見えない明日で

第4章 第6話

Written by かつ丸







 懲罰を受けても仕方が無い、その覚悟はしていた。
 マヤが部屋を去って数時間、気分が落ち着いたころを見計らったように、リツコはゲンドウからの呼び出しを受けていた。
 スーツと白衣に着替え、その足で司令室へと向う。松代の事故のデータチェックのために一旦研究室によろうかとも思ったが、結局やめておいた。
 おそらく、細かい数字を把握していても、今の段階ではさほど意味が無いだろう。


「具合はどうかね?」

「ええ、もう大丈夫ですわ。ご心配おかけし申しわけありません」


 ねぎらいの声をかけてくれたのは、ゲンドウの傍らに立つ冬月だった。
 まだリツコは頭に包帯を巻いている、そのせいだろう。
 リツコの愛人であるところのネルフ司令は、座ったまま特に何も言わなかった。
 ここまで一人で歩いてきたのだ、それに医師からも報告は受けているだろう、大きな問題が無いことをすでに知っている。だから、リツコもはじめから期待などしていない。
 仮にリツコがもっとひどい状況なら、松代で死んでいたなら彼がどう感じたか、それを思い悩むこともやくたいがない。
 今、この場はE計画責任者として呼ばれている、それ以上のなんでもないのだ。

 そのことを肯定するように、抑揚の無い声でゲンドウが言った。


「…報告は聞いているな。原因はどう思う?」

「はい……推測ですが、おそらくは運搬段階での汚染と思われます」


 予想されていた質問だった。
 答えも、ゲンドウの想定内だろう。


「…ダミーが汚染されていた可能性はないのか?」

「伊吹二尉の報告では、摘出されたダミープラグ内の汚染度は素体に比べて高くは無かったとのことです。エヴァ本体の死とともに使徒部分は壊死していたそうです。…原因がダミーにあった可能性はゼロではありませんが、限りなく低いといえると思います」

「ならばいい。……何者かに仕組まれたもの、そうは考えられるか?」

「それはうがち過ぎだろう、碇」


 やや呆れた声で冬月が言った。仕組むということは、使徒を準備したものが存在するということだ。
 絶対に無いとは言い切れないが、リツコもありえないことだと思う。今までの使徒はあまりに人智の領域とはかけ離れているように思えたから。
 それとも、ゲンドウには疑うだけの理由があるのだろうか。
 かつてリツコも思っていた。シンジが未来から来たと確信するまでは。使徒の能力を知る彼は、使徒を作り出したどこかの組織から送り込まれたのではないかと。
 そんなことはいつしか忘れていたが、ゲンドウの言葉にリツコは興味を持った。ゲンドウが隠しているたくさんのものの、その欠片のひとつをみつけたような気がした。
 使徒を作りうる組織、それは存在しているのかもしれない。
 あえて真面目な顔をして言ってみた。


「…仕組んだとすれば、アメリカ第一支部、でしょうか? でもなんのためにそんなことを。この間の実験失敗の意趣返しもないでしょうし」

「……アメリカの連中には不可能だ。…搬入経路を把握していない以上、どのみち推測しかできないが。確かに四号機は痛手だろうが、参号機を捨てるほどには、老人もそこまで焦ってはいないか」


 リツコに答えたわけではない。呟きとしか呼べないそれは、気をつけていなければ聞き取れないほど小さな声だった。冬月は聞き流している。リツコのほうを一瞬見て困ったような顔をしていたが、あえて何かを言う気はないようだ。
 リツコも特に反応せず、そ知らぬ表情をしていた。

 ゲンドウが言った、老人、という言葉。それが何者なのかリツコは知らない。誰か個人を指すのか、それとも団体なのか。
 おそらくはゲンドウの上に位置するものだ。補完委員会のようなおおやけのものではない。彼の口調からそう思った。

 もちろん、ゲンドウに問いただすことは出来ない。ベッドを共にしているときでも、聞くことは難しいだろう。
 今のゲンドウはどこか上の空のように思える、だから隙を見せているのかもしれない。


「…碇、赤木君はもういいのではないか? ケガをしていることだしな」

「……ああ、ご苦労だった」

「いえ、私は大丈夫ですので。……司令、よろしいでしょうか」

「なんだ?」


 赤いサングラスの奥の瞳が、改めてリツコに向けられた。
 まだ彼の頭の中は、別のところを見ているのかもしれない。


「…今回の件、ダミー試験の秘匿も含めて、実験の責任は私にあります。初号機パイロットが錯乱したのも、参号機にフォースチルドレンが搭乗したと考えたゆえでしょうし…」

「…松代の事故はテロリストの仕業ということになっている。対外的に誰かが責任をとる理由は無い。ダミー試験についても起動までのデータが残っているなら失敗とは言えんだろう」

「ですが…」

「…サードチルドレンへの処分とは別の問題だ、君が気に病む必要は無い」


 リツコの言わんとすることがわかったのだろうか。それ以上続けることを拒むようにゲンドウは言った。
 なんらかの処罰をシンジに与える、彼のセリフからはそのことが推測できる。直接反逆したわけではないのだからそんなに重い罰ではないとは思うが。
 ゲンドウは庇ってくれたが、今回の件はほとんどリツコがシンジを陥れたに等しい、だから彼が罰されるのは本意ではないのだ。
 しかし、すべてをゲンドウに説明するわけにもいかない。

 結局、リツコはその場を後にすることしか出来なかった。










 三日間の拘禁、それがシンジに与えられた処分だった。
 戦時下の軍隊ならけっして重いとはいえないが、中学生に与える罰としては、やはり軽くは無い。
 その間、リツコはシンジと接触することはできなかった。望めば話くらいはできただろうが、独房では監視がついている。やはりそれでは意味がないように思えた。

 保安部によると、シンジは特に何も言わずおとなしくしているとのことだ。
 先の戦いで見せた狂気にも似た激しさは、その片鱗もみせないという。普段の彼を思えば、あたりまえとも言える。

 シンジへの処罰について、ミサトは一応納得したようだ。彼女から話題にすることはなかったが、話を振ってもゲンドウへの不満は特にみせなかった。ただ、シンジについては触れようとはしなかった。

 弐号機や零号機のテストを行なったが、その時も初号機の話題は一切しない。マヤたち技術部員もそうだったように思える。
 いつもは憎まれ口を叩くアスカも、どこか押し黙った様子でほとんど話さない。フォースチルドレンについて黙っていたリツコを怒っているのかとも思ったが、もしそうなら皮肉のひとつもいうだろう。

 レイだけが、リツコを見てもの言いたげな表情をしているような気がしたが、結局話し掛けては来なかった。リツコも、こちらから話し掛けることはしなかった。

 彼女たちの反応も、今ならばわかるような気はする。
 参号機と初号機の戦闘ビデオを見たのが、研究室に戻ったリツコが最初にしたことだった。

 夕陽を背に現れる黒い機体。そしてそれに襲い掛かり戦う紫色の機体。
 絡み合い傷つけあう、二体のエヴァ。
 初号機が参号機の装甲を切り裂き、そこから漏れだした粘菌状の物体が初号機の装甲にまとわりつく。それが気にならないかのように、シンジのあやつる機体は攻撃を続けていた。

 「待ちなさい!」「離れなさい!」と、激しく諌めるミサトの声、けれどいらえは無い。
 通信は生きている。聞こえないわけがない。しかし、あきらかにシンジの耳に届いてはいなかった。

 叫び声。いや、これは悲鳴だ。
 マヤから聞いてはいたが、ビデオを流すモニターのスピーカーからは、シンジの叫びが、まるで呪詛のように響きつづけていた。それが一瞬途切れる、荒い息遣いが聞こえる。そしてまたすぐ叫び声が響く。
 襲われているのがシンジのように。けれど一方的に攻めつづけているのだ。
 もう使徒はほとんど抵抗していない。
 泣いている。泣きながら、叫んでいる。ふるったナイフは狙いを外し参号機を捉えきれずに何度も何度も地面を突き刺す。それすらも気にならないかのように、初号機の腕は止まりはしなかった。

 弐号機も、零号機も、戦いに近づく気配は無い。おそらく、動くことすら忘れていたに違いない。

 鬼神のごとき動きや可憐さなどみじんもなく、もっと泥臭い、みっともない戦い方だ。
 確かに錯乱しているのかもしれない。狂気に身を投じている、考えないようにしている、そうでなければ戦えない、そう思ったのだろうか。
 かつて一度躊躇ったことで、結果としてシンジはトウジを傷つけた。同じ轍を踏まないためには戦うしかない、それが彼の出した結論だったのだろうか。

 何も知らない者が見れば、クラスメートが乗っているのを知りながら微塵の躊躇いもみせないシンジを、冷たいと思うかもしれない。
 他人のことなど考えず使徒を倒すことだけに捕らわれている、非情な性格と思うかもしれない。

 アスカやマヤなどはそうだろう。そんなシンジに嫌悪感を持っているはずだ。
 ミサトはもう少し複雑かもしれない、自分よりも使徒殲滅に割り切った行動をするシンジゆえに、逆に見たくないと思うこともありうる。セカンドインパクトの地獄を見た彼女ですら耐えられないことをするシンジを。
 彼があらかじめ乗っているのがダミーだと知っていたなら、それならばまだ納得できる、そう思ったから、リツコに尋ねたのだろうか。

 戦う様子をみる限り、そんなことにすでにシンジが頓着していなかったのはわかる。
 周りを気にする余裕など、失っている。

 どちらにしても、一刻も早くシンジと話し合う必要があるように思えた。
 慰めるつもりはない。だが、このままではシンジとの関係が徹底的にこじれてしまう。
 戦闘後、ケイジで、すでにシンジは参号機にトウジが乗っていなかったことを聞かされているのだ。
 リツコに騙されたと、そう思っていてもおかしくはない。

 昼前、シンジが解き放たれたとリツコは保安部から報告を受けた。
 必ず研究室に顔を出すようにという伝言を、前もって彼らに依頼していたのだ。
 一度自室に戻って着替えや用事を済ませたいと、シンジは言ったそうだ。夕方までにはリツコのところに行くと約束をしたので、強いて向わせることはしなかったと保安部員は言った。
三日も家をあけたのだ、それは自然なことだと思える。かまわない、そうリツコも答えた。

 シンジが来るまで、リツコは研究室で過ごすことにした。マヤにも緊急時以外はメールで済ませるように伝えてある。
 ずたずたに傷ついた初号機の装甲を換装することになっていたが、その仕切りも頼んだ。
 松代でのケガがまだ癒えていない、出歩かず研究室で静かにしていたほうがいいと彼女は考えたのだろう、まかせてください、と胸を叩いて言ってくれた。

 ここに篭っていると、いつもならミサトが暇つぶしに来るのだが、今日はその心配は無いだろう。リツコがシンジを呼び出したことをミサトは察しているだろうし、鉢合わせをして気まずい思いはしたくない、そう考えているだろうから。
 チルドレンの直属の上司であるはずなのに、釈放されたシンジを呼び出すこともしていない。
 係わりたくない、無意識にそう考えているのだ。レイに対してそうであるように。
 シンジに対しては今回の処罰で筋は通した、注意や忠告はより親しいリツコからされるだろうと、そう考えて合理化しているのだろう。
 職務放棄に近いと非難もできるが、ミサトの心情を考えれば止むを得まい。この状態をシンジが望み、そして叶えられただけなのだ。

 肉親であるシンジの父はどうだろう。ゲンドウと会う機会はあったが、やはり今回の処罰について説明はしてくれなかった。
 あえてミサトのガス抜きをするほど、彼女のことを気にしているとも思えない。
 シンジの戦い方がそれだけ衝撃的だったのだろうか、彼にとっても。リツコが持つゲンドウのイメージと、それはかけ離れすぎているようにも思える。
 命令違反に対するみせしめ、息子だからと特別扱いにしない、それだけのことなのだろうか。

 とりとめもない考えをしている間にも、時間は確実に過ぎていた。
 着替えをしているだけなら、こんなにもかからないだろう。すっぽかされたとは思えないが、少し不安になった。
 夕方までに来るといった、その言葉はまだ破られてはいない、だから再度呼び出すことはしなかったが。

 本当は気づいていた。紛らわせようとしていたが、ずっと心にわだかまりがあったことに。
 不安を感じていたのは、なかなかシンジがこないことではなく、もうすぐシンジが来る、そのことに対してであることに。


 コーヒーを何杯かのみ、立て続けにタバコを吹かす。
 じりじりとした時間が過ぎ、やがて、研究室のドアが小さく二回叩かれた。
 「開いてるわよ」と、リツコが答えてから数秒たったあと、躊躇うように、ゆっくりとドアが開かれた。

 予想とは違った。少しやつれてはいたが、シンジの表情は、けして暗くは無かった。
 むしろ晴れやかにさえ見えた。
 包帯を巻いたリツコの姿には、少し驚いていたようだが。


「用事はもう済んだの?」

「え、は、はい…えと、そのケガ、大丈夫なんですか?」

「ええ、心配は要らないわ。医者が大げさにしてるだけなの」

「でも、…前の時より酷いみたいだから」

「大丈夫よ…」

「…そうですか」

 いつもの席、ドアを向いたリツコと向かい合う位置にある丸イスに座りながら、シンジが言った。
 その言葉に、特に感想はない。シンジの「記憶」では松代でリツコがケガをしていたということは聞かされていたし、立ち位置が変わればその重さが変わるだろうということも、あらかじめ予想していたことだ。
 打ち所が悪ければ死ぬ、そのことも。
 ただ、事故があると分かっていれば、知らないよりもその確率は低くなる。


「……ミサトさんは骨折してました。…そう、ちょうど今くらいの時間に彼女と話していたんです。あの時、まだ、腕を包帯で吊っていました。…良かったです、今度はなにもなかったですから」

「そうね……」

「……トウジも…、トウジも、…今度は無事だったですし。…参号機は、なくなっちゃいましたけど。…トウジは他のエヴァにのることになるんですか?」

「いいえ。使徒の侵食でコアも使えなくなってたから、もう彼が乗れるエヴァを造ることは出来ないわね」

「…そうなんですか。…そのほうがいいですよ、やっぱり…」


 エヴァになど、乗らないにこしたことはない。それはシンジの本音だろう。その言葉を聞けば、ミサトなどは意外に感じるかもしれない。自己実現のためのアスカや自己を持たずに従うレイとも違った意味で、シンジは文句も言わずに積極的にエヴァに乗り、ひたすらクールに戦っているように見えるからだ。
 そうするしかないから、しかたがないから、そう思いながら操作しているようには、とても見えまい。
 リツコだけが、たとえわずかでも知っているのかもしれない。
 だがそれは彼に心を開いてもらった結果ではない。ただのなりゆきでしかない。

 だから、シンジは何も言わないのだろうか。


「…怒ってないの? シンジくん」


 そう訊いてしまったのは、耐えられなくなったせいだ。


「私は、あなたを騙したわ。…そのことを、見過ごしにするの?」

「………でも、結果としてトウジは傷つかずに済んだんです、リツコさん。だったら、それでいいんじゃないんですか?」


 問い詰めるようなリツコの口調に驚いたのだろうか。一瞬押し黙った後、シンジは答えた。冷めた声。
 興奮気味のリツコとは対照的だ。
 だが、彼の目は違った。いつかと同じ、強い光が宿っているように思えた。
 怒りではない、シンジが持つ強烈な意志の力を示すかのように。
 その光に、気圧される。何も言えなくなる。


「……シンジくん」

「僕に、リツコさんを責めることはできません。……そんな資格は、僕には無いんです」


 リツコから目を逸らさないまま、シンジは哀しげに頬笑んだ。

 己を、そして運命を、嘲るように。










 







〜つづく〜









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katu@osaka.104.net



解説:


第4章も後半か。
先は長いな。







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