見えない明日で

第6章 第6話

Written by かつ丸







 はたして、ゲンドウは何を思っているのか。
 そのことを、冬月の顔からうかがい知ることはできなかった。

 カヲルを迎えて初のシンクロテスト。まるであたりまえのように冬月は同席している。
 彼の指揮のもとでの実験はもう何度目かになるためか、マヤをはじめとした技術部員も慣れたようだ。
 冬月も努めて冷静をよそっている様子もなく、自然体でリツコに接してくる。周りの職員たちも違和感は感じていまい。
 だが、レイとの会話も、カヲルとの会話も、どちらもゲンドウと冬月に伝わっている可能性があるとリツコは想像している。少なくともカヲルについては本部のオープンスペースだったのだから、確実と言っていい。
 かつてのような信頼関係がない今、リツコに監視はついているはずだし、得たいの知れないカヲルにも同様だろう。

 レイと話したのは彼女の部屋の中でのことだけに、リツコの思い過ごしかもしれない。
 たとえ盗聴器をしかけていたところでシンジの手紙の内容まではわかるまい。
 リツコの訪問については把握しているのがせいぜいか。具体的な内容が気になったとしても、彼らは、リツコにではなくレイに訊くのだろう。

 レイが素直に答えるかどうかわからないが。

 シンジに言われた言葉を、彼女はおそらく誰に話すこともせずに今まで胸の中に隠してきた。
 シンジの母であり、そしてかつてゲンドウの妻であった碇ユイ、純粋なクローンの定義が適用できるかはともかく、レイが彼女の遺伝情報を元にして作られたのは事実だ。それは、いわばレイの根幹に関する秘密であり、レイ自身も知らないことだったはずだ。
 シンジに告げられて、彼女が動揺したであろうことは容易にわかった。

 ゲンドウには訊けまい。答え次第では己の全否定につながる。
 『お前はユイの代わりだ』などとは、起動事故から助けられて以来、ゲンドウにだけは心を開こうとしていた彼女にとって、もっとも聞きたくない言葉だろう。
 なにより、ゲンドウがおためごかしな嘘をつくようなことはしない男だと、リツコは思っている。レイもそうのはずだ。

 冬月やリツコに尋ねなかったのも、同様だろうか。
 冬月がレイに向ける視線は、人間に対するものではない。彼が作ったモノなのだ、当然かもしれない。
 そしてリツコはレイを憎んでいた。
 この二人に訊いても、冷酷に、情け容赦なくレイに事実をつきつけるだけだと感じた、だから、訊かなかったのかもしれない。

 シンジは、結局レイには秘密を明かさなかった。
 強く促されていたらどうだったかはわからない、しかしレイはそうしなかった。
 本当のところ、彼女は知りたくなかったのではないだろうか。
 己の、綾波レイという存在が持つ意味を。
 人ではない彼女がこの世にある、その理由を。


「…どうなの? 彼の調子は」


 リツコの傍らに立つミサトが声をかけてきた。
 いろいろと本部内を探っているのは相変わらずのようだが、今日の実験にはさすがに興味があったのか、こうして出勤している。
 もっともミサトは、この部屋の隅で腕を組みながらモニターを睨みつけているあの少女が、心配だったからなのかもしれない。

 アスカの入室は、冬月の了解も得ている。
 起動不能となった彼女に対して、カヲルの実験成功は最後の引導を渡すことになる。だが、彼女がそれを望んだのなら、便宜を図ってやるくらいの組織としての誠意はある、そういうことだ。

 そしてその結果は、いままさに出ようとしていた。


「フィフスチルドレンのハーモニクス、安定しました。シンクロ率、70%を超えています」


 リツコがミサトに答えるより先に、マヤの声が制御室に響く。
 うわずった調子なのは、彼女のほうが動揺しているからなのかしれない。
 アスカの表情を確認することはしなかった。叫んだり暴れたり部屋を出たりしたわけでもないようなのは、彼女なりに受け入れていたのかもしれない。
 ミサトが自分のそばから離れた気配を感じ取ると、リツコはそれ以上気にするのはやめた。
 今、考えるべきことは、他にたくさんある。

 マヤの肩越しに覗き込み、画面にうつるグラフを見た。
 カヲルの数値は、最初の試験としては、かつてのシンジには及ばないものの、レイやアスカの当初のレベルをはるかに超えている。
 アスカの現状を考えれば、このような人材を実戦に導入しなかったのは、むしろ遅すぎたという観点すらあるだろう。
 シンクロ率が高いからといって個人の戦闘能力が高いとは限らないが、エヴァの力は確実に増大する。彼が操る機体は、だから強力なはずだ。
 しかし、何より恐るべきことは、カヲルが使っているテストプラグが、アスカの仕様から変更されていないという点だ。
 彼に合うコアのデータが無いために止むを得なかったとはいえ、実のところ、理論的にはありえない。
 アスカの兄弟でもない彼が、キョウコとシンクロする理由が無い。
 それを知っているからこそ、この高い数値にマヤは戸惑っているのだろう。

 カヲルの正体を知らなければ、自然な反応だと思う。


 3つ並んだテストプラグ、その中の様子を3つのモニターが映している。
 無表情なレイと、未だ慣れていないのかどこか怯えた様子のシンジ、彼らと対照的に、楽しそうに微笑んでいるカヲルが、一番このテストに、エヴァというものに、なじんでいるように見えた。

 その姿だけを見れば、とても彼が使徒だとは、人間ではないとは思えない。
 もし今言っても信じる者などいないだろう。


「フィフスだけもう少し深度を下げてみて」

「え、でも、これ以上は危険領域に近いですが…」

「…大丈夫、彼、まだ余裕があるみたいよ」


 擬似コアによるシミュレーションとはいえ、受け手側への負担は実機によるそれに近い。でなければ実験の意味が無い。
 このプラグでも、神経レベルの奥深い位置でシンクロさせることで、フィードバックによる影響も増える。その代償としてシンクロ率は上がる。実戦でより高い数値を出すために、各パイロットの限界を知っておくのは必要だと、そう言い訳もできた。
 マヤなどは、リツコの答えも待たず自分で納得したようだ。

 もちろん、リツコの思惑は違う。
 ただ知りたかった。カヲルに「限界」などというものが、はたして存在するのかそうか、そのことを。








「…体調はどう?」

「いたって良好ですよ」


 微塵も屈託など無い様子でカヲルが答える。
 嘘ではないだろう、実験中も彼の脈拍や血圧に異状はまったく見られなかった。
 手元のバインダーには先ほどのデータがすで打ち出されている。初の実験の後なので、カウンセリングを行う、そう言ってマヤに用意させたのだが、リツコの指示を聞いていた彼女の顔は蒼ざめていた。
 その理由はリツコにもわかる。
 描かれたグラフや表に書かれた数値は、およそ信じがたい内容だったからだ。
 今までのチルドレン、たとえばシンジやアスカに比べて、極端に高い数値だったわけではない。かつてのシンジのほうがむしろ上だろう。
 だが、このシンクロ率を示すグラフのほとんどぶれの無い、直線といってもいい状況は、やはり理論上ありえないことなのだ。
 安定しているだけだと、素人目にはそう映るかもしれない、しかし仮想コアつまり相手側の状況は一定ではなく変化させている。接続深度を変えても、カヲル側の数値はほとんどといっていいほど変わっていない。

 これが示すことは一つ。カヲルはシンクロ率を自分で設定していた、そういうことだろう。

 そんなことは、あのシンジでもできはしなかったに違いない。

 もちろん、ことさらに騒ぐつもりはリツコになかった。
 使徒ならばどんなことでもありえるのだし、ミサトをはじめ真相を知らない者たちに教えても、余分な手間が増えるだけだからだ。

 データについて冬月に報告はあげるが、起動可能域にシンクロしたことがゲンドウたちにとっては重要であり、細かい数字を彼らがどこまで気にするのかは疑問だった。コメントでも入れない限り、気にはしないと思える。

 目の前のこの少年は人間ではない、その事実だけが、確信を持ってリツコを捕らえていた。
 理解していたはずだったが、イスに座った脚の膝元がかすかに震えるのを止められない。

 隣に座るミサトが、一瞬こちらを向いたのがわかった。

 何事もないように、カヲルの目を見つめながら話す。


「自覚症状もないなら、今日の実験は成功ということね。数日以内に弐号機との実機試験を行います。…使徒が攻めてくれば、いきなり実戦になるかもしれないけれど。ねえ、葛城三佐?」

「ええ、今、動かしてもいいエヴァは弐号機しかないの。もうしわけないけど、心の準備はしておいてね、渚君」

「それはかまいませんが、…実機試験の日取りはまだ決まっていないんですか?」

「まだ、あなたについての細かいデータが届いてないのよ。決まり次第、作戦部を通じて連絡するわ」


 そう言って、ミサトの方を見た。うなずき、彼女が言葉を続ける。


「当面は戦闘訓練なんかをメインにしようと思うの。詳しいことは、明日にでも説明するから、今日はもういいわよ、お疲れ様」


 わかりました、そう言ってカヲルは部屋を出た。
 後にはリツコとミサトが残る。


「…で、どうだったの?」

「戦闘にはなんの問題もないわね。レイのように本起動で拒否される可能性はゼロではないけど、初号機と弐号機は違うから、実戦でも大丈夫でしょう」

「そう…今日の様子を見てだいたい予想できたけどね。…これで、次の使徒はあの子が、渚くんが戦うってことになるわけね」

「…おそらく、そうでしょうね」


 ミサトの言いたいことはわかる。
 次の使徒戦が最後なのだから、その先は当然ない。彼女の同居人がパイロットに復帰する可能性は、もはや潰えたといってもいい。


「…今日は、もう帰るわ。…いいわよね」


 小さくつぶやくと、ミサトが立ち上がった。アスカを気にしているだけでなく、彼女自身も堪えている、そんなふうに見える。
 父の仇である使徒を倒す、その夢を彼女は無意識にアスカに重ねていた、そういうことだろうか。
 シンパシーを持てないパイロットが使徒を倒したとしても、納得ができないと。
 それとも恐れているのは、『使徒を全て倒してしまう』、『生きる目標を達してしまう』、そのことに、なのかもしれない。
 どういう感情をもっているのかは、ミサトの表情からはわからない。

 しかし、ミサトに対して問いかけることは、リツコはしなかった。
 興味もないくせにこれ以上彼女たちの事情に関わろうなどというのは偽善であると思ったし、リツコはそこまで悪趣味でも、そして暇でもなかった。









 翌日。
 ネルフ本部の空気はいつもと変わらなかった。
 張り詰めていたのは、リツコだけだったかもしれない。
 昨日と同じように、研究室を出てケイジ方面に移動する。今日はシンクロテストはない。初号機と弐号機のチェックを行う予定だった。
 だから休憩室でカヲルとシンジの姿を見たのは少し意外だった。
 おそらく、偶然ではないのだろう。


「おはようございます」

「お、おはようございます」

「…おはよう。あなたたちは今日もデート?」

「はは、まあ、そんなところです」


 リツコのほとんど嫌味に近い響きをこめた軽口にも、カヲルは笑って返した。横で絶句しているシンジなどより、よほど世慣れている。
 言い訳するふうでもなく、世間話のようにカヲルは続けた。


「待機で時間があるので、シンジくんに、本部の中をもっと案内してもらおうかなって思ったんですけど…彼もここのことをあまりよく知らないみたいですね」

「……ご、ごめん」

「君を責めているんじゃないよ、シンジくん。…そうだ、赤木博士、あなたにお願いできないでしょうか、もし時間があれば、ですけど」

「私が?」


 思わず呆れたように言った。シンジが目を見張るのがわかる。
 他の本部の誰も、リツコにそんなことを頼みはしないだろう。
 無邪気を装っているのか、カヲルは気にしたそぶりは見せない。ただ笑っているだけだ。


「……そうね、別にかまわないわよ。シンジくんも一緒に来る?」

「えっ、い、いえ」


 予想していなかったのか、今度こそ、シンジは驚いてしまったようだ。
 もちろんカヲルに変化はない。リツコが受けると彼にはわかっていたはずだ。
 キールとの契約を果たせと、そういうことなのだから。

 顔を蒼くして、シンジが首を振る。


「…ぼ、ぼくは、よ、用事があるから…」

「そうかい、残念だね」

「じゃあ、行きましょうか、ついてきなさい」


 シンジが来ないことはかまわないのだろう。こだわりもみせずに、カヲルはついてきた。
 チルドレンに施設を案内するなら、非常口や緊急ルートなど、ふさわしい場所はいくらでもある。  だが、彼が望むのはそういう場所ではあるまい。
 希望を訊くこともせずに、リツコは足を進めた。

 何人かの職員とすれ違う、いずれも興味深げな視線を向けてくるのは、気のせいではない。
 やはり、レイを見慣れているとはいっても、カヲルの容姿は珍しいのだ。女子職員が特にあからさまな反応をしめすのは、珍しいだけでなく整っている、そのせいもあるのだろう。
 隣にリツコがいるためか声をかけてくる者はいなかったが、これが中学校なら大騒ぎになっているかもしれない。使徒という正体が知られるのとは、別の意味で。

 お互いに無言のまましばらく歩くと、すぐに人通りも少なくなった。本部内でもかなり奥まったところに来ている。セキュリティレベルが高くなるにつれて、入れる人間も限られてくる、だから当然だった。

 セキュリティをリツコのカードキーで開く。まだ、ゲンドウに止められてはいないらしい。
 このあいだミサトを案内した時と同じく、ターミナルドグマに向かうエレベーターに乗った。

 扉が閉じ、降下が始まる。そうして、はじめてリツコは口を開いた。


「…それで、何を知りたいの?」

「特に、何も。さっきはああ言いましたが、特にこの施設で興味のあるところはありませんね。興味のあるヒトは、何人かいますけれど」

「たとえば、碇シンジくん?」

「ええ、彼はとても興味深い。…繊細で、臆病で、そして驚くほど無知だ」


 揶揄するようにカヲルが話す。
 シンジを馬鹿にしているわけではないだろうが、冷淡と言ってもいいほど感情はこもっていない。


「彼の話はここに来るまえから聞かされていましたが、そのイメージからは遠い。記憶喪失については、シンジくん本人に聞きましたが、ああなる前の彼にもあってみたかったですね」

「…今のシンジくんでは不満?」

「いえ、ぼくは彼が好きですよ。まだ数日ですが、会えてよかったと思っています。ただ…」


 カヲルの言葉を区切るように、エレベーターが止まり、扉が静かに開いた。
 このフロアは無人なのだろう。灯りはついていない。
 戸惑うこともなく、カヲルは先に降りた。リツコが後を続き、ホール横のスイッチを押し、あたりを明るくする。
 その間に、カヲルは先に進んでいた。


「…ただ、なに?」


 背中にかけられた声に、カヲルが振り向く。


「ただ、心配なんです。はたして彼に僕の願いを叶えることができるのかと」


 そう言って笑った彼の顔には、やはり屈託はなかった。




 そして目的の場所に着く。
 幾人もの綾波レイたちが踊る水槽が囲む部屋。
 待ち伏せている者はいない。監視の目があるかどうかはわからないが、最初から気にしてはいなかった。


「…どうして、僕をここに?」

「驚かないのね」

「はい、わかっていましたから。彼女は、僕に似ていると」


 水槽の中を見つめながら、何事も無いかのようにカヲルが言う。  彼のためにも同じような設備が存在すると、そう告白したに等しいのに。
 カヲルにも分かっているのだ。リツコが彼の正体に気づいていることが。


「…レイとは話したことが?」

「昨日、少しだけ。…彼女にも、同じことを言いました。…別々の流れにありながら、同じこの形に行き着いたのは、やはり必然だったのかもしれないって」

「口説き文句にしては、少し突飛ね。レイも困ったでしょう」

「ははは、そうかもしれません。シンジくん以外のチルドレンには嫌われてばかりですね。あのアスカって子にも、睨まれましたから」


 ネルフ最大の機密を前にして、世間話のような空虚な会話が続く。
 リツコはカヲルと話していて既視感を感じていた。以前にも、こんなことがあったと。
 やがて思いつく。
 彼の口ぶりはシンジに似ているのだ。かつてのシンジが、全てを達観しているように未来を話した時の口調に。

 一瞬、めまいがした。
 振り払うように、言葉を探す。


「…あなたは、これからどうするつもり?」

「僕は僕の使命を果たすだけです。僕をこの世に生み出した、リリンが望んだことですから」

「滅びを運ぶことを?」

「はい、それだけが僕の存在理由です。…僕を止めますか?」


 自虐的な、そんな表情をカヲルの笑顔は含んでいた。
 初めてカヲルが心の一端を、覗かせたような気がする。


「…それは、私の役目ではないわ。…あなたに協力しろと、そう言われているくらいだから」

「事が始まるまで僕のことを話すなと、それ以上の意味は無いと思います。もう、時間はありませんし」

「そうね。試験であんなに派手なマネをしたんですもの。あなたに疑念を持つ人は、もう出てきつつあるわ。承知の上だったんでしょう?」

「あれは少し遊んだだけです。あなたが動かない限り、僕の正体を推察して糾弾できるヒトは、他にそういないと思いますよ。だから感謝しています、僕に時間をくれたことと、シンジくんに逢わせてくれたことに」

「…まるで、最後のように話すのね」


 リツコの言葉には答えず、カヲルはただ微笑んでいた。



 それから上に戻るまでの道すがら、今度はカヲルはずっと話していた。
 内容は主にシンジのことだ。
 シンジと食事をしたこと。部屋で遅くまでいろいろと話したこと。
 チェロを聴かせてもらったこと。
 シンジはネルフやエヴァが怖いと、そう言っていたという。
 記憶を失っていたころのことを知る人と接するのがつらいと、そう言っていたとも。
 リツコなど、その最たるものだろう。

 最初に出会った休憩コーナーで、リツコはカヲルと別れた。
 シンジの姿は、もうそこにはなかった。



 遅まきながら制御室に行くと、そこにはすでに仕事を始めているマヤたちだけではなく、イライラした様子で待っているミサトがいた。
 話があると、強引に連れ出されたその先で、カヲルが何ものかと尋ねられた。
 ハッキングしたのか、実験データを知っていたようだ。

 本当のことを言うか、とぼけるか、そう逡巡したその時、警報が鳴り響いた。







 







〜つづく〜












かつ丸にメールを送る
katu@osaka.104.net



解説



今回カヲル・シンジ・リツコのシーンはエヴァ2の宣伝写真を想像してもらえれば。食堂ではないけど
しかしネルフに食堂なんてあったのか。
あれだけの大所帯なら、そりゃあるかな。














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