しんじとれい
〔第三話 無知〕
Written by かつ丸
深夜、ほのかな明りだけが照らす廊下、そこに二人の男が立っていた。
法衣を着ている僧侶。顔つきはどちらも暗い。
「確かに力の発動が確認された、これは不味いことになったぞ」
「ああ、今まで表には出ていなかったとはいえ、槍は教団の象徴だ。息子が使い手になれば碇の力は揺るぎないものとなる。評議会入りも遠いことではなくなるだろう」
「あんなどこの馬の骨とも知れぬやつが、この伝統ある教団を動かすというのか。そんなことは断じて認められん」
「そうは言っても音流布寺の格式は教団でも随一だ。今回の件は無くてもいずれはそうなっただろう」
「やつがあの寺を継いだこと自体間違いなのだ。ユイさまさえご健在ならこんなことにはならなかった」
「・・・だがやつを選んだのはユイさま自身だ。そして碇の法力は確かに強い、並外れて。かつては継承候補筆頭だったほどだからな」
「開祖以来の天才、か? しかし結局は選ばれなかったではないか。封印の扉はついに開かなかった。お前も覚えているだろう、あの時のやつの姿を。あのまま放逐しておれば良かったのだ。それを・・・・」
「婿として碇家に迎えたのだったな、ユイさまが」
「ユイさまをなんとしてでも止めるべきであった・・・今さら詮ないことだが。だが槍から拒否されたはずのやつの息子が継承者となる、思えば皮肉なことだな。それともユイさまは知っていたのか? いずれこうなることを」
「わからん。だが、それならば納得もいく。槍が碇の息子を選び、そしてその前に伝承のとおり使者が現れた、これが偶然のわけはない。しかも妖怪の力を借りて撃退したというではないか」
「操る術を持っているというのならその素質は尋常ではないな。ユイさまと碇の息子、その存在は侮れぬ、確かに」
一瞬押し黙り、二人の僧侶は顔を見合わせた。困惑しきった様子で。
「使者が現れた以上、伝承はすべて現実となる、そういうことだろう」
「ああ、評議長もそう言っておられた。教団上層部には非常事態の宣告がまわるはずだ。法力者の再編成が行なわれる」
「その頂点に立つのか、碇のやつが。我等がやつの風下に立たねばならんとは」
「しかたあるまい。国家存亡の危機だ。使い手がやつのもとにいる以上、それを助けることが我等の役目だ」
「・・・・・つまりは継承者を押さえたものが教団の実権を握れる、そうじゃないのか?」
「息子が親を裏切るとは思えんぞ。まさか碇を闇討ちするつもりか?」
「そんなことはせんさ。だが、ワシにも手駒はいる。みっちりと修行をつませた、正式な継承候補者がな。槍を使えるのが、碇の息子だけとは限らんだろう」
「確かに今の候補者たちは『試し』を行なっていないが・・・」
「時が来ていた、それが槍が表に出た理由なのだ。選ばれし者が一人だという根拠はない」
「・・・・ふむ、試してみる価値はあるかもしれんな」
暗い廊下に小さな笑い声が響き、やがて人の気配は無くなった。
「どうしたんですか、マナさん」
「どうしたもこうしたもないわよ〜!!! あの女が現れてからろくなことないんだから」
昼休みの教室、すでに皆食事は終えたのだろう、校庭にも行かずに残っている生徒たちは、読書をしたり集まってお喋りをしたりと思い思いに楽しんでいる。
だが一人、霧島マナの机の周囲だけは。いつになく不気味なオーラがでていた。
机に突っ伏すようにしてよどんでいる。異様な雰囲気に見かねたのか、クラスメートで親友の山岸マユミが声をかけた。
顔を上げマナが怨嗟に満ちた声で叫ぶ。マユミは一瞬後退った。
「お、落ち着いてください。あの女って?」
「決まってるじゃないの。あの綾波レイとかいう転校生のことよ。横から出てきて人の彼氏にちょっかいだすなんて」
「彼氏って・・・碇くんのこと? やっぱり二人はつきあっていたんですね」
「い・・いや、別にはっきりとつきあってるとは言えないかもしれないけど・・・・でも、シンちゃんは小学校のころから私がコナかけてたんだから。私たち二人の間を邪魔する者は全て悪よ、そうにきまってるわ」
こぶしを振り上げながら力説する、そんなマナを見てマユミは呆れ顔になっていた。実際何を言ってるのか支離滅裂だ。
「はあ、碇くんの気持ちは関係ないんですね。・・・・それで何があったんですか?」
「それが・・・・よくわからないの。なにか化け物を見たと思うんだけど、シンちゃんは何か誤魔化してるし、気がつけばあの女は裸でシンちゃんといちゃいちゃしてたし、加持さんは何も教えてくれないし・・・でも絶対変なのよ。そう思うでしょ、マユミ」
そう言われても返事に窮する。変なのは明らかにマナの方だろう。
「なんだかよく分かりませんけど。・・・でも、そう言えば碇くんどこにいったんですか? 珍しいですね、昼休みにマナさんと一緒じゃないなんて」
「えっ・・・・ああ! あの女もいないじゃない。きっと二人でどこかに行ったんだわ。探さなくちゃ!! それじゃね」
「は、はい。気をつけて下さい」
立ち上がり風のように教室から出ていったマナを、マユミは半ば呆然としながら見送った。まるでついていけない。不思議と馬は合うのだが、活発で行動的なマナといると、自分がすごくトロいような気になる。
実際世間の平均からみても素早いとはとても言えないだろうが。
小さく溜め息を吐き、マユミは一つの机へと近づいた、自分のでも無い、マナのでも無い、マナが追いかけて行った少年の机、当然主はそこにはいない。
「・・・・どちらにしてもダメですよね。私なんかじゃ」
呟いたその声は、彼女以外の誰にも聞こえなかった。
「ここが図書室だよ、僕もたまに利用するんだ」
「・・・そう」
「堅い本だけじゃなくてマンガも置いてるんだよ。ジュブナイルも多いし。・・・・でも綾波って字は読めるの?」
「さあ・・・・よくわからない」
「まあいいや。じゃあ次は2階にあがろうか、1階はだいたい案内したと思うから」
「ええ」
淡々とした会話。ほとんど表情を表に出さない青い髪の少女。しかしその類まれな美貌は異彩を放っていた。通りがかる生徒たちがみな振り返っている。
彼女がこの学校に来てから3日目、今さらながらシンジはレイに学校の案内をしていた。謎の巨人の襲撃があったのは一昨日のことだ。
今はシンジの家でレイと一緒に暮らしている。もともとゲンドウと二人では広すぎる家なのだ。客間の一つをレイにあてがい、そこに寝具を準備した。シンジの部屋からは離れた場所に。
本堂には加持もいるため純粋に二人きりとは言えないが、それでも一つ屋根の下にいることにかわりはない。
レイは特に意識しているように見えないが、シンジは少し緊張していた。
妖怪としての彼女にではなく、一人の少女と暮らすことに。
夜中に忍んでくるのではないか、期待と不安が入り交じった気持ちで昨夜はそう思いあまり寝られなかったのだが結局レイは来なかった。
もともと彼女がシンジに恋愛感情を持っているかどうかはわからないのだ。仮に来たとしてもシンジが望むような目的とは限らない、もともと彼女はシンジを殺そうとしていたのだから。
だからそれで良かったのかもしれない。
「ここが職員室。でも先生はここじゃなくてそれぞれの教科の準備室にいることのほうが多いみたいなんだ」
「そう」
「ここから向こう側に見える建物は3年生がはいってるんだ。渡り廊下をわたれば行けるけど、別に知り合いもいないからいいよね」
「ええ」
聞いていないわけではない。シンジの指し示す方向を見て頷いている。興味をもっているようにはあまり感じられなかったが。
「この奥が視聴覚室なんだ。100人くらいが収容できて、去年の文化祭ではここでマナがバンドをしたんだよ」
「マナ? 誰のこと?」
「あれ、知ってるはずだけど。・・・ほら、うちの境内で会ったじゃないか、今朝も一緒に学校に来たし。彼女のことだよ」
突然レイが立ちどまった。
「あの女・・・・そう、あれがマナ。それで? どうしてそんなこと言うの?」
「えっ、そんなことって?」
「あの女が何をしようが私は知らないし知りたくもない。碇君はここにいないあの女のほうが大事なの?」
「いや、そ、そういうわけじゃないんだけど・・・」
紅い瞳がシンジを睨む。なぜ怒っているのか訳がわからない。マナもかなり突飛な思考回路を持っていてシンジを困惑させるが、レイは彼女以上だ。
「なにがそうじゃないのよ。私は大事じゃないっていうの? 碇シンジくん?」
「マ、マナ?」
後ろからかけられたのは、救いの言葉などではないだろう。額に脂汗がにじむのを感じながら、シンジは声の方に振り向いた。
そこに立っている少女は、すでに目に涙を溜めている。
「ねえ、どういうことよ、シンちゃん。もしかして私を捨てる気? 今までのことは全部遊びだったの?」
「な、なに言ってるんだよ。今までのことってなんだよ」
「そうじゃない。裸の私を弄んだこと、忘れたとは言わせないわよ。もう私はキズモノなんだから、責任とってお嫁さんにするって、シンちゃんあの時そう言ったじゃない」
何事かと集まってきた生徒たちから「最低」「鬼畜」という声が聞こえる。職員室からは教師たちも顔を覗かせている。
自分のクラスならマナの性格は知れ渡っている、だが、ここでは不味い。自分を見つめる複数の視線が非難に満ちたものになっていることがわかる。
「キズモノって別になにも・・・・・それにマナの方じゃないか、先に僕の診察をしたのは」
「そうよ、あの時のことちゃんと覚えてるんだから、ここで発表しましょうか? あなたの秘密」
「碇君の秘密って何?」
「あ、綾波は知らなくてもいいよ!」
「そうよ、綾波さん。あんたには関係ないの。これは私とシンちゃんだけの、二人だけの秘め事なの」
挑発するように歪んだ笑いをしたマナ、それを見るレイの瞳の紅がさらに濃くなったように見えた。
そのままシンジの方をレイが見る。
「そうなの? 碇君?」
「そうよね? シンちゃん?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
紅い瞳と黒い瞳、2組みのそれがシンジを見つめている。どう答えても混乱は避けられそうにない。
・・・・僕はどうしたら、どうしたらいいんだ。
返事に窮し立ち往生するシンジを救うように、その時予鈴の音がした。
周りの生徒たちもそれを潮にして離れていく。
「あ、授業始まっちゃう、急ぎましょう」
「う、うん」
気持ちの切り替えの早いマナがここであったことなど忘れたようにシンジを促し踵を返す。頷いてシンジも教室へと走り出した。安堵に満ちた顔で。
「綾波も急ごう、遅れちゃうよ」
「・・・・ええ」
レイもシンジの後につづいて走り出す。だが彼女の表情だけは納得からほど遠かった。
「・・・・・碇君の秘密・・・それは何?」
「この街にいるんだね。どんな人なのかな、碇シンジさんって」
「そやな、写真で見る限りドンクサそうなやつやけど。でも、油断したらあかんで」
「うん、わかってるよ」
「実力さえちゃんとだせば大丈夫やと思うけどな。それでどうするんや? このまま乗り込むんか?」
「う〜ん、そうだね、学校の近くで待ってようよ。お寺の方には教団の人がいるみたいだし」
「そのほうがええかもしれへんな」
「うん、行こ」
学校からの帰り道、マユミはいつものようにゆっくりと歩いていた。
今日は塾も無い、特に急ぐ用事も無い。宿題を済ませて読書をする、穏やかな一日がそうして終わるはずだった。
独り歩くマユミの少し先では喧騒が聞こえる。マナとレイ、そしてシンジ。
シンジを挟むようにして少女二人が揉めているようだ。間で彼が困惑している。
その姿をぼんやりと見ながら、マユミは歩みのスピードを落とした。
このままでは追いついてしまいそうだったから。
いつも一緒に帰るマナとシンジ、帰る方向は同じだが、マユミが一緒になることはほとんど無かった。
邪魔をしたくない、そんな気持ちではない。合流しても彼らは邪険にはしないだろう。
ただ3人でいると思い知らされてしまう、シンジとマナの絆を、自分が入る隙間など無いことを。
家への別れ道でシンジとマナにさよならを言った後、そこからもまだ並んで帰っていく彼らを見ていっそう寂しい気持ちになってしまうから、だから独りで帰るようにしたのだ。
転校生のあの少女には臆したような気持ちは見えないが、それとも自分が感じすぎなのだろうか。
この街に来たのは中学校になってからだ。シンジたちと知り合ったのも同じクラスになってから、さほど昔のことではない。
それでも気がつけばマユミはシンジのことを目で追っていた。
取り立てて美少年なわけではない。勉強ができるわけでもスポーツが得意なわけでもない。学年でも指折りの美少女であるマナが彼にいれあげていることを、皆不思議に思っているほどだ。
マユミもそう思う。碇シンジはとりたてて取り柄のない、一見どこにでもいるような少年だと。
だが、あくまで「一見」だ。
彼は何かが違った。マユミが今まで出会ったどんな人ももっていない何かを持っている、そんな気がした。
具体的には言えない。それが何かはマユミ自身よくわからないから。
人当たりのよい優しげな雰囲気、その奥に隠している何か、そこに彼が人を惹きつけ、そして拒絶するものがある。実際シンジにはマナ以外に友人らしい友人はいない。決して苛められてるわけでも無視されているわけでもないのに。
新興住宅地であるこの街で異彩を放っている建物、音流布寺、そこに住んでいるからだろうか。
あの寺にある何かが彼にあの不思議な空気をまとわせているのだろうか。
「・・・・・・別に見えるわけじゃないんだけど」
一度だけ聴かせて貰ったシンジのチェロ、あの時からだ、彼を見る目が変わったのは。
繊細な旋律とともにマユミの心に響いたモノ、それはかつてどんな音楽家の演奏でも感じられなかったものだった。
ただの思い込みかもしれない。
弦を握るシンジのいつにない真剣な表情がマユミの琴線に触れた、結果そう思っただけなのかもしれない。
だが確かに感じたのだ、シンジだけが持つ何かを。
その時からずっと、マユミはシンジを見ていた。
別につきあいたいとかそういうのではないと思う。マナとシンジが睦まじくしている姿には胸が痛むが。
考えながら歩くうちに、いつしかシンジたちはかなり先まで行ってしまっていた。あいかわらず揉めているが、それでもしっかり進んでいたようだ。遠目にはじゃれ合っているように見える。
走って追いついて、そしてあの中に入ればいいのかもしれない。
転校してきたばかりのレイがあたりまえのようにシンジのそばにいて、マナとシンジの間に入っている。そのことが少しくやしい。
そう思っても走ることもせず、ただ前の3人を見ているだけしかしない自分こそが一番嫌だ。マユミはそう思った。
いくじのない、うじうじした自分。ただ見ているだけで何もしようとしない、陰気な自分が嫌いだ。
きっとシンジもそう思うだろう。
その時、前を行く3人が視界から消えた。
彼らがいなくなったのではない。何かが現れたのだ、マユミの目の前に。
「な、何?」
迫り来る黒い影、何も見えなくなる。世界が暗闇に変わったように感じた瞬間、マユミの意識は途切れた。
「ねえ、シンちゃん、今日泊まりに行ってもいい?」
「え、ど、どうしたのさ、突然?」
「だってこの女は一緒に暮らしてるんでしょ? 不公平じゃない」
「不公平って、なんだよそれ。それにうちには加持さんもいるから、そんなんじゃないよ。綾波とは当然部屋も別々だし」
先程からマナがシンジに絡んできてはレイが遮る、それが際限なくくり返されていた。その度に険悪の度合いは増しているが。
家にさえ帰り着けばこの状態からも脱却できる、そのはずだがその時はまだ先だった。
「そうなんだ。じゃあ、私がシンちゃんと一緒の部屋で暮らせばいいのね。ちょっと早いかもしれないけど、私、シンちゃんならいいのよ」
「ば、馬鹿なこと・・・・・からかわないでよ、もう」
顔を赤くしながらシンジはレイの方を見た。あまり刺激して獣に変わられたら不味いからだ。
しかし青い髪の少女はマナの言葉など聞こえていない様に、歩みを止めて空を見ていた。
「綾波、どうしたの?」
「・・・・・・・来るの?」
「えっ?」
その時シンジが右手に持っていた槍が微かに震えた。
「どうしたの?」
マナが怪訝な顔で二人を見ている。
まさかまたこの間の様な化け物が来るのか、そう思いシンジの顔は強張った。肌身離さず持ち運んでいる槍、学校に来る時は包帯で巻いて隠しているが、それはレイを抑えるためだけでなく、身をまもるためでもある。
あれはただの始まりで、槍がある限り次の「使者」が来る、加持はそう言っていた。
詳しいことは聞いていない。ゲンドウが帰ってきてから直接訊けと、そう言われてもいる。
「マナ、君はもう帰って」
「え、ど、どうしてよ」
「どうしてもだよ。頼むから。急いで!!」
「嫌よ!! 二人でまた嫌らしいことしようと思ってるんでしょ!」
「な、なに言ってるんだよ」
まるで聞き分けが無い。もともとシンジの命令などマナは素直に聞いたりしないが。
このままではまたマナを捲き込んでしまう。それにレイが変身するところも見られかねない。
加持がやったように当て身でも使えればいいのだろうが、武術の心得など全くないシンジにはそれも無理な注文だった。
どうすればいいのか、身構えながらもパニックに陥りかけるシンジ。そんな彼の前に現れたのは意外な存在だった。
「碇シンジさんですね」
「えっ、き、きみは?」
目の前に現れたのは化け物などではない。シンジの胸ほどまでの身長しかない小さな少女だった。どこかの制服だろうか、茶色いセーラー服を着ている。
ショートカットに薄茶色の髪、年齢は小学校3、4年生だろうか。
「はじめまして、私は鈴原サクラといいます」
「は、はじめまして」
にこやかに挨拶する少女に、戸惑いながらシンジも頭を下げた。マナも呆気に取られた様に見ている。レイは不審げにキョロキョロしていたが、もう警戒している様子は無かった。
「えと、突然すみません。あの、今日はお願いしたいことがあって・・・・」
「僕に?」
「は、はい」
シンジと目が合うとサクラと名乗ったその少女は顔を赤くして俯いた。
先程までの緊張した空気はもうどこにもない。展開に不自然な点があるような気もするが、シンジは相好を崩すのを止められなかった。
「・・・・なにデレデレしてんのよ。ロリコンの気があるの?」
「ち、違うよ。それで何かな?」
「え、えと、あの・・・・」
そう言ってサクラがマナの方を見る。彼女の前では話しにくいということか。
「ふう、わかったわよ。私はもう帰るから。綾波さん、シンちゃんがこの子襲ったりしない様に注意してね」
「わかったわ。さよなら」
「それじゃね、シンちゃん。ホントに襲っちゃダメよ」
「だからしないって」
手をふって去っていくマナを見送り、シンジは再びサクラの方に向き合った。レイはシンジを見ている、マナの言いつけを守って監視しているのかもしれない。
サクラはシンジを見上げたまま、まだ顔を赤くしている。
「えっと、サクラちゃんだっけ。僕に用事ってなんだい」
「はい、あ、あの・・・・」
夢から醒めた様に目をしばたかせて、サクラは懐から小さな杖を取り出した。
ピンクの柄、先端には星のような飾りがついている。
おもちゃにしては造形がしっかりしているように見える。そう思って彼女を見ていたシンジに、サクラは言った。
「お願いです! 私と戦って欲しいんです!!」
「全く、なんか最近シンちゃんの周りが騒がしいわね、いくらなんでもあんなちいさい子は対象外だと思うけど」
ぶつぶつと独り言を言いながらマナが家路を急ぐ。シンジといる時はゆっくりしていたが彼女の家の中華料理屋はもうすぐかきいれ時だ、手伝いをしないといけないマナは暇なわけではない。
いつもの帰り道、音流布寺の前を通りがかったところで、門のところからマナに声をかける者がいた。
「よう、マナちゃんじゃないか。今日はシンジくんは一緒じゃないのかい」
「あ、加持さんこんにちは。シンちゃんは今頃性犯罪の衝動と戦ってるとこだと思いますよ」
「なんだいそれは?」
わけの分からない答に加持が冷汗をかいている。
基本的にマナは加持のことを信用していない。だからしらずしらずに返事もどこかつっけんどんになるのだろう。
しかし今の彼はシンジの保護者だ、あまり悪い印象を持たれたら寺に出入りしにくくなるかもしれない。彼にはレイの監視もしてもらわないといけないし。そう思いなおしマナはちゃんと答えることにした。
思いっきり作り笑いをしながら加持の方を向く。
目は笑ってないかもしれないが。
「なんか途中で呼び止められてましたよ。小学生に」
「小学生?」
「ええ、10才くらいの女の子、この辺じゃ見ない顔でしたけど。なんかシンちゃんに用事があるって」
「・・・・・・」
「そういえば私がいちゃダメだって言ったのに、あの女のことは気にした様子なかったわね。なんでだろう」
自ら見つけた疑問に首を傾げるマナの前で、加持の顔は少し厳しくなっていた。
小さな公園。小さな鉄棒と滑り台だけしかない、避難場所にも少し狭いだろう。
天気もよく、まだ4時過ぎだ、だからそこかしこで子供たちが遊んでいる。母親たちの姿も見える。
突然のサクラの言葉に驚いたシンジは、彼女を説得してこの公園に来ていた。
当然レイもついてきている。
闘いたいという彼女の言葉は冗談とは思えない。すぐにでもあの場所で襲いかかってきそうな雰囲気すらあった。
それが怖いとは思わなかったが、もとよりシンジにはこんな少女と闘うつもりなどなかった。
まず事情を聞きたい、そう思い寺へと来る様に言ったのだが、それはサクラが嫌がったのだ。
「ここで闘うんですか?」
不安そうな顔でサクラがシンジに訊ねる。道端では不味い、そう言って納得させたのだがここでもさほど状況に変わりはないことに気づいているのかもしれない。
「ね、ねえサクラちゃん、どうしてなんだい。僕には君と闘わないといけない理由がよくわからないんだけど」
「それは・・・・シンジさんが槍の使い手だからです」
「槍ってこの槍のこと?」
思わず抱えた槍を握りしめる。つまりは彼女も教団の関係者ということか。まさかまたゲンドウが糸を引いているのだろうか。
「はい。・・・シンジさんが持っているその槍、それは教団での最強の法力者の象徴です。それを目指してみんな修行している。だから納得いかないんです、今まで名前すら知られていなかったあなたが、槍の継承者となったことが」
「でも、僕は望んでそうなったわけでは・・・・」
そう答えようとするシンジを遮る様に、それまで黙っていたレイがサクラの前に立った。
「・・・・あなたは、碇君の敵なの?」
「え、い、いえ・・・」
「綾波・・・」
「碇君を困らせるなら、私はあなたを許さない。彼と闘うよりも先に、私が闘ってあげましょうか?」
その言葉と共にレイが右手をかざす。5本の指から爪が一斉に伸び、サクラの前へとせまった。
思わず怯えて後ずさり、サクラはしりもちをついた。目に涙を溜めている。
「ひ、ひい」
「あ、綾波、やめなよ。彼女とは闘ったりしないから」
「そう?」
シンジに宥められ、レイの手は元に戻った。
周囲の大人たちがこちらを見ている。レイのことは一瞬だから気づかれなかったと思うが、この風景は中学生が小学生をいじめているようにしか見えないだろう。
腰が抜けたように立ち上がれないサクラの前にしゃがみ、シンジは手をさしだした。
「ごめんね、怖がらせちゃって。立てる?」
「は、はい、すみません」
顔を赤くして俯きながら、サクラはシンジの手を取った。
そのまま立ち上がる。
「でも、僕は別にいいんだ。槍の継承者なんかじゃなくても。だから他にそれを望む人がいるんなら、喜んでゆずるよ」
「・・・・そ、そうなんですか?」
「うん、その方が気楽でいいよ、どうせ法力なんてないしね」
そう言ってシンジが微笑む。
「え、で、でも・・・」
口ごもるサクラに代わるように、別の声がシンジに答えた。
「君に法力が無いわけがないだろう? それに槍の継承はそんなに簡単じゃないさ」
「加持さん?」
作務衣を着た加持がそこに立っていた。どうしてここに彼がいるのかシンジには分からなかったが。
「とりあえず寺に帰ろう、ここは人の目が多すぎるからね。それでいいかい?」
「は、はい」
彼のことを知っているのか、加持から目を逸らすようにしてサクラが答えた。
「よし、じゃあ行こう。ところでシンジくん、いつまで手を繋いでるつもりだい? レイちゃんが怒ってるぞ」
「えっ、あ、これは」
あわてて手を放す。そんなシンジをレイが冷たい瞳で見ていた。
サクラを応接間に通した後、シンジは着替えるために自室に戻った。
加持は本堂で待っているそうだ、レイも自室で着替えている。彼女の服や日常品は教団が準備していた。
地下室から槍とレイを解放して以来次々と事件が起こる、自ら蒔いたタネとはいえ、ただの中学生のはずの自分に平穏な日々はもう来ないのか、少し不安になる。
ともあれサクラを放っておくわけにはいかないだろう。部屋着を着てシンジは彼女のもとへと向かった。ふすまごしに声をかけようとした時、部屋の中から聞こえてきた、それはサクラではない、男性の声。
思わず立ち聞きをする。
「どうしたんや、びびってもうて。だらしないやつやなあ」
「で、でも、ホントに怖かったんだもの。凄い妖力だったし」
「確かにな。あれは生半可な妖怪やないわ。だいたいあそこまで自然にヒトガタを保てること自体、信じがたいこっちゃ」
「そうなの?」
「ああ。でもそれだけやないで、なんやサクラふにゃふにゃやったやないか。あのシンジってやつからはほとんど力を感じへんかったやろ。なんで不意打ちでも闘わへんかったんや?」
「だ、だってあの人見てると「はにゃーん」ってなっちゃうんだもの。それに不意打ちなんてできないよ、そんな卑怯なこと」
相手は関西弁を使っている、内容からすれば先程の現場を見ていたようだ。
いつまでもこうしているわけにはいくまい。シンジは意を決してふすまを開いた。
「サクラちゃん!」
「あ、シ、シンジさん、もう着替え終わったんですか?」
サクラが驚いたように返事をする。しかし他に人の姿はない。
サクラの前にはさっきシンジが出した湯飲み。お菓子は食べてしまったようだ。
「う、うん」
部屋中を見渡しても誰もいない、入り口はここしかないはずなのに。まさかシンジも知らない抜け道があるはずもない。携帯電話だろうか、いや、それでは相手の声は聞こえないだろう。
「どうかしたんですか?」
「え、い、いや、なんでもないんだ」
首を傾げながら、シンジはサクラを連れて本堂へと向かった。
本堂の前で、レイはすでに立っていた。制服ではない、Tシャツとスカート。私服姿の彼女はやはり普通の少女にしか見えない。
思わず見とれてしまった自分を隠すように、シンジはレイに声をかけた。
「ごめん、待たせちゃったかな」
「いいえ」
「じゃあ、入ろうか。こっちだよ、サクラちゃん」
本堂では、その中心で加持が座っていた。
靴を脱いで入ったシンジたちも彼の前に座る。
一息つくのを待って自分の名前を言った後、加持はサクラに問いかけた。
「それで、君の名前は?」
「・・・鈴原サクラです」
おずおずとサクラが答える。加持はこの少女を知っていたわけではないようだった。
「鈴原? ・・・なるほど、そういうことか。今日来たのは葛城の指示なのかい?」
「い、いえ。違います。私が・・・・勝手に」
「でも、シンジくんのことは教団でも極秘事項のはずだぞ、レイちゃんのこともね。普通なら君が知っているはずがないと思うが」
加持の言葉が厳しさを増す。その口調は小学生相手では強すぎるだろう、サクラの顔は青ざめている。
「そ、それは・・・その、盗み見したから・・・・」
「いけない子だな」
「ご、ごめんなさい」
「加持さん、可哀相ですよ」
「はは、ごめんごめん、責めるつもりはないさ。別に何も起きなかったしね」
思わず取りなしたシンジに、加持も苦笑で答えた。
「ただ、連絡があったんだよ。槍を狙っている者が教団内にいるってね」
「槍を、ですか?」
傍らの槍を見る、もう包帯はといている。二重螺旋の異形の武器。
「ああ、それは教団内では力の象徴でもある。権力争いに使おうってことだろう。全く救いが無い話だけどね」
「そんな・・・・僕はこんなもの・・・」
「言っただろう、君は選ばれたんだって。そう簡単には槍の方が君を離しちゃくれないさ、きっとね。・・・ともかく今後は気をつけないとな。これからはこんな可愛い女の子じゃなくて、洒落の通じない相手がくるかもしれないしね」
冗談めかして加持が言う。けれどその内容の深刻さを考えるとシンジは笑えなかった。
「争う理由なんて僕にはありませんよ。父さんはいつ帰ってくるんですか?」
「碇住職もいろいろと忙しいみたいだからね。そのうち連絡があるさ」
慰めるように加持が言う。そんなシンジを見て、サクラは済まなそうな顔をした。
「ごめんなさい、私、何も知らなかったから」
「いいんだ、僕が横からでてきたのはホントだしね。でも、サクラちゃんも槍の伝承を目指してたの? やっぱり法力が使えるんだ」
「わ、私は違うんですけど・・・」
「この子のお兄さんが継承候補者なんだよ。俺の知り合いのところで修行してたはずだ」
それで先程名前を聞いて納得した顔になったのだろう。シンジにも合点がいった。
「そうなんですか。じゃあ、今日はお兄さんのために?」
「・・・・お兄ちゃん、ずっと、ずっとつらい修行してたから私可哀相で・・・。でも、私間違ってました。お願いです、今日私が来たことは・・・」
「ああ、わかってるよ。誰にも言わないさ。それよりそろそろ帰らないと遅くなるだろう? 送っていくよ」
「あ、ありがとうございます」
笑顔を見せて頭を下げるサクラ、しかし和んだ雰囲気を壊すように、それまで何も言わなかったレイが不意に立ち上がった。
「綾波?」
「来るわ・・・」
「使者、だな」
厳しい顔で加持も立ち上がる。その言葉に思わず引き寄せた槍も、シンジの手の中で震えていた。
夕焼けに染まる境内、黄昏時はまだ遠い。
この間来たような巨人の姿を想像したシンジだったが、そこには化け物の姿はなかった。
そこにいたのは、シンジが見知ったクラスメートの姿。
「山岸・・・・さん?」
長く伸びた黒い髪、顔にはメガネ。山岸マユミ、制服姿の彼女がそこに立っていた。焦点のあわない瞳、シンジの声にも何も答えない、あきらかに様子はおかしい。
「乗っ取られてる、今の彼女はこの間の巨人と同じだ、油断したらやられるぞ」
「そ、そんな。クラスメートなんですよ、彼女は」
変化しているならともかく、乗っ取られたのならその身体はマユミのものではないか。それに対して攻撃できるわけがない。
「槍を使うんだ、シンジくん、その槍で突きさしても滅びるのは妖怪だけだ、普通の人間は傷つかないはずだ」
「ど、どうして分かるんですか、そんなことが」
「伝承に書いてある」
「そんないい加減な!!」
そうしている間にも、マユミはゆっくりとシンジの方に近づいてきていた。それを避けるように本堂から離れ広い空間へと移る。
どうすればいいのか、迷うシンジに隙をみつけたのだろうか。マユミの手が動きそこから光が伸びた。
シンジの前に広がるオレンジ色の壁、そこに何か紐の様なものがあたり跳ね返る。光のムチ。人の所業とは思えない。
「碇君は、私が守る・・・」
つぶやきとともにレイがその身体を獣に変えていく。
「あ、綾波!」
シンジの叫びも聞こえないかのように、白い獣へとその身を変えたレイは、その長い爪を振りかざしてマユミへと向かっていった。
黒い髪の少女の身体をレイの爪が切り裂く、その寸前、横合いから飛び出したシンジの槍が、レイの身体を弾き飛ばしていた。
「!?」
「だめだよ! 綾波!! そんなことしたらマユミさんが死んじゃう。わああっ!」
呆然としているレイを諭すシンジの不意をつくように、後ろから来た光がシンジに襲いかかった。
シンジの肩口から血が吹き出る。
「シンジくん、下がるんだ!!」
加持が叫ぶ。それを嘲笑う様に至近距離からトドメのようにマユミが右手を振る。防ぐこともままならず、死を覚悟したシンジの身体を何かが掴んだ。
そのままシンジの身体を空中へと運ぶ。
「綾波?」
違う、シンジを掴むそれは金色に輝いていた。
「全くムチャな兄ちゃんやで・・・」
そしてマユミから離れたところでシンジをおろす。
「大丈夫ですか? シンジさん」
「サクラちゃん? こ、こいつは」
見上げた先にいるのは翼を持つ金色の獅子、サクラはその背に乗って心配そうに見ている。
言葉を失うシンジに説明する様に、獅子がその口を開いた。
「ワイはケルベロス、サクラの使い魔や」
サクラが背中から降りる、それと同時に獅子は小さなぬいぐるみのようなものにその姿を変えた。
サクラの肩に乗り、それでもまだ喋りつづけている。
「さっきの身体を維持するのにはサクラの力を使いすぎるんや。こっちは仮の姿なんやけどな」
「シンジさん、怪我してますね。『・・・』」
駆け寄ってきたサクラが手に持った杖を振り上げ口の中で何かを呟いた。それとともに杖が光り、シンジの傷口もまた蛍の様に光る。
「こ、これが君の力なのかい?」
傷口が塞がっていくのを感じながら、シンジは驚きの目でサクラを見た。彼女は恥ずかしそうに微笑んでいる。
「は、はい、まだ力は弱いですけど、少しだけ術が使えるんです」
「そ、そうなんだ。ありがとう、助けてくれて。君もありがとう」
「かまへん、かまへん、それよりええんか、向こうのほうは」
「そうだ、山岸さんは」
振り向くとレイと加持がマユミとやり合っていた。先程のシンジの言いたいことが伝わったのだろうか、レイも攻撃する素振りは見せない。加持と協力してマユミを牽制しつづけているだけだ。
だがマユミは容赦なく攻撃をしかけている、そういつまでももたないだろう。
「このままじゃ・・・・でも、どうしたらいいんだ」
「加持さんが言ったとおり、槍を使うしかないと思います」
「でも、もしそれで山岸さんが傷ついたら・・・・何の保障も無いんだ、できないよ、そんなこと!」
身体の中に何かがいるにしても槍をマユミに突き刺すという行為に変わりは無い。彼女を殺すかもしれない行為をする勇気など、シンジは持てなかった。
それに代わる考えを持っているわけでもないが。
「・・・・・・分かりました。試してみましょう」
「えっ?!」
「なにすんねん、サクラ!!」
シンジが止める間もなく、サクラは飛び上がってその身体を槍へと投げ出した。
「サクラちゃん!!」
槍の茶色い先端がサクラの腹部を突き刺す、苦痛に顔を歪める彼女を見て、シンジはあわてて槍を引き戻した。
「な、なんてことするんだよ!!」
「シンジさん、見てください、私には傷一つついてませんよ」
座り込んで、お腹をさすりながらサクラが言う。たしかに服に血はにじんできてはいない。だが、明らかにサクラは弱っているように見える。
「私は普通の人より力を持ってるから、槍も少し反応したのかもしれません。でも、彼女になら・・・・」
「・・・・・・・・わかったよ、やってみる」
サクラの言葉にシンジは立ち上がり、槍を引き寄せた。もう迷う理由は無い。
振り返り、マユミを見る。レイも加持もかなり押されている。
決意したように頷くと、シンジは槍を空にかざした。身体が紫色に光る。髪が腰まで伸びる。
槍を持った獣人と化し、シンジは戦いの場へと駆けだして行った。
「・・・ほええええ、あれが、シンジさん?」
「化けよった・・・・あの兄ちゃんもただもんやないわ」
境内の中心、マユミとレイたちが戦っている場所へとシンジは跳躍した。
「シンジくん!!」
「加持さん、サクラちゃんを見て上げてください!!」
ムチの攻撃をを何度かか浴びたのだろう、血がにじみ裂かれた服を着ている加持にシンジが叫んだ。うなずき加持が後ろに下がる。
髪を振り乱してマユミが光のムチを振るう。オレンジ色の壁がシンジの直前でそれを跳ね返す。
槍を振りかざし、シンジはマユミへと突き刺そうとした。
「ちぃっ!」
殺気が読まれたのだろうか、マユミが攻撃を避け飛び下がる。一呼吸も置かずに襲いかかってきたムチを、シンジはかろうじて避けた。
「綾波!!」
上空にいるレイを呼ぶ。意図が分かったのだろう、白い獣が降りてくる。飛び上がりシンジがその背中に乗る。そのまま再び高く飛び立ったレイとともに、シンジはこちらを見上げているマユミの姿を見た。
炎は使えない。うかつに近づけばレイの結界も相殺されるだろう。一か八か槍を投擲すればどうか、だが敵の動きが早い。避けられたら二の矢はもう無いのだ。
敵の武器があのムチだけなら、懐に入りさえすれば勝機はあるはずだ。
恐れていても始まらない。
先程はあんな小さな少女が勇気を見せたではないか、シンジに出来ないわけはないだろう。
「綾波、僕が合図したら、彼女に当たらないように炎を吐いて。いいね」
『どうするつもり?』
心に直接響いてくる、これはレイの声だろうか。
「一瞬でも相手の気がそれればいいんだ、頼むよ」
わかったと言う様に、白い獣はマユミの方へと向かって行った。下からは光のムチ、それを結界が弾く。
近づく、そろそろ結界は消えるはずだ。
「今だ、綾波!!」
叫ぶと共にシンジはマユミの方ではなく地面へと向かい飛び下りた。
レイがマユミの頭上すれすれに炎を吐く。それを避けながらレイに向かいムチを振るうマユミを視界に入れ、着地したシンジは全身のバネを使いマユミへ、いやマユミを操る化け物に向かい跳んだ。
気がついたマユミがムチを振るう。シンジの服が切り裂かれる。しかし時すでに遅く、シンジの振るった槍はマユミの胸を深々と貫いていた。
「ギャアアアアアアアアアッ!!」
叫びと共にマユミがのけ反る、シンジが槍を抜く。
マユミの身体から血が吹き出ることは無く、代りに、彼女の口から霧のような黒い塊が吐き出され、空へと昇って行った。
「綾波!!」
シンジに応えるようにレイが霧に近づき、口から炎を吐いた。黒い塊が火につつまれそして炎が消え去った後、そこには何も残っていなかった。
「山岸さん、山岸さん、大丈夫!?」
誰かに身体を揺すられる感覚に、マユミは目を覚ました。
なぜ自分は寝ているのか、全く覚えていない、ただ全身が妙にだるかった。
ぼやけていた焦点が合う、そして気づいた、目の前にいたのは誰なのか。
「碇くん?」
「よかった、目が醒めたんだね、どこか痛いところはない?」
「ううん、平気。・・・・・私、どうしてここにいるの?」
見覚えのある風景、何度か来たことがある、ここは音流布寺の境内だった。
普通に下校をしていたはずの自分がなぜここにいるのか、わけがわからない。
頭を抑えながら立ち上がる。だるいだけでどこも痛いところは無い、衣服も乱れてはいないように思えた。
「・・・・・・さあ? 気がついたらここで倒れてたんだよ」
「そうなの・・・・ごめんなさい」
心配そうな顔をするシンジに謝る。よく見ると彼一人ではない、知らない男の人と女の子の姿もあった。
お寺の関係者なのだろうか。
「いいよ、そんなの。でも、大丈夫?」
「ええ、心配しないで、私、もう帰りますから」
「そう? 送って行こうか?」
その言葉に思わずマユミはシンジを見つめた、彼の黒い瞳を。
「・・・・・ううん、今日はいいです、ありがとう」
「いいんだ、ごめんね」
なぜか謝るシンジに小さく会釈すると、マユミは逃げるように寺を後にした。
家への道を早足で歩きながら、マユミはなぜか涙を流していた。
理由はわからない、ただ、ずっと持っていたはずのシンジへの想い、それがいつのまにか消えてしまったことに気づいたから。
彼を見て感じられたはずの何かが、自分にはもう感じられないことを知ってしまったから。
家につく。鞄だけが届けられており、そのため親は心配していた。それに生返事をし自室のベッドにうつ伏せると、マユミはそのまま声を殺して泣きじゃくった。
変わったのはシンジではない、変わったのは自分だ。
シンジの心に触れるすべは、永遠に失われたのだろう。
「大丈夫かな、サクラちゃん」
「・・・さあ?」
あの後サクラは加持が送って行った。
槍をその身に刺した影響は大きく、加持によるとかなり霊的エネルギーが減少しているそうだ。
身体に傷はできていないとはいえ、術者としての彼女には大きな問題だろう。
教団で治癒すれば回復する可能性はある、そう言っていたが。
「僕がもっと早く決断していれば・・・・・」
加持の言葉を信じてさえいたらあんなことにはならかったのかもしれない。
教団に伝わる槍に関すること、それを何も知らないままシンジは槍を使いつづけているのだ。
サクラはシンジよりもずっと詳しく知っていたのだろう、だからあんなムチャもできたのだ。
槍の伝承者、そんな肩書などいらない。誰かが欲しいというなら渡してしまっても全然かまわない。
けれど加持が言ったように逃げられない運命なのなら、シンジはもっと知らなければならないのだ。
槍のことも、あの妖怪のことも、教団のことも、そしてレイのことも。
「とりあえず父さんに会って、それからだな・・・・」
独り言のようにつぶやく、そんなシンジをレイはじっと見つめていた。
「ねえ、碇君?」
「なんだい?」
「碇君の秘密って何?」
「へっ、な、なんのことだよ」
突然の問いかけ。だがシンジは思いだしていた、レイが言っている言葉の意味を。
「あの茶髪の女が言っていたわ。私も知りたい」
「だからあれは子供のころマナに裸にされて・・・・・そ、そんなの教えられないよ」
「裸? 裸にすればわかるのね」
レイの爪が長く伸びた。軽く手を振る、シンジのシャツが切り裂かれる。
「な、なにするんだよ、綾波」
「これでその服はもう着れないわ。脱ぎましょう。私が脱がせてあげる」
「い、いいよ、いいってば」
服を剥がそうとするレイから逃げ回る。
よほど知りたいのだろう、レイの目つきが変わっているようにも見える。
そういえばサクラの家がどこか聞くのを忘れていた。加持は今日中にここに帰ってこないかもしれない。
レイと二人きりで夜を過ごすことに貞操の不安を覚える。
そのシンジの想いが通じたのだろうか?
玄関先から声がした。
「シンちゃ〜ん、ホントに泊まりに来たよ〜!!」
シンジの受難の一日は、まだ終わりそうに無かった。
〜つづく〜
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katu@osaka.104.net
解説:
3万ヒット記念です。
なんかエヴァでもなんでもなくなりつつあるかもしれませんが(^^;;
SRがコテコテの本編系だから少しくらいは遊んでもいいかなと(笑)
当初の予定では今回のヒロインはマユミのはずでした。しかし突如登場したキャラ、サクラによって見事に影が薄くなってます。
サクラの扱いも少し中途半端かも(^^;
彼女の兄さんは当然ジャージマンですが、もともとは今は亡き某所の掲示板ネタで彼女を妹にしました。
この作品の元々の連載もとだからそれもありかなと。妹役では他に使ってる人いないみたいだし。
次回は当然兄貴がでてきますが、彼女が引き続き出てくるかは不明です。
真のヒロインはレイだしね。マナもいるし。
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