しんじとれい

〔第六話 再会〕

Written by かつ丸







「久しぶりだな・・・まんまとお前に引っ張り出された気もするが」

「研究所勤めにも飽きていたのではないのか。あの男がそちらに顔を出したことはいい口実になったようだな」

「否定はせんがね。・・・千年の封印が解かれ、ついに使い手が現れた。教団の片隅に生きるものとしては、興味を持たないわけにはいかんさ」

「別に偶然ではない。あいつが使い手になることなど以前から分かっていたことだ」

「以前から? どういう意味だ」

「お前も知っているだろう。15年前の事件、あれが全ての始まりだよ」

「・・・・・つまり、今回の槍の解放、これは彼女の意思だというのか?」

「ああ、そのための、シンジだ」














「葛城ミサトさん、ですか」

「ミサト、でいいわよ。シンジくん」

「は、はい・・・」

にこやかに微笑みかけてきたミサトに、どこか艶めいたものを感じ、シンジは頬を赤らめてうつむいた。その様子を青い髪と茶色い髪の、二人の少女が冷たく見ている。

シンジの家のリビングルーム、ミサトの右隣では加持が困ったような顔をしている。トウジはその隣。
赤木リツコと名乗った金髪の女性は、ミサトの左隣で無表情に座っていた。彼女はシンジの方をほとんどみていない。シンジの隣に座っているレイをずっと見ている。
観察しているのかもしれない。




砂浜での使者との戦いが終わり、その後シンジとレイそしてマナは、加持の車で音流布寺へと帰ってきた。
泣き止まないマナと憮然としたレイ、その二人にはさまれて生きた心地がせず、寺についた時には戦闘直後よりも疲労が激しかった。そしてそのまま眠ってしまったのだ。
ミサトたちは本堂の方に泊まっていたのだろうか、それとも駅前にあるホテルにでも泊まっていたのかもしれない。
学校に行こうとしていたシンジたちの前に押しとどめるように顔を出した。話が聞きたい、そう言って。
断れそうな雰囲気ではなかった。にこやかな笑顔の下には、拒否を許さない威圧的なものが感じられた気がする。大人の女性に接することになれていない、それゆえかもしれないけれど。

ともあれ、槍の使い手として、これから何をすればいいのか。何かをしなくてはいけないのか、知らないこと、知らなくてはいけないこと、模索することすらできない自分だ。
槍について何かを知っているらしい彼女達に訊きたいことは、むしろシンジの側にあった。

だから今日の欠席は覚悟し、こうしてミサトたちと話をしている。レイはともかく、マナには学校に行くように言ったのだが。当然聞きはしない。

「それで・・・結局昨日のアレはなんだったんですか?」

ミサトたちの機先を制するように、マナが問いかけた。
彼女はミサトたちにも臆してはいないようだ。

「『使者』、教団ではそう呼んでいるわ」

「『使者』? 妖怪や化け物の一種なんですか?」

ゲンドウの怪談に、子供のころからマナもつき合わせられている。信じていたかどうかはともかく、超常的な話題に拒絶反応があるということはないようだ。だいたい彼女は2回も使者の姿を見ている。

「それは・・・・普通の妖怪、とは少し様子が違った気もするわね、たしかに」

「高レベルアストラル体・・・・霊的エネルギーの固まりのようなものよ。意思を持った、ね」

「・・・意思を・・・・それで、どうしてそんなものがシンちゃんを襲わなくちゃなんないんですか? その槍のせい?」

ミサトのいいかげんな答えをさえぎって横合いから説明を始めたリツコに、マナはさらに問い掛けた。それこそが彼女の最大の疑問なのかもしれない。

「そうね、彼が使い手だから、でしょうね。まだデータが少ないから断言はできないけれど」

「じゃあシンちゃんが槍なんか捨てちゃえば、それで解決するんじゃない。ねえ、そうしなさいよ」

「ちょ、ちょっと待ってよ」

「どうしてよ? 別に武道家になるつもりもないんでしょう? そんなもの持っててもいい事なんてないじゃない、なんにも」

思わず抗議の声をあげたシンジに、目をむいて食ってかかってくる。けれどマナのその言葉は確かに正論ではあるのだ。
普通の神経ならば放り出しているだろう。

「だ、だから、槍がなんのためにあるのか、『使い手』ってなんなのか、それを知りたいんじゃないか」

「そんなこと知ってもしょうがないじゃない。槍なんか、そこの鈴原くんにでも譲ったらいいのよ。ついでにこの寺も継いで貰ったらどう? あの女も込みで。 シンちゃんはうちに来ればいいんだし」

「ムチャクチャ言わないでよ・・・」

マナは冗談を言っているのではない。目はまったく笑っていない。
それが分かるのだろう、周りで見ているものたちは少し引いていた。
主導権をマナに取られてただたじろいでいるだけのシンジに呆れ、ミサトが加持にささやく。


「・・・ホントのホントに使い手なの、こんな子が?」

「・・・・・・誰にだって弱点はあるさ」

「うちのバカ弟子も妹に頭が上がらないし、この年代の男の子はみんな軟弱なのかしらね」

「・・それだけ大事な子なのさ、シンジくんにとってね。だから簡単に跳ねのけたりはできないんだろう」

シンジとマナを見る加持の視線は優しかった。
何日間かこの寺でシンジたちと接し、彼らの関係の深さはよくわかっている、そういうことだろう。

「・・・・そういえば加持くんも同じような感じだったものね、私覚えてるもの」

加持の様子に何かを思い出したのか、ミサトの目が悪戯っぽく光った。
ややたじろいで加持が答える。

「・・・そうだったかな? 女性に優しいのは、俺は今も変わっていないぜ」

「ただ優しいのと大事に思っているのとは違うわ。あんたは基本的に冷たい男だから、他人のことなんて関係ないってところがあったし」

「おいおい、言ってることがバラバラだな」

「だから、加持くんにもあんなふうな特別な相手がいたでしょう、ってことよ」

「葛城以外にか?」

反撃のつもりだったのかもしれないその言葉を、小さく笑ってミサトは軽くいなした。
そして加持から視線を外し、どこか遠くを見つめる。
その瞳に写っているのは、はるか過去の幻なのかもしれない。

「・・・まあいいわ。もう昔のことだものね、どっちにしても。・・・そう、15年も前、まだこの子達が生まれてもいない頃のことだもの」

「・・・・・そうだな」


郷愁にひたっているのかどこかしんみりしてしまった加持とミサトを尻目に、シンジとマナの会話はますますエスカレートしていた。
話の腰を折られた形のリツコが少し怒ったようにして割ってはいる。


「あなたたち、訊きたいことがあるんじゃないの? 無いなら私から質問があるんだけど」

「え、は、はい・・・・あの、質問って僕にですか?」

「ええ、シンジくんと、綾波さん、あなたにね」

ずっと黙っていたレイにリツコが視線を移した。
お互いに何の感情もその顔にはあわられていない。
ただ、同意の意味がこもった頷きをレイが返した、それだけが意思の疎通の現れだった。
張り詰めた二人の様子に少し気おされながら、シンジが答える。

「でも・・・僕たちが知ってることなんか・・・・」

「教団の事情とか、そんなことじゃないわ。碇住職の思惑も、あなたは知らないみたいだしね。・・・・まず聞かせて欲しいんだけど、シンジくん、あなた自分の身体に異常は感じていない?」

「身体・・・ですか? いいえ、特になにも」

「メタモルフォーゼの影響は無い、そういうことになるのかしら。探知機のこの子の座標にはかなり強いエネルギーが写っていたようだけど、それも全て槍のみの力?・・・いえ、それだけでは説明はつかないわね・・・やはりこの目で見てみないと・・・・」

「あ、あの・・・・」

思考に沈み自分の世界に入ってしまったリツコに、シンジが声をかけた。
彼女の問いかけやつぶやきの意味は全く理解はできないが、それだけによけい気になる。シンジ自身のことなのだから。

「ああ、ごめんなさい。・・・ねえ、シンジくん、一度私の職場に来てくれないかしら、調べてみたいことがあるんだけど」

「リツコさんの職場、ですか?」

「おいおい、実験に使うつもりなのか? あまり感心しないな」

加持が口を出す。
その切迫した口調から、シンジは身に危険が迫っていたことを理解した。

「実験じゃなくて調査よ。自分の状態を知るのはこの子にとっても大事だと思うけど。次に使者がいつくるかなんてわからないんだし、それまでここで待つのも合理的ではないわ。ここには機材だって無いし」

「・・・・それより先に本部に連れて行く必要があるんじゃないの? 碇住職は向こうにいるんでしょう?」

「おそらくな。だが、彼を連れて行っても会ってくれるかは疑問だよ。使者からの襲撃を伝えても、特に反応は無かったくらいだからね。あっちはあっちで何か動いているんだろうけど」

「ふうん。あいかわらず謎が多い人だわね、碇ゲンドウ」

「・・・父さんを知ってるんですか?」

ミサトの言葉にどこかゲンドウへの親しみを感じ、シンジは問いかけた。
シンジ自身はミサトは初対面でこの寺で彼女を見たこともなかった。彼女のように印象的な女性なら当然覚えているだろう。


「ああ、昔ね。私は弟子みたいなものだったのよ、あなたのお父さんの。正式なわけじゃなくて、何度か教えをうけただけだけど・・・私があなたくらいの時ね」

「父さんの? でも父さんはただの住職で・・・」

「自分の父親のこと、何も知らないのね。・・・教団最高の法力者である碇ゲンドウ、私が始めてあったときはまだ六分儀ゲンドウって名前だったけど、すでに伝説の人物だったわよ」

「そうなんですか・・・でも父さんが・・・」

自分にとっては少し怪しいオヤジでしかない、だからミサトの言葉もシンジにはにわかには信じられなかった。マナも意外そうな顔で聞いている。
けれど教団関係者の加持やリツコが異議を唱えないところをみると、それは真実なのだろう。

「私の本当の師匠は父なんだけど・・・その父もあなたのお父さんだけは認めていたわ。だから一時的にせよ私を預けたんでしょうね、使い手に近づく最良の道だって」

「使い手?」

「そうよ、私やリツコや加持くんも、かつて槍の使い手を目指していたわ。・・・・結局叶わなかったけどね」

「・・・・すみません」

少し寂しそうに微笑んだミサトに、シンジはなぜだか胸が痛くなった。
槍の使い手、その言葉への彼女の思い入れが分かったような気がしたから。

「あなたが謝る必要は無いわ。私たちは「試し」を受けて、そして「どぐま」への扉は開かなかったのだから。その機会の無かったトウジくんや今の候補者たちとは事情が違うもの」

「師匠、ワシも別に・・・・」

「そうね。私たちが選ばれなかったように、今の候補者が「試し」を行なう前に使い手が現れたことも、きっと運命なんでしょうね。だからシンジくんが気にする必要は無いわ。・・・あなたには、あなたの運命があるんだから」

「僕の・・・・運命?」

厳しい、けれど透き通った瞳でミサトがシンジを見ていた。
黒く光るその強い視線にまるで射すくめられたように、シンジは釘づけになる。

「そう、「使い手」だけが・・・「選ばれた」者だけが持つ運命が、あなたを待っているわ。使者があなたを襲う、それだけではなくてもっと大きなものが・・・彼女の存在も、きっとその一つなのかもしれないわね」

そう言って動かしたミサトの視線の先には青い髪の少女がいた。
ただ、黙ってシンジを見ている。今までの話など聞いていなかったのか、ミサトやリツコにも何の興味も無いのか、その表情はいつもとなにも変わらなかった。

「・・・・そうかも、しれませんね」

「な、なに納得してるのよ、シンちゃん」

マナが気色ばむ。
また痴話げんかがはじまりそうな雰囲気に、あわてて加持が割り込んできた。さすがに話が進まないと思ったのだろう。

「まあまあ。それでどうするんだ、シンジくん、これから。リッちゃんのところに行くのも本部に行くのも、どちらを選んでも構わないぞ、それで君の望む答えが得られるとは限らないけどな」

「はい・・・・一度、父さんに会わせてください」

「わかった。・・・それでいいな、リッちゃん」

「しょうがないわね。そのかわりその後で来てもらうわよ、いいわね、シンジくん」

「はい・・・」

拒否を許さない雰囲気が、リツコにはあった。
彼女が発するオーラに背中を押されるようにしてシンジが頷く。
ミサトと加持が苦笑いをしているように思えたのは、きっと気のせいではないのだろう。












「やっぱり荒い運転だわね、歳相応の落ち着きの無い証拠よ」

「年上のあんたから言われたくないわ。文句があるなら電車で帰ればよかったのよ、別に加持くんの車だってあるんだし」

「それは、そうなんだけどね」

ミサトとリツコ、そしてトウジを乗せたルノーが高速道路を走っている。前方には加持の運転するミニの姿があった、そこにはシンジとレイが乗っている。
砂浜から帰るときと違いマナが載っていないぶんだけミニには余裕があるはずだが、リツコはミサトの車に乗ることを選んでいた。

「やっぱり妖怪と同乗するのは抵抗がある? 一見しただけなら普通の女の子って感じだったわよね。あんたなら無理やり近づいて観察でもするかと思ったけど、少し意外ね」

「綾波レイ、ね。彼女には興味があるわよ、たしかに。千年前の教団創設にいたるいきさつの、その生き証人なんですもの、訊きたいことはそれこそ無数にあるわね」

「だったらどうして?」

「・・・確率の問題よ。あの車が使者に襲われるのと、この車が事故に合うのと、対処予測がしやすいだけこちらのほうがまだマシだわ。あなたの運転で体調を崩すのは不本意だけど」

「・・・・・それは光栄なことね」

ミサトのつぶやきとともにルノーが加速される。後部座席のトウジの顔はやや青ざめている。
けれど隣のリツコの顔色は変わらない。常軌を逸したその重力を楽しんでいるようにさえ見える。

「ねえ、あの子のことどう思った? ミサト」

「碇シンジ? 綾波レイ? それとも霧島マナ? どの子も興味深くはあったわね」

「とりあえずは、碇シンジ、槍の使い手、よ。あの子に会いに来たんでしょう、あなたも。私と違って使い手を本気で目指してた一人だったものね、あなたは」

「そりゃあ興味はあるけどね。でも、私が使い手を目指したのは父の影響だし、だから今思えば自分の意志じゃなかったような気もするわ。ただ・・・・槍が持つといわれる強大な力、それを欲しいと思ってた時期は確かにあった、けど、その時には私の「試し」はもう終わってたしね」

前を走る車を見つめながらミサトは言った。ミニの後部座席にレイと並んで乗るシンジの手には、槍が握られているはずだ。どうやって車中に収納しているのかよくわからないが。

「・・・・もし、私が使い手だったら、事態は変わっていたはずなのよ、あの時」

「・・・葛城調査隊、だったかしら。「試し」のすぐ後に起こったのね、たしか」

「ええ、生き残ったのは二人だけ・・・・いえ、六分儀・・・碇住職とは前日に別れていたから、私だけなのよ、あの地獄を見たのは・・・・あの化け物を知っているのは」

「化け物、ね・・・」

「そんな強力な妖怪はいないって・・・あの時は誰も信じてはくれなかったけど・・・」

いじけたようにミサトがつぶやく。リツコの声に疑いの響きは無かったが、完全に信じているという雰囲気でもない、だからだろう。
それまで黙って話を聞いていたトウジが、興味を抑えきれなくなったのか後部座席から身を乗り出してきた。

「・・・いったい、何があったんですか? 師匠」

「え、ああ・・・教団には伝承があるのよ、象徴である獣の槍以外にも、教団の「敵」に関する伝承がね。それを調べるために調査隊が派遣されたの、15年前にね」

「教団の「敵」? 妖怪かなんかですか?」

「はっきりとはわからないわ。千年前この国に現れて、その時の槍の使い手や陰陽師や法力者たちによって撃退された。だけどいつか必ず更なる力とともにもう一度現れる、その時のために使い手を育てなければならない・・・大まかに言うとこんな感じかしら。ねえ、リツコ」

「ええ、どんな敵だったか記録には残っていない、細かいことは全て口伝だと言われているわ。本当に知っているのは教団の中枢だけでしょうね」

ミサトを受けて、リツコが静かな口調で言った。
トウジは興味深げに聞いている。

「評議員クラスか、特別な家柄か、「役目」を持つ者か。音流布寺の住職である碇の家には、当然伝えられていたはずよ、あの調子じゃシンジくんは知らないでしょうけどね。ミサトのお父さんはそのころ評議員だったのでしょう?」

「まあね、ほんのさわりだけは教えてもらったわ、私も。だから調査隊に入れたんだから。でも絶対誰にも話すなって言われた、「敵」のことを話題に出すだけでも、伝わる名前で呼ぶだけでも、「言霊」はその存在を呼び込むから、とても危険だって」

「なんやたいそうな話なんですね」

「ひとごとじゃないわよ、トウジくん。サクラちゃんにも、いずれは教えられるでしょうね、披露目が行なわれるころには。「杖」の継承者なんだから、あの子だって」

サクラの名が出たことで、トウジの表情は厳しく変わった。

「・・・・サクラが戦わなあかんっちゅうことですか、その敵と」

「槍が解放され、使者が現れた。「敵」が姿をあらわす可能性は高くなったわね、たしかに」

トウジの問いかけにリツコが答える。
それに対してミサトもうなずいた。

「逆かもしれないわよ。「敵」が姿をあらわしたから、槍の封印は解かれたのかもしれない。・・・どのみち戦いが起こることは間違い無いわ。・・・・そして、それを私は待ち望んでいたのよ、15年間、ずっと」












箱根山中是得礼宗総本山、入り口にある巨大な門をくぐるとそこにはいくつものお堂が荘厳な雰囲気を醸しだしている、日本有数の巨大教団の本拠地。
加持の車から降り、シンジは周りを見渡した。
澄み切った空気、それは標高が高いせいだ。温泉や湖に近い観光地というイメージが大きい箱根であるが、ここは道行く人の姿もまばらで、下界とは切り離された聖地そのものに思える。

ここにくるのはいつ以来だろう。

当然初めてではない。風景にも確かに見覚えはある。だが、シンジが中学校にあがるそれよりもずっと前だったのではないだろうか、それくらいここはシンジには疎遠な場所だった。

広大な施設は一つの街といってもよく。商業施設はもちろん、全寮制の学園や大学もある。
中学生になる時そこの学園に入学するという話もあったくらいだ。
高校や大学の折にはまたその話が蒸し返されることになるのだろう。本気で音楽の道を目指すなら、いつかは決断しなくてはならない、ここの大学には理系の学部や医学部も存在するらしいがさすがに芸術課程などありはしない。
普段は考えないようにしている、けれど本部のことを考えると、シンジは自分の将来に思いを馳せないわけにはいかなかった。
だから疎遠にしていたのかもしれない。ゲンドウから行事への出席を促されても拒否していたのはきっとそのためだろう。


「どうしたんだ、ボーっとして。めずらしい訳じゃないだろう?」

「え、は、はい・・・でも、なんだか久しぶりですから」

「そうなのか? とりあえず行こうか。教団本部に待ち望んでいた「槍」と「使い手」が到着したんだからな、本当なら盛大な式典があってもいいんだが。誰もそれを知らないから静かなもんだけど」

「なんだ、加持くんそれじゃあ連絡してないの?」

同じように到着していたミサトの声がかかる。
トウジやリツコもすでに車から降りていた。

「ああ、お忍びだよ、今日は。それにシンジくんはまだ正式に使い手として認められた訳じゃないしね。その時には当然ここで披露目が行なわれるんだろうけど、まだ時期尚早だな」

「じゃあどうするのよ。いきなり行って碇住職に会えるの?あんたも居場所は知らないんでしょうに」

「そういや、そうだな。でも別に隠れてる訳じゃないはずだから、連絡ぐらいはとれるんじゃないか?」

「・・・簡単に会えないかもしれないって言ったのは、あんたじゃなかったっけ?」

「ああ・・・・言ったかもしれない」


鈍い音があたりに響いた。
加持が頭を抑えている。
憤怒に顔を赤く染めて、ミサトがこぶしを握り締めている。


「無様ね」

「・・・殴ることはないだろう」

「いいから! まず何とかしてアポを取るのが先でしょう。こんなとこで伝説の槍を持ってウロウロして、気づかれたら大騒ぎになるわよ。早く行きなさい!」

「分かったよ。・・・・じゃあ、シンジくん、悪いがしばらくその辺で時間をつぶしていてくれないか。俺は碇住職を探してみるよ。そんなにかからないとは思うけどね」

「は、はい」

「それまで私が案内してあげるわ。綾波さんは本部に来るのははじめてなの?」


シンジに寄り添うようにして立っていたレイに、ミサトが問いかけた。
見たところレイに変わった様子は無い。シンジのようにあたりを眺めることもなく、ただ静かに佇んでいた。

「・・・・この間来たわ。そして昔にも何度か」

「昔って・・・・千年前?」

「さあ?」

「どぐまにいたんなら、そんなことわかりっこないでしょうね。・・・・でも、綾波さん・・いえ、レイ、あなたはなんともないの? ここには強力な結界が張られているはずよ」


親密さのかけらも感じられない口調で、リツコがレイに尋ねた。
言われてみて初めてシンジにも思い当たった、この場所は教団の本拠地なのだと。最も清浄でなければならない場所に、妖怪の存在など許されるはずが無い。
リツコの言うとおり、法力の粋を集めて防御を行なっていることは間違いない。
けれどレイになにか苦痛を感じている様子は見えなかった。それはいったいどういうことなのだろうか。

いや、しかしそれはシンジには当然のことのようにも思える。
レイが邪悪なものではない、教団に敵対するものではない、その証ではないだろうか。

リツコの視線を正面から受けて、レイが答えた。


「・・・・問題は無いわ」

「そう・・・それは興味深いわね」


何かを含んだような妖しい微笑みをリツコが浮かべる。
目は少しも笑っていなかったけれど。
彼女がレイを見つめる瞳は、人に対するそれではない、それがシンジにはわかった。









かすかな緊張感が漂っていた。誰も声を発する者は無い。
いや、ミサトだけは少し違う、何も話はしないが、この状況を楽しんでいるようにも見える。
加持が抜け、残った5人は、ミサトに引きずられるようにして一つの建物の前へとたどり着いた。
3階建てほどだろうか、シンジの中学校ほどの大きさ、窓には全て白いカーテンが引かれている。けれど学校ではない、喧騒はそこからは聞こえてはこなかった。

「ここは?」

「病院よ。正確には是得礼大学医学部付属病院。大学は離れたところにあるから、ここは分館みたいなものね」

「それじゃ・・・・」

ようやくシンジにはわかった、ミサトの意図することが。
思わずトウジの方を見る。
不本意を絵にかいたような憮然とした顔で、けれども彼はシンジに頷いた。

「・・・・ああ、ここで入院しとる。きっとあいつは喜ぶやろ。会うていったってくれや」




「シンジさん!? どうして?」

「・・・・・久しぶり、サクラちゃん。入院してたんだね。ごめんよ、こんなことになってるなんて知らなかったんだ、僕」

驚いたようにベッドから上半身を起こした紅茶色の髪の少女を、シンジは見つめていた。
これで会うのはまだ2回目、病室でパジャマを着ているからだろうか、前回あったときよりもやつれているように見える。それは気のせいではないのだろう。

「あの時・・・あの時、僕がもっと早く決断してたら」

「ううん、いいんです。少し体調を崩しただけだから、別にシンジさんのせいなんかじゃないから」

「でも・・・・霊力が・・・」

寺の前で戦った時、トウジは言っていた。サクラから霊力が奪われたと、それゆえにシンジを許すことはできないと。
けれどサクラはなにも気にした様子をみせず、シンジの方を見て軽やかに笑った。

「お兄ちゃんですね、大げさなんだから。・・・一時的なものです、ホントに。だから気にしないでください。ケロちゃんも言ってましたから、霊力が根本から失われたらあの子も動くことができなくなるはずだって、奪われて弱くはなったけど時間をかければきっと元通りになるって」

「ケロちゃん?」

枕もとに置かれた小さなぬいぐるみが、シンジに向かい笑ったような気がした。
あの時シンジを助けてくれた翼持つ金色の獅子。
彼のことなのだろう。

「そうなんだ・・・よかった、ほんとによかった」

「はい、だから大丈夫です。・・・・それより、お兄ちゃんが迷惑かけたんじゃないんですか?」

「えっ、そんなことは・・・・」

無いと言ったら嘘になる。
どう答えたものだろうか。その時鋭い視線を感じ、思わずシンジは振り向いた。
気を使ったのかミサトたちは病室には入ってきていない。
レイもシンジの様子に少し不満そうな顔をしていたが、サクラには別に興味はないようだ。

だからみな外で待っている、はずなのだが、気が付くと後ろ手で閉めたはずの病室のドアは小さく開いていた。

そこからいくつかの瞳が覗いているのが見える。


「お兄ちゃん!!」

「・・・・別にワシはなんもしてへんよ」


ばつが悪そうな顔をして、トウジがドアを開けた。その横ではミサトもいる、同じように覗いていたようだ。
似たもの師弟なのかもしれない。

「トウジくん、妹に嘘をついちゃいけないわよん。シンジくんを闇討ちしようとしてたんでしょ?」

「し、師匠!」

「やっぱり・・・お兄ちゃん、ひどいよ。シンジさんに何かひどいことしたの? そんなことされても私全然嬉しくないよ。嫌いだよ、お兄ちゃんなんて」

「サ、サクラ・・・ワシはただ・・・」

狼狽しているトウジの姿に、シンジは彼への親近感が沸くのを感じた。
マナやレイに対する自分の姿を見るような、というわけではなく、シンジ自身サクラを可愛く思い始めていたから、トウジが彼女のことを守ろうとしている、その気持ちがとてもよく理解できる気がしたのだ。
それに立場が逆なら、マナやレイが誰かに傷つけられたなら、自分もトウジと同じことをするかもしれない。
そう思えばトウジを責めることなどできはしない。


「サクラちゃん、本当に何もなかったんだ。ほら、僕はピンピンしてるだろう?」

「・・・・ホントですか?」

「碇・・・」

「うん、それに、悪いのは僕だから。鈴原くんが怒るのはあたりまえだと思う。僕は一人っ子でお兄さんも妹もいないけど、それでもそれはわかるよ。だから、ね」

「・・・・はい・・・お兄ちゃん、シンジさんに免じて許してあげる。でも、もうやめてね、お願いだから」


サクラの目に真剣な光が宿る。それを見てトウジは小さくため息をついた。

「わかったわ・・・・もともとはお前がムチャしたせいやもんな。サクラ、お前も約束せえ、ワシのためにしょうもないことはもうせえへんって。お前に何かあったら、それがワシには一番つらいんや」

「うん・・・・ごめんね。でも、何かあったら私はまた戦うよ。私の力は、お兄ちゃんやみんなを守るためにあるんだから」

「・・・・アホ、お前になんか守っていらんわい」

照れたように妹から目をそらしながらトウジが言う。
サクラはそんな兄を見てただ微笑んでいる。
その空気を壊すことを怖れるかのように、ミサトがシンジの傍らに立ち、そっとささやいた。


「・・・・私たちはそろそろいきましょうか、シンジくん」

「はい・・・また、来るよ、サクラちゃん。・・ううん、元気になったら、また会おうね」

「そうですか・・・・私、すぐに元気になります。だから、きっとですよ」

「うん」

「トウジくんはここにいるといいわ。もう用事は無いしね。訓練は明日以降でいいから」

「すんません」

「それじゃね」

手を上げて病室から出ようとするミサトの横で、シンジはもう一度ベッドに寝ているサクラの方を見た。
トウジやみんなを守るために力を使うと、入院した今でも強く言い切ることのできる彼女のことを。
まだ小学生でしかない彼女がそこまで思うことができるのは、教団で受けた教育のせいだろうか。
いや、そうではないだろう。
霊能者として、力を持つものとして、彼女は受け入れているのだ、自分の「運命」を。
槍を手にして日の浅いシンジとは事情が違うかもしれない、それでも未だ何をするかも分からずにいるシンジは、自分のことがひどくはずかしく思えた。

本当にシンジがしたいこと、しなければならないこと、それはいったいなんなのだろう。
槍の使い手に選ばれたこと、幼いころからのチェロへの思い、多くの檀家を抱える音流布家の唯一の跡取であるという事実、そう、事態はすでに動いている、大学や高校へ行く時ではなく、シンジは今、何かを選ばなければならないのかもしれない。


「・・・シンジさん?」

薄い紅茶色の髪が病室の窓からの日差しを受けて透き通ったように光っている。
あどけない、けれども深い覚悟を秘めたものだけが持つ力のこもった表情で、海の底のような深い碧色の瞳で、サクラがシンジを見て微笑んでいる。

彼女がまぶしく感じられるのは、錯覚などではないのだろう。


「・・・・また、会おうね」

「はい、必ず」


そう言うサクラからは、何のわだかまりも感じられなかった。
まっすぐにシンジを見つめ、そうしていることが、再び会い話ができたことがなによりもうれしい、そんな顔をしていた。
傍らのトウジがシンジの方を見ようとしなかったのは、きっとそれゆえなのかもしれない。





「さっきはできなかったけど・・・あなたに質問があるの」

トウジとミサトがサクラの病室の中に入った後、続こうとしたレイはリツコに呼び止められていた。
閉まった扉の向こうにはシンジがいる、いつも一緒にいること、それが約束だ。
けれどレイのことを冷めた目で見るこの金髪の女性にも少し興味があった。
シンジの父親といっていた男と同じものを、リツコから感じていたからだ。

おぼろげでしかないはるか昔の記憶、槍とともに封じられていた長い年月の前にレイが生きていた場所について、そしてこれからレイを迎えようとしている「未来」について、この女性は何かを知っている。
そのことがレイには分かっていた。

「・・・・何?」

「レイ、あなたはシンジくんに異常は感じない?」、

「異常?」

「そう、彼は元々は普通の人間、だけど槍の力で何度もその姿を変えている。私は直接見ていないけれど観測された強大なエネルギーは人の持ちうる範囲を大きく超えていたわ。槍の力を媒介しているだけだとしても、人の器はそれに耐えられるほど強くはないはずなのよ。特に彼はなんの訓練もうけてはいないんだから」

まくし立てるわけではなく、とつとつと話す。
質問というより頭の中で事実を再構築しているのかもしれない。
彼女の言おうとしていることは、レイにもわかる気がした。

シンジとレイは違う。レイが獣へと変わることとシンジがそれに等しい、いやそれ以上の力を使う存在に変わること、その意味が同じわけではない、そういうことだろう。

リツコはレイのことをみつめていた。
相変わらず表情を表に出さないまま、しかし、視線をそらすこともなく、レイもリツコを見ている。

「・・・・どうかしら?」

「・・・・・・碇君は・・・・呼ばれている。・・・・だから、変わろうとしているのかもしれない」

「呼ばれた? 槍に?」

レイの言葉に、リツコの黒い眉毛がかすかに歪んだ。

「・・・槍を作ったヒトに、槍にこめられた思いに。私にも聞こえたもの、彼を呼ぶ声が」

「槍が意思を持ち、そしてそれがシンジくんを変化させていく、そういうこと? いったい、彼はどうなるというの?」

「・・・・わからない、けれど、それを選ぶのは、やはり碇君の意思だと思う。・・・・・・・訊きたいことはそれだけ?」

「レイ・・・・あなたは、いったい・・・」

絶句するリツコをみて、彼女から興味が急速に薄れていくのをレイは感じていた。
ゲンドウとこの女は違う。ただの事実への興味だけでは、残酷な真実に耐えることなどできはしないだろう。

レイ自身何を知っているわけでもない、少なくとも自覚はしていない。
それでも「シンジと一緒にいる」、そのことがもたらす何かは、レイにとってただ甘いだけではないだろう、そのことだけは分かっていた。

シンジを苦しめるものを、シンジを悩ませる全てを己が力で破壊したい、たとえそれをシンジが望まなくても。
強烈に感じるその衝動は、そうしなくてはいつかシンジを守れなくなる、そのことがレイには予見できるからかもしれない。
だがシンジが望まない以上、レイが衝動に身を任せるわけにはいかなかった。

未来に耐え難い恐怖が二人を襲うことを、レイが予見していたとしても。シンジがいるところ、そこにこそレイの居場所はある。
たとえ彼が何に変わるとしても、この世界を壊す悪鬼になるとしても。
起こりうる全ての可能性を承知の上で、レイはシンジとともにいることを選んでいるのだ。
それは理屈ではない。


何を望んでいるかはわかららないけれど、それだけの覚悟はリツコにはない。何を知っていようとも。
怯えた目がそれを示している。



「ごめんなさい、待たせちゃったみたいね」

張り詰めた空気を破るように病室のドアが開きミサトとシンジが出てきた。
リツコから視線を外し、レイはシンジを見る。
入る前のような緊張した表情ではない、けれど、そこに晴れやかさはうかがえなかった。より悩みは深くなった、そのようにも思える。

けれども、今のレイにはシンジを見守ることしかできないのだろう。
レイがそうしたように、彼の運命を選ぶのは彼自身なのだから。











「さて、今度は私の用事につきあってもらうわよ」

病院から出て、開口一番ミサトはそう言った。
加持からの連絡はまだない。簡単には会えないかも知れない、そういう話だったので、シンジはただ待つしかない。だからミサトの言葉を拒否するだけの理由は無かった。
病院につれてこられた時と同じ、今はトウジが減って4人になったが、シンジたちはミサトに引きずられるようにして一つの建物にやってきた。

「・・・ここは?」

今度は平屋の日本式の建物だ、それでもけして小さくは無い。
シンジの家の本堂よりも大きいかもしれない。

「道場よ」

「・・・・どうして、こんなところに」

嫌な予感がした。
加持との出会いが思い出される。そういえばあの時加持も今のミサトと同じような顔で笑っていた。 どこか凄みのある、そして冷たい笑顔で。

「当然、戦うためよ。昨日は見逃しちゃったからね。一度見せて欲しいの、あなたの・・・・その槍が持つ、本当の力を」











「ご子息をお連れしました・・・・余計なお世話だったかもしれませんが」

「いや、アイツが自ら望んだなら止むを得んだろう。ご苦労だったな」

「多分、今時分葛城がちょっかいを出している頃だとは思いますけどね。彼が無事ですめばいいんですが。人間相手に力は使えないでしょうし」

「葛城くんか・・・・君は彼女とまともに戦ったことはあるかね?」

「15年以上前、しかも訓練でなら・・・「試し」の後は一度も無いですね、そういえば」

「今の実動部隊で、最強の力を持つのは彼女だ。かつての「試し」の頃は、候補者の中では君に次いで3番目の素材だったがね」

「・・・俺よりも上、ですか? そうかもしれませんね。確かに今の葛城には勝てる気がしませんから」

「復讐、そのためなら人は鬼にも悪魔にもなれる、けして比喩ではなくな。・・・復讐だけではない、それが愛情であれ、欲望であれ、並外れた感情は時に人の限界すら超えさせるものだ」

「葛城がそうだと?」

「ああ、それだけのものを背負っている。そういう意味では、彼女は誰よりもシンジに近いのかもしれん、たとえ使い手でなくてもな」











風が動いた。
衝撃を、槍が受け止めた。
けれどもそれは一瞬だけで、すぐにかけられた圧力は消える、まるで何事も無かったように。
シンジの視界には何も写ってはいない。
殺気どころかなんの気配も感じない、この広い道場でシンジ一人が立っているような、そんな感覚さえする。

上着だけを脱いだミサト、スカートを穿いていたその姿はどう考えても動きやすそうには見えなかった。そのはずなのに。
死角からシンジに攻撃をかけてくる、かつて対峙した使者たちなど及びもつかない速さだ。
トウジどころか、加持ですら問題にならないかもしれない。
槍に引きずられるようにして身を守りながら、シンジは徐々に自分に余裕がなくなっていくのを感じた。

本当の力を見せろと、戦う前にミサトは言った。
それはすなわち槍の力を解放しろと、そういうことだろう。
使者でもない人間相手にそんなことはできない、それはトウジの時も思っていたことだけれど。

けれどあの時とは違う。

時折打ち込まれるミサトの棍から放たれるプレッシャーはトウジの時の比ではない、それゆえかもしれない。
物理的な力ではなく、霊的な力、それに反応しているのかもしれない。
そう、どれだけ時間がたったのかわからないが、シンジの身体は徐々に紫の光をまといつつあった。 かすかに、槍が震えている。

「本気になってきたわね!」

どことも知れぬ位置から、ミサトの声がする。
いや、今のシンジには彼女の場所がわかる、研ぎ澄まされる感覚、これは使者と戦っている時と同じだ。
右、そこに向けて槍をふるう。紙一重でそれをよけたミサトの棍がシンジの鼻先をかすめる。
すでにミサトに対する遠慮など消えている。
戦う本能だけが、シンジを支配しつつあった。敵と戦う歓びが。
それはミサトも同じなのだろうか。

「全力でいくわよ!!」

その言葉とともに、ミサトのスピードが格段に上がった。
左から棍が繰り出される、だが、次の瞬間それは残像に変わった。

・・・・どこだ?!

見失った茶色の棍はシンジの真上から現れた。
スローモーションのように棍の筒先がシンジの額へと迫る。
避けられない。
金縛りにあったように身体が動かない、いや、そうではなく、認識に反応が追いついていないのだ。
槍での防御も間に合わない。
なすすべもないと思われたその時、シンジの身体が光った。




「・・・・・それが槍の力・・・・その発現ってことなの・・・」


棍を構えた姿のまま、ミサトがつぶやいた。
彼女の目前にはオレンジ色の光が壁を作っている。
そしてその先に立っているのは、すでにそれまでのシンジとは違うものだった。

長く伸びた黒い髪、紫色に光る肌、そして紅い瞳。

槍をその手に握ったまま変化をしたシンジは、しかし、その力をミサトに対して向けることはなかった。
すでに彼女からが戦意が消えている、それが分かったからだ。


「やっぱり・・・・それじゃあの時のあいつは・・・そんなばかなことが・・・どうして・・・・」


呆然とし、目を見張ったままミサトがシンジを見ている。
徐々にシンジの身体から光が消え、もとの姿に戻っていく、それにも彼女は気づかないようだ。

「ミサトさん・・・?」

思わずかけたシンジの声も聞こえてはいないらしい。
道場の端で今まで見守っていたリツコやレイも、ただ黙ってミサトのことを見ていた。










「やっぱり気に食わんなあ、あいつは」

覗いていた扉を閉めて道場を後にし、トウジはひとりごちた。
サクラの病室からここに来たのはミサトの考えることの予想がついたからだ。
ようやく目覚めたサクラのそばにいてあげたい気持ちも大きかったのだが、シンジがミサトとどう戦うかという興味には勝てなかった。

音流布寺前で戦ったあの時、使者によって邪魔が入ったもののけして負けたとは思っていない。
押しつづけていたのは自分だったはずだ、まちがいなく。

けれども最後のあの一瞬、紫色の光とともにその身を何かに変えたシンジは自分を軽くあしらって問題にすらしていなかった、そう思える。
ならば自分はずっと手加減されていたということなのだろうか、その疑問をもっていたのだ。

そしてミサトとシンジの戦いを覗き見て、それは確信に変わった。

ミサトの元で修行を始めて数年、彼女に本気をださせたことなどただの一度もない。
まともに相手ができる日などくるのか、それすらも叶わないと思わせるほどミサトの力は卓絶している。同年代の同じ継承候補者に負ける気はしない、だがミサトはトウジにとって別格なのだ。
トウジが「使い手」を本気で目指していた訳ではないのも、彼女ですら選ばれなっかたのに自分が選ばれるはずが無い、そう考えた影響は少なくないだろう。

それがシンジはただの一度も打ち込まれることもなく、ほとんど互角に戦っている。
あれほどの速さで戦うミサトの姿など、たとえ妖怪相手の時すらも、トウジは見たことは無かった。

「・・・あれが、槍の力やっちゅうんかい」

特別な訓練などしていない、そう資料には書いてあった。
間近でみたその身体も華奢なだけで筋肉などほとんどなかったように思う。
いくら最高の法力者の息子であっても、才能や遺伝だけで説明がつくものではないだろう。
それに血筋だけなら、トウジも負けてはいないはずなのだ。「杖」の継承者となったサクラと同じ血が、自分には流れているのだから。

病室でのサクラがシンジを見る瞳、そして語りかける口調。
別に妹相手に許されない感情を持っているわけではない、けれどマナやレイが周りにいるシンジが、サクラに親しげにしようとするのは、なんだか許すことができない気がした。

それが嫉妬だとそういわれても否定はできなかっただろうが。

けれどシンジは多くを得ているのだ、槍の使い手としての名誉も、音流布寺の後継者としての未来も、そしてトウジが持ち得ないような力も、さらには可愛い彼女すらいるではないか。
このうえトウジがもつささやかなものを彼が手に入れる、そのことが許せるだろうか。


・・・もし、ワシが使い手やったら・・・「試し」さえちゃんと行なわれとったら・・・


そうしたら、シンジの位置にいたのは自分かもしれないのだ。
機会すら与えられなかったこと、それは不公平ではないのか。






『力が欲しい?』





誰かの声がした。


周りを見ても誰もいない。けれども空耳ではないことは分かった。



『手を伸ばせばいい、ほら、望むものはそこにある』



また聞こえる、頭の中に直接響く声。

いざなわれるように、トウジは声が指し示す先を見た。
自分の頭上を。



そこには、槍が浮かんでいた。


シンジが持つものと同じ、茶褐色の槍が。









〜つづく〜








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katu@osaka.104.net



解説:

6万ヒット記念です。

・・・1周年記念は・・・どうするかな?(^^;;

ラストの展開は予定通り。
ただミサトやゲンドウの過去については伏線の張り方が甘い・・・かな(^^;
次回は戦闘メインになるかも、わからんけど。
しかしレイの影が薄い・・・メインの登場人物多すぎ。



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