蒼い髪。



紅い瞳。



白い肌。



華奢な身体。



一度失われ、そして再び出会えたヒト。



泣き叫ぶ声を聞いて、自分の元へと帰って来てくれた愛しい少女。



暗い闇の底で、泥と血にまみれながら、それでも自分が求めつづけていた己が半身。



確かに彼女がそこにいた。




それ以上、いったい何が必要だろう。







SR −the destiny−

〔最終話 あした 〕

Written by かつ丸





夕陽。

オレンジ色に街を染めている。

高層ビル、民家、道路、その全てが本来の色を失い、茜に変わっている。

高台の公園、手すりに寄り掛かるようにしてシンジはそれを見ていた。

見慣れた風景、向こうにはシンジの通っていた中学校もある。

けれど失われたはずだ、全ては。



右手に持った十字架のペンダントを所在無げに弄びながら、独り言のようにシンジは言った。


「ねえ・・・・僕はどうしたらいいのかな?」

「望めばいい、あなたが欲しいものを」


傍らに立つ少女が答える。


「僕が望めば、またこの街がよみがえるの?」

「いいえ、無くしたものは帰って来ない。それでもまた創ることはできるわ。あなたがそれを願うなら」

「失われた世界を?」

「失われたものと同じ形をした世界を。あなたが望むように変えることもできるの。そこはあなたが好むようなことしかおきない、あなただけのための世界、そこでまた生きられるわ」


その言葉にシンジは想像してみる。

自分が望むとおりの世界、それはいったいどんなところだろう。

たとえば、そこにはエヴァなど無くて当然使徒もこない、父や母とあたりまえの中学生として暮らす、ささやかな幸せが続くところ。

誰もシンジのことをいらないと言わない場所。たとえエヴァが無くても。

それを望んでいたのだろうか。


「あなたがそれを望むなら、世界はそのとおりになる」

「・・・・父さんは綾波を使ってそれをしたかったのかな。父さんはどんな世界を望んでいたのかな」


生きている世界を捨ててでもその手に入れようと父が望んだこと、それはなんだったのだろう。

あの冷たい表情の下に、何かを強く求める激情が潜んでいたのだろうか。

今となってはそれを知る術は無いが。


「司令に会いたい?」

「会えるの?」

「あの人はもう人の形を失ってしまった。でも造ることはできるわ。司令も、あなたのお母さんも」


一瞬、風が吹いた。


気配を感じ振り返る。

そこにはゲンドウと、見知らぬ、しかし懐かしい女性が立っていた。


「・・・・母さん?」


白衣を着て微笑むその女性はレイに少し似ている気がした。


「そう、彼女はあなたの母親そのもの。あなたを捨ててエヴァに入ったヒトと同じ存在」

「造られたものなのに?」

「寸分変わらぬ魂を持っているから。だからあなたがどんな世界を望んでも、そこに生きる彼女は『そこに生きていた彼女』、あなたの母親としての記憶と意識を持ち、その世界でそれまでの生を生きた存在としてそこにいる」

「父さんもそうなの?」

「ええ」


微笑むだけで何も話さない母親から目を背け、シンジはレイの方を向いた。


「それはでも本当の僕の両親じゃないよね」

「真実を知っているからそう思うだけかもしれない。ここでのことを忘れることも出来るわ。そうすればあなたはただの中学生として生きることが出来る、平和な世界で」

「トウジを傷つけることも無く、カヲルくんを殺す必要もない世界?」

「あなたが望むならば。記憶を持ったままやり直すことも可能よ。今までの後悔をすべて取り返して、何も過ちを犯さないようにすることもできる」

「あんなふうに世界が壊れなかったって、そうすることもできるんだね、僕が望めば」

「そう、あなたがそれを望めば」


シンジから目を逸らさずにレイは頷いた。


「・・・・はじめましょう。さあ目を閉じて、心を私に委ねて」









「座席のベルトを締めて。ここから脱出するわよ」

レヰの声が響く。

「ここからって、この船でですか?」

応えるのは少し焦り気味の加持の声。ミサトやリツコはぐったりとしてイスに座っている。リツコはまだ目覚めていない、ミサトは眠っているようだ、鎮痛剤の副作用だろう。

「ええ、上への通路を通って出られるはずよ」

「スクリューじゃあ空は飛べませんよ」

ターミナルドグマのLCLに浮かんでいた一艇の軽軍艦、レヰに促されるまま乗り込んだがそれがどんな意味を持つのか加持には見当もつかない。

ミサトやリツコを座席に固定しながら、レヰがコンソールを操作するのをただ眺めているだけだ。ここまで来たら彼女にまかせるしかないと分かってはいるが。

「バスターランチャーの応用でね、推進源はちゃんとあるわ。たとえ宇宙でも有効なのがね」

「・・・・じゃあ、この船にはS2機関が使われてるんですね。しかし、地下にこもってこんなものをつくってたんですか、あなたは」

思わず加持は呆れた声を出した。張り付いていたはずの自分がぜんぜん気がつかないうちにこれほどおおがかりなものを造っていた、そのことが信じられない。
どう考えても一人では無理だろう。

「実際に造ったのは冬月先生よ。私は内部の設計をしただけ。もとに使われた船は南極に行った時に貰ったんだけど」

「副司令も噛んでたんですか。そうでしょうね」

ゲンドウや冬月なら確かに秘密裏に造ることは可能だったろう。

「自分が乗ろうとは思わなかったみたいだけど。あの人たちの目的は別にあったから」

「でもいくら密閉されてても、それだけで大丈夫なんですか?」

「このコクピットはエントリープラグと同じ。外見は軍艦だけど、構造はむしろエヴァに近いわ、リリスの分身たる、初号機や零号機にね」

レヰの言葉にようやく合点がいったように加持が頷いた。十字に輝く光に溢れた地表を写すモニターを眺めながら。

「・・・だから俺達は無事でいられるんですね、リリスの力から」

「毒をもって毒を制すよ。永遠にここで暮らすってわけにはいかないけど」

「じゃあアレは、サードインパクトはいずれ終わると」

「全ての魂が集約されたら、次の変化が起こるでしょう。それまではこの船で生き延びないとね」

「まさに方舟ですね。乗っているのが善なる者とは言えませんが」

少し自嘲気味に加持が微笑む、それにレヰも微笑みで応えた。

「真実を求める者こそ、生き残るのにふさわしいわ。あなたやミサトちゃんのようにね。だから今、この『ウィル』に乗っている」

「ただの巡り合わせですよ。・・・しかしその名前はどこから来たんですか?」

「そういうお話があったの、セカンドインパクトの前に」

レヰの黄色い瞳が、一瞬遠くを見るように焦点をぼやかす。その顔には少し寂しそうな影が宿っているように見えた。

「遠い星でのことを伝えたおとぎ話、そこにでてくる船の名前よ。「未来」へと人々を運んだ方舟のね」

「・・・・・・」

「だからたいした意味はないわ。あるとすれば、そうね郷愁みたいなものかしら」

「郷愁?」

「ええ、過ぎ去ってしまった日々、もう帰らない時、でも、そこには確かに若かった私が心を振るわせた物語があった。それを忘れたくないだけ。・・・ほんとに年寄りはいやね。・・・・・・さあ、時間がないわ、行くわよ」

照れたような笑顔と共にレヰが言ったのを合図に、大きな衝撃が走った。轟音と共に4人を乗せた船がゆっくりと動きだす。浮遊感とともに。

かつてカヲルや弐号機が通った地上へとつながる通路、そこを昇っているのだろう。いや、成層圏を出て無重力下にある現在、昇っているという表現は正しくないのかもしれないが。

「でも、これじゃあ『ウィル』というより『ヤマト』だわね」

独り言のようにレヰが発した呟きの意味は、加持には分からなかった。

























カーテンの隙間から日差しがこぼれてくる。

シーツを頭まで被りながら、シンジは微睡みの中にいた。

既に目は醒めている、しかし意識はまだもうろうとしたままだ。

何か夢を見ていたような気がする、そのせいだろうか、いつにもまして頭が重い、もやがかかったみたいだ。

目覚ましが鳴り響く。手を伸ばし止めるとそのまま引き寄せ時刻を見た。

もう起きなければならない時間だ。


何のために?


ふと疑問が頭をかすめる。なぜそんなことを思ったのかわからない。今日は平日だ、学校に行かなければならない。あたりまえのことだった。



「おはよう、父さん、母さん」

「おはよう、シンジ。はやくご飯食べちゃいなさい。もう時間ないんでしょう?」

目覚ましを止めてからも意識ははっきりとせず、結局数分間余計な時間をついやしてしまった。
ようやく着替えをすませ起き出して来たシンジに、台所のユイが顔だけこちらを振り向いて挨拶する。
テーブルの上にはすでに食事の準備が出来ている。ゲンドウは新聞を読みながらすでに先にはじめていた。その顔には赤いサングラス、これもいつものことだ。

なぜ父は家の中でもサングラスを掛けたままなのか、その疑問はあったがシンジは問いただしたことはなかった。まともに答えてくれそうも無いし、たいした理由があるとも思えない。

「うん、だから今日はいいよ。パンだけ貰うね」

そう言って左手で一枚のパンをつまむと、それを頬張りつつ急いで玄関に向かった。
すでにかばんは右ひじで抱えている。

「いってらっしゃい」

「うん、いってきます」

後ろから掛けられた声に軽く挨拶を返し、シンジは表へと走り出た。



「おはよう、シンジくん」

玄関前で佇む少年が微笑む。待たせてしまったようだ。

慌ててパンを嚥下する。

「お、おはよう、カヲルくん。ごめん、寝坊しちゃって」

「いいさ、まだ余裕はあるからね」

朝食を抜いた分だけ時間は節約できた、いつもより遅いが遅刻の心配はないだろう。

並んで歩きながら中学校へと向かう。

マンションの隣の部屋に住む少年、渚カヲル。シンジは幼い頃からこの街に住んでいるが、彼が来たのはつい最近だ。もっともシンジも今の家に移ったのはマンションができてからだからそれほど昔ではないのだが。
それまではもっと両親の仕事場に近いところに住んでいた。前よりも広くなったとはいえ勤務先が遠くなったとゲンドウがよく愚痴をこぼしている。
カヲルと同居している伊吹マヤという女性は彼の遠縁にあたるそうだ。彼女の勤務先はユイやゲンドウと同じく人工進化研究所。このマンションが持ち家ではなく社宅のようなものだから、関係者なのは当然かもしれない。

銀色の髪と白い肌、そして紅い瞳を持つカヲルを最初にマヤから紹介された時、その特異な、しかし美しい容貌にシンジはしばらく言葉を失い、ただ見つめ続けることしかできなかった。
どうしたんだい、そう問いかける彼の微笑みに初めて、自分の失礼さに気がついたが。

ともあれシンジは数カ月前にカヲルと出会い、何かと面倒をみているうちにみるみる親しくなった。
誰にでも優しく、そして好かれているカヲルだが、彼もシンジと特に仲良くしてくれる。一部ではおかしな噂も立っているようだ。

「今日は転校生がくるんだってね」

「楽しみかい?」

「う〜ん、どうかな」

今の生活に満足はしている。どうせなら可愛い女の子ならいいという気持ちは否定しないが、同じクラスにカヲルがいる以上、自分になびいてくれることは考えにくかった。
突然現れた転校生と恋におちるなど、物語の中のことのようにしか思えない。
それでもカヲルと出会えたように、新しい友人が増えるのはいいことなのだろう。

「この街も首都移転が正式に決まって、どんどん人が増えるからね。これから転校生も増えるさ」

「みんな馴染めるといいね」

「優しいね、シンジくんは」

「そ、そうかな」

たわいもない会話。そうしているうちにもう中学校の校門は目の前に迫っていた。




「おはよう、シンジ」

「おはよう」

「おはよう、渚くん」

クラスメートたちが教室に入った二人に声をかける。

「なんや、また夫婦で仲良く登校かいな」

「だ、誰が夫婦なんだよ」

「渚が来てからシンジ俺たちに冷たいもんな」

シンジの幼なじみ、トウジとケンスケが軽口を言う。別に悪意があるわけではない。じゃれるようなものだ。

「妬いてるのかい?」

「カ、カヲルくん」

「冗談だよ。・・・・ああ、もう先生がくるね」

微笑みながら話すカヲルの言葉を合図にしたように、教室のドアが開いた。皆が一斉に自分の席へと戻っていく。シンジも慌てて席へとついた。

「はいはい、早く席につきなさ〜い」

シンジのクラス、2−Aの担任、葛城ミサトの陽気な声が響く。いつもと変わらない、朝の情景。 だがその日は少し違った。

「喜べ男子!! 今日は噂の転校生を紹介する!!」

ミサトが指し示した先には一人の少女がいた。

蒼い髪と紅い瞳、透きとおるような肌。思わず教室中の皆が息を飲む。

「・・・・綾波レイです。はじめまして」

さほど社交的ではないからだろう。緊張した様子でおずおずと話す。それでもかすかに見せた微笑みに、シンジは目を奪われていた。







「シンジ、なにぼおっとしとんねん」

「シンジくん、食事にしないのかい?」

トウジとカヲルの声を間近で聞き、シンジはわれにかえった。顔を上げれば自分の机の周りを3人が取り囲んでいる、どこか呆れた顔をして。

「最近おかしいよな、お前」

「そ、そうかな」

訝しげなケンスケの言葉に生返事をする。

「まあ、いいじゃないか。早く売店に行こう」

「そやな、急がんとパンが全部売り切れてまうわ」

「う、うん」

急かされるように立ち上がりながら、シンジの視線はまたもとの場所に戻っていた。窓際で外を見ている一人の少女のところに。

蒼い髪が日の光に反射して、そこだけ空気が違うように感じる。

机の上には小さなお弁当箱、周りには誰もいない。転校してきて一月、まだ友達はできていないようだ。別に苛められているわけではない。その雰囲気にどこか近寄りがたいものを感じているのかもしれない。

いつも一人だからだろうか、シンジは彼女をみているとどこか放っておけない気分になる。
けれどもきっかけもなしに声をかける勇気も持てなかった。

「シンジくん、どうしたんだい?」

「あ、ご、ごめん」

カヲルの声に慌てて駆けだす。その先では友人3人が苦笑して待っていた。見透かされてるような気がして、シンジは少し恥ずかしくなった。





「シンジくん、聞いたわよん。綾波さんにラブラブなんだって〜」

「ミ、ミサト先生やめて下さい。だ、誰がそんなことを」

「みんな言ってるわよ。鈴原くんとか相田くんとか」

あの二人はミサトファンクラブの筆頭だ。ゴシップ好きの彼女の気をひくために、おもしろおかしく脚色して話したに違いない。
ここはまだ学校の廊下であたりに人が少ないからいいようなものの、今、ミサトにクギをさしておかねばLHRの議題にされかねない。退屈しのぎになにをするかわからないようなところがミサトにはあるのだから。

「ち、違いますよ。だいたい綾波とは話をしたこともないですから」

「そう・・・忍ぶ恋ってやつね。でもそんなに引っ込み思案だと取られちゃうわよ。こないだも渚くんと綾波さん、親しげに話してたもの」

「カ、カヲルくんが?」

「男らしくバーンとがんばんなさい、じゃあね」

笑いながら去っていくミサトを見ながら、しかしシンジの顔は青くなっていた。





学校の帰り道に遠回りをして寄った公園、その見晴台の手すりにもたれてシンジは街を眺めていた。ここからは箱根の山々の稜線がくっきりと見える。
遷都計画とはいっても首都機能の一部を移設させるだけのことだ。だからここから見る街はまるで箱庭のようで、今も日本一の都市である東京などとは比ぶべくもない。

中心部にそびえる十数本の超高層ビルと周辺部の田園風景がなにかアンバランスだったが、シンジはここから見るこの街の姿がとても好きだった。

「・・・・・やっぱりかなわないよね」

思わず溜め息をつく。
男らしくとミサトにはいわれたものの、カヲルと争って勝てるとは思えなかった。

顔が綺麗なだけではない、勉強優秀スポーツ万能、そして人当たりも良く誰からも好かれるカヲル。
まさにスーパーマン、なびかない女子などいないだろう。

それに彼はシンジの一番の親友と言っていい存在だ。カヲルに彼女ができたのなら、それは祝福すべきことなのだと思う。

相手がレイでなければ。

ほとんど話をしたこともない彼女に、なぜにこうも惹かれるのか、シンジにもわからない。

あの容貌のせい?

綺麗な声やしぐさ?
彼女が持つ不思議な雰囲気?

その全てが理由であり、そのどれもがそうでない気がする。


ただ、綾波レイの、彼女のそばにいたい。彼女の声が聞きたい。彼女の・・・・全てが欲しい。

想いが胸から溢れだしてくる、押し止めることもできないくらいに。

けれどそれは叶わぬ願いなのだろうか?


「綺麗な景色ね」


思考の底に沈んでいたシンジに、不意に声がかけられた。

思わず振り向く。そこには蒼い髪の少女がいた。


「よく来るの? ここには」

「う、うん・・・・」

「ごめんなさい、邪魔だった?」


呆然としてこちらを見ているシンジに戸惑ったのか、レイの口調が少し申し訳なそうなそれに変わった。


「う、ううん、そんなことないよ。全然」

「そう、良かった」


安心したのかシンジに並ぶように手すりに掴まり、レイが街の景色を眺める。ショートカットのその髪が風になびいている。

初めてすぐ近くで見るレイの横顔、緊張してもいいはずなのに不思議と気持ちが落ち着いている自分をシンジは感じていた。
女生徒と会話したことすらほとんど無いのに、なぜかこんなにも心がやすらぐ。

相手が彼女だからだろうか。


「この街は好き?」


街の方を見たまま、レイが訊ねた。同じように街の方を向き、シンジが答える。


「うん、好きだよ」

「この街の人たちは?」


今度はシンジの方を向きレイは訊ねた。


「そうだね、みんな優しくていい人ばかりだから。父さんも、母さんも、近所の人たちも、学校の先生も、友達も。・・・・だからみんな好きだ」

「そう、よかったわね」


レイの目を見ながらシンジは答えた。彼女の紅い瞳はとても優しく光り、シンジを見つめている。


「君は・・・・綾波はどうなの? この街は気に入った?」

「・・・・よくわからないわ。・・でも、本当はあまり好きじゃないのかもしれない」

「・・・・・そうなんだ」

「でも・・・・好きになれそうな人はいるかも」


その言葉に、少しだけシンジの胸が痛んだ。


「カヲルくんのこと?」

「カヲル・・・・渚くんのこと? いいえ、違うわ」

「それじゃあ・・・・」


それは誰なのか、そう問いかけようとして言葉につまる。いくらなんでも不躾すぎるだろう。
レイは不思議そうな顔でシンジを見ている。どこか悪戯っぽい目をしているようにも思える。


「どうしたの?」

「いや、いいんだ、ごめん」


ではさっきレイが言ったのはシンジのことだろうか。
今日始めてまともに話したのだ、それは自惚れがすぎるだろう。
だいたい彼女が言っているのが彼氏や恋人とは限らない、女性の友人のことかもしれないではないか。


「ねえ、この街のこと、もっと教えて」

「うん、いいよ。今からでも案内するよ」


シンジの答えにレイが微笑んだ。転校して来たときの強張ったものではない、シンジにだけ向けられた笑顔で。


「お願いね、碇君」


予感がする。

彼女はシンジの一番大事な人になる。

これからもずっと。




『!!』




その時、誰かがシンジの頭の中で叫んだ。


「えっ?」

思わず額を押さえる。錯覚だろうか?

「・・・どうかしたの?」

レイが訝しそうな顔で見ている。彼女には聞こえなかったようだ。

「ご、ごめん、なんでもない・・・」

しかしその言葉とは裏腹に、頭の中の声は大きくなっていった。



『チガウ!!』



その声は怒りを含んでいるようにも思える。シンジを内側から壊すような叫び。

「ど、どうしたの? しっかりして」

頭を抱えうずくまるシンジにレイが驚き駆け寄る。

しかしもう応える余裕は無かった。



『ソウジャナイ!!』



視界が白くなる。レイの気配が感じられなくなる。

頭蓋の中で響く叫びに抗うように髪を掻きむしったとき、シンジは初めて気づいた。自分が今までずっと右手のひらに握っていたものに。


血に染まったミサトの十字架に。


そして分かった。これが誰の声なのか。



これは・・・・シンジ自身の叫びだった。









羽根を広げたリリスに守られながら、黒き月の中に紅い光の粒が吸い込まれていく。それに比例するように地表に生まれる十字の光はその数を増やしていった。

その周囲を囲んでいたエヴァシリーズ達は、まるで己が生命を絶つように手に持った槍を自らのコアに突き刺し、活動を止めて宇宙をただよっている。

弐号機だけが、その光景を見守っていた。

そして地表の紅い光が全て吸い込まれたように見えたその時、リリスの首が裂け、そこから血のように紅い液体が吹き出した。

力を失い、静かにその身を横たえていくリリスの瞳からロンギヌスの槍と共に初号機が現れ、金色に輝く12枚の羽根を広げる。

初号機に呼応するように黒き月が紅い塊となって弾け、リリスの血と混じった紅い光は地表へと降りそそいだ。

世界を染めるように。













巨大な月、そして地球。その二つの星の狭間にあるオレンジ色の空間。

そこに二人はいた。

何もその身につけていない、生まれたままの姿で抱き合う、シンジとレイの二人。





「どうして?」


「あれが僕の望んだ世界だというの?」


「そう、あなたが守ろうとしたあの街で、あなたの知る全ての人たちが幸せに生きる。そうでしょう?」


「うん、僕は確かにそれを願っていたのかもしれない」


守れなかった街。最後まで理解し合うことの出来なかった両親。助けられなかった人たち。
レイとすごす穏やかな生活。
全ては失われ、そして求め続けたものだ。


「あなたが願ったから、あの世界が生まれた」


「僕の夢の中の世界だね。」


「いいえ、あそこにある全ての物を、あなたはその目で見てその手で触れその肌で感じることができる。それは現実そのもの。今、この時こそが夢かもしれない」


「また、あそこに戻ることができるの?」


「あの世界は壊れてしまった。けれど、また創ることはできるわ。何度でも」


「そうなんだ。でも、もういいんだ」


「どうして? 元の世界に帰りたい? あなたが願うならそれでもいい」


「全てが失われたところ、でもそここそが僕の現実なのかもしれないね」


手の中の十字架を見つめる。必ず帰るというミサトとの約束の証。
己の夢の中に埋没したシンジを、彼女は許してはくれないだろう。


「あそこには葛城三佐もいるわ。あなたを待っていると思う」


「だけど、綾波はどうなるの?」


「あなたが望めば、私も一緒に行けるわ」


静かに言うレイの瞳をシンジは見つめていた。
それを望まないことなどありえない。レイとともに生きられるなら、どんな世界でも自分は耐えられるだろう。

そこにレイがいれば。


けれどシンジはゆっくりと首を振った。


「でもそれは・・・本当の綾波とは、別の存在だよね」


「・・・いいえ、私は、私よ」


少し顔を強張らせレイが言う。シンジを見る表情は氷のように冷たく変わっていた。


「今僕の目の前にいる君も、さっきの世界で出会った君も、どちらも違う。僕には分かるんだ。みんな綾波自身が造ったものだと。まったく同じかもしれない、でも『違う』存在だって」


「どうしてそう思うの?」


「分からない。でも、そう思えるんだ。 あの白い巨人を見たときに綾波だと分かったように」


「人の形をしていなくても?」


「形じゃないんだ。髪の色でも、瞳の色でもない」


「じゃあなに? 何を元に私だと決めるの? あなたには本当の私が見えているの?」


そう言いながらレイの身体が少しずつ形を失っていく。オレンジに染まった周囲の風景に溶けるように消えて行く彼女は、とても哀しい目をしていた。

やがてそこにいたはずの綾波レイはいなくなった。シンジただ一人を残して。

けれどもシンジは虚空に向かい語りかけ続けた。


「今なら、僕には分かるよ、綾波」



「君がたとえ人ではなくても、たとえ滅びをもたらす使徒だとしても、僕には君が必要なんだ」



「綾波といること、それだけが僕の本当の望みなんだ。他には何もいらないんだ」



「声でも肉体でもない、君の心と、君の魂と触れていたいんだ」



「だから、お願いだから僕と一緒にいてよ! もう、僕の前から消えたりしないでよ!!」


涙声になりながら、シンジは叫んでいた。
目の前に浮かぶ月に向かって。


「ずっとそばにいるって、そう約束したじゃないか! 綾波のいない世界は、僕はもう嫌なんだ!」


「たとえみんなが幸せになっても、他に僕を好きだと言ってくれる人がいても、そんなの意味無いんだ。だから、だから・・・・・」



『あの世界にいたのも、綾波レイよ。その一つのかたち』


レイの声だけが響く。


『そして元の世界に帰ったとしても、そこにはちゃんと綾波レイが存在できる。普通の人間として、あなたと共に生き、あなたの子供もつくれるわ』


「でも、それはただの似姿だよ、君じゃないんだ」


『あなたがそう思いこんでいるだけかもしれない。受け入れさえすれば、あなたは幸せになれるのよ』


「ねえ、僕が元の世界を選んで、君が造った綾波と暮らしたら、君はどうなるの?」


そのシンジの問いかけに、とまどうような沈黙が流れた。


「さっきの世界でもそうだよ、僕があの綾波と過ごしてる間、君はいったい何をしているの?」


『・・・知る必要はないわ』


「綾波はそれで平気なの? 僕を見てるだけで、それでいいの? いつか僕が死んでこの世からいなくなってもそれでも耐えられるの?」


『私は人ではない。人の心を持たない存在。アダムの呪いを解き新たに生まれ変わろうとするこの星を最後まで見守る義務があるの。だから・・・』


「僕も一緒にいるよ」


『・・・ダメ』


「僕は綾波の、君のそばにいるよ。たとえ世界を捨てても。・・・人でなくなっても」


『それは・・・出来ないわ。してはいけないことなの』


「いいんだ。それが、それだけが僕の願いだから」


『碇君・・・』


「一緒にいよう、綾波」



シンジは右手を伸ばした。

月に向かって。

答える声は無い。何も聞こえない。

永遠に続くような沈黙があたりに漂う。


けれどシンジは信じていた。

二人が出会い、共に過ごしてきた時は、この日のためにあったのだと。

運命などではない。

他の誰でもない『綾波レイ』を選ぶことこそが、今の自分には「必然」なのだと。






空気が動く、そして確かに感じる、彼女がそばにいることを。

シンジの手のひらが何も無い空間を掴むように動いた瞬間、そこから徐々に彼の身体は形を失っていった。



「ありがとう」



小さな呟きと共に、やがてシンジの姿もまた、その場から消え去った。


月と地球が揺らめいている、誰もいなくなってしまったオレンジ色の世界。


後にはただ、紐の切れた十字架のペンダントだけが残されていた。














赤い海。地面を覆う十字の光は少しずつ消えていっている。

光の中心には倒れて首がもげた白い巨人。それを金色の機体が見おろしていた。

「レイちゃんは死んじゃったの?」

「あれは世界の卵だったんだ。全ての魂を集約してその中に世界を宿そうとしていた。いずれこの星を包めば、そこが現実になったろうね。シンジくんが望んだ世界が」

「でも、壊れていくわ」

「シンジくんが選んだのは自分のための世界を創ることではなかった。だからあの身体はもう必要無くなったのさ。集められた生命の種はまたこの地に蒔かれている。もうアダムの呪いは消えたからね、ここにできる世界は誰のものでもない、すべてのくびきから解かれた新しい場所になるはずだよ」

「じゃあ、あれはレイちゃんじゃないの?」

「ああ、すでにあそこに彼女の魂は無い。シンジくんも初号機には乗ってないよ」

「どこにいるの? 二人は」

「・・・・どこにもいない、とも言えるし、この星そのものが彼らだとも言える。答えるのが難しいな。でも、シンジくんは叶えてくれたよ、僕の願いを。彼と出会えて本当によかった」

「カヲルくん・・・泣いてるの?」

「そうだね、そうかもしれない。・・・ねえ、マヤさん、今ならまだ戻れるよ。赤木リツコさんや、みんなの所へ・・・」

「・・・・ううん、いいの。このままで、いいから」

「・・・そうなのかい。なんだか無理やりだった気がするからね」

「私が望んだから、でしょ? だから幸せよ、とても」

「ありがとう・・・それじゃあ、僕らは行こうか、僕らだけのエデンを探しに」





































かつて海は青かった、そして空も。

今はすべてが赤い、これは彼女が流した血の色なのだろうか。


水平線を遮るように浮かぶ、巨大な白い顔。

最初に見たときよりも崩れてしまっている。それ自体がもつ重みに耐えられなかったのだろう。

それでも、その顔はまだ微笑んでいるようにみえた。

綾波レイ。

ほんの短い期間、一緒に暮らしたこともある。透きとおるように華奢な身体と、何者にも流されない強い心を持った少女。

けれどいつも何かに怯えていたようにも思える。

あの白い巨人が彼女の本当の姿だというなら、彼女が怯えていたのは、自分自身にだったのだろうか。


使徒ではない。レヰはそう言っていた。使わされたものではなく、レイは神そのものであると。


だからといって身近にいたあの少女とすぐに重なるわけでは無かったが。


「・・・・・結局、私は何もしてあげられなかったのね」

「・・レイちゃんのことかい?」

沖に浮かぶレイの顔を見ていたミサトの呟きに、少し離れて立っていた加持が答える。

赤い波が打ち寄せる浜辺、他には誰もいない。

「レイにも・・・・シンジくんにも、よ」

「そんなことはないさ」

なだめるように加持が言う、何度もくり返された会話。たぶん一生続くのかもしれない、あの二人が帰ってくるまで。

こうして折りをみては探しに来るのも、すでに習慣化していた。

この赤く染まった世界は新生の証なのだという。セカンドインパクトで定められた滅びを超え、新たな生命が生まれくるためのものだと。

煉獄。

この赤はその炎の色なのかもしれない。

放っておいてもいつかまた生命はこの星に溢れる。これからレヰとリツコはその手助けをするそうだ。

レヰの力でネルフ本部以外の全てのマギは今も機能している。
ゲンドウの子供をその胎内に宿していたことが分かったからだろうか、リツコも今は立ち直っていた。

最高峰とも言える二つの頭脳が残っているのだ、だから人類が蘇るのはそう遠いことではないのだろう。
一度はこうして溶けてしまい、全ての自我を失ってしまっている、だから同じ人間として再生させることはできないそうだが。

だが、それはたいした問題ではないのかもしれない。
かつて生きた時と形は違うとしても、同じ魂を持った存在として生きるなら、それは死ではないのだから。

けれども、失われた人たちと再び逢うことはできない。
依代となったシンジなら望みさえすれば帰ってこれる、レヰはそう言ったが、それもすでに気休めでしかないように思えた。


「・・・私たちだけが、こうしてここにいるのね」

「後悔してるのかい?」

「・・どうかしら。ずっと追い求めていたものに、全ての真実に手が届いたのは確かだけど、それでも・・・」


その代償として失ったものはあまりに大きい気がした。

すぐそばには加持がいる。寂しいわけではない。 
だが、ミサトが送り出した唯一の家族は、かけがえのない人だったのだ。

彼を犠牲にしてしまったのなら、そこに救いなど無い。


「赤木博士が言ってただろう? 俺たちは礎になればいいんだって。古い世界を知るものとして、その記憶を次代へと受け継がせる、それが役割だって」

「・・・・だから生きなくてはならないのね。碇ユイさんが、初号機の中で生きているように」

「初号機は地球が滅びても生き続ける。そこまで重たいものは背負えないよ、俺にも」


弐号機と初号機、2体のエヴァは宇宙に去ってしまった。もうこの星にはいない。
弐号機の行方はわからないが、初号機は月と地球の間を漂っているらしい。
補完の依代となったシンジが乗っていないことはすでにレヰによって調べられていた。

だから乗っているのはユイの魂だけのはずだ。
レヰが今のユイと交信できたのか、できたとして何を話したのか、それは教えてはもらえなかったが。

レヰから聞いたユイの目的、それは一人の人間として抱えられる範囲を超えている気がミサトにもした。
永遠の時間を生きることなど、耐えられるものではないだろう。


「碇ユイ・・・・どんな人だったのかしら」

「俺も会ったことはないけどね。赤木博士やりっちゃんに言わせれば、シンジくんに面影は似ていたそうだよ。今思えば、彼女が全ての中心にいたんだな」

「彼女を追うために司令はネルフをつくり、彼女を超えるためにナオコさんはサードインパクトを乗り越えようとした。そして・・・・彼女が消えたから、シンジくんはレイを選んだのね、きっと」


少し自嘲めいた口調で呟きながら、ミサトは空を見上げた。なぜだか涙が溢れそうになったから。


「私は結局あの子の母親になれなかったから。だから繋ぎ止められなかった。司令が求めた場所で、レイが創りだす幻の世界の中で、あの子は生きているのよ。だから帰って来ないのよ」

「葛城・・・」



視界がぼやける。

頬を涙が伝う。

やるせない想いをとどめることができず、声も無くミサトは泣いていた。





その時、空が光った。



流れ星のように微かで、蛍のように儚い光。

それがゆっくりと降りてくる、ミサトの元へと。


呼んでいるような気がして、思わず手を伸ばした。

指の先に何かが触れ、そして掴んだ。


十字架のペンダント。


シンジに渡したあの時のままの。



「そう、そこにいるのね、シンジくん・・・」



ペンダントを胸に押し抱きながら、ミサトは呟いた。

確かに見上げた先にシンジがいた、声が聞こえた気がした。

今までもずっといてくれたのだろう、ミサトのすぐ近くに。

レイと二人で。




「葛城・・・大丈夫か?」

いつまでも泣きやまないミサトに心配したのか、加持が言う。その言葉にミサトはようやく我に返った。

「ごめん、ちょっちナーバスになってたみたいね、今日はいろいろあったから」

涙を拭きながらミサトは言った。その顔には笑みが戻っている。

「いろいろって? そういえば今朝赤木博士と何を話してたんだ」

「たいしたことじゃないわ。・・・ただ、もうすぐ人間がまた一人増えるってそのことについてね」

「・・・・おい、それって」

「これからもっと大変よ、お父さん」

自分の首にペンダントをかけながら、ミサトは加持に微笑んだ。

そして再び空を見上げた、赤く染まる異形の空を。



去っていった人たち、消えてしまった人たち、

二度と戻らない昨日。

けれどまた、新たな生命は生まれてくる。
ミサトの中にはその息吹が確かに芽吹いている。


だから何も失われてはいないのだ。


世界がどう変わっても、命ある限り未来へと進まなければならない。

託された想いを乗せて。


なぜ生きているのか、それはきっと永遠に分からない。

だけどこれからも前を向いて生きていこう。


レイとシンジが創ったこの世界で、

ふたりの祝福を感じながら。










〜fin〜









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katu@osaka.104.net



解説:

以上最終話、これでSRは完結です。
平成10年の11月に競作SSとして「決戦!箱根温泉」を投稿してから1年以上、間に休憩もはさんでいますが、長い連載もようやく終わりのときがきました。
最初はここまでくるなんて全然考えていませんでしたが。

ラストについて作者的には納得してますが、ひとつだけ「ウィル」について。
いささか唐突だったような感じもありますね。一応ネタ振りというかあそこに艦船があるって描写は零号機が槍を使う回で少しだけしてたんですけども。
リリスのそばに浮かぶ船の存在自体は映画でもでてましたから、脱出用に使うとは誰も思わんかったでしょうけど(^^;
やはり反則かな。(^^;;;
でもホントはあの船何につかうものだったんでしょうね。


応援してくれた方々と、この作品の発表のきっかけをつくってくれたぴぐさん(旧名)に多大な感謝を述べさせていただきます。
本当にありがとうございました。
ここからSRとしてはシンジとレイの話が続くことはないでしょうが、外伝が書けたならまた発表させていただくかもしれません。


読んでいただけた方には感想、質問、指摘、批判など送っていただければ幸いです。

あ、最後に一言、この作品は映画や他作品を否定、批判するのを目的につくられたものではありません。念のため。
統一的なテーマは「愛」でした(^^;。
シンジとレイだけじゃなくて。だからゲンドウやミサトたちのこともちゃんと書けて良かったです。
それでは。



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