しんじとれい

〔第二話 蠢動〕

Written by かつ丸



1.


暗い部屋。
畳敷きの和室。
そこには6人の男たちが集まっていた。
車座で座って。
明りはついていない。
それぞれの顔をろうそくの火が照らしている。
みな、深刻な面持ちをしていた。


上座に座った銀髪の男が、対面に座ったサングラスの男を見ている。
赤いレンズ。その奥は見えない。瞳が持つ光も。
しぐさだけが不敵に写る。
周りの男たちは、銀髪の男を窺っている。
しかし、彼がつけるバイザーが、サングラスの男と同様に、その表情を隠していた。


「報告は確かなのか」

銀髪の男がサングラスの男に問いかける。

「はい、槍はその持ち主を選びました。伝承のとおりです」

「・・・それが君の息子とは、少し出来すぎではないのかね?」

横から皮肉な声がかかる。

「自力で扉を開けたのは事実です。力の発動も確認しました」

サングラスの男は動じた様子も無く、静かに答える。

「ただの偶然かもしれん。伝承が実現するとなると、それは大変なことだよ」

「さよう、千年続いたこの教団が存亡の危機にさらされることになる」

「それだけではない。多くの生命が失われる可能性もある。それが防げるのかね、君の息子に」

「聞けばなんの修行もせずに、楽曲なんぞにうつつを抜かしているそうではないか」

「惰弱な。やはり候補者でも無い者に槍を任せるわけにはいかん」

堰を切ったように非難の声が上がる。
しかしサングラスの男は、先程からなにも話さない銀髪の男しか見ていなかった。

「・・・・槍が表に出たのは事実だ」

ようやく声を発した銀髪の男の言葉に、周囲は沈黙する。

「伝承が本当であれば、その兆候があるはず。見極めはそれを待ってからでいい」

「し、しかし、無能な者に槍を使わせるのは危険すぎます」

「槍のことは何も解ってはおらん。今は様子を見るしかなかろう」

有無を言わさない様子で、銀髪の男は言った。
そしてサングラスの男を見る。

「監視については、身内のお前に任すわけにはいかん」

サングラスの男は黙って頷く。

「見極めが終わるまで、こちらから人を派遣しよう。当分、寺に帰るには及ばんよ」

「わかりました」

「よろしいか?」

「「「「御意」」」」

唱和の声が響く。

「・・・以上、評議会の決定事項とする」

その声に促されるようにろうそくが吹き消され、男たちの姿が消えた。
後に二人の男を残して。

「議長・・・・一つだけお願いがあります」

銀髪の男が頷く。

「『少女』の件だな。調査の結果、現状では封印、滅殺のいずれも困難ということだ。お前の言うとおりにするほかあるまい」

「はい、今のところ彼女に害意は無いようです」

「槍のそばに置いておくしかなかろう。しかし何があっても責任はもてんぞ」

「それで結構です」

「・・・槍と妖怪か。背負いきれるのか、お前の息子に」




*************


2.


「ちょっと、シンちゃん、いったいどういうことよ」

今日何度めだろう、シンジがそう訊かれたのは。
朝のHRの後、休み時間、昼休み、そして放課後、学校の帰り道。
シンジの幼なじみにあたる茶色い髪の少女、霧島マナは、その質問を繰り返ししていた。
どこか苛立った様子で。

責任はシンジにある。
綾波レイという名の転校生。
青い髪の特異な風貌を持った彼女とシンジは、明らかに様子がおかしかった。
訝しがるマナにシンジは言葉を濁すだけで、何も話そうとはしない。
あまり嘘をついたり隠し事をしたりしない彼だけに、マナの疑惑もつのるのだろう。
別にマナとシンジはつきあっているわけではなかったが、今まで一番近しい存在だったのは確かだ。
それゆえシンジに自分の知らない女性の影が見えることは、彼女にとって穏やかではいられなかったのかもしれない。

「どういうことって、別に・・・・」

自分を睨むマナの視線に戸惑いながら、シンジは自分の後ろ、少し離れたところを歩くもう一人の少女を気にしていた。

制服と紺のソックス、学生鞄。
髪の色と瞳の色は少し変わっているものの、普通の中学生にしか見えない。

しかしシンジは知っている。
彼女の正体を。

千年生きた妖怪。

鋭い爪と牙を持つ獣に姿を変え、口から焔を吐く異形の存在。

マナに言っても信じてはくれまい。
シンジ自身、右手に持つ槍が無ければ、あれは夢で彼女はただの転校生だとしか考えなかったろう。
実際今の彼女は静かに歩いているだけだ。

「もう、はっきりしないわねえ。正直に言いなさいよ」

膨れ顔でマナが睨む。
後ろを気にしていることを察したのだろう。明らかに機嫌が悪い。

「だ、だから本当だって。名前も知らなかったんだ、あの娘のことは」

「ふ〜ん、じゃあやっぱり会ったことはあるのね。いつ? どこで? ねえ教えてよ」

思わずボロを出したシンジを、マナが執拗に責める。

「あ、え、そ、そう、子供のころに、一度・・・・」

これは嘘ではない。しかしシンジを見るマナの眼には疑いの光が宿っている。
マナが知らない頃といえばシンジは幼稚園以下、あまりにも信憑性は薄い。
慌ててつけたす。

「ず、ずっと忘れてたんだ。それで、この間、また会って思いだして・・・・でもうちの学校にくるなんて思わなかったから・・・だからびっくりしたんだ」

訥々と話すシンジに、ようやくマナも納得した顔になる。

「・・・まあ信じるけど。でもそれだけじゃないでしょ?」

「へっ?」

「なんか、只事じゃない様子だったもの。シンちゃんとあの娘。みつめあっちゃたりしてさ」

拗ねた口調。
後ろを歩く少女を意識しているのか、さっぱりした性格の彼女にしては珍しく絡んでくる。
顔は微笑んでいるが目は笑っていない。

「そ、それは・・・・」

「碇君と私は・・・ずっと一緒にいるの・・・約束したから」

口ごもったシンジに助け船を出すように、いつのまにか近づいていた青い髪の少女が言った。

その紅い瞳は静かにマナを見つめていた。








*************


3.


「な、な、な・・・・」

マナが言葉を無くす。逆上しているのか、その頬が、みるみる赤くなる。
その様子に非常に不味いものを感じ、シンジは慌てて言い訳を始めた。

「え、い、嫌、そうじゃないんだ。違うんだよ、マナ」

「違うの? 碇君?」

今度はシンジの言葉にレイが反応する。
シンジの視界の片隅で彼女の爪が長く伸びるのが写った。

「ちょ、ちょっと、待ってよ。えっと、綾波・・・・さん」

どこか他人行儀な言い方に、レイが少し不満げな顔をする。
恨めしそうな目をしているレイを押し止めながら、シンジはマナから彼女を隠そうとしていた。

「だ、だから、落ち着こうよ、ねえ、ちゃんと、ちゃんと言うから」

その言葉に納得したのか、レイの爪が短くなる。
ホッとしたシンジにマナが冷たく声をかけた。

「そう、ちゃんと言ってよ。シンちゃん、本当にそんな約束したの?」

「え、う、うん」

観念したのかシンジが頷く。
それを見たマナの瞳がみるみる潤みだした。

「ひ、ひどいよ、シンちゃん・・・」

「マ、マナ?」

「・・・どうして? 私をお嫁さんにしてくれるって言ったのは嘘だったの?」

涙を流しながらシンジに尋ねる。

彼女の必殺技。

何度も同じ手を使われているが、こうなるとシンジは逆らえない。

「そんな、それは小学校の時の・・・」

言いかけて気づく。レイとの約束はそれよりも前だ。マナとの約束が時効なら、レイのも同じだろう。

「嘘だったの?」

上目遣いにマナがシンジを見つめる。

「碇君・・・約束は守ってあげて・・・」

事態を把握していないのか、レイが真剣な顔で言った。

「綾波さん・・・・・」

マナが驚いた顔でレイを見る。少し感激しているようだ。
しかしレイはシンジしか見ていない。
いたいけな瞳。
多分マナの言ってる意味を理解していない。
シンジにはそれがなんとなく分かった。

「は、はは・・・・」

思わず苦笑する。
彼女はなにも知らないのだ。この時代の常識は。
でもそれならどうして学校に入れたのだろうか?

「シンちゃん聞いたでしょ? 約束は守らないと。昔のことだからって取り消さないでね」

考えに沈みかけたシンジを引きずりあげる様に、マナが笑顔で言う。
ついさっきまで泣いていたはずなのに、そんな様子はもう微塵も無い。
レイはマナの言葉を聞いて頷いている。
この二人、どこか似ているのかもしれない。
強引なペースでシンジを巻き込むところ。
流されやすいシンジ自身に問題があるのかもしれないが。

とりあえずこの場をなんとかごまかそう。
そう思い少女たちを見るが、何も思い浮かばない。
肯定しても否定しても一悶着ありそうだ。

「お困りのようだな」

その時、後ろから声がかかった。シンジが振り返る。
音流布寺の門の前。黒い作務衣を着た一人の男。
年は30前後だろうか。無造作に後ろで括った髪の毛と無精髭。

初めて見る顔。

「碇シンジくん・・・・だね?」

そう言って彼は相好を崩した。





*************


4.


「槍の使い手・・・・ですか?」

応接間。
加持リョウジと名乗った男は、話を終え一息ついたのか、シンジが出したお茶をすすっている。
  その正面に座って、シンジは少し俯いて答えた。槍はすぐ手元においてある。

「そうだ。単刀直入に言うと、俺は君の監視のために教団から派遣されて来ている。使い手としてふさわしいかどうかのね」

「そんな・・・・僕はそんなものなりたくないです・・・あれは偶然・・・」

そう言って視線を移す。そこには、何故かレイが座っている。当然の様な顔をして。
マナは仕方無さそうに家に帰っていったが、レイは何も言わずに家の中に入って来たのだ。

どう考えても彼女に住むところなど無いだろう。今までどこにいたのか不思議なくらいだ。

「お父さんに聞いていないのかい? 君は『どぐま』の中に入った、それは大変なことなんだ。そして彼女を解放した・・・・もはや偶然とは言えないな」

やはりレイのことを知っている。
加持の言葉にシンジが視線を戻す。

「運命なんだよ、君の。・・・槍が君を選んだんだ、恐らくね」 

「槍が・・・・、でも僕は何も、何も知らなかったんです」

目を伏せる。
いきなり運命などと言われても受け入れられるものではない。

「これから知ることになるさ・・・・嫌でもね」

突き放すような加持の言葉、しかし、どこかやさしさが籠もっている。 

「・・・・父さんはどこにいるんですか?」

「本部だ。当分は帰って来れないそうだよ」

「・・・・彼女が転校してきたのも、教団の力なんですよね?」

レイは黙ったままだ。
興味があるのかないのか分からないが、とりあえず座って話を聞いている。

「ああ、戸籍をつくり、君と同じクラスになるよう工作した。碇住職の指示でね」

「やっぱり父さんが・・・・どうして、そんな無茶苦茶を?」

本当のことがクラスに知れたらパニックになるだろう。
いくら是得礼宗が規模が大きく政財界に影響力があるとはいえ、許されるものではないはずだ。

「それが彼女の望みだからだよ。・・・正直今の我々に彼女を抑える力はないんだ。その槍を使う以外はね」

「綾波が?」

思わず呼び捨てにする。

「君と一緒にいたいそうだ。男冥利に尽きるな、シンジくん」

揶揄する様に加持が笑う。
悪気はないのだろうが、シンジもいい気はしない。

「・・・父さんは、教団は僕に何をしろっていうんですか? 無責任じゃないですか」

「今の事態を招いたのは君自身だ。責任を取らなきゃならないのは君だろ?」

「そんな・・・・」

「嫌なの?」

紅い瞳がシンジを見つめている。

「いや、べ、別に嫌なわけじゃないけど・・・・」

「男だったら腹を括るんだな。それともさっきの茶髪の子が本命なのかい?」

「え、マナはそんなんじゃ・・・」

レイの視線が突き刺さる。

「まあいいさ。それより本堂に案内してくれないかな。当座はそこで寝かせてもらうよ」

「えっ、こっちにも部屋はあまってますけど」

「初対面の者を泊めないくらいの用心は必要だよ。信用してくれるのは有り難いけどね。それにあっちのほうが俺は落ち着くんだ」

確かに加持の言うとおりだ。教団から来たと言っても証拠があるわけではない。 
しかし彼の話に嘘をついている雰囲気は感じられなかった。
それにレイの正体を知っている。
泥棒や詐欺師のわけがない。

「そうだ、ついでにその槍も持ってきてくれないか。見せてほしいんだけど、広いところの方がいいだろう」

その言葉にシンジが頷く。
教団から派遣されて来たのなら当然だろう。
しかし、その時加持の微笑みが少し歪んでいたことに、シンジは気づいていなかった。 




*************


5.


母屋から本堂に向かう道すがら、加持はずっと黙っていた。
片手には「錫杖」と呼ばれる棒状の武器。
頭部に数個の鉄の輪。シンジの身体より長い。
長い伝統を誇る是得礼宗はかつて僧兵がいたこともあり、それが正装の一部にもなっている。
形状は少し違うが、ゲンドウも同じようなものを持っていた。
だからシンジは警戒していなかった。

黄昏時、あたりはかなり暗くなっている。
並んで境内を歩く。
レイの姿はない。彼女は珍しそうに母屋のあちこちを漁っていた。
シンジはともかく加持には関心がないようだ。
これから自分が暮らす場所の方が気になるのだろう。

本堂の手前、少し開けた場所で加持はその歩みを止めた。

「・・・・?」

怪訝に思いシンジが加持を見る。 
加持はこちらに振り向き、微笑んだまま仗を構えた。
不穏な空気が漂う。

「・・・あの・・」

「悪いなシンジくん、これも仕事なんでね」

その言葉とともに加持の身体がシンジの視界から消えた。

「えっ」

戸惑うシンジの横で空気が切り裂かれる。
右手に持った槍が、まるで意思を持つように突然動く。

衝撃。

振り降ろされた錫杖を槍が受けとめている。
だが踏ん張れない。
そのままシンジが地面に倒される。
顔をあげる。加持の微笑みが見える。
突くように仗をふるってくる。
シンジを引きずるように槍が動く。
二度めの攻撃はかろうじて弾いた。

「なるほど、それが槍の力か」

どこからか加持の呟きが聞こえる。
しかし姿はもう見えない。気配も感じない。

「ど、どうして」

当然の疑問。
襲われる理由にこころあたりなどない。

「立つんだ。シンジくん。・・・まだ終わってないぞ」

また加持の声。
その冷たい響きに、シンジの中の疑問が怒りへと変わる

・・・畜生

ゆっくりとシンジは立ち上がった。
やはり加持は見えない。
槍を強く握りしめながら、シンジが体勢を整える。

見回しても無駄だろう。
腕が違うのははっきりしている。
シンジの死角に入りながら、また襲いかかってくるのは間違いない。

今は槍を信じよう。
相手は所詮人間、レイのような人外の存在ではない。
殺されることはないはずだ。


腹を括ったシンジに応えるように槍が震えた。

力が溢れる。
感覚が研ぎ澄まされる。自分の身体ではないようだ。

右方向に微かな気配。
音もなく近づいてくる。
槍の反応にシンクロするように、シンジの身体が動く。
振りおろされる仗。それを避けながら槍を薙ぐ。
手応えは無い。
危険を感じたのか、加持は大きく後ろへ下がっていた。
まだ微笑みは消えていない。

「おやおや、やるじゃないか。少しあぶなかったよ」

挑発するような口調。シンジの頭に血がのぼる。

「いったい、いったいどういうつもりなんですか!」

怒りに顔を紅潮させシンジが叫ぶ。
それには答えることなく、加持の腕がしなる。

いくつもの鋲。

まるで雹のようにシンジにせまる。
普段のシンジの目には止まらないだろう。
しかし今は見える。
複数投げつけられた鋲の、その軌道が全て手に取るように分かる。

弾き落そうとシンジが槍を構える。
しかしそれを押し止めるように、叫び声が響いた。

「シンちゃん!! あぶない!!!」

・・・マナ?

その声を聞いた瞬間現実に戻る。
身体から力が抜ける。

とまどうシンジの体中に衝撃が走り、そのまま意識は失われた。




*************


6.


シンジの部屋。
主のいないそこに、青い髪の少女の姿があった。
珍しそうに周りを見渡し、あちこちをいじっている。少し微笑みながら。

「碇君のにおいがする・・・・」

ベッドに敷かれたシーツに顔を近づけ、あぶない呟きをもらす。
きっと楽しいのだろう。
そのとき彼女は、ベッドの下から何かが少しはみ出しているのを見つけた。

「・・・これは何?」

男所帯で無防備なためか、無造作に放り出されたあやしい雑誌をレイが手に取った。
そして興味深げに眺める。
千年ぶりの世界は、彼女にとって新鮮な驚きで溢れているようだった。





「シンちゃん、しっかりして、シンちゃん」

誰かが身体を揺り動かす。
その感触にシンジの眼がゆっくりと開いた。

「・・・う、う〜ん」

思わずうめく。身体のあちこちが痛い。

「あ、大丈夫? シンちゃん」

心配そうな少女の顔。
覗き込むようにシンジを見ている。

「・・・・・マナ?」

朦朧とした口調でシンジが呟く。
そして思いだした。何があったのか。
ゆっくりと起き上がる。
すでにここは本堂の中、いつのまに運ばれたのだろう。

「・・・・・・加持さんは?」

「・・ここにいるよ。すまなかったな」

軽い口調。
壁にもたれるようにして立っている。

「すまないじゃないですよ!」

そちらを睨みマナが怒鳴る。

「なんてことするんですか。当たりどころが悪かったら死んでたかも知れないんですよ」

「・・・・そうだな。シンジくん、具合はどうだい?」

「えっ、あ、ああ、大丈夫です。たぶん」

痛みはあるが動かせないほどではない。
手加減はされていたのだろう。先程までの怒りはもう消えていた。

「ねえ、シンちゃん、いったいどういうことよ。この人といいあの綾波って子といい。おじさんはどこいっちゃったのよ」

「父さんは・・・・お寺の仕事で当分帰って来ないんだ」

「俺はその間の留守番ってやつさ。さっきのは挨拶がわり、まあ儀式みたいなものさ」

「・・・ふ〜ん」

いぶかしそうな目でマナが加持を見る。

「じゃあ、あの娘は、どうしてこの家にいるの?」

結局それが気になってやってきたのだろう。
さきほどは加持の出現でうやむやになってしまったが、彼女の性格からして疑問を残したままじっとしていられるわけがない。

「あ、綾波は・・・・・」

「彼女は教団の関係者だ。都合でここに預かってもらうことになったんだ」

横合いから加持が答える。嘘は言っていない。

「・・・お寺に女の子ですか?」

「別に修行させようってわけじゃないさ。いろいろあってね」

そう言って微笑む。
それ以上の質問を許さない雰囲気にマナはシンジの方を向く。

「シンちゃんはそれでいいの?」

「えっ、それでって・・・・」

「あの娘と一緒に暮らすことよ。・・・なんか仲良かったからラッキーってことかしら?」

冷たい視線。

「そ、そんなことないよ。でも、しょうがないんだ。父さんが決めたことだから・・・」

「おじさんが・・・・でも嫌なら嫌って言えばいいじゃない」

「む、無茶いわないでよ」

痴話喧嘩そのままの二人の会話。
それを興味深そうに聞いていた加持が、つと顔を上げる。

「・・・・俺はちょっと表にでてるよ。じゃあ、ごゆっくり」

「か、加持さん・・・」

呼び止めるシンジの言葉を背に、加持は本堂から出てきた。
既に日は落ちようとしている。

風を感じるように境内に佇んでいた加持の視界に、青い髪の少女の姿が見えた。
制服姿のまま、遥か空の先を見ている。

「君も感じたのかい? レイちゃん」

「ええ、・・・くるわ」




*************


7.


黄昏の空。垂れ込めるように雲がたなびいている。
そこに一つの黒い点が生まれた。広がっていく、まるで水に浮かんだ墨のように。

「あれか・・・・」

空を見上げていた加持が呟いた。
レイはなにも言わずただそれを見つめている。
徐々に大きくなる黒い染み。それが形を取っていく。
長く伸びた両手と両足。首の無い人間のようにも見える。
胸に顔のようなものが見えるが、人のそれとは違う。ちゃちなお面のようだ。
腹部に赤い球、妖しく光っている。
身の丈3m程もある巨人。それがゆっくりと地面に降り立った。禍々しい瘴気。
その黒い身体はこの世の生き物とは思えない。
加持が錫杖を構える。シンジに対した時とは違う。その顔に微笑みは無い。
練るように気をため、巨人の動きを窺っている。
そんな加持に頓着せずに、巨人が足を踏み出した。本堂の方向にその歩を進めている。
まるで迷うこと無しに。

「狙いは槍・・・やはり使者・・・・伝承のとおりか」

顔をしかめて加持が呟いた。
間近にせまる巨人の道をふさぐように立つ。
人外のモノを前にしても臆した様子はまるで無い。
気を込めて、巨人に向かって鋲を投げる。

オレンジ色の壁。

突如巨人の前に出現したそれが全ての鋲を跳ね返した。

「結界・・・・力押しじゃ無理だな」

加持の顔に焦りが浮かぶ。初めて加持に気づいたように巨人が彼を見た。

「くっ」

殺気を感じ、加持が錫杖を縦に構え防御の体勢をとる。
禍々しい光。
巨人の眼がきらめいていた。

「ぐはっ」

弾かれたように加持が吹き飛んだ。巨人がまた動きだす。

「ちいっ」

肩口から血を流しながら加持は立ち上がった。
今のシンジではとうてい巨人に対抗できないだろう。それに本堂にはマナがいる。一般人を巻き込むことは本意ではない。
錫杖を構え直し、真言を唱える。
歩みを続ける巨人に対し、裂帛の気合と共に、飛び上がりざま加持が錫杖を振り下ろした。
しかし、またオレンジ色の結界があらわれ、錫杖を防ぐ。

「だああああっ!!」

加持が錫杖に念を込め、結界に叩きつける。
しかし効いた様子は無い。
出現した時そのままに、オレンジ色の壁は加持の前に立ちふさがっている。
その一瞬、加持の動きが止まったのを巨人は見逃さなかった。
叫びを上げ、ハエでも追い払うように、まるで丸太のような手を振りまわす。
避けきれず、加持は地面に叩きつけられた。気絶したのか、倒れ伏したまま動かない。
一瞥し、巨人は再び本堂へと歩き始めた。
もう加持には興味を無くしたようだ。引き込まれるように本堂に向かっている。

その時、それまで動かなかったレイが宙に飛んだ。スカートをなびかせながら。冷たい目で巨人を見ている。

「あれは敵・・・・・倒すべき・・・敵・・・」

呟きと共に、彼女はゆっくりその形を変えていった。獣の姿に。
長く伸びた青い髪、白い身体。
制服は引きちぎられ、切れ端が地面に落ちる。

大きな咆哮と共に、綾波レイの名を持つ獣が巨人に襲いかかった。




*************


8.


突然何かの雄叫びが聞こえた。

「な、なに?」

マナがあたりを窺う。
二人きりの本堂。会話に夢中で気づかなかったが何かが外で起こっているようだ。

シンジは思わず槍を引き寄せていた。
あの声には聞き覚えがある。

綾波レイ。

あの少女がまた獣に変わったのか。しかしなぜ。
今日一日過ごしただけだが、その様子は普通の人間とまるで変わらなかった。
まさか加持を相手に暴れているのだろうか。
彼女はこの槍でしか抑えられない。たしか加持はそう言っていた。
マナに危険が及ぶ前に彼女を止めなければいけない。

「ねえマナ、ちょっと様子をみてくるから、君はここを動かないで」

「えっ、何いってるのよ。シンちゃん怪我してるじゃない」

「僕は大丈夫だから。絶対動いちゃだめだよ」

構わずに立ち上がった。なんだか胸騒ぎがする。
呆然としたマナを後に、シンジは外に向かった。


夕闇。

それを切り裂くように白い獣が飛んだ。
長く伸びた爪で獣は巨人を襲い、巨人の黒い皮膚から青い血を吹き出させた。
絶叫。
化け物でも身を切られれば痛みは感じるのだろう。大きな唸り声をあげ、巨人は暴れている。
迫りくる丸太のように長い腕から身をかわしつつ、レイはなおも攻撃をくわえた。
再び青い血しぶきが飛ぶ。
巨人の叫びがあたりを震わしている。それは怒りゆえだろうか。
臆することなく白い獣は巨人に切りつけ続けた。何度も、何度も。
その光景をようやく目をさました加持が見ていた。彼の入り込む隙は無い。

「・・・結界が消えている。相殺しているのか?」

よろよろと立ち上がりながらひとりごちる加持を尻目に、獣と巨人の戦いはなおも熾烈を極めていた。

皮膚だけを切ってもらちがあかないと思ったのだろう。懐に入り込み、至近距離からレイが巨人に焔を吐く。
高熱で白く光る焔に身を焦がしながらも、巨人はその眼をレイに向かい光らせた。
衝撃波。 巨人が発した怪しい力に身体を弾かれ、レイの動きが止まった。
その隙を逃さず、巨人がレイの足を掴んだ。
抵抗するレイをものともせず引き寄せ、残った腕を彼女の額にあてる。

巨人の肘から何かがが伸びる。押さえつけた額に向かって。
槌音が響き、白い獣を一筋の光が貫いた。


「な、なんだあれ」

槍を手に本堂から出てきたシンジの目に巨人が写る。
変身したレイを押さえつけ、その頭を何度も光の棒で刺し通している。

「あ、綾波」

呟くシンジに気づいたのか、巨人がこちらを向いた。

・・・来る!!

思わず身構える。槍が震える。

「な、なによあれ・・・・・」

「! マナ!! 駄目じゃないか!」

言いつけを守らず外にでてきたマナの姿にシンジはとまどいを隠せなかった。
またあの時のように自分を抑えられなくなったら、彼女を巻き揉んでしまうかもしれない。

「ねえ、ねえ、シンちゃん、逃げようよ」

獣を掴んだまま少しずつ近づいて来る巨人に怯え、マナがシンジの腕を持つ。
「う、うん」

生返事を返しながら、シンジは迷っていた。
捕まっているのはレイだ。放っておいていいとも思えない。

「シンちゃん、どうし、うっ・・・・」

突然マナの言葉が途切れた。
そこにはいつのまにか近づいていた加持の姿。気絶したマナを支えている。
当て身というやつだろうか。

「シンジくん、彼女のことは俺に任せろ」

「・・・加持さん、怪我を・・」 

作務衣はズタボロ。肩口からは血が流れている

「気にしなくていいよ。あの化け物の狙いはその槍だ。君はできるだけ遠くに逃げるんだ。槍を渡しちゃいけない」

「槍を? でも、綾波が・・・・」

「君じゃ勝てない。早く逃げろ!!」

話している間にも巨人は近づいて来る。白い獣は掴まれたまま、ぐったりとして動かない。
巨人の狙いは槍だと言った。ならば彼女はシンジを守ろうとしてくれたのだろう。

「・・・・綾波を・・・放っておけません」

その言葉と共に、シンジの身体が光った。




*************


9.


「・・・・シンジくん」

目を見張り見守る加持の前で、シンジの姿がみるみる変わっていく。
長く伸びた黒い髪。紫の肌。赤い瞳。
その姿は既に人間とは言えないだろう、むしろレイに近いかもしれない。一匹の獣。
しかしその目から理性の光は失われてはいなかった。

「加持さん、マナを頼みます」

いつもと全く変わらない声でそう言いのこし、槍を手にシンジは地面を蹴った。
迫り来る巨人に向かう。
シンジの倍以上の大きさ。長い手足。
それに臆することなくシンジが槍を振り上げる。
現れる巨人の結界、しかし槍の切っ先がそれを切り裂いた。
降り降ろされた槍がそのまま巨人の肩を打つ。
手応え。のたうつ相手を見据え、シンジが距離をとる。
痛みに耐えかねたのか、巨人はレイをその手から取り落とした。

「綾波!!」

叫ぶシンジの声が届いたのだろうか。獣の姿のまま、レイがかすかに動いた。

・・・・まだ生きてる。

それを見て安心し、シンジは巨人に向き直った。
恐怖は無い。
槍から力が注がれてくる。それはシンジ自身が持つ全ての本能を解き放ってくれるようだ。
そして槍がシンジに告げる。この巨人は敵だと。この巨人を倒せと。
そう、消さねばならない、その存在の全てを。それが使命なのだと、今のシンジにはわかる。

再びシンジは飛び上がった。
振り回される巨人の腕をかいくぐりながら槍を振りかざす。
雄叫び。
解放する力に歓喜するように、シンジの発した声が空気を震わす。
シンジの声に応え、槍がみるみるうちにその形を変えた。

それは一振りの剣。
二叉の槍が元の姿を失い、銀色の刃を持つ大剣へと変化したのだ。

「なっ・・・・」

見守っていた加持が思わず絶句する。
だが全く戸惑うこともなく、シンジは剣を高く掲げていた。おそらくそれを命じたのはシンジ自身だからだろう。

両手で柄を掴む、体当たりをするように突進し、そのまま巨人へと剣を振りおろす。
怯えたのか巨人が一瞬あとずさる。かまわず一気にけさ斬りに振り切る。
浅い。しかし手応えはあった。
吹き出る青い血。

痛み故か、それとも怒りのせいか、巨人の動きが激しくなる。
闇雲に腕を振り回してくる。その手のひらからは光の槍を撃ちだしている。あたったら只ではすむまい。
地面に降り立ちシンジは距離をとった。

巨人の眼が光り、衝撃波がシンジを襲う。
しかしそれを跳ね返したのはオレンジ色の壁だった。

巨人が出したものと同じ、六角形の結界がシンジの前で形作られシンジを守ったのだ。
ことさらに剣を構えたわけではない、自然に現れたように見える。今のシンジ自身が持つ能力なのだろうか。

「あれが・・・・槍の本当の力か」

呆然としながら加持が呟く。
彼が全く太刀打ちできなかった怪物と、シンジは対等以上に戦っている。
気弱そうな少年の面影は無い。
むしろ戦いを楽しんでいるように加持の目には写った。

剣を手にシンジが間合いを狭める。
そして跳躍。大きく振りかぶり巨人に切りつける。
目前で空中に浮かぶその瞬間を待っていたように、巨人の眼が再び光った。
結界は相殺されている。防ぐ手段は無い。

「ぐはっ!」

衝撃波に弾かれ、シンジの身体が宙を舞った。
巨人の腕が伸びる。
しかし掴まれる寸前、シンジの姿は巨人の前から消えていた。

「・・・綾波!!」

白い獣がシンジを受けとめ、巨人を避けるように空を飛ぶ。
その大きな腕にシンジを抱えたまま、ゆっくりと旋回する。

「・・・ありがとう」

腕の中でささやいたシンジに静かに首を降る。気にするなと言うことだろう。

巨人の攻撃でダメージを受けていたはずの彼女だ、かなり無理をしているに違いない
体勢を整え、レイに掴まりながら、シンジは巨人を睨みつけた。

「・・・いくよ、綾波」

その言葉を合図にレイが急降下する。
上空から浴びせかけるように口から焔を吐く。巨人の身体が火に包まれる。
こちらを向いた巨人が衝撃波を放つより早く、シンジがレイから離れた。
飛び上がり剣を振り上げる。自らを焦がす火に気を取られ、巨人の動きが一瞬遅れた。

「うおおおおっ!!」

長い髪をたなびかせながら、シンジが巨人に襲いかかる。
勢いよく振り下ろされた剣の刃は、太い腕の抵抗をものともせず、そのまま巨人の身体を両断し地面まで切り裂いた。

断末魔の声をあげる暇もなく、巨人の身体が崩れ、塵へとかえっていく。
戦いが終わったことを告げるように、剣が元の槍の形になり、シンジの身体も元に戻った。




*************


10.


「いったい、なんだったんだろう、今のは・・・」

ようやく我にかえった様にシンジが呟く。
巨人の姿は跡形もない。完全に滅び去ったようだ。

「碇君・・・・・・」

いつのまにか元の姿に戻ったレイがシンジの横に寄り添う。
その白い肌には傷一つついていない。

「大丈夫なの?」

シンジの問いかけに、レイは黙って頷く。嘘ではないようだ。

「そう、よかった。・・・・・ありがとう」

「・・・・どうして?」

不思議そうに首をかしげる。

「だって、僕を守ってくれたんだよね。あいつから」

「・・・・約束だから。あなたは私が守るの」

紅い瞳がシンジを見つめる。
宣言するようなその言葉には、強い意思が込められているように思えた。

一瞬言葉を無くす。見つめ合う瞳。
気押されて思わず目を逸らす。
その時シンジはレイの姿に初めて気づいた。
何も着ていない。
あまりにも自然だったためだが、やはり不味いだろう。
あわててカッターシャツを脱ぐ。

「あ、綾波、これ着なよ」

「?」

「いいから、裸はよくないよ。外だし」

顔を赤くするシンジに促され、レイがシャツを受け取り、ゆっくりとそれをはおる。
意味は分かっていないようだ。

「あ〜!! なにやってるのよ、シンちゃん!!」

ようやく服を着たレイを見てほっとしていたシンジの後ろから、金切り声が響く。

「マ、マナ・・・」

目が覚めたのだろう。
気絶していたことが嘘のように凄い形相でシンジの方に向かって来る。
もう巨人のことは忘れたようだ。

「マナじゃないわよ!! なにしてたのよ、いったい、嫌らしい」

「な、なにって、別になにも」

裸でシャツを羽織っただけのレイと上半身下着姿のシンジ。
確かに何かしていたようにも見える。

「なにもないわけないでしょう!!」

「・・・・あなたには関係ないわ」

しどろもどろになるシンジを庇うように、レイがマナの前に立つ。
その瞳は冷たい。

「関係なくないわよ! シンちゃんは私のなんだから」

「ちょ、ちょっとマナ?」

「碇君は私と一緒にいるの。あなたは用なし」

「あ、綾波・・・・」

「なんですって、とつぜん出てきて何言ってるのよ。私はシンちゃんのお嫁さんになるんだから」

「・・・だから何? 一緒にいるのは私だもの。好きにすればいいわ」

「ふ、二人とも、ちょっと、ちょっとやめてよ」

収拾はつかない。
シンジの声など聞こえないように、レイとマナの口喧嘩は続く。

その様子を、少し離れたところから加持は見ていた。

シンジにもレイにも先程までの面影は無い。
あどけないその姿、普通の中学生にしか見えない。
しかし彼らがあの巨人を倒したのは確かだ。

碇シンジ。彼は確かに選ばれたのかもしれない。
槍とレイ、そして運命から。
槍の力で変身したシンジ。その圧倒的な力。
レイとマナに挟まれた彼の姿は、獣と人の狭間で揺れる彼の未来を暗示しているようにも見える。

「さて、評議会にはどう報告したものですかね、碇住職」

ここにはいない、だが全てを知っているかもしれない男に向かって問いかけ、加持は少し微笑んだ。








〜つづく〜








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katu@osaka.104.net



解説:

いちおう2万ヒット記念です(^^;;

ここまでが掲示板で連載されていたものです。
ここから先はこの形式で連載していこうかなと。

記念作品の形式をとったのは、もう一つの連載がまだ終わっていないので、この方がペースを掴みやすいかなと思ったためです。
気が変われば形式変わるかもしれません(^^;

取りあえず次回は3万ヒット記念に、って言っても3万〜4万の間に公開ってことになると思います。
まだわかりませんが。




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