しんじとれい

〔第一話 約束〕

Written by かつ丸



1.


「それじゃね、シンちゃん。ちゃんと宿題するのよ」

「分かってるよ、マナ。じゃあまた明日ね」

放課後、徒歩で15分ほどのところにある中学校から一緒に下校した幼なじみの霧島マナと別れ、碇シンジは自宅へ帰った。
音流布寺、それが彼の家。国内最大の勢力を持つ是得礼宗の末寺だ。
鎮護国家の教義を持ち、平安時代から続く是得礼宗の中でも、この寺はその本山と並ぶ古さを誇っているが、住むのは住職であるシンジの父ゲンドウとシンジの二人だけ。
シンジの母ユイがシンジが5歳の時亡くなってから、ずっとそれが続いている。
法事であちこちを周りほとんど家に帰らないゲンドウに家事をする余裕など無く、シンジが幼い頃は近所に住むゲンドウの知り合いの娘が彼らの面倒を見ていたが、最近はもっぱらシンジが家事を行っている。

今日も帰って着替えるとすぐにシンジは掃除をはじめた。
本堂はあまりに大きいので週末に本山から人を呼んでやって貰っているが、住居部分だけでも結構な広さだ。
そのためまめに掃除をしないとすぐにホコリにまみれてしまう。
今日はゲンドウは遅くなると言っていた。夕食はコンビニででも買えばいいだろう。
集中して片付けをするのもいいかもしれない。シンジはそう考えていた。
そうすれば週末は余裕がでる、好きなチェロ演奏に打ち込める。
そう思えば家事も苦にはならなかった。


久し振りに大がかりな片付けをしたせいだろうか。
一息ついた部屋の隅には、小物や本のたぐいが段ボール箱に5、6個ほどたまってしまった。
ほとんどがゲンドウのものだ。勝手に捨てるわけにもいかない。

「どうしよう・・・・物置はもう一杯だし」

ひとりごちてシンジは考えていた。

自分で何もしないわりに、ゲンドウはあれこれと口を出す。放っておけば文句を言われるのは確実だ。
このままにしておくわけには行かないだろう。
無愛想なだけで悪意などないと分かってはいたが、シンジはいかつい顔をした自分の父親が少し苦手だった。

どこかに置き場所はなかっただろうか、広い家の割に物置のたぐいは少ないのだ。あまり目につくところに置いておくのも落ち着きがわるい。
蔵のようなものでもあればいいのだが、仏具を納めているところにしまっておくのも問題がある。
その時、突然思い出した。本堂の裏手にある地下室のことを。

本堂の裏、そこには地下に通じる扉がある。
ゲンドウはその中のことを「どぐま」と呼んでいた。
昔からシンジにしつこく繰り返している、決して近づいてはいけないと。
怖い顔で脅されて半泣きになって頷いたものだ。
しかし実はシンジが幼い頃、一度だけ父の目を盗んで中に入ったことがあった。
その時のことを思いだしたのだ。
確かかなりのスペースがあったような記憶がある。当時のシンジの身体が小さかったことを差し引いても、この程度の段ボールなら充分入るのではないか。
そう思ってシンジは確かめに向かった。


夕陽が照らす本堂、もうすぐ日が暮れる。
床面にある扉をシンジは見つめていた。
ここ数年近づくことすらしなかった場所。
昔この中に入った後、いったい自分はどうしたのか。シンジはよく覚えていなかった。

そう、あの時は母が死んで少したった頃、ゲンドウが自分を置いてどこかに出かけていた時のことだった。
本山から派遣されてきた世話係の人に馴染めず、家から逃げ出したのだ。
怒った声でシンジを探すその人から、隠れるために入った。この中に。
それからどうしただろう。誰かに会ったような気もする。恐怖は感じていない。

悩んでいても仕方がない。日が落ちる前に済ましてしまわなければ。
そう思いシンジは扉に手を掛けた。たいした抵抗もなくあっけなく開く。
扉の向こうにあらわれたのは下に続く階段。
暗いためにその奥はよく見えない。
扉は開けたままにし、シンジはゆっくりと中に入って行った。


思ったよりも深い、かなり大きな地下室。光はあまり届かない。
ようやく下についたシンジの眼に何かが写った。
少し離れたところに。

青い色と白い色。人の形をしている。

壁に張りつけになっているのか
なにか棒のようなもので貫かれている。

目を凝らす。

青い色は髪の毛。白い色は肌。

そこには少女が立っていた。くし刺しになって。

そしてシンジを見つめていた。

紅い瞳で。




*************


2.



「だ、誰?」

どれぐらい時間が経ったろう。
長い自失のあと、少女にシンジは問いかけた。 いらえはない。
口をつぐんだまま、何の感情も出さずに、その少女はシンジを見つめている。

まるで吸い込まれるように、彼女のそばへとゆっくりと近づいた。

年は自分と同じ中学生くらいだろうか。
ショートカットの髪形、シャギーのようにも見える。
服などなにも身につけていない。裸のまま。
女性の裸体に慣れてなどいないが、あまりの現実感の無さがシンジから羞恥の心を奪っていた。
そして少女を貫く赤茶色の棒。
ちょうど心臓の位置に突き刺さっているのに、身体からは一滴の血もでていない。
しかし彼女は生きている。先程からシンジを見る瞳の動きでそれは分かる。

人外の存在。

子守歌がわりに昔ゲンドウが話してくれた妖怪たちのことが思いだされる。
そんなわけはない。しかし他には考えられない。
射るような光を放つ紅い瞳がそれを証明している。

歩みを止め、少女の間近に立つ。その時初めて彼女の唇が動いた。

「・・・・・やくそく」

約束?
確かにそう聞こえた。

「待っていたわ・・・・・あなたを」

静かな口調で少女は言った。シンジを見つめながら。

「僕を?」

少女が頷く。
そしてその視線が動いた、彼女を貫く棒へと。


『僕がもっと大きくなったら、ぜったい助けにくるから』


頭の中で声が響く。それは幼い頃の自分の言葉。
シンジは思いだした、自分が彼女を知っていることを。

あの日確かに彼女と会った。そして約束した。

それを果たさねばならない。

導かれるように棒に手を掛ける。
その先端は石の壁に深く刺さっている。生半可な力ではぬけまい。
しかしシンジが右手に力を込めると、それはあっさりと引き抜かれた。

先のとがった棒。いや、槍と言った方がいいだろうか。
シンジが見つめる前でそれは形を変えた、生きている様に。
みるみる先端が二つに別れていく。Uの字の形に。
よく見るとその槍は二本の線がよじり合わさるようにして作られていた。

不思議な動きをする槍に気を取られていたシンジは思いだした。少女はどうなったのだろうか。

視線を戻す。

彼女はまだ壁際に立っていた。その白い肌には傷一つついていない。
紅い瞳がシンジをじっと見ている。表情は変わらない。なにも伺いしれない。
言葉を無くすシンジに、再び彼女の唇が動いた。


「あなたは約束を果たした。・・・次は私の番・・・一つになりましょう・・・私の中で」




*************


3.


「え・・・な、なに?」

少女の言葉に不穏なものを感じ、思わずシンジは後ずさった。
彼女は動かずにシンジを見ている。
目と目があう。

「・・・・・・痛くはしないわ」

そう言って少女は足を踏み出した。

「・・・な、なにを言ってるの?」

ゆっくりと歩み寄ってくる少女にあわせるように、シンジも後ろに下がった。

裸の少女が迫ってくる。
本来なら喜ぶべき状況なのかもしれない。
しかし艶めいた雰囲気は無かった。

「一つになれば・・・悩みも全て消えるわ・・・あなた自身さえも・・・」

まるで氷のように冷たい彼女の表情。
初めて恐怖を覚えた。
身体が震える。

捕まってはいけない。

そう思い、踵を返してシンジは走ろうとした。

「あなたは望んでいた・・・・・どうして逃げるの?」

後ろから声が聞こえる。
かまわずシンジは階段を駆け上がった。

一気に表に出る。あまりに動揺したためだろうか、シンジの息はすでに切れていた。

まだ日は落ちていない。
夕焼けが空を染め周囲をオレンジ色にしている。
辺りは見慣れた風景。
ただシンジの手に持った槍だけがいつもと違う。
振り向く。
5メートルほど向こう。「どぐま」へと続く扉は開かれたままだ。
あのままにしておいていいわけがない。
しかしシンジには再びあそこに近づく勇気など無かった。
無意識に槍を強く握りしめ、そのまま扉を見つめる。

きっと追ってくる。それは分かっていた。
案の定、青い髪が入り口からのぞく。

・・・・来る。

シンジは思わず生唾を飲んだ。
見る間に彼女が表に出てくる。
覚悟していた筈なのにシンジはその光景に目を奪われていた。
信じられない光景。

階段を上ってきたのでは無かった。
青い髪の少女は空中に浮かんでいた。

白い肌が夕陽に染まっている。

「外の世界・・・・・・風を感じる・・・自由・・・・」

少女が呟く。シンジのことは視界に入っていないのだろうか。
いや、そうではない。
紅い瞳は表にでた瞬間からシンジを捕らえていた。

「あ・・・・ああ・・・」

絶句するシンジ、それを少女が見据えている。

「約束を果たす・・・・全てはそれから・・・・・」

呟くようにそう言うと、彼女はシンジに向かってきた。宙を飛んだまま。

「わ、わああああああああああぁぁああ!!」

パニックになってシンジが叫んだ。足が震えて動けない。

殺される。

そう思った時、応えるように槍が震えた。シンジの腕の中で。




*************


4.


青い髪の少女がシンジに襲いかかる。
その白い手が彼に触れようとした刹那、シンジの身体が光った。

紫色に。

「・・・・・くっ・・」

その光に弾かれたように、少女がシンジから離れる。
一瞬何が起こったのか分からず、シンジは槍を見つめた。
震える槍に導かれるように咄嗟に前に構えたのだが、これが助けてくれたのだろうか。
まるで意思を持っているようだ。
武道の心得など全くないが、この槍を持っているだけで何か自分が強くなったような気がする。

中空に浮かぶ少女に視線を移す。
うかがうようにシンジを見ている。表情は変わらない。
彼女に対する恐怖は消えない。
しかし不思議と敵意は湧かなかった。
害意があるわけではない。なぜだかそう思えたから。

「・・・・・・どうして?」

少女が問いかける。
その声には少し悲しそうな響きがこもっていた。
おもわず引き寄せられそうになる。
断ち切るようにシンジは槍を強く握りしめた。

見つめ合う。そのままお互いの動きが止まる。


それを打ち破るように、遠くで声がした。

「・・・シンちゃ〜ん」

・・・マナだ。

中華料理屋を経営しているマナの家はここからすぐ近くにある。
ゲンドウの帰りが遅いことは今日話したので、夕食のおかずでも持ってきてくれたのだろう。
シンジの料理の腕前は彼女の父親も認めるところだが、一人でいるときにはおざなりなものしか食べない。 それを心配してか、彼女はたまに惣菜を持ってくる。
余りものだといいながら。

昔からマナはあれこれとシンジの面倒を見てくれた。
シンジが小学校に入学したのと前後して彼女もこの街に引っ越して来て、それ以来の付き合いだが、同い年のシンジをまるで弟のように扱う。
女子の方が精神年齢が高いせいだろうか、シンジも彼女の事はまるで姉のように思っていた。

「・・・シンちゃ〜ん、いないの〜」

声が徐々にこちらに近づいてくる。

青い髪の少女も気づいたのか、シンジから視線を外し、声の方向を見ている。
初めて彼女の表情が動いた。
より厳しい顔に。
そして少女の指が熊手のように長く伸びた。その先は鋭くとがっている。

「・・・・邪魔・・・」

つぶやく少女の言葉を聞き、シンジの頭の中は白くなった。

「や、やめろ!!」

少女に向かって叫ぶ。
再び槍が震えた。
シンジの全身を紫色の光が包む。

マナに何かさせるわけにはいかない。
そう思えば少女への恐怖など消えた。

少女がシンジを見る。
少し驚いているようだ。

「・・・・そう・・・今は無理ね・・・・・」

そう言うと彼女はそのまま飛び去っていった。



「シンちゃん、なにしてるの?」

ようやくシンジを見つけたマナが目にしたのは、なにか長い棒を持ったまま空を見つめて固まっている彼の姿。
その後、彼に何を訊いても生返事しか返っては来なかった。




*************


5.


「ねえ父さん。訊きたいことがあるんだけど」

その日の夜。9時過ぎに帰宅したゲンドウに茶を出しながら、シンジは話を切り出した。
部屋の中でもサングラスをつけたままの彼の父親は、湯飲みに口をつけながら目で先を促す。

赤いサングラスの僧侶。
よく世間が黙っていものだとシンジは思うが、ゲンドウにいわせれば宗派の代表は特殊なバイザーをつけているそうだから、問題ないのかもしれない。

「・・・『どぐま』の中には何があるの?」

シンジの言葉に一瞬ゲンドウの動きが止まる。
この寺で生まれ育ってきて、「どぐま」のことをシンジから質問したのは初めてだった。
何故そういうことを訊く、普通の親ならそう尋ねるところだろうが、ゲンドウは少し怪訝な顔をしただけだった。

「・・・・槍だ」

「槍?」

問い返しながら、シンジは自分の足元を見る。
そこには包帯で巻いた槍が置いてある。ゲンドウの位置からはテーブルに隠れて見えないはずだ。

「ああ、獣の槍と呼ばれている、妖怪を退治するための槍だ」

「妖怪を・・・・」

シンジの目に青い髪の少女の姿が浮かぶ。

「でもどうしてあんなところに?」

「千年近く前・・・一体の妖怪を槍によって退治しようとした。しかしその妖怪の力は強く、槍の力を持ってしても動きを止めるのが精一杯だった・・・その時槍と一緒に妖怪を封印した場所、それが『どぐま』だ」

「・・・今も封印されてるの?」

ゲンドウの目を見ずにシンジが尋ねる。

「ただの伝説だ・・・・だれも確認はしていない。あの扉は開かんからな」

「えっ・・・・開かないの?」

そんなわけはない。少なくともシンジは二度も中に入っている。

「ああ・・・・扉自体に強力な呪術がかけられているようだ。千年の間、誰も中には入っていない」

「・・・だったら、なぜ分かるの?」

「この寺に伝わる伝承だ。封印の地を守るために建てられたのが、ここ音流布寺だ。お前ももう知っておいてもいい年齢かもしれない」

まるでシンジが寺を継ぐのを当然というのような口調で話す。
いつものシンジなら反発するところだが、今日はそれどころではない。

「封印されたのは・・・・・どんな妖怪なのかな?」

「・・・・珍しいな。お前が信じるような話ではないと思うが」

確かにそうだ。妖怪の話はゲンドウの十八番だが、子供のころならともかく、最近のシンジはまともになど聞いていなかった。

「とても強い妖力を持っていたそうだ。その力で多くの人を殺したと伝承にはある」

「・・・・人を食べるの?」

「それは分からん。しかし害をなすものなのは間違いなかろう」

あのとき見た長くとがった爪。確かにそうなのかもしれない。
自分は取り返しのつかないことをしたのだろうか。
シンジの不安は消えなかった。




*************


6.


深夜。

本堂の裏に再びシンジは来ていた。

「どぐま」への扉は夕方ここを立ち去る時に既に閉じている。
黙りこくったまま扉を閉めるシンジをマナはずっと見ていたが、きっと変に思われただろう。
だが、理由を話すわけにもいかない。
槍を抜いて少女の妖怪を解放してしまったなどと、話しても信じてはくれないだろうが。

右手には槍。
包帯はもう外してある。

結局ゲンドウには何も話さなかった。
自分がなんとかしなくてはならない。
責任をとるとかではなく、自分にしかそれはできないのではないか。
シンジはそう考えていた。
根拠は無い。
ただ、手の中の槍がシンジにそう告げている。そんな気がした。

空を見上げる。

満月。

青白く光っている。
敷地が広いため、街の明りもここまではほとんど届いて来ない。

その輝きとあの少女の面影が重なる。

一つになる。そう言って襲ってきた彼女。
シンジを殺そうとしていたのか、それは分からない。
約束。
あの幼い日、彼女と何を話したのだろう。

シンジは月を見つめた。

彼女は必ず来る。それは確信。
シンジの気持ちに応えるかのように、月に人影が重なった。

彼女だ。

まるで月から生まれたかのように、青い髪の少女はあらわれ、静かにこちらに降りて来る。
シンジはただそれを見つめている。

シンジから3メートルほど離れた空中。そこで彼女は止まった。
夕方と同じ。その身体にはなにも身につけていない。
月の光を浴びほのかに輝いているようだ。

「・・・・約束」

夕方と同じ口調で彼女が言う。

「ねえ、約束ってなんだよ。僕をどうするつもりなんだよ」

槍を握りしめながらシンジが問いかける。
その言葉が聞こえないかのように、再び彼女はゆっくりとシンジに近づいてきた。

「・・・・私と一つになる・・あなたは私の中で生きるの・・それが約束」

「く、来るな!!」

シンジが叫ぶ。少女の動きが止まる。
槍を構えたシンジを不思議そうな顔で見ている。

「・・・・君の中で生きるって、そんなこと出来るわけないじゃないか。おかしいよ、そんなの」

「簡単なこと・・・あなたはじっとしていればいい・・・すぐに終わる・・・意識も消えるわ」

「い、嫌だよ! それって死ぬことと同じじゃないか!」

いきり立つシンジに少女が首を傾げて答える。

「でも・・・あなたはそれを望んだわ。だから私を解放した・・・・違うの?」

「し、知らないよ!! そんなこと!!」

その声に呼応するように、また槍が震えた。
シンジの身体が紫色に光る。

「そう・・・・私を拒否するのね・・・・・なら・・・死になさい」

シンジを見る少女の瞳が険しくなる。
そして徐々に、彼女はその姿を変えていった。

鋭く伸びた爪。振り乱した長い髪。獅子のような両足。
顔には青い隈取り。見開かれた紅い瞳が光る。
耳まで裂けた口とそこからのぞく尖った牙。
身体も一回り以上大きくなっている。

すでに少女の形はとどめていない。

それはまさに獣だった。




*************


7.


少女が、いや、少女だったモノが咆哮をあげる。

その響きに空気が震えるのを感じながら、シンジは槍を構えた。
彼の身体を守っているのか、ほのかな紫の光がシンジを包んでいる。
まるで鎧のように。

槍から力が伝わってくる。

だからシンジに恐怖心は起きなかった。

・・・・なんとかしないと

マナやゲンドウ、クラスの友人達の顔が思い浮かぶ。
こんな化け物を野放しにするわけにはいかない。

風を切り裂き、唸り声とともに獣が襲いかかる。
爪が空気を薙ぐ。
早い。
咄嗟に槍で庇おうとした彼を嘲笑うかのように、シンジの肩口から血が吹き出す。

「ぐっ・・・」

シンジがうめく。再び獣が迫る。

「うおおおおおおぉぉぉおお!!」

叫びながらシンジが槍を振り回す。
当たらない。
しかし、その先端から発された衝撃波が空に浮かぶ獣を打つ。
弾かれ、獣が距離をとった。咆哮。そして口から焔を吐き出す。
予想していなかった攻撃。
避けられない。
赤く燃え盛る火がシンジの身体を焦がすと思われた刹那、何かが遮った。
オレンジ色をした六角形の壁。突如シンジの前に現れたそれが焔を防ぐ。
これも槍の力なのか。

考えている余裕は無い。
また獣が来る。

槍を構える。交差。
動きについていけない。
やっとの思いで防いだ。
完全ではない。爪がかすっただけでシンジの皮膚は裂ける。
紫の光のせいか、痛みは感じていない。
だが、シンジの体力は確実に奪われている。

接近戦が有利だと分かったのだろう。
槍からでる衝撃波を裂けながら、シンジの間近で獣が爪を何度も繰り出す。
その度にシンジの身体のあちこちから血が吹き出る。
シャツは全て切り裂かれ、上半身が露になっている。
胸にも背中にも無数の傷。
肌は血で真っ赤に染まっている。

槍の持つ力にシンジが追いついていない。
武道の経験があるわけではない。
今のシンジは槍に振り回されているだけだった。
だから避けきれないのだろう。

出血のせいか頭が朦朧としてくる。
限界だ。
その思いとともに、徐々に意識が遠くなっていった。


獣が激しくシンジを襲う。
目に見えてシンジの抵抗は弱まっている。
むしろ槍に引きずられているようだ。
とどめを刺すつもりか、獣が腕を大きく振り上げる。
長い爪が月光できらめく。
ふり下ろした爪が、シンジの頭をえぐると思われたその時、シンジの身体がより強く光った。
獣の爪が弾かれる。

何かを感じたのか、獣がシンジから離れる。
そして紅い瞳で見つめる。まるで見守るように。

光が少し弱まった時、シンジの姿も少し変わっていた。
人の形が失われたわけではない。
だが、様子はあきらかに違う。
腰まで長く伸びた髪。傷口は全て塞がっている。
紫色の肌。人のもつ色ではない。
そして彼の目。紅く輝いている。
そこに理性は感じられなかった。

槍を手に持ち咆哮する。

その姿もまた獣だった。

紫色の獣と青白色の獣。
二頭の獣が対峙していた。

月光のもとで。




*************

8.


紫の獣が飛び上がる。
先程までのシンジの動きとは違う。
人間離れした跳躍力で、空中に浮かぶもう一頭の獣に迫る。
髪を振り乱しながら槍を叩きつける。

悲鳴に似た叫びをあげ、青い髪の獣が地面に落ちる。
槍を持った紫の獣が上から追う。
下から焔が放たれる。槍がそれを切り裂く。
落下の勢いと共に槍がふり降ろされる。

抵抗をはねのけ、槍が獣を捕らえる。
白い身体に突き刺す。
肩口を槍で貫かれ、青い髪の獣が暴れる。
穴が開いている。
しかし血は出ない。元から通っていないのか。
そのまま地面に繋ぐ。動きを封じるように。
痛みのためか、それとも槍の効果か、青い髪の獣の動きが目に見えて鈍くなる。

それを紅い瞳で見つめながら、紫の獣は槍を持つ手に力を込めた。
叫び声にひるむことも無く。




シンジは幻を見ていた。

幼いあの日、「どぐま」で見た風景。
今日の夕方と同じ、少女が槍で繋がれていた。
あの時の自分にとっては大人の女の人としか写らなかったが。
扉を閉めていたため、光は入って来なかったはずだ。だが、彼女は青白く光っていたような気がする。 それに惹かれるように近づいたのだ。
シンジは魅了されていた。彼女の姿に。

「何をしてるの?」

そう問いかけたのは、自分だったろうか、彼女だったろうか。
初めて会ったはずなのに、どこか懐かしい面影。
その顔に感情はなかったが、シンジを見つめる視線は優しいような気がした。

その後シンジは色々なことを話した。
死んだ母親のこと。留守勝ちな父親のこと。厳しい世話役のこと。友達がいないこと。


・・・一人が寂しいこと。


「そう・・・・あなたも同じなのね・・・私と・・・」

シンジを見下ろしながら少女は言った。

「おねえちゃんもさびしいの?」

少女が頷く。

「私は・・・ずっと一人だったから・・・・」

無表情な顔。紅い瞳は虚ろに光っている。
今まで、そこには何が写っていたのだろう。

引き込まれるようにシンジが少女に手を伸ばす。
だらりと垂れ下がった彼女の手のひらに触れる。
冷たい。
まるで生気が感じられない。
シンジの手を握り返すことも無い。

この棒のせいだろうか。

手を伸ばす。しかし届かない。飛び上がっても、それはシンジの指先が触れることすら叶わなかった。 悲しくなる。涙がこぼれる。

泣きながら何度も棒に飛びついているシンジを、少女は不思議そうに見つめていた。

「なぜ・・・・泣いているの?」

問いかける少女の声も聞こえないのか、シンジは何も答えずにただジャンプを繰り返す。
何度も何度も。
だが、結局それは徒労に終わった。
地面にへたり込み少女を見上げる。シンジの涙は、まだ止まっていない。

「ごめん・・・ごめんなさい・・・」

「・・・・あなたが謝ることはないわ。わたしはとても長い間こうしていたから・・・」

「でも・・・・ぼくは・・・・・」

「・・・もう、行きなさい。ここはあなたがいるべきところではないわ」

諭すような言葉。
いつまでもここにはいられないこと、それはシンジにも分かっていた。

「・・・・ぼくがもっと大きくなったら、ぜったい助けにくるから」

涙を拭い、叫ぶようにシンジが言う。

「だからそうしたら、ずっと、ずっといっしょにいようね」

『どぐま』の中にシンジの声が響く。
青い髪の少女は、少し間をおいた後、静かに頷いた。


その時、確かに彼女は笑っていた。




*************


9.


シンジは思いだした。
あの時の自分の言葉。交わした約束。

あの後、何度も「どぐま」に入ろうとした。
しかし扉は開かず、いつしか忘れてしまっていたのだ。
彼女のことを。



意識が戻る。

そして気づいた。自分の身体の変化に。
紫色の肌、まるで鎧のように堅い。まとわりついているのは髪の毛だろうか。
力が溢れる。抑えきれないほど。
油断するとまた意識が飛びそうになる。
いったい何が起こったのか。

手の中には槍が握られたままだ。
その先には・・・・青い髪の少女がいた。
白い胸を、シンジが持つ槍に貫かれて。

力を失ったのだろうか。もう獣の姿はしていない。
地面に仰向けに寝ている。磔になって。
彼女の紅い瞳はシンジを見ている。
冷たい光。

・・・・違う。こんなこと、僕は望んでいない。

身体から力が抜ける。
肌の色が紫から彼本来の色に戻る。そして髪の毛も。
傷は全てふさがって痕一つ残っていない。
いつものシンジ。
むき出しの上半身と切り裂かれたズボンだけが、戦いのあったことを示している。

少女を見つめる。
あの時と変わらない姿。
10年近くの間、彼女は自分を待っていてくれたのだろうか。
たった一人で。

「・・・・・ごめん」

静かに槍を抜く。

「・・・・どうして?」

まだ力が戻らないのか、地面に倒れたまま、少女が尋ねる。

「思いだしたんだ。あの時の約束を・・・・・」

「そう・・・・・・じゃあ、一つになるの?」

シンジが首を振る。

「でも、人間はすぐ死んでしまう・・・・そうしないと一緒にいることはできないわ」

「君の中で一つになって、僕がいなくなったら・・・・君はやっぱりひとりぼっちじゃないか。それじゃ駄目だよ」

少女がシンジを見つめる。

「だから・・・・このままでいいんだ・・・このままで、一緒にいよう」

見つめ合う。
黙り込んでしまった少女に、シンジは手を差し伸べた。

長い沈黙の後。
少女がその手をつかんだ。

シンジが力を込め、引き寄せる。
軽い。
千年以上生きた妖怪。しかしそんな印象は微塵も無い。
立ち上がった少女は、華奢で儚げで、今にも消えてしまいそうだった。

「何か・・・・着た方がいいよ」

裸の彼女に初めて気づいたように、シンジは恥じらいを覚える。
上着でもかけてあげればいいのだろうが、シンジ自身も上半身裸だった。
青い髪の少女は、意味が分からず小首を傾げている。
彼女から目を逸らし、シンジは空を見上げた。

満月。

青白く輝くそれを、隣に佇む少女も見ている。
二人並んでいることが、とても自然に感じられた。

終わった。いや、始まったのだろうか。

安心し、シンジの身体から力が抜ける。
先程の変身の反動か。全身がだるい。

立っていられない。

そのままシンジは、眠るようにその場に崩れた。




*************


10.


「碇くん、どうしちゃったんですか?」


朝の教室。
焦点の合わない顔で前を向いているシンジを見ながら、マユミがマナに問いかけた。

「さあ、この間からなんか様子が変なのよ」

後ろを振り向いて同じようにシンジを見ながら、マナが答える。
小学校のころからシンジを知っている彼女だが、こんな彼を見るのは初めてだった。


自分を見ている視線にも気づかず、シンジは小さくため息をついた。

意識を失った後、気づいたら自室の布団で寝ていた。
夢だったのか。
最初はそう思った。

しかし目覚めた時、まだ握っていた槍。
それが全てが現実だと教えてくれた。

慌てて起き上がり、あの少女を探したが、どこにも見つからなかった。

自分を置いて、どこかに行ってしまったのだろうか。
封印を解かれ自由になったのだから、そうであっても不思議ではない。
喪失感。

事情を話そうとゲンドウを探したが、彼の姿も無い。

少女がいないことと関係あるのだろうか。
そういえばあの後ゲンドウの声を聞いたような気もする。

そしてシンジは途方にくれてしまった。

あれから数日。
少女の姿は見ない。ゲンドウも帰って来ない。
「どぐま」の中に入ったが、そこにはもう誰もいなかった。

一人で時を過ごしながら、シンジは槍をそばに置くことで、気を紛らわせていた。
それだけが少女との絆のように思えたから。

今、この教室にも槍を持ってきている。
包帯に巻かれてあるので、一見するとただの棒にしか見えないが。
シンジの席の横にそっと置かれている。
邪魔になりそうな気もするが、気づかないのか、誰も注意する者はいなかった。

ドアが開く。
担任の教師が入ってきたのだろう。
教室が急に静かになる。
不自然なほどに。

虚ろなシンジの眼にもそれは写った。

青い髪の少女。

彼女がいた。中学校の制服を着て、教師に連れられて立っている。
顔に表情は無い。だが、紅い瞳はシンジを見ていた。

訳がわからない。
驚くシンジの脳裏に、ゲンドウの悪魔のような笑みが浮かぶ。
全ては彼の仕業だろう。

「綾波レイさんです。みなさん、仲良くしてあげてください」

教師の紹介に、少女は小さく頭を下げた。

「じゃあ、綾波さん、あそこの開いている席に座ってください」

教師が指さす。そこはシンジの隣の席。
頷いて少女は歩きだした。シンジの方へと。

間近にくる。彼女が立ちどまる。
思わずシンジも立ち上がった。

見つめ合う。
クラス中が注目していたが、シンジには気にもならなかった。

「・・・・名前」

「えっ?」

「あなたの、名前は?」

「碇・・・・碇シンジ」

紅い瞳を見ながら、シンジが答える。


「そう・・・・よろしく、碇君」

そして少女は微笑んだ。


あの時と同じ笑顔で。




〜つづく〜








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解説:

1万ヒット記念です(^^;;
某妖怪退治マンガのパロディですが基本はエヴァです。
レイが思いっきり人間じゃないですけど・・・

もともとは冒頭部分しか考えていなかったんですよね。
それを発端に某所の掲示板で連載していたものでこの度サルベージしました。

戦闘シーンの描写はホントに難しいです。




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