さいごの場所

Written by かつ丸








白い色




それはシーツの色




天井の色




壁の色




窓から見える景色の色





この世界で、最後に残された、最後に許された色。














夢のような時間はやはり夢で、私はまたこの場所へ帰ってきた。
楽しいはずの高校生活、その一年目のほとんどを過ごしたこの場所に。

春、夏、秋、そして冬。

私一人を取り残して季節は過ぎ去っていく。
始業式の日と、冬の一週間だけ通った教室のクラスメートたちは、一人を除いて私のことなど覚えてもいなかった。

春がきて、そのまま二年生になれば、きっと、また、すぐに忘れられてしまう、ただの通りすがりのような存在。
あの人たちにとっての私はその程度のものだ。
何年かして、同窓会があった時に、

(ああ、そういえばそんな子もいたっけなあ)
(なんて名前だったかしら)
(そんなの覚えてるわけないじゃん)
(そうだよね)

と、話題にでもなるだろうか? いや、それすらもかなわないのかもしれない。



16の誕生日からもう、何日が過ぎたのだろう。





私はそこにいたよ。

みんなと一緒に、確かにいましたよ。


忘れらても、気づいてもらえてなくても、それでも、それでも・・・・・・。






窓の外は雪。
ガラス越しに冷たさは伝わってはこない。けれど、世界を白く染める、その色だけは、まだ、私にも感じることができた。

やがて、私自身も、白く染められてしまうのだろう。
無くなってしまうのだろう。


「つらくない?」

そう尋ねるお姉ちゃんの声は、本人の方がよほどつらそうに聞こえる。
そんなことないと答える私を、強ばった顔で見つめている。

ほんとに、つらくなんかないよ。

お姉ちゃんとこうして話せて、
同じ学校に同じ制服を着て通って、
クラスメートとおしゃべりして、
中庭で大好きなバニラアイスを食べて、
・・・素敵な恋人ができた。

望んでいたことが、
もうかなわないと思っていた願いが、
私は全部かなったんだから・・・

大きな雪だるまは、作れなかったけれど。


だからもういいの。


動きまわっていた一月の間が嘘のように、私のからだはベッドに縛られている。
何もしていなくても息が切れて、熱に浮かされた頭は時折なにもわからなくなる。


この場所が私の最後の場所。


誕生日まで生きられないと、そう言われていた私は、今、ここにいること自体がありえないことなのだろう。
だからこのまま消えていくこと、それは自然なことだ。


あたりまえのことだ。


つらくなんか・・・・・ない。



春になれば雪が何も言わずに溶けてゆくように、
私もこのまま無へと還ればいい。


皆が忘れてしまっても、
私の姿がこの世界からほんのひとかけらすらもなくなってしまっても、
一人だけでも、私のことを覚えていてくれる人がいるなら。


それだけで私の生は報われるんじゃないかと思える。


そして、そのことには微塵の疑いもなかった。




一週間だけの恋人。




いや、まだ、別れたわけではない。さよならは言ったけれど。
わたしの想いはまだあの公園に残っている。
あの日、12時を時計の針が指したのと同時に、そこにとどまり続けている。

だからあの人は、いまでも愛しい私の恋人。たとえもう会うことも、声を聞くこともなくても。

それは私が生きていた証。

私の時が止まってもそれはなくなることはない。
あの人が生きている限り、
あの人が忘れない限り。


もしかしたら、いや、もしかしなくても私のしていることはあの人をことさらに縛ってしまうことなのだろう。
想いを抱いたまま消えていく私は実は幸せで、何もできずに残されるあの人の方が、むしろつらいに違いない。


病室のベッドの横で、私の顔をじっと見つめているお姉ちゃんと同じように。


ああ、そうだった。
私を忘れないのは、あの人だけじゃなかった。

学校が終わるとすぐに、面会時間の終わりまでずっと付き添ってくれる、こんなに優しいお姉ちゃんが、私にはいた。



ごめんね、お姉ちゃん。



心配かけてごめんね。

わがままでごめんね。

悲しい思いをさせてごめんね。


報いることも、償うこともできないけれど、
でも、お姉ちゃんがいてくれてよかった。
お姉ちゃんの妹に生まれてよかった。


最後に、私が「ありがとう」って言うのは、やっぱりお姉ちゃんにだと思う。




あの人には・・・・・


なんて言ったらいいのか思い浮かばない。


やさしい笑い顔は、まるですぐそばに本当にいるみたいに思い出せるのに。確かめあったそのぬくもりは、まだ鮮やかに感じられるのに。

言うべき言葉は、もう見つからなかった。

それは、もう思い残すことがないからかもしれない。
最後まで笑顔のままでいられるだけの強さを、思い出と一緒にあの人から貰ったから、だからもう、何も言うことはない。


このまま消えるだけ。


それまでは、微笑みを絶やさないでいよう。
きっとそのことをお姉ちゃんは伝えてくれるだろう。

















『それでいいの?』











誰かがささやく。






『ほんとに、それでもいいの?』






お姉ちゃんじゃない、でも知っている声。見舞いの誰かだろうか。けれど私の瞳には何も写ってはいない。
ただ白い世界が広がっている。




「いいんです」


見えない誰かに向かって答えた。
別に意地を張っているつもりもない。
淡々と答えた。



『でも、なくなっちゃうんだよ。どこにも、いなくなっちゃうんだよ』



泣いている、そう聞こえる。
私のために?


「わかってます。だけど・・・・」


どうしようもないから。
死にたくないと、泣き叫んでも何もいいことなどないから。
みんなを悲しませるだけだから。
笑っていれば、みんなが傷つかずにすむから。
私のために誰かが泣くところなんて見たくないから。
もう決まっていることだから。
だから・・・・


「私は・・・いいんです」


『へんだよ、そんなの。よくなんかないよ。キミのお姉さんも、お母さんも、お父さんも、それにキミの大好きな人だって、キミがいなくなって、悲しまないはずなんかないのに、傷つかないはずなんかないのに』



「だって・・・・」


ならば、私にどうしろというのだろう。

生きたいと願わなかったはずが無い。
この病から解放されることを、望まなかったはずが無い。

自分自身の努力でどうにかなるものならば、どんなにつらいことにでも耐えられただろう。だけど私に許されたことは、お医者さんの言うとおりに薬を飲み、ベッドに寝そべってじっとしていること、ただそれだけだったのだ。

そしてどのお医者さんも私を治すことはできなかった。
私の命の炎がゆっくりと消えていくのを見守っているだけだ。


奇跡・・・・
奇跡でも起きない限り、どうしようもない。

医者からそう言われた患者に、いったい何ができるだろう。

何もできはしない。

諦めるしかないではないか。



『・・・・諦めちゃだめだよ』


「どうして、なんですか?」


『キミは一人じゃないから。キミが生きることを望んでる人がいるから。・・・・キミを忘れていない人がいるから』



哀しそうな声が答える。
確かに泣いている。
だけど、私のためにではなくて、別の何かのために泣いているのかもしれない。
そんなふうに聞こえた。



『もう、悲しい思いをさせたくないんだ。誰かの大切な人がいなくなってしまうのは、ボクはもう嫌なんだ。だから・・・・』



白い世界の中で、何も見えない光の中で、誰かのすすり泣く声が聞こえる。
何も持っていないのは、諦めてしまっているのは、この人のほうなのかもしれない。


『大丈夫だよ』


私の手を取り、その人が言った。冷たい手のひらの感触、まるで雪みたいだ。
けれど私は、私の身体は、なんだか温かく、軽くなったような、そんな気がした。


「・・・・いいんですか?」


なぜそんなふうに訊ねたのか、その意味は、自分でもわからなかった。



『うん・・・』



「・・・ごめんなさい」


顔も姿も見えないその人が、まだ泣き止んではいなかったことも、それでも、微笑んで答えてくれたことも、私にはわかった。
それがなぜかとても申しわけなくて、いっそう冷たくなったその手のひらがとても哀しくて、私は、涙を抑えることができなかった。

















「・・・・おり・・・・しおり・・・」

「・・・・お姉ちゃん?・・・」

まぶたを開き、かすかに流れていた涙をぬぐう。
目の前にはよく知っている顔があった。
ここはどこだろう。そう考えるまでもなく気づく、自分の病室、それ以外にはありえない。

「どうしたの? ひどくうなされてたけど、お医者様を呼ぼうかって思ってたのよ」

「ううん、大丈夫」

実際、身体の具合は良くなっている気がする。熱っぽさも感じない。
知らぬ間に眠っていたようだ。では夢を見ていたのだろう。
窓の外はいつしか日が落ちている。暗く染まった街を白い灯がところどころに照らしていた。

「お姉ちゃん・・・・」

「なに?」

「窓、開けてもいい?」

「・・・・寒いわよ」

「お願い・・・・」

冬の風にあたるのは私の身体には良くは無い、だからお医者さんには禁じられている。
だけど私の顔をじっと見つめた後、お姉ちゃんは小さくため息をついて立ち上がった。

私のベッドからは届かない窓枠に手をかけ、ゆっくりと半分だけ開く。

鈍い音をともなって、病室に風が入ってくる。私の頬に冷たい空気があたる。


「ほら、寒いでしょう?」


窓から手を離さずにお姉ちゃんが問いかけた。でも私は首を振って止めた、まだ閉めないでくれと。

部屋の温度が下がる、吐く息が白くなる。
けれどこの風は、この冷たさは、一月に私が感じていた空気と、あの人と一緒に過ごした場所でまとっていた空気と、確かに同じものだった。

あの人のそばにも吹いているのだろうか、この風は。



「・・・・もう、いいわね」


どれくらい時間が経ったろう。ほんの2、3分だったかもしれない。
そう言って、お姉ちゃんは窓を閉めた。
また部屋の空気は元に戻っていく。エアコンで作られた、人工の空気に。

それでも私にはわかった。わかった気がした。
この窓の向こうに吹いている風は、冬の街並は、私から奪い去られてしまったわけではないと。
手を伸ばせば感じられる場所に、今も私はいるのだと。
生きている限り。

そして、まだ、私は生きている。

生きたいと思っている。




「そろそろ帰るわ。また、明日来るから」


もう面会時間が終わるのだろう、身支度をしながらお姉ちゃんが言った。いつもならとても寂しくなるけど、今日はそれ程でもなかった。
うなずきながら問い掛ける。ずっと訊いていなかったこと、もう、私には関係ないと思っていたこと。


「お姉ちゃん・・・・」

「何?」

「今日、何日だった?」

一瞬不思議そうな顔をして、それでもお姉ちゃんは答えた。

13日だと。


私の誕生日から、私がこの病室に入ってから、「もう」、だろうか、「まだ」、だろうか。

ただ、そんなことよりも、今日が「その日」よりも前だったことが、私には嬉しかった。



「・・・ねえ、お姉ちゃん」

「どうしたの?」

「お願いがあるの・・・・・」



怪訝そうな顔をするお姉ちゃんに微笑んだ。
そして今ここにはいないあの人にも。


まだしたいことが全てかなったわけではないなら、もう少しあがいてみてもいいのかもしれない。
諦めずにいてもいいのかもしれない。


何もできなくても、

奇跡を願うしかなくても、

それでも生きている限り、

私はみんなとつながり続けているのだから。




「明日、バレンタインデーでしょ?」




やっぱりわがままかもしれない。
あの人の心を乱すだけかもしれない。


だけど・・・・、


それでも後悔しないように、
あの時泣いていた誰かの、想いを消さないために、



私は、そうして生きていこう。


私の時が止まる、その瞬間まで。









〜fin〜








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katu@osaka.104.net



解説:

kanon第4弾。
しおり一人称です。

言葉づかいで栞っぽくない気がしないでもないですけど(^^;;
ただ香里相手に「です・ます」調では話さんと思うんですよね。
「お姉ちゃん」って呼んでるくらいだから。もうちょい普通にくだけてるんじゃなかろうかと。
祐一に対しては一応年長者だから敬語っぽいんじゃないかなと。

一応、この話は第一弾の裏バージョン・・・になってるかな(^^;;

しかしこの話って同じネタいっぱいありそうだな。読んでないだけにわからん。



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