「やっと、捕まえたわ」
「・・・・・何をしに来た。弐号機パイロット」
「5年ぶりのセリフがそれ? 再会を喜ぶ言葉は無いの?」
「ドイツに行ったのはお前の意思だ。挨拶が目的か」
「直接会って話がしたかったから。ここには耳はないわね?」
「・・・ああ」
「5年前とは違うわ。あなたのしようとしていること、全部わかっているつもりよ。老人たち以上に」
「それで?」
「マギとアレがある限り、私は無敵。それを忘れないことね」
「マギは彼女の管轄だ。勝手にできると思わない事だな」
「・・・あなたの手中にある。そういうことなの? ・・・代りにあなたの息子を貰おうかしら」
「刷り込みはもう済んでいる。お前にはなにもできんよ」
「・・・レイのこと? あの子は私を恐れているわ。何の障害にもならないと思うけど」
「・・・・・・5年前と同じだ、なにも分かっていない」
「・・・まあいいわ。とりあえず、もう利用されるだけってわけにはいかないわ。娘も含めてね」
「それは彼女の意思かね?」
朝。
ここ、葛城家では、シンジが食事の支度をしていた。
トーストにミルク、そしてサラダに目玉焼き。ちょっとしたものだ。
すっかり、主夫が板についてしまっている。
この家の主は、まだ眠っている。ネルフの勤務形態がかなりイレギュラーなため、朝寝や夜更かしは日常茶飯事なのだが、食事の時はできるだけ顔をあわせるようにしている。だからもうすぐ起きてくるだろう。
ようやく準備が終わる。同居人を起こそうとエプロンを外したところで、彼女がダイニングの入り口で佇んでいるのに気がついた。
「おはよう、綾波」
「・・・おはよう」
レヰとの一件以来、レイはここで暮らしていた。
レイの怯えた様子から、一人部屋に帰すことが、シンジにはできなかったのだ。
ミサトにはとりあえず事情を話した。断られれば自分がレイの家に行くつもりだったのだが、レヰの名前をだすと、意外なほどすんなり了承してくれた。もちろん、中学生にあるまじきことをしない、という条件つきだったが。
さらに意外だったのは、ゲンドウもそれを認めたということだ。シンジが思っていたほど、レイのことを気にしていないのかもしれない。
二人がテーブルにつく。そこにミサトもやってきた。三人で食事がはじまる。ペンペンも床で食べている。
ミサトがレイを見る。今まで、あまり話すことはなかった。同居をして数日、今も特に会話はない。家族といった感じはしない。
しかし、なにか儚げなその様子に、シンジが好意を抱いている理由が分かる様な気がした。「レイ、うちには慣れた?」
ミサトが問いかける。シンジがレイを見る。
「・・・はい」
「わからないことがあったら、お姉さんにきいてね」
そう言いながら一気に缶ビールを飲み干す。勢いよく熱い息を吐き出す姿に、レイの目が丸くなる。
ミサトの心遣いを嬉しく思いながらも、レイが染まるのではないかと、シンジは少し不安になった。
「どうやって生きていたの?」
リツコの研究室。コーヒーを飲みながら、傍らの少女に尋ねる。
「・・・私が殺したのがあの子だったから。それしか考えられないわね」
黄色い瞳の少女が答える。自分の娘を見つめながら。
「あの子が死んだ後、あの子の魂は今の身体に飛んだわ」
「じゃあ、母さんは?」
「私が死んだのはその直後。おそらく、その時、取り込まれたのよ。最初のレイの身体に」
リツコの目が大きく開く。
「そんな、馬鹿な・・・」
「・・・目の前に私がいる、それだけが事実よ。ただ一つだけいえるのは、この身体はリリスがベースになっている。特別な力があっても不思議ではないわ」
「事実だけを見据え、思い込みを排せよ、か。昔、よく言われたわね」
レヰが微笑む。
「そうじゃなきゃエヴァの開発なんてできなかったわよ。ミサトちゃんにはまだ言ってないんでしょ?」
「言えるわけないわ。レイのことは話せないもの」
「レイ・・・・あの娘も変わったわね」
リツコがコーヒーを飲み干す。少し苦い顔になる。
「・・・・ここ最近よ。ちょっと前までは人形そのものだったわ」
「シンジくん・・・あの子の力かしら? よくあの人が放っておくものだわ」
「司令の考えは・・・・私にも分からないわ」
レヰの目つきが一瞬鋭く変わる。しかし、リツコはそれに気付いていなかった。
「それで、どうしてドイツに行ったの?」
「マギが完成した以上、ここでの仕事はほとんど無かったから。あなたもいたしね」
「私が?」
「ええ。初号機や零号機の開発には、どうしてもあの人の意思が入るわ。私には力が必要だったの」
リツコがレヰを見つめる。視線が厳しくなる。
「なんのための?」
「・・・りっちゃん、忘れては駄目よ。他人に全てをゆだねると、裏切られた時に全てを失うってことを」
そう言って立ち上がる。
「母さん!?」
「今のあなたは5年前の私と同じ。見てなさい、私が何をするかを、今の私にしてあげられるのはそれだけだから」
蒼い髪の少女が部屋から出て、ドアが閉まる。
「母さん・・・何を考えてるの?」
リツコの呟きを聞く者はいなかった。
「なんや、修学旅行に行かれへんのかいな」
「もったいないよな。沖縄なんてなかなか行けないぜ」
昼休み。昼食を食べながら教室で、いつもの3人が話をしていた。
「しかたないよ。使徒がくるかもしれないんだから」
さほど残念そうでもなく、シンジが言う。
「センセも大変やなあ」
「ほんと。まあエヴァのパイロットだもんね。確かにしょうがないか」
そういってケンスケが、もう一人のパイロットの方を見る。
「・・・あれ?」
「どないしてん?」
トウジが問いかける。
「いや・・・綾波が弁当食べてるなんて、珍しいと思ってさ」
「ほんまや、シンジ、知ってたか」
シンジの頬が少し赤くなる。
「うん、ここ何日か、お弁当だったみたいだね」
「ふーん、気がつかなかったな」
「さすが、シンジは、よー見とんなあ」
トウジが茶化した。
「なんだよそれ」
「綾波って言えば、セカンドチルドレンはどうなったんだ? 結局転校してこなかったけど」
シンジの瞳に影が差す。
そしてレヰのことを考えた。レイと同じ顔をした得体のしれない少女。
いや、少女という雰囲気はしない。ひどく年上の人と話しているような感じがした。
・・・・一体彼女はなんなんだろう。
「・・・さあ。ネルフには来てるみたいだけど」
考えに気を取られながら、シンジが答えた。
「女子校にでも通とんのとちゃうか?」
「知らないよ。・・・でも、そういえば、うちの制服着てたような」
「てことは、転校手続きが遅れてるのかな。帰国子女だもんな」
シンジがレイの方を見ながら言う。
「綾波がいるから、他のクラスになるんじゃないかな」
トウジとケンスケも同じ方向を見る。
「そやな、同じ顔が二人もおったらややこしいもんな」
「性格は全然違うけどね」
3人の視線に気付かない様に、レイは黙々と食事を続けていた。
数日後。ネルフ本部作戦会議室。
冬月とリツコはモニターを注視していた。
「やはり使徒かね」
「はい、さきほど浅間山から送られたデータは、パターン青を示していました」
「火口内1,300メートルか、やっかいな所だな」
オペレーターの青葉から声が掛かる。
「浅間山の葛城一尉から、司令あてにA−17が要請されています」
冬月の顔が厳しくなる。
「わかった。葛城一尉には待機するよう伝えてくれ。赤木くん、君も一緒に来てくれ」
「セカンドチルドレンは?」
レヰはこの場にはいない。
「・・・パイロットがからめる話ではないよ」
司令室。
「A−17、うちへの全権委任か。勝算はあるのか?」
ゲンドウの問いかけにリツコが答える。
「現状の、サナギの状態のまま捕獲する事ができれば」
「捕獲手段は?」
「電磁柵の準備は可能です。エヴァにはD型装備を使います」
冬月が尋ねる。
「零号機は改装中だろう。初号機を使うのかね?」
「初号機は使えん。リスクが大きすぎる。弐号機での遂行は可能か?」
少し口ごもってリツコが言う。
「正直、今の弐号機は私にとってブラックボックスです。初期設計の段階では、当然D型装備の装着を予定していましたが、現時点で可能かどうかは・・・」
「・・・どうなんだ? 弐号機パイロット」
ゲンドウの言葉に、リツコが驚いて後ろを向く。そこには蒼い髪の少女。
「バスターランチャーを外せば可能ね」
「ならばやってみせろ」
「司令!!」
レヰが冷たく微笑む。
「でも、刺激を与えれば孵化する可能性の方が高いと思うけど」
「その時は殲滅すればいい」
リツコが割り込む。
「待ってください、司令。やはり危険すぎます」
「・・・わかった、レイを使え」
冬月がゲンドウを見る。
「いいのか、碇」
「かまわん。なんなら赤木リツコ博士、君でもいい」
「な、なにをおっしゃってるんですか?」
そこにレヰの笑い声がかぶさる。
「ほーーーっほっほっほっほっ、やはり気付いていたのね」
「母さん?」
レヰがリツコを見て言う。
「りっちゃん、あなたたちも研究しているんでしょう。レイを使って」
「・・・・まさかダミーシステム? アレに搭載されているの?」
「少し違うわ、搭載されてるのは『ファティマ』よ。わかったわ、レイに乗って貰いましょう。別に誰でもいいんだど、他の人が納得しないでしょうから」
「納得できません!! どうして綾波なんですか!」
「これは決定事項よ」
激昂するシンジに、リツコが冷たく答える。隣に立つレイはなにも言わない。
「レヰさんはどうしたんですか? 彼女の機体でしょう?」
「・・・現在行方不明。保安部が捜索中よ。見つかるのを待っている時間はないの」
「・・じゃあ、僕が初号機で降ります」
「D型装備は弐号機にしか装着できないわ。その操縦には、レヰとパーソナルデータが近いレイが最適なの」
「で、でも・・・」
レイがシンジの腕を掴む。そして静かに言った。
「碇君・・・私が出るから」
「綾波、危ないよ!」
「いいの、大丈夫だから」
そう言って掴んだ手に力を込める。シンジがレイを見つめる。
「・・・時間がないわ。出発の準備をなさい」
割り込むように、リツコが二人を促した。
「レーザー作業終了」
「進路確保」
「D型装備異常無し」
「弐号機、発進位置」
浅間山頂。降下するための準備が着々と進められている。
エヴァ弐号機、ナイトオブゴールドは、耐熱耐圧耐核防護服、いわゆるD型装備に包まれ、降下装置にセットされていた。
まるで宇宙服のようなその外観。
腰についていた二本の剣のうち、一本だけがそなえつけられてある。もう一本は初号機が持っていた。他の武装はプログナイフのみ。
剣が、同じ原理で作られたプログナイフの数倍の威力を持つと知っていても、マグマの中で戦闘するには少し不安がある。
弐号機のエントリープラグの中で、レイは静かに目をつぶっていた。
零号機とは違う。エヴァとの一体感があまり感じられない。
他人の機体に乗るのは初めてだったが、それだけではない。
自分以外の誰かがいる。その誰かを通してエヴァを動かしている様な感覚。
セカンドチルドレン?
いや、違う。恐怖は感じない。見知らぬ存在。
・・・あなた、誰?
「発進」
ミサトの声で意識が戻る。機体が動きだす。迫り来る溶岩。
「綾波、気をつけて」
少年の言葉を胸に抱きながら、レイの心は落ち着いていた。
「深度400・・・・・・450・・・・・・500・・・」
移動指揮車内に、伊吹二尉の声が響く。
ミサトが独りごちる。
「全くレヰのやつ・・・・、でも、どうしてリツコは来ないの?」
「・・深度550、先輩は本部でモニターしています。今、離れるわけにはいかないそうです」
「A−17が出ている以上、マギの監視は不可欠、か」
「何をしているの?」
その声に、蒼い髪の少女が振り向く。
「・・・浅間山に行ったんじゃなかったのね」
こちらを見ている自分の娘に向かって、レヰが微笑む。感情はこもっていない。
「質問に答えて。そこで何をしていたの?」
研究室。端末を操作していたレヰに、リツコが問いかける。
「他の回線はプロテクトがかかってるからよ。上達したわね、りっちゃん」
「母さん!」
「A−17がでると分かってたらドイツを離れるんじゃなかったわね。あそこのマギ3とマギ5を使えば、ここを占拠するのは簡単だったのに」
リツコの顔が歪む。
「あまりなめないで。ここの防御は完璧よ。・・・それで? マギを使って何をするつもりだったの?」
「阻止するのよ。あの人の計画を。マギに全権が委任されている今ならば可能だわ」
「どうして」
「そこに私がいないからよ」
黄色い瞳が妖しく光る。
「何をいってるの、母さん」
「まだ、あなたには分からないわね。・・・どうするの? 私の邪魔をするつもり?」
「・・・・・・・・・私は、あの人を裏切れないわ」
レヰが頷く。
「そう、やはり、あなたも同じ、ね」
そしてゆっくりとリツコに近づく。冷たく微笑んだまま。
「母さん?」
「5年前、ここを離れるべきではなかったかもしれないわね。レイのことは気になってたけど、あなたに手を出すとは思わなかったわ」
そう言って懐から筒の様なものを取り出す。
「でも、私には力が必要だった。あの人のそばにいるためには」
手に持った筒から光が伸びる。棒状になったそれは、金色に輝き、レヰの顔を照らした。
「な、何を・・・」
リツコが思わずあとずさる。レヰが間近に迫る。
「・・・・大丈夫、痛くはしないわ。りっちゃん」
「そこまでです、赤木博士」
リツコが悲鳴を上げようとした寸前、後ろから声がかけられた。
銃口がレヰに向けられている。
「加持くん。あの人の言いつけかしら?」
「・・・それだけではありませんがね。今、ぶち壊しにされたら困る人は大勢いますから」
「老人たちか。あなたもあまり入り込まないことね。出られなくなるわよ」
「ご忠告感謝します」
加持が少し微笑む。しかし、銃口は動かない。
「母さん」
レヰの手に持った筒から光が消える。
「ここまでのようね。レイがアレを動かしている以上、私がチルドレンである必要はないわ」
「どういう意味?」
「用済みってことよ」
レヰがリツコを見る。
「だから、全て壊してやろうと思ったんだけど、邪魔が入ったわね」
そう言ってドアに向かう。
「どこに行くの? 母さん!」
「・・・・嫌がらせよ」
使徒の捕獲に成功し、弐号機はゆっくりと上昇を続けている。
電磁柵に捕らえられた使徒は、繭状のまま、動く様子はない。
いくぶんホッとしてミサトが言う。
「レイ、もう少しよ。頑張って」
「・・・はい」
リールが巻き上げられる。
地上まであと僅か、皆の緊張が解けかけた瞬間、警告音が鳴り響いた。
「どうしたの?」
「孵化が始まっています!」
電磁柵の中で、使徒のシルエットが動きだす。
「柵が持ちません!」
「捕獲中止! レイ、柵を破棄して!」
「了解」
弐号機が電磁柵から手を離す。殻が壊れ、中から使徒がでてくる。
「作戦変更。使徒殲滅を最優先! 弐号機は、撤収作業しつつ戦闘準備」
「了解」
剣を抜き右手に持つ。リールは止まっていない。
下から使徒が迫る。エイのように、マグマを泳ぎながら。レイが身構える。
口を開けて使徒が弐号機を襲う。剣で防ぐ。使徒が弾かれた瞬間を狙って切りつける。わずかな手応え。
「効いてないの?」
「表面を切っただけです。使徒の動きが速すぎます。弐号機がついていけません」
「マグマの中で、まさに化け物ね。D型装備じゃ不利か。引き上げ急いで!」
一瞬使徒を見失う。
地上は近い。上にあがれば初号機の援護も期待できる。
レイが目を凝らす。遠方から近づく使徒が見える。弐号機の周りを回りながら、徐々に近づいてくる。
再び剣を構える。使徒が後ろから迫る。機体の回転が追いつかない。口を大きく開けて、弐号機の死角から襲いかかってくる。
避けられない。その瞬間、使徒の動きが止まった。初号機。使徒に剣を突き刺している。
咄嗟にその腕を掴む。使徒が暴れている。初号機が突き刺した剣で横に割いていく。
使徒が腹部を見せた。左手で初号機を引き寄せ、右手の剣が使徒の核を貫く。
断末魔。
抱き合う様にしている二つの機体から、ゆっくりとバラバラになって使徒が離れていった。
「目標、消滅しました」
「初号機の神経接続切って!・・・・まったくシンジくんも無茶苦茶するわね」
誰かに呼ばれたような気がした。
浅間山の北東、吾妻川沿いにある温泉。
行けなかった修学旅行のかわり、そして使徒殲滅のご褒美ということか、シンジたちは家には帰らずそこで一泊していた。
部屋の明りを点ける。
一人の部屋。
眠っていたわけではない。何か寝つけなかった。やはり戦いの後で、シンジの気も昂っているのだろう。
以前、箱根温泉に泊まった時は、レイが一緒だった。
今日、彼女は別の部屋でミサトと寝ているはずだ。
シンジは窓を開けた。風が心地よい。
今日の戦いを思い出す。咄嗟に飛び込んだ事を。
あの後、彼女は喜んではいなかった。むしろ怒っていたような気がする。
ミサトと3人で食べた夕食の時も、目をあわせようとはしなかった。
それを理不尽な事だとは思わない。逆の立場なら、自分も怒るだろうから。
でも、とりあえず彼女も自分も無事だった。
だから、気持ちは晴れやかだった。
窓の外を眺める。見慣れない風景。
渓谷が近いせいか、すぐ裏手に切り立った崖がある。底は見えない。吸い込まれる様だ。
人影。思わず目を凝らす。崖の近くに、ちらつく蒼い髪が見えた。
浴衣のまま外に出る。旅館の下駄。
不安な気持ちとは裏腹に、間抜けな格好をしている気がする。
星の光と旅館の明りだけがほのかに辺りを照らす。先程、少女がいた場所、そこにシンジは来ていた。
周りを見る。少し先に、向こうを向いている少女がいた。
ゆっくりと近づく。
少女の間近にきて気づいた。何かおかしい。
壱中の制服。蒼銀の髪。そこまで考えて思い当たった。彼女ではない。
シンジの足が止まる。
「よく来たわね、シンジくん」
振り向いて少女が言った。
「・・・レヰさん」
綾波レヰ。黄色い瞳の少女がそこにいた。断崖の際に立ち、うっすらと微笑んでいる。
「こ、こんな所でなにをしてるんですか?」
答えは分かっていたのかもしれない。それでもシンジは尋ねた。
「あなたを待ってたのよ」
レヰがシンジを見つめる。
「どうして・・・」
「あなたが全ての鍵になっているから。それが理由」
「鍵? どういう意味ですか」
シンジの足が震えている。
「あの人にとっても、老人たちにとっても、計画の要になっているわ。あなたは知らないでしょうけど」
「・・・何を、何を言ってるのか分からないよ」
冷たく微笑むレヰに恐怖を感じながらも、シンジは固まったように動けなくなっていた。
「あなたとレイがいずれ世界を無に帰す。老人の願いはかない。あの人とあの女はその時再び出会う」
シンジから視線を外さずに、レヰが言葉を続ける。
「レイに刷り込みを行った限りは、あの人の狙いはそれでしょうね」
「・・・・・・・」
シンジには全く理解できない。ただ、黙って話を聞いていた。
「あなたを殺すのは簡単。ただ、今あなたがいなくなっても、結局別の方法でそれが行われるだけ。・・・・だから私は毒をたらすわ。あなたの心に」
黄色い瞳が光る。
「・・・・綾波レイ、あの子は人ではないわ」
一瞬、時間が止まった。
シンジの顔色が変わる。レヰをにらみつける。
「それだけ覚えておきなさい。信じる信じないはあなたの自由。いずれわかるわ。・・・ねえ、レイ」
振り向く。そこに震えて立っている紅い瞳の少女がいた。思わず駆け寄る。レイの身体がくずれ落ちた。シンジが抱き留める。
「やさしいのね。それともやっぱり信じられない?」
腕の中で震えるレイを見つめる。シンジから顔を背けている。唇を噛みしめて目を合わせようとはしない。
レヰの言った事はおそらく本当だろう。人ではない、その言葉の持つ意味はよく分からないが、レイの持つ不思議な雰囲気にはどこか納得できるものがあった。
強くレイを抱きしめる。暖かい。レイの顔を持ち上げ、深く口づける。レイの身体が強張る。首を振り逃げようとする。しかしシンジは離さない。やがてレイが目をつぶる。シンジを抱きかえす。
むさぼり合うようなキス。
永遠とも思える時間が過ぎ、そしてゆっくりとシンジは唇を離した。
身体を支えてレイを立たせる。嘲るような微笑みを浮かべているレヰと視線を合わせ、しかし、すぐに振り向いてレイを促した。
「行こう、綾波」
少年たちが立ち去った後。まだ、レヰは断崖に佇んでいた。その瞳は虚空を写している。
「母さん」
声がかかる。振り向くと、そこには彼女の娘とその友人。少し離れてこちらを見ている。
「りっちゃん、加持くん、遅かったじゃないの」
来るのが分かっていたかのように話しかける。
「もう、全部終わったわ。失敗だったみたいだけど」
「母さん!どうしてこんな・・・」
リツコが詰め寄ろうとする。少しあとずさってレヰが言う。
「・・・ただ、忘れてほしくなかっただけよ。あの人にね。私がここにいるってことを」
「だからって!」
「本当はずっと近くにいたかった。利用されるだけだって分かっていたのにね」
そしてレヰはもう一度空を見上げた。
「・・・・・・でも、もう、いいわ。この5年間、つっぱり続けて少し疲れたし・・・」
さらに後ろに下がる。
「待って! 母さん!」
リツコが駆け寄る。
「ごめんね。りっちゃん・・・・」
そう言って後ろに身を投げ出す。星だけが瞬く夜空に消える様に。
捕まえようと伸ばしたリツコの両手が空を切った。続けて落ちかけるリツコの身体を加持が抱き留める。
「母さん!! どうしてよ、母さん・・・・」
暗闇に染まった谷底に向かって叫びながら、リツコはただ涙を流していた。
暗い部屋。
シンジに抱きしめられながら、レイは人のぬくもりを感じていた。
知識としては知っていた。生殖行為。血を流さない自分には無縁なもの。
人ではない自分が望んではいけないもの。
しかし、彼は自分を受け入れてくれた。自分を求めてくれた。人ではないと知りながら。
ぎこちないその指の動きや、ただ荒々しくレイをむさぼる口唇も、すべてがいとおしい。
どうすればいいか分からないまま、レイも、シンジの頭を抱きしめ、また、背中に手を這わせる。
そして一つになる。激しい痛み。思わず声をあげる。シンジがレイの名前を呼ぶ。レイが頭を振る。
「・・・・いかり・・くん・・・」
壊される様な感覚の中で、レイは確かに歓びに震えていた。
ターミナルドグマ。巨大な水槽。十数体の『レイ』がLCLに漂っている。
一体がゆっくりと浮き上がってくる。水面。水槽の淵に一人の男が立っていた。
浮き上がってきた『レイ』の瞳の色が、紅から少しずつ黄色に変わっていく。
瞳の焦点が合い、男を見つめる。
「・・・どうして?」
水面に顔を浮かべながら、ソレは問いかけた。
「マギにはあなたのパターンが全て残っている。ユイの時の技術を使えば、さまよう魂を定着させることは可能だ」
男が答える。
「あのときレイがしたことを人為的にする・・・最初もあなたの仕業だったのね。でも、どうして? また邪魔するかもしれないわよ?」
「好きにすればいい」
沈黙。
「・・・・シンジくんにレイのことを話したわ。でも動じなかった。やはりあなたの子ね」
男が苦笑する。
「あいつは母親似だ。愛する事をやめはしない。・・・・相手が何であっても」
「・・・・そう、それが刷り込み、ね。・・あなたは違うの? まだ好きなんでしょう?」
「それを確かめたいのかもしれない。だから、どうしても会いたい」
軽い笑い声。
「その為に人類を犠牲にするの? 確かに似てないわね。シンジくんはそれを望まないわよ、きっと」
「アダムが手に入った。選択肢は一つではない。老人たちも動くだろう」
「私も材料の一つってこと?」
男が見つめる。
「否定はしない。・・・ただ、あなたにも見てほしかった。我々がしようとしたことを」
「ふっ・・・・・うそつき。まあいいわ。しばらくはつきあってあげる。リツコには内緒よ」
そう言って両目をつぶる。
「身体がまだ慣れていないわ。当分ここにいなきゃいけないわね」
「ああ、ゆっくり休めばいい」
再び目をあけて、妖しく微笑む。
「リツコとのこと、許したわけじゃないわよ。・・・じゃあ、私の機体をよろしく」
「ナイトオブゴールドか、懐かしい名前だ」
「ファティマの面倒もみてあげてね。あの子、ドイツから入りっぱなしだから」
そう言うとまた、ゆっくりと水槽に沈んでいった。
朝。シンジは目が覚めた。見しらぬ天井。
全身がだるい。意識が鮮明になるにつれ、昨日のことを思い出す。
隣に眠る少女を見る。まるで、嘘のように安らかな寝顔。
寝乱れた浴衣から肌がこぼれている。昨日は明りを消していたので、その白さがまぶしい。
欲情しかけるが、今はさすがにまずい。しばらくすればミサトが来るかもしれない。
時計は7時を指している。昨日飲んでいたはずだから、まだ起きてはいないだろう。
その前に、彼女を部屋に戻さなければいけない。
人ではない。そう言ったレヰの言葉を思い出す。
だから確かめたかった、レイという存在を、自分自身で。
昨日感じた彼女のぬくもり。肌の感触。吐息。
自分が愛した少女が確かにそこにいた。自分を必要としてくれる存在が。
それだけでいい。
そう思える。
他の事はどうでもよかった。
顔をよせて軽いキス。うっすらとまぶたを開けた紅い瞳の少女に、微笑みながら言った。
「おはよう・・・・綾波」
〜fin〜
おまけ
ここは第2ケイジ
浅間山から運ばれたエヴァ弐号機の取り付け作業が行われていた。
作業員に混じって、ショートカットの女性が機体の確認作業をしている。
「もう、結局徹夜だわ。いいなー葛城さんは、温泉で一泊だなんて」
愚痴をこぼしながらも端末を叩く手は休んでいない。
「でも、先輩どこいっちゃったんだろう。本部にいるはずなのに・・・」
一瞬遠くをみるような表情になる。
「早く終わらせて探しに行こうっと。・・・・・・あれ?」
画面を見つめ、彼女の手が止まる。
「なんだろうこれ?・・コアの近くに・・・この反応は・・・?」
立ち上がり弐号機に近づく。金色に輝く機体に触れながら何かを探す。
「・・・このあたりなんだけど。・・・・これはレバー? こんな所に・・・」
一瞬躊躇した後、そのレバーを引く。作動音とともに、機体から何かが出てきた。
カプセル。胸部にあった収納口から、エントリープラグを小さくしたようなそれが姿を表したのだ。
おそるおそる近づく。
覗き窓のようなものを見つけ、そこから中を覗き込んだ。
そして、そこに彼女は見た。
LCLにたゆたいながら、微笑んで眠っている、銀髪の少年の姿を。
おしまい