見えない明日で

第3章 第4話

Written by かつ丸





 結局、何も変わることなく、リツコは実験を進めていた。

 次の使徒が来るのはまだ先であるし、情報も少ないため何か準備ができるわけでもない。
 ダミーシステムの開発にしても、まだデータ収集以前の段階だ。とりあえず今日これから行なう実験が成功しなければ、計画だおれに終わる。理論上は問題なくてもそれはあくまで机上のことだ、行なってみるまではわからない。

 シンジに訊けば、彼は知っていただろうか。
 彼らチルドレンにとってさほど重要な実験には思えないかもしれないが。
 使徒との戦いと直接関係は無いため話題に出すことはなかった、リツコがネルフで行なっていることについてシンジから尋ねることはほとんどない、だから実験の成否について彼の記憶を探る機会が無かったのだけれど。
 それに結果を聞くことで変わってしまうものもあるかもしれない、だからこれでよかったのだろう。

 もうすぐ始めなければならない。今からシンジと二人きりで会う時間は無かった。



「……でも、どうしてこんな実験が必要なの?」

「だから…いつでも使えるエヴァがそろうとは限らないし、シンジくんたちが万全だとも限らないでしょ? 備えは必要よ」

「それは分からなくもないんだけど……だったらレイよりもアスカで実験したほうがよかったじゃない。シンジくんはともかく、あの子の方がレイよりシンクロ率は上なんだから、戦闘を考えるならその方が効率がいいと思うんだけど」


 レイを乗せた初号機が実験棟に据え付けられようとしている。
 その様子を制御室からガラス越しに見ながら、リツコたち技術部員は準備を進めていた。ミサトがここにいるのは例によってチルドレンを所管する関係でだが、今日はいつにも増してこちらに絡んでくるような気がする。
 先ほどからずっとリツコの隣に立ち、何かと話し掛けてくる。それは彼女が今日の実験に何か疑問を持っているからだろうか。正直言って今はミサトに関わっている余裕はリツコには無かった。邪険に扱わずに話をしているのは、そのほうが後々混乱することが少ないと思ったからだ。
 視線はデータの映るモニターから外してはいない。


「蓄積されたデータ量の問題よ。少しでも成功の確率が高い方法を取ることが基本だし、この手の実験をレイはずっと行なってきたんだから」

「…それなら、シンジくんじゃなくてアスカのほうがよかったってことにならない? ドイツにいた時のあの子のデータは送られてきてるんでしょ?」

「…どこまで揃ってるかわかったものじゃないわ。科学者の縄張り意識はハンパじゃないから。それに、パイロットだけの問題じゃないの。ドイツにあった弐号機よりも初号機や零号機のほうがここでの実験量は多いでしょ」

「…なるほどね。それじゃいずれ弐号機についても実験はするの?」

「……先のことはわからないわ。しなくちゃいけない実験はこれだけじゃないから。でも、どうして?」


 あまりのミサトの執拗さに、少し呆れながらリツコは彼女のほうを見た。
 気持ちが伝わったのか、ミサトは鼻の頭を掻きながら苦笑いをしている。


「…だって、シンジくんとレイだけでしょ、実験に参加してるのが。色々と大変なのよ、帰ってからね」

「ああ……苦労だわね、あなたも」

「そう思うなら、少しは気を使ってくんないかしら。あんたの印象かなり悪いみたいだわよ、シンジくんだけをえこ贔屓してるって。そのうち直接文句を言いに行くかもしんないわね」

「勘弁して欲しいわ。子供の駄々に付き合ってる暇は無いもの」

「……毎日付き合わされてる私はたまんないけどね」


 ミサトはアスカを気にしているだけのようだ。三人のチルドレンのうち自分だけが実験対象にならないことで、彼女が疎外感を持つ、そういうことだろうか。
 リツコにとってはどうでもいいことだが。

 表向きの実験は初号機と零号機、それぞれの互換だ。だからレイが初号機に、シンジが零号機にのる。
 だが主目的からすれば、レイによって初号機稼動が可能かどうか、それがこの実験のほとんどをなしているといってもよい。シンジの実験は蛇足に過ぎない。レイのパーソナルデータを元にダミーシステムは造られるのだから。
 シンジを使わずにアスカを用いてもよかったのだが、アダムをベースにした弐号機ではレイによるシンクロは全くの未知数であり実験の成功率が低くなる、それゆえの選択でもあった。
 今後作られるエヴァは全てアダムがベースになる、だからシステムの完成時にはクリアされなければいけないことだけれど。


「準備完了しました!」


 オペレータの声が響いた。視線を再びモニターに戻した。そこにはプラグ内のレイの姿が映っている。机の端末には初号機の解析図と各種データが表示されていた。
 制御室に緊張した空気が広がる。みな、リツコの合図を待っているのだ。
 ミサトを口を閉じ、腕を組んで前を向いていた。彼女はガラスの向こうの初号機を見ているのだろう。
 E計画の一つの節目、そして来るべき補完実験の一里塚。
 ここにいるほかの誰もその意味は理解していないだろう。リツコのすぐ近くでモニターチェックをしているマヤですらそうだ。レイが造られた人間であることをマヤは知っている、今後リツコの サポートをしてもらうため、彼女にはある程度の事柄を話している。
 だが、全て、ではない。
 人類をサードインパクトの滅亡から救うため、そう話したことを、マヤはどこまで信じているだろうか。
 レイのことを知った後、少なからずショックを受けていたようだけれど。

 自分を尊敬し、慕ってくるマヤのことをリツコは利用しているのかもしれない。
 その構図は、どこかゲンドウと自分の関係に似ているような気もした。

 そのマヤが一瞬こちらを見た。視線を感じたのか、それともなかなか合図を出さないリツコを怪訝に思ったのか。きっとその両方だ。


「…相互互換実験、開始します」


 乾いたリツコの声とともに、実験は開始された。
 マヤもすでに画面に集中している。リツコもそうだ、モニターに映し出される状況を把握することに神経を尖らせていた。
 そこにいるのは、一人の科学者でしかない。
 その瞬間、ささいな感傷は、もうどこにも残ってはいなかった。











 モニターの映像は、すでに弐号機に切り替わっていた。そちらはいつもの起動試験だ。ついているスタッフも最小限で、リツコもほとんど関心は払っていない。
 現状のアスカのシンクロ率なら、動かない要因が無いからだ。

 初号機は実験棟から運びだされ、零号機の据え付け作業が進められている。
 一番重要な実験はすでに終了した。成功した、そう言っても問題ないだろう。弐号機も零号機も、今日はアリバイ作りのために実験するだけのようなものだった。
 レイと初号機の実験の、カムフラージュにすぎない

 初号機を降りたレイは、簡単な検査の後、リツコの指示でこの制御室に上がらせてある。
プラグスーツを着たまま、ガラス越し彼女がいつも使っている機体の様子を眺めている。
 レイが注目しているのはその零号機に乗っている少年なのかもしれない、その表情からは何も窺い知れなかったけれど。

 零号機の実験開始までにはまだ時間がある。
 リツコは佇んでいるレイのところに歩み寄った。周りには誰もいない、みな、自分の仕事をしている。
 ミサトは弐号機のプラグにいるアスカとモニター越しに何か話しているようだ。気にする必要は無いだろう。

 リツコの気配を感じたのか、蒼銀の髪を持つ少女は視線をこちらに移した。
 いぶかしい、そんな様子も見えない。ただ、無表情なだけだ。


「……レイ、体調に異変は無い?」

「はい、問題ありません」


 つい先ほど医師にも同じことを言ったはずだ。
 訊いたリツコも、話かけるきっかけ以上の意味を持たせてはいない。


「そう…それでどうだったの? 初号機の中は、零号機とは何か違った?」

「……はい。…うまく言えませんが、少し…違和感はありました」

「…馴染んでないからしかたないのかもしれないわね。シンクロ率にはほとんど差が無かったけれど、ほんの少し零号機のほうが高かったわ」


 零号機も初号機もレイの本体ともいえるリリスがベースで造られている、だから同レベルでシンクロをすることはある程度予想できていた。チルドレンとしてのレイはオールマイティと言ってもいい。
 シンジやアスカに数値が劣っているのは彼らがそれぞれ専用のコアを持つからで、たとえばアスカが初号機に乗っても起動させることは不可能だろう。

 理論上レイはどんなエヴァでも等しく動かせる、それでも零号機より初号機とのシンクロのほうが低いのは、そちらにはレイにとっての異物が混じっているせいかもしれない。ユイの魂が。
 違和感とは、そういう意味だろうか。
 レイは感じたのかもしれない、ユイの存在を。


「…ねえ、レイ。違和感って、それはどんな感覚だったの? 怖い、とか、そういうことかしら」

「……怖くはなかったです。…特に嫌な感じではありませんでした、ただ、零号機とは何かが違うと、そう思っただけです。……あそこは彼の場所だから…それが理由なのかもしれません」

「……彼って…シンジくんのこと? あそこでシンジくんを感じたの?」

「…はい…たぶん」


 表情を動かさないまま、彼女は静かに答えた。
 レイは嘘をついたりしない。
 シンジの存在を感じたというなら、彼女にとってはそうだったのだろう。完全に洗浄しているプラグ内に彼の気配が残るとは考えにくいが。
ユイとシンジは親子だ、その波長も近いに違いない。それゆえにレイにはシンジだと認識された、その可能性もある。
 数多くシンクロしてきたことで、コアにもなんらかの変調があった可能性も。
 どちらにしても分析の必要はあるかもしれない。


「実験準備まもなく終わります」


 オペレータのその声を潮にレイの元から離れ、リツコはマヤに近づいた。
 彼女の座るイスの後ろに立ち、画面の数値に注目する。何も問題は無いようだ。

 据え付けを終えた零号機が、ガラスの向こうには静かに立っていた。プラグの中にシンジが乗っているのがモニターの一枚に映っている。エヴァの電源はまだ入っていない。

 レイがオールマイティなように、零号機もまた汎用性を持っている。そのコアにあたるものは無属性であるため、どんな相手ともシンクロはする。零号機のコアもまたリリスの一部だからだ、そ こにレイのような意志は無いが。
 汎用性がある代わりに、戦闘に耐えられるだけの起動レベルを保つにはあまりにも不安定だと予想される。零号機を使いこなせるのはレイだけだろうと。
 シンジのシンクロ率は彼女に及ぶまい。

 今のところ理論でしかない、この実験で確認できれば、リツコたちは一歩先に進むことが出来る。

 すなわち、ダミープラグの開発と、その先の補完計画の実現に。



 レイの時と同様に実験は進められていく。
 零号機の起動に向け、神経接続が行なわれていく。

 プラグの中のシンジは、ずっと目をつぶったままだ。先ほどのレイもそうだったような気がする。
 戦闘中で無いため、特に問題はなかった。
 レバーを持つ両方の手には力が抜けたようには見えない。だから眠ってはいまい。


「臨界点突破、起動します」

 オペレーターの声が響く。
 部屋の空気が一瞬だけ緊張した。マギだけが何も感じないようにデータを拾っていく。
 モニターに異常は表示されていない。

 ほぼ予想通りのシンクロ率。それは実験の成功を示している。
 いや、そのはずだった。


 異変が起きたのは、もうしばらくしてからだった。
 突然制御室に警報音が響いたのだ。そして目前の実験棟では、零号機の青い機体が苦悶するように頭を抱えている。

 いつかの、レイが起動実験をした時と同じだった。


「シンジくん!!」


 ミサトの声が響いた。
 みなあわただしく動く、制御不能だと、だれかが叫んでいる。

 ガラスの向こうでは零号機が暴れている、中にシンジを乗せたまま。
 シンジの声は聞こえない。回線は断絶している。

 リツコも叫んでいた。
 何を言っているのか、自分でも分からなかった。
 取り乱しているのかもしれない。

 職員達の怒号と暴れる零号機が出す轟音の中で、リツコはひとつのモニターを見た。
 先ほどまでプラグ内を映していたその画面には、すでに何も映ってはいなかった。




 







〜つづく〜









かつ丸にメールを送る
katu@osaka.104.net



解説:



少し間があきましたか。

レイとリツコの会話は難しいですね。本編でほとんど話してないし。
レイはミサトには敬語使わないんですが…本当はゲンドウにだけなのかな?




自作エヴァSSインデックスへ

トップページへ