見えない明日で

第3章 第10話

Written by かつ丸






 司令室にはゲンドウしかいない。
 冬月は、まだ出先だろうか。予定を繰り上げて一人で戻るなど、几帳面なゲンドウに似つかわしくない気がする。
 やはり、どこか焦っているのだろうか。

 ゲンドウが本部に帰ってきたのは、シンジが停止したエヴァから助け出されて十時間近く後だった。
 欧州へ出向いていたことを考えると、それでも異常な早さに思える。
 到着後すぐにリツコは呼び出された。

 まだ、シンジは目覚めてはいない。救出後そのまま病院に運ばれたが、安静のため眠ったままにしている。深い眠りだが異状ではない。原因は疲労のようだ。
 リツコはほとんど一睡もしていない。許される状況には無かった。

 挨拶も交わさずに、ゲンドウが口を開いた。
 急いで帰ったことが嘘のように、その声に昂ぶりは無い。


「…殲滅までの状況は機内で聞いている。その後の調査の結果はどうなった?」

「…初号機は、洗浄後、今はケイジにあります。 いくつかの検査を行ないましたが異常は見られませんでした。…いつもと、同じでした」

「……コアもか?」

「はい。出撃前のデータと変化ありません」


 いつもどおり。それこそが、異常なことだろう。
 使徒の殲滅後すぐに初号機は動きを止めた。
 エネルギー切れだった。
 プラグをつなぐケーブルは吸い込まれた時に切断されている。内部バッテリーには微塵の電力も残ってはいなかった。

 最後の力を振り絞ったに違いない、ミサトたちにはそう説明した。
 生命維持モードで耐えていたシンジは、エネルギーが切れる前に使徒の弱点を見つけ、ギリギリの状況で内部から打ち破ったのではないかと。

 あまり納得はしてもらえなかったが。
 彼女たちは咆哮しているエヴァを見ているのだ。あれがシンジのしわざだとはやはり考えにくいのだろう。
 それでも、公式な見解はリツコの報告どおりになる。ゲンドウが認め、シンジが公に否定しなければ。
 どちらも拒否される可能性は低い、そうリツコは考えていた。


「………」

「シンジくんはまだ眠っていますが、検査の結果、特に大きな異状はありませんでした。若干脳波に乱れがあり、またかなり体力が衰弱していましたけれど、許容範囲です。このまま自然な覚醒を待てば、すぐにでも訊問に耐えられると思われます」

「………」

「…司令?」


 返事もせずに黙りこんでしまったゲンドウに、思わずリツコは問い掛けた。
 その言葉が聞こえないかのように、彼はじっとしている。何かを考えているのか。


「…どうか、なさいましたか?」

「いや、……報告はそれだけか」

「はい、今のところは、ですが。使徒の詳しい分析は撤去作業と並行して行なうつもりです。残骸はただの物でしかないようですから、あの能力を解析するのは難しいでしょうが」

「まかせる」


 やはり、ゲンドウはどこか上の空のように思える。瞳が泳いでいるわけでもないが、いつもの切れるような雰囲気が弱まっている。
 それが分かるのはリツコと、あとは冬月くらいだろうか。


「……今回の使徒について、どう思われますか?」

「…使徒の中で何があったのか、そのことをシンジに確認する必要があるな。場合によっては委員会に報告せねばなるまい。…汚染の兆候はないな?」

「はい。それは念入りに調べました。遺伝子的にも精神汚染もいかなる意味でシロです」

「…同一化ではないとすると、接触が目的か」


 ゆっくりと言ったゲンドウの言葉に、リツコは少なからず驚かされた。
 その可能性は考えていなかったからだ。


「使徒が人間に対して接触を図った、そういうことですか?」

「…少なくとも興味を持った、とは言えるだろうな。 侵攻を止めてあの場にとどまったのも、それを証明している」

「そんな……今までの使徒にはそんな兆候は…」

「あくまで推測だ。シンジが目覚めたら確認してみるといい。…ただし、この件は極秘だ。場合によっては委員会が動くかもしれん。意思の疎通が可能だったかどうか、少なからず興味は持つだろう」

「……わかりました」


 理解不能の敵、それが使徒に対するみなの共通認識だろう。
 コンタクトが可能な相手とは思えない。しかし、ゲンドウは確信を持って話している。
 これも彼にとってはシナリオのうちなのだろうか。

 すでに報告は終わった。退出して仕事の続きをせねばならない。
 しかしリツコは踏みとどまり、ゲンドウを見つめた。
 彼の視線は、リツコのほうを向いている。しかしリツコを見ていない、それがわかった。


「司令…」

「…なんだ?」

「……初号機が覚醒した、そういうことでしょうか?」


 その瞬間、ゲンドウはリツコを見た。
 厳しい、そして、どこか哀しみすら感じさせる冷たい瞳だった。


「………」

「……いえ、結構です。失礼しました」


 そう言って、リツコは踵を返した。
 サングラスの向こうの彼の瞳を見つづけることが、彼女にはそれ以上できなかった。













 病室のドアをあけると、こちらを見ているシンジと目が合った。
 顔色はさほど悪くはない。やつれているようにも見えるけれど。
 窓からこぼれている白い光が、徹夜あけの目にはまぶしい。
 ジオフロントの中の陽光も地上のそれとは変わらない気がする。


「…具合はどう?」


 シンジが寝ているベッドの脇に近づいて、リツコは尋ねた。
 ことさらに答えを求めたわけではない、あいさつのかわりのようなものだ。


「…ええ、特に問題ないです」


 上半身を起こして、シンジが微笑んだ。
 どこか自嘲的な、そんな笑顔だった。
 リツコが来るのが、わかっていたのだろうか。
 司令室から出てすぐに、シンジが目覚めたという連絡をリツコは受けた。そのときからそれほど時間は経っていない。この病室に入るのは、医者を除けばリツコが最初だろう。
 病室で、こうやってベッド寝ているシンジと話すのも、一度や二度ではない。だからシンジにとっても馴染み深い構図なのかもしれない。
 そういえば、最初に彼の話を聞いたのもこの部屋だった。

 リツコは、ベッドの脇に置かれた、おそらくは医者がつかっていたであろう丸イスに腰をおろした。

 病室の監視機能は、今は停止してある。
 その機能を再度開けるのは、冬月がいない今はゲンドウただ一人だ。彼がそうしないことを、リツコは確信していた。
 彼は、リツコが裏切るとは考えてはいないはずだから。
 リツコも、裏切っているつもりはない。


「…使徒は、初号機が殲滅したわ」

「そう、なんですか…」


 静かに切り出したリツコの言葉に、シンジは小さな声で答えた。
 目線を外しがちなのは、彼でも怯えているということだろうか。もちろん、リツコに。
 口調を変えないように注意しながら、リツコは続けた。そうしないと思わず大きな声を出しそうだった。


「…結果を、知っていたのね、シンジくん。…でも、どうして?」

「……どうしてって…どういう意味ですか?」

「どうして、自分から使徒に飲み込まれるようなマネをしたの? いえ…どうして、あんな危険なマネをしたの。一つ間違えば、もう数分経っていたら、あなたはあのまま死んでいたのよ」

「それは、…リツコさんにはもうわかっているんじゃないんですか?」

「……」

「使徒を倒すには、それが一番いいと思ったからです。…僕には他の方法は思いつきませんでした」


 リツコの方をほとんど見ずに、シンジはそう言った。
 切れた様子はない。淡々と、教科書を読むように、あたりまえのことのように。
 やはり想像していたとおり、シンジは確信を持ってあの状態にしたのだ。
 使い果たされたバッテリー。使徒からの脱出よりも前から止まっていた生命維持装置。
 それが示しているのは一つだけだ。
 使徒を倒したのはシンジではない。彼はその時動かせる状態にはなかったのだから。
 互換実験の時の零号機がそうだったように、初号機はシンジの手を離れていた。

 つまりあれは、初号機そのものの力だ。
 生きようとする本能か、それともシンジを助けようとしたのか。

 かつて一度、初号機は動いている、シンジが初めて本部にきたとき、ケイジで彼を守っている。
 そのことをリツコはよく覚えていた。
 あの時、シンジが呟いた言葉も。

 シンジは今、本心を語っている。初号機が彼を救うと、それがわかっていたのだろう。
 だからといって全てが許せるわけではない。


「…以前も、そうだったの? ああやってあの使徒は倒されたの?」

「……倒す時に初号機がどういうふうにしたかは、僕は知らないんです。同じように気絶してましたから。ミサトさんやアスカも、あまり話したがりませんでしたし。だけど…」

「…だけど、同じ状況にすれば使徒は倒せる、そう考えたのね」

「はい…」


 なぜ、それを事前に話さなかったのか。
 そう問いただしたなら、シンジはどう答えるだろうか。
 使徒に取り込まれる、そのあまりにも危険な行為をリツコが止める、そう思ったからだろうか。
 たぶんシンジはそう言うだろう。
 しかし、それすらも事実ではない。

 シンジは解かっていたのかもしれない。あの使徒を倒す手段が本当に他にないことを。
 話を聞けばおそらくリツコは葛藤しただろう。使徒殲滅という絶対的な使命と、シンジの命とを天秤にかけて。

 だから言わなかったのだろうか。
 よけいな迷惑をかけたくないと、そう考えたのだろうか。

 だとしたら、余計なお世話だと思った。
 もっと早くちゃんと聞かされていたら、手段は見つかったかもしれない。
 そうは考えなかったのだろうか。

 結局、シンジがリツコを信じてはいない、その証のように思える。
 心配していた自分が馬鹿のように思える。

 今、はっきりとわかった。
 リツコは怒りを感じていた。シンジが無茶をしたことではなく、それを黙っていたことに。
 明確な約束があったわけではないけれど、自分とシンジは一種共犯のような関係だと思っていた、それが裏切られたのだ。
 そんなつもりが、彼になくても。
 シンジはシンジなりの思惑で動く、それを避けることはできないと、頭では考えていた。
 だが理性ではわかっていても、リツコの感情は、それを認められはしなかった。

 身勝手な、考えかもしれない。それは否定できないけれど。


 リツコの内心など気にもかけていないように、シンジは穏やかな表情をしている。
 その瞳は、どこか遠くを見ているように、微妙に焦点があっていない。

 ついさきほどまでリツコが会っていた彼の父親が見せた表情と、とても似ている気がした。

 シンジも、同じなのだ。
 考えていることは違っても、見ているものはそう変わらない。少なくとも、二人ともリツコを見てはいない。


 彼らの思考の中心にいるのは、やはり初号機に眠る彼女なのだろうか。


 想いを振り払って、リツコはシンジを見つめた。
 訊かなければならないことは、まだ他にもある。


「…どんなところだったの?」

「使徒の中、ですか? …果ての無い場所です。センサーもモニターも使えない、寂しいところでした」

「……怖くはなかったの?」

「怖かったですよ。…もしかしたら、同じにはならないんじゃないかって、そうも考えましたから。…だから、ずっと躊躇してたんです。時間がかかったのは、そのせいです」

「…どういうこと?」


 初めて、シンジがまともにこちらを向いた。
 相変わらず他人事のように淡々と話しているけれど、かすかに彼の身体は震えているのかもしれない。


「…前の時は、もっと長い時間使徒の中にいたんです。……生命維持装置が止まるまで、助けを待っていましたから」

「……それじゃあ、なぜ、早くなったの?」


 エネルギー切れで生命維持装置が止まっていたのは同じだ。
 その分、シンジが余計に動いたことになる。


「……維持モードになるのを遅らせてわざと電源を消費しました。本当は、戦闘状態のままにしておくつもりだったんです。そうしたら、数十分でカタがつきますから…」

「……電源が落ちて循環機能が切れたら、確かに1時間も持たないでしょうね。…なぜ、わざわざそんな危険なマネをする必要があるの? 同じことをしたら、確実に助かったはずじゃないの。道を外したら行き先が変わることもあるのよ」

「…もう、道は変わってますよ、リツコさん」

「シンジくん…」

「僕が今の僕である以上、前の時とは変わっているんです。…だから、同じにしなかったんです。僕は、自信がなかったから…」


 言葉を濁すように語尾は小さくなった。、
 それでもいつかと同じ、強い意志を持った瞳のままで、シンジはリツコを見ている。
 少し気圧されて、リツコは一瞬口をつぐんだ。
 窓からはのどかな朝の光が差しているのに、彼の周りだけ闇が澱んでいるようだ。


「…だから、早い段階で試したんです。母さんが、今の僕を助けてくれるのかどうか、そのことを…前のようにあそこでずっといて、そのまま死んでしまうのはやっぱりイヤでしたから」

「どうせ死ぬなら早いほうがいい、そう思ったのね」

「そこまでの覚悟は無かったですけど…何度も再起動と停止を繰り返して、結局電源が切れるのが早くなっただけですから」


 また、リツコから視線を逸らし、自らを嘲るようにシンジは小さく笑った。
 人は簡単に死ねるものではない。しかしシンジがしようとしたことは、一種の自殺ではないのか、結果が違っていただけの。
 それとも、やはり信頼していたのだろうか、初号機に眠る彼女を。
 気づいていないのか、その重さを気にもとめていないようなその顔を見ながら、リツコは冷たい声で言った。


「よかったわね、助かって。…それで、会えたの? ユイさんには。初号機があれだけの動きを見せたのは、あなたがいつか言っていたように目覚めの時がきたということじゃないの?」

「…まだです。その時が近づいたのは確かですが、まだ、母さんは眠ってます。いずれわかりますよ、はっきりと…」

「そう…」


 シンジの言葉が終わるのを待って、リツコは立ち上がった。
 上半身を起こしたままベッドにいるシンジを、見下ろして小さく息を吸い込み、そして吐いた。
 彼は相変わらず、こちらを向こうとしない。身体の調子が戻っていないせいかもしれない、それでも、思わず睨んでいた。


「…シンジくん、はっきり言っておくわ」

「…はい?」

「今度のようなことは、これっきりにしてちょうだい。…これでも私はあなたのことを心配してるのよ」

「はい…」

「……何をされても笑っていられるほど、私は、そんなに優しくはないわ。覚えておいてね」


 そう言って、リツコはすぐにその場を離れた。
 だから、シンジの返事は聞くことはできなかった。もとよりそのつもりもない、ほとんど捨て台詞に近い。
 たかだか中学生の子供を前にして、こうまで自分の心が乱されている、そのことにむしろ腹を立てていた。
 理由はわからない。
 シンジの口からユイのことが出されたのが、そんなにショックだったのだろうか。話を振ったのは自分のほうなのに。
 ここに来るまでにゲンドウとの会話があった、そのせいに違いない。


 誰もいない廊下で立ち止まり、振り返ってリツコは病室のドアを見た。

 使徒の中で何があったのか、はたして使徒との接触は行われたのか、そのことを訊くという本来の役目が残っている、そのためにも近いうちに再び訪れなければいけない。
 しかしそんなことは瑣末なことのように今は思える。
 ユイの覚醒が間近に迫っているとシンジは言っていた、ゲンドウの様子もその兆候ゆえだろう。

 そして彼女の目覚めは補完計画とも密接に関わっているはずなのだ、おそらくは。

 もうすぐダミーシステムは完成する。
 そしてエヴァの追加配備も開始される。
 そしてその先に、何が待つと言うのだろうか。

 進み行く時間の中で、自分ひとりが取り残されているような気がする。
 リツコのポジションなど、ミサトや加持とほとんど変わらないのだ。


 ユイが目覚める時、いったいリツコは何を、そして誰を選べばいいのだろう。






 







〜つづく〜









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katu@osaka.104.net


解説:


ようやく第3章終了
ちょっと時間かかりすぎ。



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