見えない明日で

第5章 第2話

Written by かつ丸







 モニターに3本の棒グラフが映し出されている。
 実験室で行なわれているシンクロテストの値を反映させたものだ。右からファースト、セカンド、サードの表示がされており、セカンド、つまりアスカの値が一番高い。
 前回と同じく一番低いのはシンジだった。少しは期待したのだが改善はされていない、同じ数値、むしろ微妙に下がっている気もする。
 やはり戦闘を経験しなければ順応はしにくいのかもしれない、テストはどこまでいってもテストだからだ。実際レイなども初動までは苦労したが、実戦後は安定しつつ上昇した。
 来日時からそれなりに高かったアスカも、戦闘後ある時点まではシンクロ率を上げていたのだ。以前のシンジのシンクロ率が「二度目」ゆえのアドバンテージだとしたら、今の彼にもやはりそれだけのポテンシャルはある。
 しかし、それを引き出すには、戦うことへの覚悟がやはり必要なのだと思う。わけもわからず言われたままにしているだけのシンジには、それを期待するのは無理があるだろう。

 シンクロとは心の問題なのだ。
 だから、アスカがトップに立ちながらも徐々に数値を落としているのも、なんらかの心理的要因があるのに違いない。
 戦いへの恐怖か、エヴァへの恐怖か、それとも私生活での何かか。
 テストプラグ内の画像からは何も推し量ることは出来なかった。


 結局、ミサトには加持から言われたことは何も話さないことにした。
 レイやシンジと違い、同居しているアスカのことは完全な自分の管轄だと自負していることはわかっていたし、なにより加持がそれを望んではいないことが想像できたからだ。
 アスカについて話題にするなら、リツコがなにか言うのではなくミサトのほうから話すようにしむけなければならないだろう。ミサトがアスカの話題を避けている現状では、なおさら逆鱗に触れるような真似はしてはいけないと思う。

 ミサトを飛び越し直接アスカと話す、それが一番合理的なのだろうが、今までお互いに係わりあうことを避けていたアスカとリツコゆえに、きっかけがないとそれも難しい。なんにせよ、まだ、その時ではないと思えた。


 何より、今技術部職員が不安を感じ悩んでいることはシンジの状態である。リツコが表面だけアスカを気にするふりをしても、それは取ってつけたような、薄ら寒い印象しか与えないだろう。

 いつのまにかリツコの傍らに近づいていたミサトが問い掛けたのも、彼女の同居人であるセカンドチルドレンのことではなかった。


「……シンジくんのシンクロ率、思わしくないわね」

「とりあえず、戦闘に支障の無いレベルではあるわ。……当分の間初号機の凍結は解除されないでしょうから、焦らずに上げていけばいいと思うけど」

「こっちの事情に使徒がつきあってくれればいいんだけどね。…でも、そういえば来ないわね、使徒、最近」

「何回か連続して襲来し、その後しばらくインターバルが空く。確証できるほど事例は多くはないけど、そんな流れになっているようにも思えるわ」

「…確かに、一時期立て続けに使徒が来てたことがあったわね、小休止も。なんにせよ都合がいいわ。今ならまだマシだけど、前の使徒の直後に襲来されてたら使えるエヴァは一機もなかったんだし。…私達の運がいいってことなのかしらね」

「……そうね…」


 先の使徒戦で、零号機、弐号機ともにダメージを受けていた。行動不能というほどではないが、戦闘力が弱くなっていたことに間違いは無い。
 なによりミサトは忘れられないのだろう、圧倒的な使徒の力の前にアスカもレイも全く歯がたたなかったことを。シンジの助けが遅れていれば、彼女達の命にもかかわったかもしれない。
 あの時のシンジの行動は命令違反だ。ミサトは独断専行を強く戒めていた。しかし結局あれはミサトの判断ミスだったのだ。ずば抜けた初号機の力をよく知っていたはずなのに、己の面子を守るために前線にだそうとしなかったのだから。
 二機のエヴァが共にやられていたら確実に責任問題になった。たとえその後使徒が止められていても。
 シンジに守られたこと、ミサトも、それを認めないわけにはいかないのだろう。
 最終的に使徒を倒したのは覚醒した初号機だが、命令を無視してでも排除しようとしたのは明らかにシンジの意志だったのだ。

 偶然かもしれない、結果論かもしれない、ミサトはそうも思っているはずだ。だから考慮する必要もないと。そうして自分を納得させている。
 それが違うことをリツコは知っている。おそらく最強だったであろう使徒の実力を正しく把握しながら、レイを、アスカを、そしてミサトや他の人々を救うために、シンジが死地へと飛び込んだことを。

 エネルギーが切れるまでは押していた。彼なりに勝算はあったのかもしれない。
 やはりその後の展開は、シンジの予想の範囲外に違いないと思う。
 撃退できると思ったからこその行動のはずだ。帰ってこられなかったのは、初号機に取り込まれたのは、何かを間違ったのだ、おそらく。
 それがなんだったのかはわからない。

 「前」はどう戦ったのか、リツコはほとんど教えられていなかった。使徒が来ることも警報が鳴るまで教えてはもらえなかった。
 あの時は、ただシンジに突きつけられていた。
 ゲンドウとリツコの関係について。
 欺瞞に溢れたリツコ自身の姿について。

 皮肉な笑いを浮かべたまま、冷めた口調でシンジはリツコを追い詰めた。

 そう、まるで決別を告げるかのように。
 二人の間の絆を、全て断ち切ろうとするかのように。

 なぜ、あの時だったのだろうか。
 リツコは、何を求められていたのだろうか。
 自分の存在は、ただゲンドウの思惑を知るための試験薬でしかなかったのだろうか。

 いくつかあるモニターの一つがテストプラグの中を映している。
 LCLの中で目を閉じた少年がたゆたう姿を、リツコは見据えていた。
 何も変わっていないように見える彼の顔に、研究室を去ったときのあの表情がフラッシュバックする、リツコが抱えている思いのたけをぶつけたくなる、マイクに向かって、叫びたくなる。


 けれど、今のシンジに何かを尋ねても、そのことになんの意味も無いのだ。

 もとから絆など持ってはいない。ともに過ごした時などどこにもありはしない。
 あれは、違う人なのだ。


「…どうして、逃げないのかしらね、あの子」


 同じようにモニターを見つめていたミサトが小さく呟いた。
 リツコたちのまわりには数名の技術部員がいるが、試験中の今はいずれも己の仕事に没頭している、だからミサトとの会話に注意をはらっている者などいないだろう。


 「目が覚めたら何ヶ月も経っていて、周りは知らない人ばかりで、得体の知らない組織に入れられて、お前はパイロットだって言われて、わけのわからない実験に付き合わされて……普通なら絶対脱走すると思うんだけど」

「…管轄するあなたがそれを言うかしら。それに知らない人だけじゃないでしょう、司令もいたんだから」

「ああ、そうだわね。…でも、こうなる前、司令とはあまり合わないみたいだったじゃない。ずっと離れて暮らしてたんでしょう? 今も苦手なのは変わらないみたいよ」

「シンジくんが、何か言ってた?」

「ん? ただなんとなくそう感じるだけよ。父親を頼ってるならもっと頻繁に会おうとしてもいいはずだし、なにより今の状態での一人暮らしは不安を増すだけだと思うし。…でも、…本当に変わっちゃったのね、あの子。ここにいることに怯えてるように見えるもの」

「そう……」


 ミサトの言わんとすることはわかる。
 ゲンドウと接さなかったのも、一人暮らしなのも、以前のシンジと同じだ。
 けれど以前の彼なら、ミサトにそんな感想を持たせることは無かっただろう。

 あれは、ただの子どもだ。
 父親を求めつつも怖れ、何をすべきかわからずに、ただ処世術として他人の言うことに諾々と従うしかない。
 逃げる気概も無く、反抗する気力も無く、不安の中にいても流されるしかできない、無力な子ども。


 数ヶ月前、入れ替わる直前まで、シンジはあのとおりの少年だったにちがいない。
 訓練期間も実験も無しにエヴァに乗せられ、第三使徒と戦うのは、本当は今のシンジだったはずなのだ。
 そして戦いを繰り返し、様ざまなものを乗り越え、傷つけられ、傷つき、世界まで滅ぼした果てにたどり着いたのが、リツコたちの前に現れた「シンジ」だった。
 過酷な経験を積んで、多くのものを失い、その代償に得た力で、彼の操るエヴァはあれほどまでに強かったのだ。
 それは、今のシンジにはもう手にいれられないものだ。
 元が同じ人間なのだから、同じ道をたどりさえすれば行き着くことはできただろう、けれどその術は失われている。
 彼が対峙するはずだった使徒はほとんどが倒されてしまった。築くはずだった人間関係も彼のあずかり知らぬところですでに作られてしまっている。
 それこそ、時を遡りでもしないかぎり、どうすることもできない。

 今を起点として始めるしかないのだ、彼には。
 かつてのレベルに達するのはおそらく不可能だろう。


 ミサトの言うとおり、シンジのシンクロ率は低い。
 戦かったこともない彼は、ATフィールドの出し方すらわからないはずだ。
 S2機関を取り込み無限の起動時間を得た初号機、それを操るにはあまりにも役者不足なのだ。


 まだ多くのネルフ職員は最強と呼ばれたかつてのサードチルドレンを覚えている。みなシンジを怖れながらも頼っていた。
 比較的近くで接しているミサトがそうであるように、そのギャップは徐々にあらわになっていくのだろう。
 知らない自分と比較されることに、今のシンジが耐えられなくなるのはそう遠いことではないのかもしれない。



「先輩、そろそろ危険域です」

「……そう、わかったわ。レイ、アスカ、シンジくん、今日の実験は終了します。みんなごくろうさま」


 リツコの声を合図に、画面のシンジの閉じられていたまぶたが開かれ、空ろなだけの瞳がぼんやりとこちらを見た。テストプラグの中にある画面にはリツコの顔が映っているはずだ、はたしてどんな思いで、彼はそれを見ているのだろう。


 リツコは、おもわず目を背けていた。

 ほとんど必要も無いのにレイやアスカの映る別のモニターをチェックするフリをした。そんなしぐさを誰が気にとめているわけでもない。
 彼女達はいつもと変わらない。アスカはリツコを半ば無視しているし、レイもあいかわらずの感情のこもらない顔だ。
 彼女達が今のシンジをどう思っているのか、リツコの方から訊いたことは無い。
 自分が消化するのに精一杯で、他の人の気持ちまで考える余裕などなかったからだ。機会が無かったこともある。彼女達と二人きりになることがない。

 アスカには、ミサトが訊いているかもしれない。
 だが、まだミサトに尋ねる気にはなれなかった。そのことについて話すとき、ミサトのほうが質問してくるはずだからだ。リツコはどう感じているのかと。

 ミサトがそのことに興味を持っているのは伝わってくる。いつもの彼女なら直截的に訊いてくるはずだがそうしないのは気を使ってくれているからというのもわかっている。
 しかしそれももう限界だろう、実験中シンジの話題をだしたのもこちらの感触を確かめるためだ。リツコから話をふれば、食いついてくるのは目に見えている。

 いずれは避けられない、けれど今はまだ避けたかった。
 もちろんシンジの秘密については話すつもりはない、しかしリツコ自身がシンジを失った衝撃から立ち直っていないこの時点では、ミサトに対して生の感情をさらけ出してしまう、それがイヤだった。

 唯一ともいえる友人だ。たとえ彼女の前で涙を見せたとしても、恥ずかしいことではないのかもしれない。

 しかしシンジとのことは、彼に抱いていた気持ちは、いくらミサトにでも言えない。


 シンジが帰ってきてから、いや、帰ってこなかった時から、すでに一週間あまりが過ぎている。リツコもようやく考えることができるようになり、普通どおりにこうして仕事をこなしているが、胸の奥は熱いたぎりにも似た気持ちがシンジのことで渦巻いている。

 ナオコがリツコよりも別の何かを選び、そしてリツコから去っていったように、シンジもまた去ったのだと、心のどこかで思っていた。
 今の状態はたぶんあのシンジが望んだものではないと思う。ならば、そんな恨みにも似た感情を持つのはおよそ理不尽なことだろうけれど。

 それでも、どうしようもなかった。
 この数ヶ月、我知らずリツコはシンジに依存していたのだ。よりどころとなるその対象を失ってとまどっているのだ。今ならばはっきりとそれが自覚できる。
 いくら身体をつなげても、ゲンドウへの思いがすべて受け止められることは無い。それは初号機の覚醒にいたる様ざまな出来事を考えればわかる。彼の心にいるのはリツコだけではないと、もしかしたらリツコの存在などもともと無いかもしれないと。
 目を逸らすために、別のものを求めた。
 ゲンドウに対抗できる、未来の「記憶」を持った少年は、その役目にうってつけだったのだ。
 シンジを助けると言いながら、その実彼を、彼が持つ「記憶」という力を求めていた。

 打算しかない。心底下衆な女だと思った。

 シンジが14才の少年ではなく成人男子なら、自分は迷うことなくゲンドウを裏切ったかもしれない。ただ肉体の繋がりだけが、ゲンドウの持っていたアドバンテージだった。
 いくたびかの使徒との戦いの後、二人きりの研究室で組み敷かれながら、協力してくれとシンジに言われていれば、悦びと共に頷いただろう。
 そんな女なのだ。

 抱かれたかったのだ、あのシンジに。求めて欲しかったのだ。

 今になってようやく気づいた。


 もうその願いはかなうことはない。
 今のシンジは何も持たない、本当にただの子どもなのだから。

 それなのに、やはり望んでいる。シンジが再び力を、記憶を取り戻し、自分を導いてくれることを願っている。
 今度こそ、抱いてくれることを。

 いや、シンジでなくてもよいのだ。例えば加持でもいい、別の誰かでもいい、よりどころとなってくれる人なら、力を持っている男なら。


 あさましい。


 そんな自分を、自分の本性を、わずかであってもミサトに見せたくはなかった。



「赤木博士、司令秘書から内線です」


 技術部員の一人に声をかけられ、リツコは現実に帰ってきた
 周囲を見渡すと、いつのまにかミサトは制御室を出ていたようだ。

 至急来るようにという連絡を受け向かった司令室にはゲンドウしかいなかった。

 副司令の冬月が本部内で失踪したということを、リツコは彼から聞かされた。



 それが誰の仕業かは、訊くまでもなく分かった。







 







〜つづく〜









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katu@osaka.104.net



解説:


一話使って時間ほとんど進んでないね。
独り言モードというか、解説モード。






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