真実を知りたい、そう思っていた。













真実は、私の前にいつもあったのに。
















見えない明日で

第3章 あらわれる影

第1話

Written by かつ丸





「学生時代を思い出すわね」


 ミサトがのんびりとした声を出した。

 緊迫した状況などまるで気にならないような、感傷的な言葉だ。
 カスパーの内部、作業をしている手元から目を離さずに、リツコはそれを聞いていた。
 確かに昔もこんなことがあったような気はする。
 大学の研究室で、学部が違うはずのミサトがこうして手伝いをしてくれた。
 もう10年近くも前のことだ。
 それを懐かしんで話し込む余裕は、今のリツコにはないはずだった。

 後1時間ほどで全てにかたをつけなけなければならない。そうしないとこの本部自体がこの世からなくなってしまう。

 使徒の本部内への侵入、そしてマギへのハッキング。

 起こってはならないことが、こうして起きてしまっていた。三体に分かれたマギのうち、メルキオールはすでに乗っ取られバルザダールも攻撃されているのだ。カスパーがかろうじて無傷で残っているが、全てのマギが使徒によって占拠されるのも時間の問題だった。
 マイクロマシーンとして増殖し、進化しつづける使徒。模擬体に侵食したことから、同じように侵食される可能性のあるエヴァでの対処は困難だと推定された。
 作戦会議でミサトが言ったとおり、本部ごと爆破するのがもはや一番確実な殲滅の方法だっただろう。

 そんなことができるはずがなかったが。


 今までの使徒とは違い、対応策は考えていなかった。
 そもそもどんな形で使徒の攻撃がなされるのかもわからなかったのだ。シンジの『記憶』には詳しい情報は無かった。

 エヴァで戦ったのではないこと。
 模擬機体を使って行なった実験の際、突然レイの様子がおかしくなり、その後チルドレンそれぞれがのるプラグは地底湖へ射出されてしまったこと。
 数時間そのまま湖面に放置され、助け出された時にはすでに使徒は殲滅された後だったこと。

 それがシンジから教えられていた全てだ。

 どのような使徒だったのか、どうやって倒したのか、肝心なそのことを彼は知らなかった。
 エヴァを使っていないなら当然かもしれないが、そもそも1機のエヴァも使わずに使徒殲滅が可能かどうか、そのことがリツコが感じていた大きな疑問だった。

 本部内に使徒が侵入する、それはほとんど致命的な出来事なのではないのか。

 シンジの話を信用していないわけではない。
 今さら彼が嘘をつくとは考えにくい。当然夢でも妄想でもない。
 ミサトあたりから話を聞かなかったのかと思うが、殲滅された使徒にあまり興味はなかったのかもしれない。
 過去に戻ることを当時から予想していれば別だったろうが。


 結局、リツコには事態が動くのを待つしかなかったのだ。

 苦戦する覚悟はしていた。そしてその結果がこれだった。
 シンジの話どおり使徒が本部内に侵入し、そしてエヴァは使えない。
 状況は芳しくは無かった。


 彼の『記憶』では殲滅に成功している。
 そのことだけが道しるべのようにリツコを照らしている。


 カスパーを使ってプログラムを直接送り込むことで、使徒の進化を極限まで促進し、その自滅を図る。ほとんど冒険としかいえない策だが、今はそれに賭けるしかない。
 ゲンドウたちが避難を行う素振りもみせないのは、自分のことを信頼してくれているからだろうか。

 プラグの中で湖面を漂っているはずのシンジは、いったいどうなのだろう。



 覆っていたカバーを取り除くと、人の脳と同じ形状を持つカスパーの中枢部が露になった。
 手元のノート型パソコンと直結するための端子をつなぐ。



「ねえ、少しは教えてよ、マギのこと」


 興味深げにリツコの手元を覗き込みながらミサトが言った。
 落ち着けようとしてくれているのかもしれない。別に焦ってなどいないが。


「…長い話よ、その割に面白くない話…」


 作業を続けながら、ミサトに語りながら、リツコは思い出していた。
 このマギが完成したころのことを。







 リツコの母赤木ナオコは、この国有数の電子工学の権威だった。
 いや、世界有数の権威、そう言っても誇張とは呼ばれないだろう。

 人格移植OS。

 それまでの電子計算機の概念をすべて塗り替えたといわれる斬新な研究の理論化を、すべて一人で成し遂げてしまったのだから、それも当然だろう。

 実際リツコの大学時代、母ナオコの名を知らない学友など一人もいなかったのだから。

 セカンドインパクトの後しばらくして、ナオコは大学教授の職をやめてネルフの前身であるゲヒルンに入った。
 研究の具現化をする、そのために。
 直接訊いたわけではないが、ゲンドウからスカウトを受けたようだ。

 当時の二人がどのような関係にあったのか、リツコは知らない。
 そもそもなぜナオコが華々しい表舞台から、文字通り地下に隠れるという地味な道を選んだのか理解できなかった。
 混乱したこの国でまともな研究施設がえられる場所が貴重だったのか、セカンドインパクトを始め人類全てを巻き込んで起こる事件の真実に関心があったのか、それとも碇ゲンドウという男に興味があったのか。

 表向きは研究のため、だろう。だがリツコにはなんとなく最後のそれが、本当の理由のような気がしていた。
 女であることを最後まで捨てない、それがナオコの科学者としての矜持だったように思える。どんな場所でも通用するだけの頭脳と能力を持っているのだから、どうせならいい男のいる職場で働きたい、などと、彼女なら言いそうな気がする。
 直接聞いたわけでもないのにそう思うのは、リツコがそうだからなのかもしれないけれど。

 だからユイの消失後、ナオコがゲンドウと愛人関係となったことについて、彼女に対する嫌悪感はなかった。
 娘の自分をあまり見てくれないのが少し寂しい、それだけだったように思う。
 リツコが勤務先にゲヒルンを選んだのは、母の近くに来るためだったのに。

 放置していた娘が、自分から近づいてきてくれたことを、ナオコは喜んでくれていたにちがいない。
 ライバルとなるにはあまりにも母は偉大で、そして娘は何も持っていなかった。


 施設建設中のジオフロントに篭って8年、それがナオコがマギ開発にかけた時間だった。
 最初この地に来た時には高校生だったリツコが、大学を卒業し母の手伝いをならんで行なうようになる、それほどの時間だった。


 第7世代有機コンピュータとして時代の最先端の研究を実証したことは、科学者としての彼女の金字塔だったろう。
 だが、それで何かが終わったわけではなかったはずだ。
 頓挫していたエヴァの開発を始め、補完計画の実現に向けてゲヒルン、いや、ネルフの活動は本格化するはずだったのだ。
 そのためのマギではないか。
 実用性を証明しなければ研究が完結したとは言えない、それを一番よくわかっていたのがナオコその人だったのに。


 マギが完成した夜、ナオコは自殺した。
 建設中の司令塔からの墜死、表向きは事故と判断された。連夜の残業の疲れから、うっかりして落ちてしまったのではないかと、
 そんなことはありえないと、リツコが一番よく知っていた。直前まで何の兆候もなく、遺書も残していなくても。

 誤って死ぬような人ではない。

 死を選ぶ理由があった、だから、ナオコは死んだのだ。
 生きていく理由がなくなったから、生きることを放棄したのだ。

 傍らに立つ娘。
 研究の成果と名声。

 全てと引き換えにしても死ぬに足る理由があったのだと思う、彼女には。


 それが何だったのか、リツコは知らない。
 無残な姿に変わってしまった母親は、娘になにも答えてくれることはなかった。

 あの時点でナオコの心情を正確に理解していたのは、おそらくゲンドウただ一人なのではなかっただろうか。

 ごく内輪で行なった告別式に顔を出した彼は、焼香をすませた後遺影をしばらく見つめていた。
 何も言わずに、ただ、じっと見つめていた。


 ナオコが死んだから、ゲンドウはリツコを求めたのかもしれない。
 それは認めたくないことではあるが。




「……このマギには、母さんの人格を移植しているのよ」

「人格移植OS? コンピューターに個人の人格を持たせて思考させるってやつよね? でも、それじゃあ…」


 戸惑った口調に変わったのはミサトなりに気を使っているつもりなのかもしれない。
 思考を過去にとばしながらも、リツコのくちびるはミサトとの会話を続けていた。
 端末のキーボードを叩く手は止まってはいない。
 少し離れたところではマヤもまた端末を叩いている。彼女のプログラミング技術は確かだ。


「開発者本人が被験者となったのよ。それが一番良心的だものね」


 マギは3人の私だと、かつてナオコは言っていた。
 母親と科学者と女性、3つに分化されたナオコの人格をマギは宿している。

 そして身を投げた時、ナオコはその身体をこのマギの上に落とした。
 彼女から流れた血で、マギが赤く染まっていた。
 だからリツコは思うのだ。死んだナオコの魂は天には登らずに、この中に宿っているのではないかと。
 マギの中で自分を見守って、それとも憎んで、もしかしたら哀れんでいるのかもしれない。

 普段あまり意識はしていない。
 しかし、こうしてマギの中に入ると、なぜかそれが強く感じられた。

 このカスパーこそが、ナオコが落ちたところだったからだろうか。
 それとも母親でも科学者でもなく、ナオコの女性の人格を持っているからだろうか。


 最後まで女性であることを捨てなかった、彼女の。
 そしてリツコと同じ男を愛した女でもある、彼女の。


 時間がない。
 感傷にひたっている場合ではない。

 使徒はすでにバルダザールをも配下に入れつつある。

 画面に集中し、無心に手を動かした。

 警報音。自律爆破が提議されたのだ。オペレータの叫び声がする。あと18秒と。
 失敗すれば本部ごとあとかたもなく吹き飛ぶことになる。
 それでも、心は落ち着いていた。成功する確信があった。
 シンジの『記憶』のためではない。マギの、母の声が聞こえたような気がした、それは非科学的だろうか。


「マヤ!!」

「行けます!!」

「押して!!」


 爆破まで一秒。リターンキーを押す。

 それで終わりだった。

 しばらくの沈黙の後、使徒の殲滅が確認できたのだろう、固唾を飲んだ鬱憤をはらすかのように、発令所で歓声があがる。
 リツコが顔を上げると、ミサトとマヤがこちらを見て笑っていた。

 小さく息をついて、微笑みを返す。身体が重い。実験の準備もあり昨日からほとんど眠っていないことに気づいた。後始末が終わったら休んだほうがいいだろう。
 カスパーの復元、そして使徒の侵入経路の調査、施設の状況確認、することは無数にあり辟易するが。マヤはともかく暢気な顔をしている作戦部長が少し憎らしくなった。


「…ミサト、あの子達を助けにいってあげないといけないんじゃないの?」

「ああ、そうだったわね。きっと裸で困ってるわ」


 悪戯っぽく笑いながら立ち上がり、ミサトが駆けて行った。
 これでシンジの『記憶』よりも早く救助が行くに違いない。
 そのことで、はたして何かが変わるのだろうか。

 ふと、思った。

 ナオコが生きていれば、シンジとどう接するだろうかと。
 もちろん答えなど出ない、やくたいのない考えだが。

 今、ここにいるのはリツコだ。赤木ナオコはもうどこにもいない。
 そう周りに知らしめるために、リツコは肩を張ってきたはずなのに。

 端子をとりはずし、マギの中枢部にカバーをはめる。
 なんとなくその上に手をあててみた。何も伝わっては来ない。声が聞こえるわけもない。
 ただ、冷たい金属の感触がするだけだ。

 あたりまえのことなのに、なぜか軽く落胆している自分が、リツコは少しおかしかった。



 







〜つづく〜









かつ丸にメールを送る
katu@osaka.104.net



解説:


第3章開始です。
ちょうどふた月あきましたね。

たぶんこの章も10話まで。
ペース的にはここからふた月おきに一話、ということにはなりません、たぶん。
週一ペースも、なかなか難しいでしょうが。

サハクィエル戦ははしょりました。 余裕があればそのうち視点を変えて外伝でも書くかもしれません。



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