見えない明日で

第3章 第5話

Written by かつ丸





 ガラスの向こうでは、青い機体が設置されつつあった。
 前回の事故のときはベークライトで一時封印しその状態で調査を行なったが、今回はこうしてすぐに再起動実験を行なおうとしている。
 あの時に比べてエヴァが持つ未知の部分も少なくなっているからか、レイによっての起動については問題ないと確信できるからか、それとも、ただ、意味も無く慣れてしまっているだけなのかもしれない。

 作業をしている技術部員たちにも不安な様子は無い。指揮をしているリツコが冷静な顔をしている、だからだろうか。
 実際にはそんなことはないのだけれど。

 いつもの起動実験と同じ手順、零号機にはいつもと同じパイロットが乗っている。
 少しも滞ることなく、作業は進んでいく。
 何も起こらない。あたりまえのようにシンクロを示すゲージは上がり、あたりまえのように起動点を突破した。
 もう何度も繰り返した光景が、今日も繰り返されただけだ。異常はどこにも現れはしなかった。

 それでも、ほんの数日前、この機体はリツコたちの制御を離れ実験棟の中で暴れまわっていたのだ。
 原因はいまだわかっていない。


「赤木博士、前回のシンクロ率をすでに突破しています」

「レイ、何かおかしなところはある?」

『…問題ありません』

「そう、…しばらくの間現状を維持、データ採取を続けて」


 技術部員たちに指示を出し、リツコは再び青い機体を見つめた。
 何もおかしな気配はしない。零号機はただ静かにそこにいるだけだ。
 乗っているレイの心を映しているように、微動だにしない。いつもどおりの風景がただ繰り返されただけで、そのまま何事もなく時は過ぎていった。





「…結局、なんだったんでしょうね?」


 ようやくデータの分析を終えたところで、手伝っていたマヤがつぶやいた。
 深夜といってもいい時間だ。すでに制御室から他の人影は消えている。
 リツコの残業に彼女がつきあってくれていたのだ。一度は帰るよう促したが、マヤがいてくれたほうが効率がいいのは間違いない。リツコ一人ならもっと時間がかかっただろう。


「…シンジくんと零号機の相性、それが一番可能性が高いみたいね」

「はい、でもシンクロ率はそんなに低くないですしハーモニクスもずっと正常でしたし、本当に急変だったんですね…きっかけが何かがわかるだけでも糸口になりそうなんですけど」

「今日のレイのデータは全くの正常、ここ数回の平均的な数値から大きく逸脱してなかったわ。機体そのものの異常とは考えづらいわね」

「……先輩、シンジくんの再実験は必要無いんでしょうか?」

「それは初号機の起動実験ってこと?」


 その言葉に、マヤが無言で頷いた。確かに理屈ではそうかもしれない。
 しかし今のところ特別実験としてはスケジュールに入れるつもりはなかった。どのみち通常の起動実験はいずれ行なうことになる、ことさらに急いでする必要はあまり感じないからだ。


「…シンジくんはまだ退院してすぐでしょ、あまり無理をさせられないわ」

「それはそうですけど、…もし今使徒が来たら、シンジくんにいきなり戦わせることになります。その方が危険だと思います」

「戦闘中に初号機があんなふうに暴走したら、確かに目も当てられないわね…」


 ガラスの向こうの実験棟に目を移した。電気が落とされ、この制御室からもれる明かりだけが照らしているそこには、すでに零号機の姿はない。
 ただ、壁につけられたいくつかの傷痕は、はっきりと見ることが出来た。はりかえられてしまっているが、このガラス窓にも無数の亀裂が入れられていたのだ、零号機によって。


 なぜ、あの時突然暴走したのか。

 その理由はリツコにはわからない。
 病室で訊ねたシンジにも、わからないと言っていた。
 いや、正確には『やっぱりわからなかった』、そう言ったのだ。問い詰めるとかつての『未来』でも同じ実験をし、同じように零号機は暴走したということだ。なぜ事前に言わなかったのかと聞くとすみませんと笑ってごまかしていた。
邪気の無い表情で。

 命の危険はなかった、だからそれ以上追求はしなかったけれど。
 それに暴走とシンジとはあまり関係無い、そう思えたから。

 その時のリツコには、彼のことよりも零号機の行動のほうが気にかかっていた。
 壁に頭を打ち付け、苦悶するように悶え、そして何度もくりかえし制御室の窓をたたきつけた青いエヴァのことが脳裏から消えていなかったのだ。
 制御室にいる者たちに向ってくるように、エネルギーが切れ活動限界が訪れるその時まで、零号機は攻撃をやめなかった。
 ミサトは言った、まるでレイを狙っているようだと。確かにガラス窓の間近にいるレイめがけて零号機のコブシは振るわれていた。レイは表情も変えずに逃げることもしようとはしなかったが、傍から見ればそこに立っている彼女が襲われているように映ったのだろう。
 しかしそうではないと、リツコは思った。
 何も根拠はないけれど、確信は出来た。

 マヤが不安に思う初号機の制御、それを確信できるのとは理由が違うけれど。


「…でも、診断の結果シンジくんの脳波その他に異常はなかったんだから。それに仮にうまくいかなかったら、今度こそ精神汚染の怖れがあるわよ」

「うまくいかなかったら、ですか?」

「ええ可能性は低いでしょうけどね…だから彼にはしばらく休んでもらって、それからでもいいでしょう。使徒が来たらというのはあくまで仮定だし、そのためにリスクのある実験をすることもないんじゃない?」

「はい、確かにそうかもしれませんね。すみません」


 納得したようにマヤが頷いた。
 我ながらいいくるめただけのようにも感じる。いつものリツコなら少しくらいのリスクがある実験でも平気で行なっているからだ。もともと機体相互互換実験自体に危険がなかったわけではない。
 エヴァという存在そのものがブラックボックスなのだ。絶対の安全などない。
だからマヤに対する発言は詭弁、もしくは偽善だといわれてもしょうがないだろう。

 少しくらいの無理をしても反証実験は必要かもしれない。
 だが最初からそのつもりはなかった。
 シンジから未来を聞いているリツコには、先の暴走事故が原因で初号機が動かなくなることなどないと確信ができるからだ、もちろんマヤにそれを言うことはできない。


「とりあえず、司令が急ぐように言ってるのは別のことだから、私たちはしばらくはそちらに集中しましょう」

「……はい」


 うつむいて答えたマヤを見て、リツコは思った。
 ゲンドウが望んでいること、それに関わるのを先延ばしにしたいがために、彼女は初号機の実験を提唱したのではないかと。
 しかし、それをわざわざ口に出して、マヤに確認する気にはなれなかった。









「…今後のスケジュールに支障はない、そう考えていいわけだな」

「はい、レイに関しては実験は全て成功していますから。システム開発の傍証的なデータはこれで整いました」

「ならばいい。予定通り進めてくれ」


 司令室。地上に行っているのか、珍しく冬月はいない。
 それでもそれ以外はいつもの構図と同様に、机をはさんでリツコはゲンドウと対峙していた。
 ふたりきりなのだからお互いもう少しくだけた口調でもいいのかもしれないが、この部屋の雰囲気がそうさせるのだろう、話し方も冬月がいる時とほとんど変わらない気がする。
 仕事中に馴れ合うことは好みではない、特に今は報告のためにここにきている、別に寂しいとは感じなかった。

 ゲンドウはどうなのだろうか。机の上で組んだ腕も、赤いサングラスに隠れた眼差しもいつもとかわらない。ねぎらいやいたわり、そういったものは言葉の端にすらも感じはしない。
 そこにいるのはリツコの愛人ではなく、一人の厳格な上司でしかないように思える。リツコと同じように心を抑えているのか、それともその必要など無いのか。

 ともあれ彼の機嫌が悪いわけではない。それくらいはリツコにはわかる。
 いくつかのつまづきがあったとはいえ計画が比較的順調に進んでいる、それが理由だということも。
 だからこの場の空気はいつもの時ほどは張り詰めてはいなかった。

 特に訊ねられてもいないのに蒸し返す気になったのは、そのせいかもしれない。


「…司令、零号機の事故についてですが」

「どうした? 何かわかったのか」

「はい、原因は今のところ不明ですけれど、初号機や弐号機にはいずれも同種の事故は発生していません。先のレイの事故ともあわせるとやはりあの機体の特性ではないかと思われます」

「……どういう意味だ?」

「事故が起きた過程としては、いずれもレイ、シンジくんそれぞれの最初の起動時に起きています。零号機のコアがチルドレンにより刺激された時に瞬間的に覚醒するのではないか、そう推測できます」

「……」


 頭をかきむしり壁に打ちつけ、そして制御室を壊そうとした零号機の動き、あれが意味するものは何かとリツコはずっと考えていた。
 乗っていたチルドレンではなく、零号機そのものの意志が望んだ行動、その結果があの暴走のはずなのだ。
 だから、ことさらにレイが襲われたのではない。いや、レイもその対象かもしれないが、零号機が破壊したかったのはその体の中に埋め込まれた異物と、制御室に象徴されるなにかではないのだろうか。
 零号機を支配し、その行動を規制しているもの、つまりネルフそのもの。
 このあいだの実験の場では、リツコが、その筆頭だっただろう。

 本部奥深くに封印されているリリス、それを元にして作った機体であるあの青いエヴァは、決して制御されることを認めているわけではない。こちらが無理やりに押さえつけているだけだ。
 実験を繰り返しデータを積み上げても足場になっているのはとてももろいものである。そのことを忘れてはならないという、あの事故は警告だったように思える。
 神の複製を、人間が支配し道具にしようなどと、やはり傲慢でしかないのかもしれない。


「レイの時は二度目の起動で安定しましたが、シンジくんもそうだとは言えません。…彼とレイではなりたちが違いますから」

「…あの機体のコアは他のものとは違う、それが原因だろう」

「はい…今後もレイ以外に使用させるのは危険だと思われます」

「もとよりそのつもりはない。レイが零号機から降りることなどありえないからな…」


 ゲンドウが降りろと言わない限り、そんな事態はやってこない、そういう意味だろうか。
 しかしレイも零号機もなりたちとしてはそう変わりはしない。
 レイとは意志の疎通ができるがエヴァとはできない、それだけだ。
 今はゲンドウやネルフに従順なレイが、いつまでもそうありつづける保証など無い、そのことに彼は気づかないのだろうか。
 もともと人間ではない、神の化身ともいっていいレイを、人間の尺度で測ろうとするのに無理があるとは思わないのだろうか。

 彼の口調にレイへの特別な感情を嗅ぎ取ったせいだろうか、ゲンドウの言葉にリツコは少し鼻白んだ。
 だがあえて追求しようとは思わない。
 こんなところで痴話げんかをするには、リツコのプライドが邪魔をしていた。
 そのかわりに話を切り上げてそそくさと司令室を出る。
 指示どおりにダミーシステムの開発を本格化させるとすれば、これからも忙しさは続くだろう。やる気は減退していたが、さぼるわけにはいかない。むしろ仕事に打ち込むことで様ざまな雑念を 忘れたいとも思った。


 寄り道もせずに研究室へもどる、特に誰か尋ねてきた様子はない。
 端末を開き、メールのチェックをした。
 何通かきているが、すべて仕事がらみのものしかない。
 部屋をあけていたのは一時間ほどなので、夕刻のこの時間では当然かもしれない。

 それでも軽く落胆したのは、司令室での会話が尾を引いているせいだろうか。

 必要なものにだけ返事を書くと、リツコは仕事を始めた。

 いったい誰からのメールが見たかったのか、
 誰の声が聞きたかったのか、
 自問することはなかった。





 







〜つづく〜









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katu@osaka.104.net



解説:


シンジ出てないですね。
インターバルな話でした。



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