見えない明日で

第5章 第7話

Written by かつ丸






 超高度に使徒が現れるのは、これで二度目だった。


 前回と前々回の使徒襲来間隔がわずか3日。だが、2機のエヴァを中破され、初号機が活動不能となった先の使徒戦からはすでに2ヶ月近く経っている。
 まるでこちらの準備が整うのを待っていたかのようなタイミングに、いささか薄ら寒さを感じた。

 リツコにとっても予想していない時期だ。
 導いてくれる者がいない今、他の職員と同じようになんの情報もなく、いきなり出現する使徒に立ち向かっていかなければならない。

 いや、情報はある。
 この使徒のことは、かつてシンジから聞かされていた。
 確かレイが倒したと、彼は言っていたはずだ。

 このまま成層圏からは降りてこない、それでも弐号機を攻撃した、そう言っていた。
 零号機の使うロンギヌスの槍によって倒されたとも。

 もちろん、そんなことは今は言えない。
 降りてくることも前提にいれ、ミサトは作戦を進めている。
 遠距離にいるうちに倒した方が安全なため、迎撃は超長距離砲でまず行なうことにし、その準備もすでに進めているが。

 先に出した弐号機のほうが体勢はより早く整いそうだ。射撃の成績はレイのほうがいいのだが、自分を先行させろとアスカが強硬に主張した結果だった。
 焦っているのは分かるが、ムダだと知っているだけに滑稽だとも思える。
 リツコの皮肉な表情は、モニター越しに使徒を見ているミサトやオペレータたちには分からないだろう。
 もちろんアスカにも。


「…弐号機、ポジトロンライフル発射準備完了しました」

「目標の様子はどう?」

「変化ありません」

「……当然ATフィールドを持ってるのよね、アイツも」

「どうするの、ミサト。同時発射が可能になるまで待つ?」

「…いえ、ここは先手必勝でいきましょう。頼んだわよ、アスカ」


 到底フィールドを中和できる距離ではない。
 砲弾の持つエネルギーのみで使徒を倒さねばならない。成層圏ゆえに市街地よりは思い切った攻撃は出来るが、それでも陽子砲の威力でフィールドを突破できるかと言われれば疑問だ。
 通常兵器のみで使徒が倒せるのなら、エヴァなど最初から不用になってしまう。
 だから、せめて零号機が出揃うのを待つべきだとも思うのだが、ミサトはアスカの心情を慮ったのだろう。
 ダメで元々、と言ってしまえば実もふたもないが、可能性がゼロではないのならやらせてみる、そういうところはミサトらしい。
 レイは砲撃準備中でシンジの初号機は封印のため出動していない。
 ここまでお膳立てを整えられれば、アスカも後々文句はいえまい。


 発令所の皆が弐号機に注目している。
 照準がなかなか合わないのだろう。スピーカーからはイラつき気味の呟きが聞こえる。
 発射後の状況を見逃さないよう、リツコもモニターに映る使徒を見つめた。
 白く光輝く巨大な翼。今までがそうだったように、今までのどれとも違う形の使徒がそこにいる。

 ここにも向かって来ずに、いったい何を求めているのだろうか。


 そのリツコの疑問に答えるかのように、モニターの画像が激しく歪んだ。



 アスカの叫びとミサトの喚く声が交錯する。
 異状を告げるオペレータが示すとおり、回復した画面では使徒から放たれた光線で悶える弐号機の姿が映っている。
 弐号機のやみくもな反撃は全く意味をなしていない。ポジトロンライフルから打ち出された光弾は市街地を破壊するだけだ。

 一見して弐号機に被害を受けた様子はない。どこも壊れてはいない。だが数百キロ上空から伸びた光が、狙いたがわず赤い機体を襲っている。
 弐号機は、頭を抑え苦悶していた。
 おそらくパイロットの心に直接働きかけているのだ。

 これも、使徒が進化している、その証なのだろうか。


 ようやく準備が整った零号機が使徒に向け攻撃を開始する。しかし出力不足のせいか、使徒のATフィールドに阻まれるだけだ。
 戦自で研究をしている大型のポジトロンライフルであればまだましだったかもしれないが、無いものねだりをしてもしょうがないだろう。

 弐号機はなおも光を浴びつづけている。アスカの意識がまだあるのは、恐るべき精神力だといえよう。
 撤退を命じるミサト、しかし彼女は拒否をした。
 反撃の手段の無いこの状況で、なおも戦う意思を捨てない、それはアスカの弱さであり、だが、いじらしいとも思えた。

 初号機のシンジがモニターの一つに映っている。
 驚愕し目を見開いている。けれど、まだ画面の向こうの問題なのだろう。動こうという様子は見えなかった。

 零号機からまた光の弾が飛ぶ。小石でもあたったかのように、ATフィールドがそれをはじく。
 とてもらちがあかない。
 無理にでも撤退させないと、アスカは確実に壊れるだろう。
 いや、それもすでに遅いのかもしれない。


「パイロットの精神、危険域に達しています!」

「アスカ! しっかりして!」

『………加持さん……加持さん……』


 ミサトの叱咤も彼女には届かないようだ。
 泣いているのだろうか、両手で顔を抑えたまま体を丸め、アスカはか細い声で加持の名を呼んでいる。
 あれでは避難所までエヴァを動かすことなどできないだろう。


「不味いわね」

「リツコ、初号機は出せないの?」

「封印は解かれていないし、出してどうなるものでもないわ」


 あの場に出て行っても、光線に巻き込まれてミイラ取りがミイラになるのは目に見えている。
 アスカを救うだけなら、プラグの強制射出が一番確実な方法だ。
 プラグ内の映像が届いていることからも、使徒の光線が発令所からの制御信号にまで影響していないのは明白である。
 だが、それはアスカにとっては死刑の執行に等しい行為になるだろう。一時的な退却ならば、体勢を立て直して出撃しなおすことも可能だが、プラグ射出はこの戦いからの完全撤退を意味する。
 再起を賭けていた彼女にとって、チルドレン失格の烙印を押されるのと同等に受け止められるはずだ。
 だからミサトも言い出せない。
 それでも命には替えられまい。


「…レイ、ドグマに降りて槍を使え」


 膠着を打ち破るように、ゲンドウの声が響いた。


「ロンギヌスの槍をか!?」


 冬月の驚いた声が続く。
 彼には『槍を使う』ことの意味がよくわかっているからだろう、おそらくはリツコ以上に。


「地下のアダムとエヴァとの接触は危険すぎます!!」


 ミサトが叫ぶ。アスカのことなど忘れているようだ。
 地下にあるのがアダムで、エヴァが使徒と全く同じものなら、彼女の指摘は正しい。
 アダムを模して造った、それがエヴァだと説明してきたのだから、そう勘違いしてもおかしくはない。
 だが彼女は知らないのだ、零号機の母体となっているのがセカンドインパクトを起こしたアダムとは別のものだということを。地下の巨人がアダムではないことを。
 少なくとも零号機との単純接触では何も起こりはしない。そもそもリリスに槍を突き刺したのも、零号機なのだから。
 

「問題無い。レイ、直ちにドグマに降りろ」


 なんの説明も無いまま、冷徹とも言えるゲンドウの命令が響く。
 無視された形のミサトは、不満そうに口をつぐんでしまった。これでまた不信が募ったに違いないが、おそらくゲンドウは微塵も気にしてはいまい。
 それを横目に、リツコはオペレータへの指示を出すことにした。


「…時間がないわ。至急、エヴァの降下用ワイヤーをセットして」

「了解」

「零号機は攻撃を中止して、直近の射出口に移動してちょうだい」

『……』

「どうしたの、レイ?」

『…何でもありません。了解しました』


 レスポンスの遅さに、若干違和感があった。一瞬固まっていたような、そんな反応だったからだ。
 ゲンドウの命令はリツコよりも前だったのに零号機は動いてはいなかった。
 らしくない、そう思えた。
 弐号機ではアスカがまだ攻撃を受けている、その状態を気にしていたせいだろうか。
 もちろん、今はそんなことを問いただす余裕などない。


 射出口からエレベーターで引き戻され、ケイジではなく途中の分岐を通ってターミナルドグマに零号機が運ばれる。
 セントラルドグマとの境界にある隔壁は今は広げられている。
 この瞬間に使徒が急降下でもしてくれば、そして市街地とその下にあるジオフロントの天井が破られでもすれば、かなり困った事態にはなる。
 前回の使徒戦の傷はまだ癒えてはいないのだから。

 だが、今回の使徒は、ネルフ本部にはほとんど興味を持っていないようだ。
 元いる位置からほとんど動く素振りは見せない。


 モニターが巨人を映す。今まで機密だったものだが、皆の目に触れたのは初めてだろう。
 ミサトか加持あたりから噂の形で伝わってはいたようだけれど。
 顔を隠す不気味な七つ目の仮面。胸に突き刺さった茶褐色の槍。腰から下はなく、人間の下半身にもにた何かが何本も生えている。
 マヤが怯えた目をしているのが分かる。
 あんなものが地下にあるのだ、混乱するのも無理はない。
 ゲンドウには気にした様子はない。もうかまわない、そういうことだろうか。
 彼の考えはよくわからなかった。
 ミサトは先ほどから何も言わない。考えに沈んでいるようだ.

 そうしている間にも、アスカへの攻撃は続いている。もうほとんど声も出していない。
 それがわかっているからか、レイは淡々と機体を動かしている。
 白き巨人に近づき、突き刺さった槍をいっきに引き抜く。堰が切られたように、上半身だけだった巨人の腰が膨らみ、みるみる足が生えていく。
 直径十数メートルは有る二本の足が水面を打ち、床に溜まっていたLCLを波立たせる。
 レイに気にした素振りはない。
 職員達は、顔を強張らせながらも、まるで巨人など見えなかったように、作業を行なっていた。




「零号機、地上に出ました」

「投擲についてはマギに任せて」

「ねえリツコ、あんなとこまで届くの?

「…力の問題ではないのよ、あれは、そういう武器だから」

「それって?」

「理屈でも、科学でもない、形而下にあって形而上の物体、わかるでしょう?」

「…神話的存在。あれもやはりエヴァやアダムに連なるものなのね」


 零号機が持っている赤茶色の巨大な槍。
 ロンギヌスという呼び名は比喩ではない。神すらも殺せる古代の武器、それとも触媒。
 誰が作ったのかも、いつ造られたのかも分からない。
 死海の深き場所で数千年、いや、それ以上の長い年月を眠っていたのだ。セカンドインパクトが起こったあの時、南極に持ち込まれるまで。


 青いエヴァが上空に向け構える。マギのデータをオペレータが読み上げている。
 そして貯めていた力を解放するように、零号機が槍を天に放つ。

 一直線に。

 放物線ではなく、一直線に、槍が飛んでいく。
 雲を切り裂き、大気を衝撃波で震わせながら。もう物理の法則など通用しない、意志があるかのように槍自体が加速を続けている。

 そして、一瞬だった。
 一瞬で、薄紙を破くように、槍はATフィールドを破り、なんの抵抗もさせないまま、使徒を霧散させていった。


「……第一宇宙速度突破、地球圏を離脱し、月軌道に向かっています」


 オペレータの誰かが震えた声で言う。
 けれどそれに、応えられる者はいなかった。











「…あんな武器があるなら、最初から使っとけば良かったんじゃないの?」


 リツコの研究室の丸イスに腰をおろし、開口一番、ミサトがそう言った。
 作戦部長としての本音だろう。


「司令と副司令が南極に行ってたことがあったでしょう、槍が本部に来たのはあの時よ。それに使徒戦用の武器ってわけじゃないわ」

「分析して複製でも造ってくれればいいのに、アンタならできたんじゃないの?」

「…私にそんな余裕は無いわよ」


 過去に分析はされていたはずだ。エヴァという形でアダムやリリスの複製が作られたのだから、槍の複製も可能かもしれない。
 確かにあれは対使徒戦の切り札ともいえる武器だということがよく分かった。
 そしてエヴァに対しても。
 ATフィールドを破壊してみせたのは、力ではなくアンチATフィールドと呼ぶべき負の波動だと、データを分析した結果わかったからだ。
 リツコの目の届かないどこかの支部で作っている可能性もある。今作られているエヴァシリーズにしても、正規のルートからは報告はあがっていない。

 ミサトの勘は、中々鋭いのかもしれない。軍人としての嗅覚だろうか。


「まあいいわ。…ねえリツコ、アスカのことなんだけど」

「精神汚染は避けられたわ。健康面でも異状は無いはずよ。会ってきたんでしょう?」

「ええ、でも、結局すぐに追い出されたのよ。人が心配してるのに」

「元気で結構じゃない」


 救出後、検査のために一時的に病室に入ったアスカだが、予想に反して意識ははっきりしていた。
 かなりの長時間使徒の精神攻撃を受けていたことから考えると、信じ難いとも思える。
 侵食が目的ではなかった、その可能性が最も高い。理由はわからないが。


「…あれは空元気ね。弐号機を降ろされるんじゃないかと思ってるわ」

「そのことは否定できないわね。代わりのパイロットが見つかれば、すぐに現実になるわ」

「……まさか、探してるの?」

「今のところ指示は無いわ。それに探す必要なんてないのよ、候補者はもういるんだから」

「そう、そうだったわね…」


 少しミサトの顔が歪んだ。
 フォースチルドレンが選ばれたように、シンジたちのクラスから新たなパイロットを選ぶ。
 新規のエヴァの為ではなく、アスカの代わりとして。
 確かにあの激しい気性の少女にとっては最大限の侮辱に等しいだろう。だが、一人の子どもの感情など、最初から考慮の対象にはなりはしないのも事実だ。
 話を逸らすように、ミサトが言った。


「シンジくんは、何か言ってた? 今日、初めて使徒を見て」

「…別に何も。会話自体してないし、彼から何も言っては来てないわ。少しは動揺していたかもしれないけれど、今日のアレでは実感もわかないでしょうね」

「質感は無かったわね、確かに。アスカがやられはしたけど、恐ろしいって相手じゃなかったか。…もともとそういう感情を持ちにくい相手ではあるしね」

「あなたが言うと説得力は無いわね」

「そう? 私は確かに使徒を敵として憎んではいるけど、あれに私の憎しみが伝わるとはちょっと思えないわよ。どこまでも無機的だから、感情をぶつけても意味が無いような気がしてくるもの」


 苦笑いしているが、それは本音かもしれない。
 使徒に対して人間に持つような憎悪も、野性の獣から感じるような恐怖も持ち得ない、それはリツコも思う。ただただ異質な、わかりあえることなどできない、理解できない存在、そう感じてきた。
 もしかしたら、使徒にとっての人間もそうなのかもしれない。だから、かつてシンジを取り込み、今日、アスカを知ろうとしたのだろうか。


「…アスカは、使徒のことを何も言ってなかったの?」

「ええ、でも、覚えていないというより、言いたくないみたい。追い出されたのも無理に聞き出そうとしたからだし。……もう少し落ち着いたら、聞いてみるわ。加持くんのことも、やっぱり言わなきゃいけないだろうし」


 ミサトの顔が曇る。
 このまま引き伸ばせないことは、彼女もわかっているのだ。リツコは無言で頷いた。
 小さなため息が聞こえる。


「じゃあ、もういくわね。…ああ、それから」

「なに?」


 立ち上がりかけたミサトがこちらを見ている。
 何かを言いたい、そんな表情だ。


「……ううん、なんでもないわ。また、次の機会にでもね」

「そう」


 結局、ミサトは出て行った。
 訊こうとしたのは地下の巨人のことか、槍のことか、それともゲンドウのことだろうか。
 だが、今は考えないことにした。仕事はあるし、思い悩んでもしかたないだろう。

 いずれ、向かい合わなければならないにしても、まだその時ではない。
 だからミサトも何も言わなかったのだ。




 それから数十分が過ぎたころだろうか。
 小さく、ドアをノックする音が聞こえた。
 直接この部屋を訪ねてくるものは少ない。技術部員は事前に連絡をよこすし、ゲンドウや冬月ならば呼び出すからだ。

 ミサトが思い直してまた来たのだろうか、一瞬そう思ったが、それも彼女に似つかわしくないと思えた。

 もう何ヶ月か前なら、加持か、もしくはシンジの名を、おそらくは後者を、思い浮べたろう。だが、どちらもその可能性は低い。


「…どうぞ、開いてるわ」


 ミサトが出て行った時のまま、鍵がかけられていなかったドアがゆっくりと開けられる。
 キーボードを打っていた手を止め、視線を移す。

 シンジかもしれないと、本当は思っていた。

 けれどそこに見たのは、制服を着たレイの姿だった。







 







〜つづく〜












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katu@osaka.104.net



解説



ひさしぶりに使徒戦。すぐに終了。
ほぼそのまんまやね。









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