雪が降っている。




霞むような粉雪が、街中を白く染めている。




記憶の中のこの街はいつも冬で、あと一月ほどで春がくるなどまるで信じられない。

積もった雪は溶けることは無く、風は常に北からしか吹かない。


7年ぶりに暮らす街。


だが、ここで初めて迎えた2月ももう半ばになろうとしていた。

確実に時は過ぎているのだ。


彼女と最後に別れた、あの夜から。





そして、2週間後

Written by かつ丸





「相沢、頼みがある」



休み時間の教室。教壇の正面の席で机に突っ伏した俺に声をかける者がいた。

男の声。ならば何も用などない。

5時間目と6時間目の間、10分しかない休憩時間は貴重なのだ。野郎などにかかわっている余裕は無い。授業中に寝る事ができないこの席では、今、休んでおかないと精神が持たない。


「金なら貸さん」


声の方を見る事もなく、突っ伏したまま俺は答えた。


「・・・・だれもそんなことは言ってないぞ」

「だったら寝かせてくれ」

「・・・放課後、少しつきあってくれないか」

「部活が忙しい」

「相沢は帰宅部だったはずだぞ」

「昨日、『理知的美少女を支援する会』に入部したんだ。化学室で実験の準備をせねば・・・」

「そんな部活はこの学校には無い」

「リビッシュを知らないのか? それでは立派な理科系人間にはなれんぞ」

「俺も相沢も文科系クラスだ」

しつこいやつだ。常人ならあきれて退散するはずの俺のウダ話にここまでつきあえるとは。

承諾の返事をするまでそこに居すわる気だろうか。

このまま拒否していればストーカーになるかもしれない。そうなれば俺はともかく秋子さんたちに迷惑がかかる事になるだろう。

俺は分かったという意味を込めて手を上げ指で丸を作った。大切な同居人たちのためには生贄になるしかない。

「忘れるなよ・・・」

少し疲れたような声をだし、そいつはその場を離れた。





挨拶を終え、担任教師の石橋が教室を出ていく。長い1日がようやく終わったのだ。

「さて、帰るか」

立ち上がり大きく伸びをし、そのまま後方の席からこちらに歩いてきた少女に視線を移す。

「名雪は今日も部活なのか?」

「うん、そうだよ」

同居しているいとこ、母方の叔母の一人娘。

長距離走者の彼女にとっては冬の時期の今がむしろベストシーズンなのだそうだ。少々の雪などで休んだりすることはない。

確かに真夏に走る事を考えれば、この時期の方がましかもしれない。どっちにしても俺は嫌だが。

「そうか、ご苦労なことだな」

「別に、好きでやってるだけだよ。祐一はもう帰るの」

「ああ、学校になど用事は無い。それじゃな」

鞄を手に窓の方を見る。雪はまだ止んでいないようだ。

思わず窓に近寄り下を覗き込みたい衝動を押さえて、俺は出口へと向かった。



思ったよりひどい降り方ではなかった。

この街に来て一月以上がすぎ、ようやくその天候にも馴れ始めている。これなら傘は必要ないだろう。特に急ぐこともない、商店街でもうろついてから帰ることにしよう。

そう思い校門へと足を踏み出した。

「おい、どこへ行くんだ」

そういえば最近あゆにも会ってない、たい焼き屋のところにでも顔を出してみようか、あいつと話すのは結構な暇つぶしになるからな。

もうすぐ3年生になるいまからクラブ活動をはじめるのはやはり億劫だが、特に趣味など持たない俺が時間を持て余しているのも確かだ。部屋で一人でいるといろいろなことを考えてしまうため、早く帰る気にもなれない。

バイトでもはじめようかな。

息子を一人放り出した責任を感じているのか、両親も仕送りだけは多めにくれている。映画館や小さなゲーセン程度しか遊び場も無いこの街では特にお金に困っているわけでもない。

だから今まではそんな気になれなかったのだが。実際かったるいし。

「おい、待てよ」

あまり愛想がいいほうではないため客商売は向いてないかもしれないな。そういや真琴にむりやりバイトやらせたこともあったっけ、働かざるもの食うべからずなんて、いったいどの口で言ったんだろう、俺は。

秋子さんも俺がぶらぶらしてても何も言わないし。そりゃあ力仕事とかは気がつけば手伝ってるけど、それも何か無理に手伝わせて貰ってるって感じがする。あまり何かしてくれって頼まれることってないな。

俺が頼り無く見えるんだろうか。

いや、いくらなんでも名雪よりはしっかりしてると思うぞ。

あいつも家の手伝いしてる様子も無いしな。あれだけ秋子さんがきっちりとりしきってるから、他人がどうこうする余地なんかないのかもしれない。

「おい、相沢、待てってば」

「・・・おお、北川、久し振りだな」

いつのまにか進路に立ちふさがるようにしてこちらを向いているクラスメートに、俺は声をかけた。なぜか怒ったような顔をしている。カルシウムが足りないのに違いない。

「どこに行くつもりだ?」

「どこへって・・・・商店街にでも寄ろうかと思っていたんだが」

一緒にくるか? とは訊かない。男と街を連れ立って歩くのは趣味ではない。

しかしこいつは俺とデートがしたかったのだろうか、俺の返事を聞いてなぜか溜め息をついている。

「約束、破るつもりなのか?」

「約束? 永遠の世界にでも行こうと? いや、それはかんべんしてくれ」

「誰がそんな約束をしたか。話があるといっただろう、放課後つきあえって」

・・・・なるほど、あのストーカーの正体はこいつだったのか。そういえば呼んでも無いのに食堂やらなにやらにいつもついてくる、変な気がしていたんだ。

だがどんな相手でも約束は守らねばならない、それが俺のポリシーだからな。

「しょうがない。忙しくて仕方がないのだがほかならぬ貴様のためだ。時間をさいてやろう。感謝しろ」

その俺の優しい言葉に、何故か北川は二度目の溜め息で答えた。







連れて行かれた先は商店街だった。

なんだどのみち同じだったではないか。結局のところこいつは俺とデートがしたかっただけなのではないか。そう思い少し冷たい目で前を歩く北川を見る。そんな俺の視線ににぶいコイツは気がつかないのだろう。
何も感じないようにスタスタと歩いている。

「おい、どこにいくつもりだ」

業を煮やして問いかけた。少し驚いたような顔でやつが振り返る。

「どこへって・・・・落ち着けるところを探してるんだが、どこでもいいか?」

「・・・・また大層なことだな。その辺で立ち話ではダメなのか?」

「いや、別に構わないんだが。あまり周りに人がいるところは困る」

「・・わかった、あそこに入ろう」

ならばなぜわざわざ人通りの多いところに来るかな、コイツは。男同士で公園のベンチに座るのもバツが悪いので、しかたなく俺は手頃な喫茶店を指さした。
名雪たちがよく利用する洒落た店ではない。いかにも寂れた感じのボロい店だ。
コイツとならあそこで上等だろう。



「それで話とはなんだ」

煤汚れたコーヒーカップを持ちながら、俺は北川に訊ねた。ヤツはロシアンジャムティーなどとふざけたものを飲んでいる。だいたいなぜそんなものがあるのか。向こうの席ではどこぞのじいさんがおでん定食を食べているぞ。

「いや・・・その・・・」

「なんだ、はっきりしないやつだな。何度も言うが俺は忙しい、用があるなら早く言え、でなければ帰れ」

「・・・ああ、逃げちゃダメだな。・・・話というのは他でもない。どう思っているか聞かせて欲しいんだ」

また要領を得ない質問だ。目的語が完全に抜けている。それでも俺は友人には優しい、ちゃんと気持ちをおもんぱかって答えてやろう。

「髪型がおかしい」

「はっ?」

「そのぼさぼさなのか分けてるのか分からん中途半端さが気に食わん」

「・・・・・・おい」

「さらに言えば色も変だ。染めるなら染める。もう少しはっきりとしたカラーにするだけの根性はなかったのか? うちの秋子さんなんかいい年して青く染めてんだぞ」

名雪も青く染めてるしな、少し濃いが。親子でそろいもそろって綾波意識してんじゃないのか。面と向かって言う勇気は流石にないけど。
特に秋子さんには年齢のことは禁句な気がする。俺のおふくろが42なんだからそれよりは下のはずだが。
どう見ても30代前半かそれ以下にしか見えんけどなあ。

「何を言っている」

「加えて言わせて貰えばこちらを向くポーズが1種類しかないのは何故だ? 表情も変わらないし。看板か、お前は」

「だから、誰が俺の容姿について訊いているか!」

顔を赤くしてどなっている。なんだ、表情変えられるじゃないか。なぜこれを普段ださんのかなあ。

「じゃあなんだ? 性格か?」

「俺のことはいい!! そうじゃなくて・・・・・その・・・・」

はあ・・・。つきあっていられん。

いくら暇だとはいえ喫茶店でモジモジする男の姿を見ていても楽しくもなんともない。やはり今からでもたいやき屋に行くかな。
あゆは見ているだけでおもしろいものな。
そうじゃなくても家でテレビでも見よう。民放が2局しかなくてもこいつといるよりは楽しいだろう。

「さてと・・・・」

「・・・どうしたんだ、相沢」

「いや、帰るんだが」

立ち上がった俺を見上げて北川は怪訝そうに訊ねた。
何を当然のことを、学生鞄を持ってトイレには行かんだろう。

「どうして? まだ話は終わってないぞ」

「その必要はあるまい。内容くらいお前の目を見れば分かる。あいにくだが俺はお前の勧める宗教には興味は無いんだ。すでにジャイナ教に入ってるからな」

「・・・・頼むから座ってくれ」

すがるような北川の目に渋々俺は座り直した。それで決心したのだろう、こいつもようやく話をする気になったようだ。
上目勝ちな視線で俺の方をみながら、北川は訥々と訊ねてきた。


「訊きたいのは、美坂のことなんだ。・・・・お前、アイツのことどう思ってるんだ?」





沈黙があたりをつつむ。


北川は固唾を飲んでこちらを見つめている。


だが、俺が黙っていたのは正直質問があまりに意外だったためだ。


そう、こいつが言ってるのは当然共通の知人のことに決まっている。

美坂香里、クラスメートの一人、名雪の親友、そして・・・・。


まさかこいつに不意を突かれるとは思わなかった。小物だからといって侮ってはいかんな。
思考の停止からようやく立ち直り、俺は口を開いた。

「香里のことをどう思うか、だな」

「ああ・・・・」

緊張した面持ちで北川が頷く。

少し怯えたようなその瞳を見つめながら、俺は思うところを伝えた。


「傾向としてはサド、このままいけば立派な女王様になれると思うぞ」


テーブルに突っ伏した北川を前に、俺は勝利の虚しさに浸っていた。








「どうしたの? 祐一」

「別にどうもしないが」

「そう?」

怪訝そうな顔で名雪がこちらを見ている。

夕食の後のリビングルーム、秋子さんは後片付けを済ませお風呂に入っている。だから二人きりだ。別におかしな雰囲気になっているわけではない。テレビを観ているだけだ。

ぼんやりしていたのを見咎められたのだろう。普段ほとんど人のことなど気にしない名雪すら変に思ったということは、よほど変だったということだ。

無理もない、俺はいつも精悍な顔つきをしているはずだからな。


「なんだかいつにもまして馬鹿みたいな顔してたよ」

「そ、そうか?」

「うん」


そう言って笑う、その顔には邪気のかけらも無い。俺は少し毒気を抜かれて名雪を見つめた。

こいつは香里の親友なんだよな。
話すテンポとか全然違うからあまり合いそうにない気もするが、でも、だからいいのかもしれん。こいつは傾向としてはマゾだし、苛められて喜んでいるのかもな。


「なあ、名雪」

「なに?」

「香里と北川ってつきあってたんじゃないのか?」


そう、俺はずっとそうだと思ってたんだ。名雪は俺に気をつかってか転校したての頃は昼休みなんかよくあちこち案内してくれたんだが、そんな時はいつも香里と北川がついてきていた。
香里はだから名雪とワンセットだったようだが、なぜ北川がいたのか最初は理解に苦しんだものだ。
俺と話が合うことは合うのだが、だからといっていつもつるむこともない。

名雪も香里も不自然に感じてるようにも見えなかったので、てっきり香里の彼氏なんだと理解していたのだが。

名雪の彼氏とは思えない。名雪に似合う似合わんよりも、自分の彼女の家に同年代の男が突然同居してきたら、警戒こそすれそいつと友達になろうと思う人間は少ないだろう。
俺ならまず間違いなくケンカを売っている。

転校して1カ月以上、未だに決闘は挑まれていないから、こいつも案外もてないのかもしれないな。
それともみな俺の魅力に諦めてしまったのかもしれんが、いや、それも無理はない。

「そんなことないよ」

「えっ?」

心を読んだような返事に、俺は思わず驚きの声をあげた。しかし名雪が答えたのはその前の俺の質問に対してのようだ。

「だから、あの二人は別につきあってなんていないと思うよ。香里からもきいてないしね」

「じゃあ、名雪が北川とつきあってるのか?」

「えっ、そう見える?」

「いや、全然」

「そう? 残念」


ホントにつきあってるなら顔を真っ赤にするだろうからな、こいつは。余裕かまして冗談が言えるってことは、北川のことは気にしていないってことだろう。


「じゃあ、どうしてあいつはいつもついてきてたんだ?」

「さあ? どうしてだろうね?」

「・・・・俺が来るまではどうだったんだ? 名雪や香里とつるんでたのか?」

「ううん、そんなことないよ。そりゃあ話くらいはしてたけど」


結局俺が来てからってことか。そりゃあそうだろうな、彼女と二人ってならともかく、女の子同士でいるところになかなか割りこめんだろうし。
あまりにさりげなく入ってきたから全く警戒していなかったが、あいつなりに考えるところがあったのかもしれない。

と、いうことは狙いは香里か、やはり。
だがなぜ今になってあんなこと俺に訊いたんだろう、あいつは。ここんとこむしろ俺と香里とが話す機会は減ってると思うが。


「なあ」

「なに?」

「香里ってつきあってるやつはいないのか?」

「う〜ん、聞いたことないね。もてそうなのにね」

「そっか」


なら北川も俺なんかに絡んでないで直接本人に向かえばいいのに。たしかに一筋縄でいきそうな女ではないが。

考えこんでしまった俺に、興味津々といった様子で名雪が問いかけてきた。


「香里に興味があるの?」

「いや、別に、そんなことはないけどな」


嘘ではない。特別な感情は多分もっていないと思う。
だいたい俺はああいうキツイ女は苦手なんだ。俺も傾向としてはサドだから。
いや、別に「シバリ」や「ムチ」に興味があるわけでは無いけど。


「そう? 香里は結構祐一のこと気にしてるよ」

「そうなのか?」

「うん、授業中とかよく見てるもの」

「・・・・気のせいじゃないのか?」


俺の席は教師の真ん前だからな。
後方に席のある香里が黒板の方を見れば自然と俺の方に向くことになる。
香里も俺などタイプでは無いだろう。そういうのは話をしていればわかるものだ。


「そおかなあ?」

「香里が俺の美貌に釘付けになっているというなら、確かにそうかもしれんがな」

「それはないよ」


少し呆れた顔をして笑ういとこを見ながら、俺の心はまた思考の底へと沈んでいった。



『相沢、お前美坂となにがあったんだ?』


『ここんところ、どこか様子がおかしいんだ』



喫茶店での北川の言葉。
その時は言っている意味が分からなかった。

だが、俺は逃げているのかもしれない、香里と向かいあうことから。
彼女と俺を繋ぐ、もう一人の存在。
そこから無意識に目をそむけようとしているのかもしれない。

現実は時としてあまりにも残酷で、それに耐えられるほど俺は強くない。そのことが俺には何故かよくわかっていたから。

だから見ないようにしてきたのだ、あの夜から。



窓の方を見る。カーテンの向こうではまた雪が降っているのだろう。


まだ、笑っていられているだろうか、あいつは。










朝。

名雪を起こして学校に向かう、いつも通りの一日が始まる。

わけもなくゆううつな気分に引きずられながら、俺は名雪と並んで通学路を歩んでいた。

このところ遅刻ギリギリで朝から走るようなことはほとんどない。名雪が早起きに目覚めたというより、俺がコイツを学校に行かせるコツをつかんだだけだが。

『早くしないと「けろぴー」の命はないぞ』

こう言えばとたんに名雪の目は醒めるようだ。なぜそれほどまでにあのカエルが大事なのかは理解できん。する気もないし。


「卑怯だよ、祐一は。人質をとるなんて犯罪だよ」

「それが恩人に対する言葉か。明日からは置いて行ってもいいんだぞ」

「そ、それは困るけど」

「なんだったらけろぴーをかわりに連れて行ってやろう。名雪はどうせ授業中もほとんど寝てるから席にぬいぐるみがあっても本質的に同じだしな」

「ひどいよ。私はちゃんと授業を聞いてるよ」


たわいもない会話をかわしながら歩く。はたからはアベックのように見えるのだろうか。
7年間ずっと会わなかったいとこ、来ることのなかった街、けれども今はどちらにも馴染んでいる自分がいる。
そうやって人は変わっていくのかもしれない。周りに溶け込むことで、自分を守ろうとするかのように。

だから、もうひと月もたてば、今の俺はどこかに消えてしまうのだろうか。

この永遠に感じられる冬が、その頃終わりを迎えるのと同じように。



「そうだ。・・・・はい、これ」

「・・・・なんだ?」

突然何かを思いだしたように立ちどまると、名雪はカバンの中から小さな包みを取り出した。
少しぼんやりとしていた俺の鼻先に差しだしてくる。

「何って、チョコだよ。義理だけどね」

「なぜ今渡す必要があるのかよくわからんが、とりあえず礼は言っておこう」

「だって今日も部活だし、一緒には帰れないから」

別に通学路で渡さなくても、どうせ同じ家に帰るんだぞ。
義理なら別に教室でもいい・・・ってこともないか。同じ義理でも他のヤツと同じチョコならなんかむかつくだろうし、違うなら奇異の目で見られることになる
。 コイツなりに考えてるのかもしれないな。

取りあえず受け取ってカバンにしまう。いくら他に人通りは無いとはいえ、あまり向かいあっているのも気恥ずかしい。

にこやかに微笑む名雪にどんな顔をしたらいいかわからないまま、俺はぶっきらぼうに歩きだした。並ぶように名雪もついてくる。

しかし今日がそういう日だとは、ついぞ忘れていた。
健康な男子高校生としては、あまりいい傾向だとは言えないな。



教室に入る。やはり全体的に浮ついた雰囲気が漂っているようだ。
この日に貰えるのと貰えないのとでは、学校生活が天と地ほど違ってくる、だから、男子生徒のほとんどはキョロキョロと落ち着きが無い。
にこやかな笑みを浮かべているのは、貰うあてがあるかもう誰かに貰ったやつだろう。

義理とはいえ俺もすでに一つチョコをゲットしている。余裕を感じながら、俺は自分の席に向かった。

机の引き出しには溢れんばかりにチョコが入れられている・・・ということは当然無く、置きっぱなしの教科書とノートが入っているだけだ。
確認したのは男の哀しい性だな。転校して短期間ではこの学校の女生徒に俺の魅力が浸透するには短すぎたのだろう、残念だが。


昨日の話が頭に残っていたのだろう。いつになく敏感になっていた俺は背後から視線を感じた。後ろを向くと、案の定、北川がこちらを見ていた。
あの後別れた時と同じ、暗い目をしている。
誤解したままなのだろう、放っておいてもいいのだが、それが事態を改善するとも思えない。結構思い込みの激しいやつだからな。

だが、俺の意識はいつしか別の人間に移っていた。

北川からは少し離れた席で、俺を見つめるもう一つの視線。

ウェーブのかかった長い髪、その色はほんの少しだけあいつよりも濃い。

理知的で冷静で、だが、彼女が涙を流したことを俺だけは知っている。この学校の中庭で、たった一人の妹のことを想って泣いていたことを。

そう、名雪が言ったとおり、香里が確かに俺を見ていた。

愛情など感じられようも無い、冷めた瞳で。









雪が降っている。

その白さで全てを覆い隠すような雪が。


この場所にくるのはいつ以来だろうか。



「風邪ひくぞ・・・・」


「・・・心配はいらないわ。私は丈夫なのよ」


二人きりの中庭。

昼休み、いっしょに食堂に行こうという名雪の誘いを断り、俺はここに来ていた。
そしてそれを待っているように、彼女が、香里がそこに立っていた。

ひとことずつ言葉を交わした後、ゆっくりと俺は香里の元へと歩いて行った。
吹きすさぶ風は一月前と全く変わらない。

微笑みあうこともなく、降る雪を眺めるように二人並ぶ。

彼女が口を開くのを、俺は待っていた。そして怯えていた、彼女が口を開くことを。




「あなたは・・・・・」


「・・・・・・・どうした?」


こちらを見て呼び掛け、香里は絶句したようにまた口を閉ざした。思わず問いかけた俺に、首を振り答える。


「いいえ・・・・ねえ、相沢くん、あなたは昔の私とは違うわよね」


「・・・・・・・・」


「ごめんなさい・・・・はい、これ」


自嘲するように微かに微笑むと、香里は小さな袋を俺に差し出した。

コンビニのビニール袋、中には綺麗な包装紙で包まれた小さな箱が入っている。

きっと寒さのせいだろう、震える手で俺はそれを受け取った。


「香里が買ったのか?」

「ええ、買ったのは私よ」

「そうか・・・・ありがとうな」


何処にでも売ってるただのヴァレンタインチョコだ。
この軽さからはせいぜい200円か300円の安物だろうな。


「じゃあ、私、行くわね」

「・・・・ああ」


雪の中を香里が校舎へと戻っていく、その後ろ姿を俺は見つめていた。


昔の香里・・・・たった一人の妹の存在を否定するほど、その妹を愛していた哀しい少女。

その気持ちが今の俺にはとてもよくわかる。

愛が深ければ深いほど、人はそれを失うことに耐えられなくなる。だからこそ精一杯戦うのだろう、奪おうとするすべてのものから、あらんかぎりの力を振り絞って。

けれど自分が抗うために必要な何の力も持っていなかったら?

否定するしかない。

つらい現実そのものを。


それは自分を守るためなのだろう。


香里は気がついていたのかもしれない。自分でも自覚の無いうちに、俺が逃げようとしていたことに。
あいつのことを考えないようにしようとしていたことに。


けれど、今の俺に何ができるというのだろうか?



『起きないから奇跡っていうんですよ』



あの雪の夜からもう2週間。

なにもかもが変わってしまったように思える。

アイツの前では精一杯の強がりができたあの時の俺の代りに、ここにいるのは無力で臆病で卑怯なただのでくのぼうだ。


まだ、香里が学校を休んだことは無い。

それだけが俺には救いだった。



「ビターか・・・これもきっと、香里の趣味だな」


ほろ苦い味のするチョコレートをかじりながら、俺はいつまでも雪の降る中庭に佇んでいた。










「今日、昼休みどこに行ってたんだ?」


放課後の下足置き場、そそくさと下校しようとする俺を北川が追ってきた。
少し顔を紅潮させている。頭に血が上っているようだ。


「それが言いたくて、昼間から私のこと見てたの?」

「・・・誤魔化しても無駄だぞ」


林原な口調で雰囲気を和ませようとした俺の努力は実らなかったようだ。
北川の顔にはいっそう赤みが増した。羞恥などではない、当然怒りだ。

全く、面倒なことだな。


「中庭だよ、中庭」

「美坂と一緒だっただろ」

「なんだ知ってるんじゃないか」

「何してたんだ、いったい?」


目が血走ってるぞ、お前。あんな雪の中で何ができるっていうんだよ。
何をそこまで思いつめてるのかよくわからん。だいたい香里は俺よりずっと先に教室に帰ったはずだぞ。


「若い男女が二人きりだったんだ。することは当然決まっている」

「う、うそだろ」

「あたり前だ。少し話をしてただけだ。なあ北川、香里のことが気になるなら、俺なんかと話をせずに直接行ったらいいじゃないか。別に邪魔してるつもりはないぞ、俺は」


そう言った俺の言葉は核心を突いていたのかもしれない。
北川からそれまでの勢いが消え、元気をどこかに奪われたように、やつはシオシオと下を向いて俯いた。


「きっかけがないんだ・・・・」

「はあ?」

「・・最近前みたいに4人でつるんでないだろ。だから全然美坂と話してないんだよ!」

「話せばいいじゃないか。お前ら俺なんかよりよっぽど付き合い長いんじゃないのか?」

「・・・いや・・・しかし・・・」


結局根性が無いってことか。
やはり小物だな。
香里の相手はおそらく無理だろう。まあどうでもいいけど。


「とりあえず頑張れよ。義理チョコくらいもらったんだろ? それをきっかけにすればいいじゃないか」

ホワイトデーまで待たなくてもお礼なりなんなりで理由を作って誘えばいいのだ。
あれだけずうずうしく俺たちについてこれたこいつなら、それくらいできるだろう。


「・・・・・貰ってない」

「へっ!?」

「チョコなんて貰ってないぞ。相沢は貰えたのか?」

恨みがましい目でこちらを見ている。もしかしたら泣いてるのかもしれない。
それもそうか。義理でも貰ってたなら俺のところに来る理由はないものな。
トラの尾を踏んだのかも知れん。

「なあ、どうなんだ?」

「・・・・こんなとこにいていいのか?」

「えっ?」

「香里がお前にチョコをくれないわけないだろう? きっと渡すタイミングを計ってたんだぞ。もしかしたら教室で待ってるんじゃないのか?」

その言葉に北川の顔が少し明るくなった。
俺は言葉を続ける。

「義理じゃなくて本命なんだよ。だからみんなの前では恥ずかしくて渡せなかったんじゃないか? ああ見えて恥ずかしがりやなんだろう」

「そ、そうかな?」

「ああ、きっとそうだ。早く探しに行ってこい」

「わ、分かった!」


嬉しそうにきびすを返すと、北川はあわてて駆けて行った。

・・・単純なやつだ。
その思考の能天気さにやや呆れながら、俺は校舎を後にした。









そして、まだ、雪は降っていた。


白く染まった敷地に、噴水の水だけが透明に光っている。
2週間ぶりに立つこの場所。
シンデレラの魔法が解けたところ。

まっすぐ家に帰ることをせず、気が付けば俺の足はここに向かっていた。

何も変わってはいない、景色が変わるほど時間が経ったわけではない。

ただ、あの時は一人ではなかった。それだけで何もかも違うようにも思える。

傘を閉じ、空を見上げた。どんよりした灰色の空、そこから白い雪がいつまでも舞い降りてくる。

まるで吸い込まれるような気がする。


また噴水に視線を移し、水しぶきを見つめた。

・・・凍りつかないために、こうして水は流されているんだな。

そして流れている限り、どれほど寒くても水が凍ることはない。

だから俺も前に進まないといけないんだろう。


そう、それを確認するために、俺はここにきた。

ここは終わりの場所ではない、俺たちの始まりの場所、そのはずだから。


ポケットから小さな箱を取り出す。香里からもらった包み、まだあと2切れ入っている。
その一つをつまみ、包装を取ると、俺は甘味より苦味の方が勝る気がするそれを口にくわえた。

舌の上でゆっくりと溶ける。

しっかりと形作られていたはずの固まりが、淡雪のように跡形もなくなろうとしている。

だが、決して失われるわけではないのだ。

俺自身が吐き出さない限り、血肉となって俺の中で生きる。小学生でも知っていることだ。



「・・・・お返し、しなくちゃいけないよな」

口に出して、俺は言った。
独り言ではない、俺の目には確かに映っていた。

噴水を前に、微笑むあいつの姿が。


『わあ、嬉しいです。なんでもいいですか?』


聞こえる。

いたずらっぽく笑いながら、俺に答える声が。


降り続く雪にかすむように、一瞬形づくられ、そして消え去った一人の少女。


いや、消え去ってはいない、今の俺にはそれがはっきりとわかる。

だから俺も微笑みを返した。



ただの自己満足、思い込み、人はそう笑うのだろうか。










「ホワイトデー、楽しみにしてるね」

「義理には義理だからな、たいしたものはやんないぞ。あと目覚し時計も却下な」

「それでも、三倍返しが原則だからね。私は別に五倍でも十倍でもいいけど」

「値段が分からないからな。10円だと考えたら十倍でも百円か、安いもんだ」

「・・・・そんなに安くないよ」


2月の15日、街はもう落ち着きを取り戻している。
昨日とは違い、今日の空は晴れていた。風は同じ北風だけれど。
名雪と軽口を交わしながら、俺はいつものように学校に向かっていた。

ただの一日限りのイベント、日常の中のアクセント、ヴァレンタインデーなどそんなものでしかない。
校門をくぐるまでの20分ほどの道のりには、適度な話題ではあったが。


「あ、北川君、おはよう」

名雪の声で気づいた。門のところに北川が佇んでいる。
昨日分かれたときとは違い、その顔は暗い。

「相沢・・・・・やっときたな」

名雪のあいさつに応えることも無く、すがるように俺に近づいてくる。
生気が無い上に殺気のようなものも感じられる。
まさか知らぬ間にT−ウィルスにでも犯されたんじゃないだろうな。

「相沢・・・やっぱりだめだった」

「・・・何がだ?」

訊ねるまでもなく言いたいことは分かっていたが、あえてそう言った。
名雪は不思議そうな顔で俺たちを見ている。

「あれから学校中捜したけど、どこにもいなかったぞ」

「じゃあもう帰ってたんだろう、放課後だったからな」

「・・・・・・・おい」

俺の言葉に絶句し、北川の顔が赤く染まっていく。なかなかおもしろい。
だがこんなところでいきなり殴りかかられても困るので、俺はごまかすことにした。

「自分の机の中は調べたのか? 直接は恥ずかしいからそっちに入れたのかもしれないぞ」

「・・・昨日の内に10回確認したがなにも無かった。下足置き場にも入ってない」

「・・・・もしかして、今朝も調べたのか?」

「ああ、やっぱり無かった」

正直、少し呆れてしまった。
根性があるんだかないんだか。
ホントにストーカーの素質充分だな、こいつは。
あまり関わらないでおこう。そう思い俺は言った。

「・・・・・なあ、諦めたほうがいいんじゃいのか?」

「なっ・・・。お前が言ったんじゃないか!! 美坂がチョコを渡そうとしてるはずだって!」


「・・・私がどうしたの?」


「!!」

「あ、香里、おはよう」


何事も無いような名雪のあいさつ、けれど突然現れた香里に北川は固まっていた。
別に突然でもないか、ここは校門のまん前だからな。

「おはよう。・・・・それで何なの? 私の話をしていたみたいだけど」

「あ、ああ」

生返事をしながら北川の様子を見る。やはりどうしていいかわからないように固まっている。
ここは一肌脱いでやるしかないだろう。

「なあ、香里。お前、何か大事なことを忘れていないか?」

「大事なこと? ・・・・・・さあ、別にそんなことないと思うけど」

「そうか? いや、さほど大事じゃなくても、昨日しなきゃいけなかったのにタイミングをはずした、とか、ほら義理とか人情とか、どうでもいいけどとりあえずしておこう、とか、そんなことでも・・・心当たりは無いか?」

かなり回りくどかったか。
だがもともとこいつの頭の回転は早いからな。その気があるならピンと来るはずなんだ。
特に今、北川の目は血走ってるから、それだけで普通じゃないと思いそうなもんだけど。

けれど北川の方を見ても何も感じないようだ。

「・・・・・・・やっぱり何も無いわね」

「・・・そっか、ああ、それならいいんだ」

やはり脈は無いか。
もともと俺のでまかせだからな。あたりまえだといえばあたりまえなんだけど。
北川に近づき、二人に聞こえないように耳打ちした。

「どうする? なんだったら、もっとちゃんと訊いてやるぞ」

「・・・いや、・・・もういい」

こいつにも分かったのだろう。
がっくりと肩を落とすと、北川はこの場を離れて行った。
背中がさびしい。


「どうしたのかな、北川くんなんか変だったね」

のほほんと名雪が言う。何も気づいていないようだ。
まったくこいつらしい。

「さあな。おかしな物でも食べたんだろう」

「ふうん。・・・祐一は元気になったみたいだね。なにかいい物食べたの?」」

つぶらな瞳でこちらを見ている名雪に、俺は思わず口ごもった。
全く、鈍いんだか鋭いんだかわからんな、なかなか侮れんやつだ。

「・・・・ああ、そうだな」

横顔を見る香里の視線も感じながら、俺は名雪に頷いた。

「そうなんだ、よかったね」

「ああ」

香里はこちらを見ているだけで何も言わない。
名雪はわかっているのかいないのか、それでも嬉しそうに笑っている。

「ぼんやりしている暇は無いな。もうすぐ予鈴がなるぞ」

「あ、そうだね」

俺の言葉に促され、名雪が校舎へと早足で歩き出す。
それを追って進もうとした俺と、まるで何も聞こえないかのように立ち止まっていた香里の視線が絡んだ。

うかがうような瞳。

分かっている。
こいつもまた耐えているのだ。
逃げ出したい気持ちが無くなったわけではあるまい。
きっと戦っているはずのあいつを、すぐ近くで見守っているのだから。


「・・・・・なあ、香里」

「えっ?」

「ホワイトデーのお返しは、何が一番いいと思う?」


笑顔で、俺は言った。


その意味が伝わったのだろう、一瞬きょとんとした顔をした後、香里も微笑みを返してきた。


「・・・自分で考えなさい。そこまで面倒見切れないもの」

「そうだな。あとひと月もあるからな。ゆっくり考えるか」

「ひと月なんてすぐよ。今からバイトでもしたらどう?」

「ああ、それもいいかな」

「本気なの?、いいかげんな人ね」


呆れたように笑う、その顔は確かにあいつに似ていた。

そして俺たちは歩きだした。他の生徒と同じように、授業を受けるための校舎への道を。
北風が吹く校庭を。

ひと月立てばこの街も少しは春めくのかもしれない。
冬しかないようなこの街も暖かくなるだろう。

雪も全て消えてしまう。



それでも、

それは終わることではない。

あいつが生きている限り、何も終わりはしない。

たとえ会えなくても、抱きしめることも触れることもできなくても、
ただ一人の俺の恋人、あいつは確かに俺と同じ空の下で生きているのだ。

俺たちは、つながっている。

それが確かに感じられる。


だから俺は、この「日常」にいよう。
いろんな人に包まれながら、自分の足で歩いていこう。
逃げないでここにいること、
それをあいつが望んでいることを、俺は知っているのだから。

寂しくても、それでも笑ってここにいよう、あいつを想いながら。

自分の死を見据えても、けっして涙を見せなかったあいつのためにできる、それが唯一のことなのだから。



そして信じよう。

あいつが最後まですがることのなかった言葉、たとえそうであっても。
けれど昨日のチョコにはそれが託されていたように、今の俺には思える。

起こったから『奇跡』なのだ。
起こるわけがない、それでも起きたことを『奇跡』と呼ぶのだ。
なら、それはこれからも起こりうることじゃないか。


だから・・・・


だから、昨日のお返し、ちゃんと考えとかないとな。

きっとあいつは喜んでくれるだろう。

あの公園であいつがくれた似顔絵と同じ、満面の笑顔で。










〜fin〜








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katu@osaka.104.net



解説:

初のエヴァ以外SSです。

季節感まったく無視のヴァレンタインものだったりします。
しかもヒロイン回想シーンにしかでてこないし。(^^;

なんかかなり電波な祐一になっちゃいましたけど。
北川ストーカーだし(笑)



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