Written by かつ丸
歓談する人々の声と緩やかに流れる音楽。
今のあの二人にはおそらく無縁のものだろう。
誰かの命日と同じ日に、結婚する者がいる。
1年の日数が限られている以上、そんなことは偶然とはいえない。
リツコの見たことのない一つの墓標の前に、少年と男が立っている。
頭の中でそんな映像が一瞬きらめいたような気がしたのは、突然反転した場内のライトのせいだろうか。
会場のドアがボーイによって開かれる。二度目のお色直しが終わり、新郎と新婦が再び入場してきた。
ミサトや加持と同様に大学の頃の遊び仲間の一人で、その後民間でキャリアウーマンをしていたリツコと同い年の新婦は、かつてなく華やいで見えた。
友人の花嫁姿に感動する、などといったことも、年をとるごとに感じなくなっているような気がする。
取り残されたような感覚があるわけでもない。こうして見ていてもウエディングドレスに包まれて自分があの席に座ることが想像できないだけだ。昔はそうではなかったようにも思うが。
結婚願望が無いわけではないはずだが、ゲンドウと付き合っている限り現実的なことだとは思えなかった。
ミサトはどうなのだろう。
リツコの隣で加持と並んで座っている様子は、なかなか収まりがいい。先ほどから憎まれ口や小言しか話していないけれど、二人の間の空気は柔らかいように思える。
再会して数ヶ月、よりはもどりつつあるらしい。
もともとひどい別れかたではなかった。お互いに想いを残していたのは傍から見ていたリツコには明白だったので、8年経った今になってまたつきあい始める、それも自然なことだ。
学生時代そのままの気持ちでは、当然ありえないけれど。
加持と別れたあとのミサトに男の影がなかったわけではない。恋人づきあいをした相手も何人かいたはずだ。彼女が今まで独身を通してきたのはめぐり合わせが悪かった、それだけだろう。
たとえネルフに席を置いていたとはいえ、来るかどうかもわからない使徒を倒すためだけに家庭に入らないなどということを、ミサトが考えていたわけがないのだから。
加持もこの8年間何も無かったわけがない。
お互いにそれを気にする素振りを見せないのも、大人になった証なのかもしれない。
いつのまにかコース料理も一段落し、式も佳境に入っていた。
スピーチやカラオケで会場はざわめいている。主役の年齢がどちらも高いせいだろうか、はめをはずすような者はいないようだ。静かな、和んだ雰囲気の披露宴だった。
何杯めかになる赤いワインを飲み干しながら、少し頬を染めてミサトがこちらを見る。
「……なんか平和って感じよね、まるで別世界だわ」
「もう、仕事のことは忘れなさいよ。こんな席なんだし」
「そうだぜ、あまり無粋なことは言うもんじゃないさ」
「あんたは黙ってなさい。…別に絡んでるつもりはないのよ、ちょっと思っただけ。……この人たちは私たちがしてることなんてほとんど知らないんだろうなあって」
潤んだ瞳はいつになく酔っている証拠だろうか。それでも自分の言葉の意味がわからないような状態には見えない。
ミサトの話が聞こえているのは加持とリツコの二人だけだ、だから問題があるわけではないが。
「…うちの広報は優秀だから、戦自か政府関係者でもない限り何も知らないでしょうね。そうじゃなきゃ私たちは今日質問攻めにあってるわよ」
「質問というより詰問だろうな。使徒の名前は知らなくても、得たいのしれないバケモノが日本を襲っていることはみんな知っているさ。目撃者や死者がいないわけじゃないし、人の口に戸は立てられないからな。今のところまだ、それとネルフが結びついてはいないみたいだがね。A−17にしても一般レベルが知る問題じゃあなかった」
「…エヴァのことは?」
加持の言葉にミサトの目の色がほんのわずかだけきつくなった。
リツコも少し興味を持ち彼を見つめた。彼女にとってはすでに広報部から報告されていることではあるが、加持の分析は別ルートのものだろうし、それに情報操作されているものではないはずだ。
「バケモノから街を守る巨大ロボットがいる。報道はされていないが、口コミで存在は広まっているよ。…実際に見ていない限り、ほとんどが冗談と思うみたいだ。それも無理もないだろうな」
「…まるっきりマンガだもんね。しかも謎の秘密兵器を子供が操縦して、敵の侵略から世界を守るなんて。もし世間がチルドレンのことを知ったらどう思うのかしら。ねえ、リツコ」
「さあ? でもあの子たちのクラスメートはみんな知ってるんでしょ? 当然その家族も知ってるだろうし。だから意外と広まってるかもしれないわよ、別に問題ないんじゃない?」
「あの街は別よ。市民のほとんどが身内なんだから」
からかっているのがわかったのだろうか、ミサトがリツコを軽く睨んだ。
加持は苦笑している。なだめるようにミサトのグラスにワインを注いでいる。
軽いデジャブを感じた。
つむぐ言葉は違うが、確かに昔、これと同じ光景があった。
「第三新東京市以外の街では関心は薄いよ。自分達が襲われているわけじゃ無いからね。…テレビや新聞で報道もされないし、不安を感じるほど切迫もしてない。…知らないってのは幸せなのかもしれないな」
「ふうん、そんなものかもしれないわね。…じゃなきゃこうして今ごろ結婚しようなんて考えないか」
「そうね…でも、知らないほうがいいなんて加持くんらしくないセリフね。何が何でも知ろうとするんじゃないの、あなたなら」
言葉に少しだけトゲを含ませて、リツコは言った。
ここ数日加持が京都に行っていたことはすでに知っている。ゲンドウが報告を受けているところに、リツコも立ちあっていたからだ。
ターミナルドグマの奥にかかってきた電話は、ゲンドウ直属の諜報部からのものだったのだろう。
問いかけると隠すこともなくゲンドウは教えてくれた。
京都にあるマルドゥック機関関係の施設に加持が姿を見せた、それだけで目的はわかるような気がする。
それに彼がネルフ本部内を探索していることも、以前からゲンドウやリツコは掴んでいたのだ。
マギに完全管理されているあの施設で、なんの痕跡も残さずに移動することは不可能なのだから。
それぐらい彼にも想像できるだろうと思うが、何も気にならないように、笑いながら加持は答えた。
「…知らないことすら知らないから、みんな幸せなんだよ。だけど、俺はそうじゃないからな」
「無知の知ってこと?」
「ああ、そして無知は罪なんだ。知らないことに気づいたら、知らずにはいられなくなる。
誰でもそうなんじゃないかな」
さわやかな、といってもいい、そんな笑顔で加持は言った。
横ではワインを飲みながらミサトが頷いている。加持を見る彼女の目は温かい。加持がいろいろと動いていることはミサトもある程度想像しているはずだが、それでも今の彼の言葉の裏までは気づいていないようだった。
「…知らないことを無理に知ったからって、幸せになれるとは限らないわよ」
「だけど、納得はできるからな。…それで十分だよ」
「…そうかしら?」
一瞬、加持と視線が絡んだ。彼のその目だけは笑ってはいない。
先ほどから微笑んでいるつもりだが、リツコもそうなのかもしれない。
さらに言葉を続けようとしたとき、水を差すように周囲から大きな拍手がわいた。
マイクを持った司会が、宴の終わりを告げている。それとともに、加持とリツコの間の、少しだけ張り詰めたなにかも霧消していた。
今日は同級生の結婚を祝うために来たのだ。お互いの腹の探り合いは、やはり無粋の極みだろう。
―――変わっているようで変わっていない、そんなものかもしれないな。
いつかの加持の言葉を、リツコは思い返していた。
変わってないと思っても、長い年月というのは人を変えるのに十分かもしれない、そう考えながら。
その人自身を変えなくても、人と人との関係は変わる、そうすれば接し方も変わらざるをえない、それは仕方の無いことだ。
ただの友人が敵同士となったり、利害関係ができたりする、酷い場合は殺し合いにさえなることもあるのだ。
自分と加持やミサトが、そうだとは限らないけれど。
それでも、あの二人にリツコが隠し事をしている、その事実だけは否定することはできはしない。
すでに学生時代の生ぬるいだけの友人関係など、そこにはなかった。
二人がけのイスに一人で座り、窓ガラスに顔をあてるようにしてもたれかかりながら、暗闇に人工の明かりだけが光る景色を見る。
この車両には、今、リツコ一人だ。
ジオフロントへ向うリニアレールは、時間帯のせいか他に乗客はほとんどいないようだ。
もともと今日は休日だから、この時間には当直の職員を除けばネルフ本部にいるものはほとんど帰っているだろう。
仕事の続きがある。
ミサトや加持との二次会をリツコが早々に切り上げた口実はそれだった。
8年以上前の学生時代なら、3人徹夜で飲み明かしたこともある。帰るといった時にミサトが少しとまどった顔をしたのもそのせいかもしれない。
二人に気を使った、そのことを否定はしないが、実際用事が無いわけではない。ダミーシステムの開発のため、今日もレイを使ったデータ採取は行なわれている。
そのチェックは欠かすわけにはいかなかった。
E計画の要となる実験の一つ。
その内容は、加持にもミサトにも話すことは出来ない。
チルドレン無しでのエヴァの直接制御、ダミーシステムがもつその目的は説明できても、『魂の入れ物』という『水槽のレイ』の特性を生かしたその原理については、これからも隠しつづけることしかできないのだ。
エヴァが持つ魂のことや、リリスの存在意義、そしてネルフの本当の目的を彼女達に話せないのと同じように。
ミサトや加持が求めていることが全ての真実を知ることであると、リツコはよく知っていたけれど。
宴の後打ち上げ代わりに3人で訪れたバーで、ミサトのいない隙に加持に釘をさした。深入りをするのは危険だと。
それで彼が止まるとは思わない。
自分の中の彼らへの気持ち、過ぎ去った青い日から引きずっているなにかへのいいわけのようなものだった。
それが全てのように思えた日々は確かにあった。けれど今はそうではない。おそらく加持も、そしてミサトも同じだろう。
リツコと彼らとの道は、すでに分かたれているのだ。
建設中のビルが並ぶ街から沈んだ車両が、トンネルを抜けた。リツコの眼下に、ピラミッドを模したネルフ本部が見える。レール沿いに大きく旋回しながら、その場所へと向っていく。
別れてきた友人達から意識を放し、闇に浮ぶように白く光るネルフ本部の中に今いるであろう人のことを思った。
あそこにはレイがいる。ひょっとしたらゲンドウもいっしょにいるのかもしれない。
マギがほとんど自動でしている実験だが、監督の必要が無いわけではない。
そしてシンジの住居もあの場所にある、この時間ならそこにいるだろう。
おそらくは、一人で。
マヤやリツコの実験をのぞきにくることはあっても、シンジがゲンドウの元へと顔を出しているなどということはまず考えられない。
そもそも今レイたちがいるターミナルドグマに入る権限は彼には無いのだ。
たとえ彼がネルフ総司令である彼の父親にそれを望んだとしたところで、認められるとは思わなかった。そんなことをシンジがゲンドウに頼むこと自体、ありえないとは思うけれど。
いくら今日あの親子がいっしょに過ごしていたとしても。
「……何を話したのかしら、あの二人」
自分で確認するように口に出しては見たが、リツコには想像もつかないことだった。
碇ユイの命日に、二人がそろって墓参をするのは3年ぶりだというが。
あの二人が直接会話するのは、シンジがネルフに来てほとんどはじめてではないだろうか。
友人の結婚を祝いながらも、ミサトたちと話しながらも、今日のリツコはどこか上の空だった。
心は違う場所を向いていた。
本当なら彼らについていきたかったのだ。
彼らの家族でも身内でもない自分には資格が無いから、それは適わなかったけれど。
別に墓の主に用事は無い。
ただ知りたかった、今日二人に何があったのか、それとも何も無かったのか。
シンジの『未来』で世界を滅ぼしたサードインパクトについて、ゲンドウに糺すことのできる数少ない機会のように思える。
誤った道を歩もうとしている父を、説得しようとシンジがするなら、今日ユイの墓前でなのではないだろうか。
先日会った時、シンジにそんなそぶりは見えなかった。
ゲンドウと会うことに少し緊張している、プレッシャーを感じている、それはリツコにもわかったが。
今までの自分と彼の関係を考えれば、他人に秘密を明かすときは事前に教えてくれそうにも思う。
しかし、それにはなんの保証も無いことをリツコはよく知っている。
自分がミサトに隠し事をしているように、
自分が加持の潜在的な敵であるように、
自分がゲンドウとの関係をシンジに話していないように、
自分がシンジの真実をゲンドウに秘匿しているように。
シンジが彼自身の思惑で行動を起こすことを止められはしないのだ。
信じていないわけではない。
サードインパクトを止めるという、彼の決意は疑ってはいない。
だけど……
それだからこそ、リツコには分かっていた。
シンジが自分を信じきっているわけなどないということを。
リツコと同じように隠し、そしてまだ話していない何かがあるかもしれないということを。
これからの彼の動きを全て事前に掴むことなどできないということを。
自分が全てを知ってはいないということをリツコは知っている。
けれど無理にその先を知りたいとはあまり感じなかった。
話さないのならきっとそこには理由がある、そう思いたかった。
信頼、いや、それは根拠のない願いだったのかもしれない。
シンジの持つ何か、リツコが無くしてしまった何かへの。
思わず苦笑が出る。
リツコ自身はシンジや皆に多くの隠し事をしているのに、我ながら勝手なものだ。
ホームに列車がつき、ドアが開かれた。
立ち上がり本部へと足を進める。
実験に向う、そのために来たはずなのに、
今、脳裏に浮ぶ影は一つだけだった。