていたエレベーター、そこでなにかあったのかもしれない。
少なくともミサトにはまだ未練があるようだ、だから何があっても別におかしいとはおもわないが。
ミサトの行動は、リツコにあれこれ詮索されるのがいやだったのか、それとも先ほどの会話、加持への疑いが残っている心を表に出さずに話す自信がなかったのか。
どちらにしても加持には気にした様子はなかった。
「…災難だったみたいね、加持くんも」
「いや、おかげで昔を思い出した。……変わってるようで変わってない、そんなものかもしれないな」
「…表面はともかく、その本質は簡単には変われないわよ」
「それはいいこと…なんだろうな。リッちゃんも変わってないさ、あいかわらず綺麗だ」
「……わたしは、どうなのかしらね」
セカンドインパクトなど予想していなかった子供の頃、ミサトや加持と過ごした学生時代、ナオコがまだ生きていたころ、そしてその後。
それぞれの時の自分と今の自分、それが同じ人間とは呼べないようにも思う。
かつての自分は汚れてはいなかった、純な心で前を向くことができた、世界にも希望をもっていた、そんなふうにも感じる。
だが、それが幻想だとも思えるのだ。
今の自分は、全てかつての自分がそう望んだ結果によるものだと。
生まれた時からそうなるべくして、自分はここに至ったのだと。
最初から、綺麗な存在などではなかったと。
「…しかしあやうく何も知らずに死ぬところだったんだな。葛城と二人ってのも悪くはなかったが」
「そういうのはミサトに直接言ってあげなさい」
「冗談ごとじゃなくさ。…初号機が単独で倒したそうじゃないか。シンジくんにお礼を言わなきゃいけないな」
「…それよりアスカをどうにかして欲しいわね。あなたの管轄でしょ?」
「直属の上司は葛城だよ。…シンジくんと同じくね」
苦笑いをしながら加持が答えた。シンジの名前を出したのは、ささやかなリツコへの抵抗だろう。
何があったか訊き返さないのは、ケイジでのアスカのふるまいをすでに知っているからか、もしくはアスカ本人からグチでもいわれたかのどちらかゆえに違いない。
「彼くらい落ち着いていたら、みんな苦労は無いんだろうけどな。アスカも軽くいなされたらしいじゃないか」
「…チルドレンどうしでいがみ合うのがおかしいのよ。戦闘の後にケンカを売る神経を疑うわね」
「まあそう言わないでやってくれよ、あの子もいろいろあるんだ。……でも、運が良かったんだろうな。シンジくんがこの施設に残ってたのは」
「運…そうだわね」
リツコとシンジにとっては、すべて予定の行動だった。
停電の日に使徒が来ることも、そして彼が一人で使徒を倒すことも。
二人の思惑がすべては一致しないにしても。
シンジの記憶の「未来」と同じ手段はとらず、より確実な作戦を行なう、それがリツコの考え方だ。これまで兵装ビルや通常兵器の最大限度使用してきたのはそのためでもある。
今回シンジ一人で待機させたのも、彼らチルドレンが間に合わないことが、シンジ一人で使徒に向わせるより危険度が高いと当初は判断していた、それゆえだった。
シンジが考えていたこと、彼の経験したものと別の道を歩もうとしたその理由は、おそらくは違う。
第三使徒が襲来し、最初にケイジで会ったとき、動いた無人の初号機に母さんとシンジは呼びかけていた。
リツコは知っていたはずではないのか、そのことを。
失念していた、しかしそのことが真実への道しるべなのかもしれないのだ。
コアの中で眠っているユイがいつか目覚める、もしそれが真実なら、それはゲンドウがしようとしていることに大きく関わっているのではないのだろうか。
「……どうしたんだ、リッちゃん、珍しいな、ボーっとするなんて」
「…ごめんなさい、少し疲れたみたい」
「地上に行ったり大変だったようだからな。……でも、気をつけないと本当におかしな噂がたつかもしれないぜ。シンジ君とね」
おどけたように言った加持の言葉に、思わず微笑んだ。
確かに今回のリツコの行動は、一部の者には違和感を持たれたかもしれない。まだ冗談交じりだとしても噂になっているのかもしれない。
リツコがシンジにたいして不自然なほどに執着している、二人に何かあるのではないかと。
だが、シンジから目を離せなくなっている、たとえそれが恋愛感情からではないにしても、そのことは認めざるをえまい。二人が他人にどう映るかなど、些細なことなのかもしれない。
リツコは加持の存在を忘れ、ここにはいない黒髪の少年のことを思った。
誰の助けをうけることもなく一人で使徒と戦い、傷ついてうずくまっていたあの少年のことを。
おかしな噂ならいい。下世話な噂ならいい。
それが真実を隠すなら、気にすることではないのだろう。
シンジの行く末を見定めるまで、シンジの目的がわかるまで、あと、どれくらい時間がかかるのだろうか。