「ちょっと! ソフィー! どういうつもりなんだい!」
ハウルが憤然とソフィーの前に立ちはだかりました。
「まあ、ハウル。一体全体どうしたって言うのよ」
対するソフィーは何が何だか分からないという顔をしています。
「どうしたもこうしたもないだろうっ?」
ハウルはぐいっと顔を近づけキョトンとしているソフィーの顔をじーっと見つめました。でもソフィーが察してくれない事に対して、いつもの様に芝居がかった動きで天を仰ぎ額に手を当て、
「ああ、ソフィー。君はなんてひどい女性なんだ! 今まで出会った誰よりも僕を傷つける!」
しかしソフィーからしてみれば何の事だか分かりません。また自分でも気づかない内に何かしてしまったのかしら? そう思ったソフィーはマイケルに顔を向けました。でもマイケルも心当たりが無いようで手を挙げて首を振りました。では……と思い、今度はカルシファーを見ました。
「おいらに聞かないでよ」
「だってハウルが変な事を言ってるのよ?」
「ハウルが変なのは今に始まった事じゃないだろ」
ふよふよソフィーの周りを浮かんでカルシファーはそう言いました。
「それもそうだけど……」
ソフィーの身も蓋もない言いように、いよいよハウルは傷ついたと言わんばかりに椅子に座り込みました。
「ハウルさん、どうしたんですか? またソフィーさんが何かしたんですか?」
「自分でもそう思ったけど、人から言われると腹が立つのはどうしてかしら?」
マイケルの言葉にソフィーは口を尖らせました。
「結局僕の事を気にしてくれるのはマイケルだけなのかい」
「一人も居ないより断然マシだろ?」
カルシファーの軽口にハウルは苦虫を噛み潰したような顔をしました。
「んもう! 一体何なのよ! 言ってくれなきゃ分からないわ!」
ソフィーはフンと膨れて座っているハウルの前に仁王立ちしました。
「本当に、どうして僕が傷ついているのか分からないのかい?」
「分からないから聞いているんでしょう!?」
ごもっともなソフィーの言葉にハウルは立ち上がり、目を眇めてソフィーを見下ろしました。勿論ソフィーだって負けてやしません。腕を組んでツンと顎を上げてハウルを睨め上げました。
「一体何だと言うの!」
「……ソフィー、君、さっきなんて僕言ったか覚えてる?」
「『一体何だと言うの』」
「違うよ。もっと前だよ」
「もっと前? ……『一体全体』……」
「その前だよ」
「その前って言ったら……」
「『あたし、もう寝るわ』だろ? ソフィー」
とカルシファーが言いました。ソフィーも「そうだわ」と頷きました。
「そう、それだよ、それ!」
ハウルが言いました。
でも、ソフィーもマイケルもカルシファーもその言葉の何がハウルを憤慨させたのかちっとも分かりません。
「あの、ハウルさん。ソフィーさんの言葉の何がいけなかったんですか?」
「ああ、マイケル。お前もマーサって言う立派な恋人が居ながらそんな事も分からないのかい?」
やれやれとハウルは首を振りました。
「す、すみません」
訳が解らないながらもマイケルはとりあえず謝ってみました。
「いいかい、君たち」
芝居がかったハウルに少々うんざりしながらも3人は大人しく頷きました。
「マイケルとマーサがそうであるように、僕とソフィーも恋人同士なんだよ?」
「……」
無言ながらマイケルが頷きました。
「記念すべき第一夜は急遽マダム・スミスの屋敷で過ごす羽目になり、しかも妹君たちがどうしてもソフィーと眠りたいだなんて言うものだから僕は一人で眠ったんだ!」
「……」
そんなの当たり前じゃない、と言わんばかりにソフィーは腕を組み直しました。
「そして今日こそは! と思っていたらどうだい! ソフィー、君は僕を置いて一人でその狭い階段下のベッドで眠ろうとする!」
「……」
付き合いが長い分、何となくハウルの言いたい事が分かってしまったカルシファーは盛大に溜息を吐きました。
「とどのつまりは何なのよ」
「……」
「ハウルはあんたと一緒に寝たいと言ってるのさ」
「!」
カルシファーの直接的な言葉に目を剥いたのはマイケルでした。
当のソフィーは不可かいな顔をしているし、言い当てられたハウルは「もう少しスマートな表現は出来ないのかい?」と肩を竦めました。
「ま、そう言う事だよ。ソフィー。わかったかい?」
「ええ、まあ、分かったわ」
「良かった! これで分かってくれなきゃ僕は人攫いよろしく君を担ぎ上げて寝室に運ぶ所だったよ」
そんな事されては堪ったもんじゃないとソフィーはハウルの傍から飛び退りました。
「ソフィー?」
「お生憎様! あたしはこの居心地の良い場所で眠るのよ!」
お気に入りの寝床を指さしてソフィーはキッパリ言いました。
「ソフィー!」
ハウルは信じられないと顔を真っ青にしながらソフィーの両腕を掴みました。
「ソフィー、正気かい!? 愛する者同士が寝室を別つなんて神をも冒涜する行為だ!」
「エラくスケールのデカイ話になってきたなぁ」
カルシファーは面白そうに宙を漂って見物しています。マイケルは今すぐこの場から立ち去るべきだろうかと真剣に考えていましたが二階の寝室に戻るには二人の傍を通過しなければなりません。七リーグの靴を履いていたとしても越えがたい何かを感じてマイケルは絶望していました。
「ソフィー、あんた照れてるのかい?」
「別に」
カルシファーの言葉はソフィーはフルフルと首を振りました。
「だったら何故!?」
一々大声を上げるハウルを鬱陶しそうに睨め付けてソフィー「当たり前でしょ」と言いました。
「んじゃ、あれかい? 結婚するまでは清らかな身体で……ってやつかい?」
ハウルの顔がいよいよ真っ青になりました。ここでソフィーが頷こうものなら今すぐ教会に行って式を挙げる事は想像に難くありません。ですがソフィーはまた首をふりました。そしてハウルは大仰に胸を撫で下ろしました。
「じゃあ、何に拘ってるのさ」
「そうだよ、ソフィー。何が気に入らないんだい? 言っておくれよ。君の為なら僕は何だってするさ。空に輝く星でも真冬に咲く花でもお望みなら今すぐ取ってくるよ!」
「今は別にいらないわ」
すげなくソフィーは断りました。そして「いいこと?」と真顔をハウルに向けました。
「あたしが拘っているのはクモよ」
「「「クモォ!?」」」
「そう、クモよ」
「クモってハウルの寝室に巣くってる奴らかい?」
「そうよ、当たり前でしょ!」
「あのクモたちがどうしたって言うんだい。何か君の気に障る事でもしたのかい?」
そんな筈無いと思いながらもハウルは尋ねました。途端ソフィーが般若のように眉をつり上げました。
「何かあたしの気に障るですって!? ハウエル・ジェンキンス! あんたよくもそんな事が言えるわね!」
「な、なんだいソフィー」
ソフィーの癇癪に怯えつつハウルは引きつりながら笑顔を浮かべました。
「御存知の通り、あたしはあんたたちがうんざりするくらいに綺麗好きなのよ? そのあたしがクモの巣だらけの天蓋を見上げて眠れると思ってるの!?」
言われて三人は漸くソフィーが自分の寝床に拘る訳が解りました。
しかしだからと言って引き下がれないハウルはぐいっと顔を近づけました。
「クモの巣なんか見ないで僕を見ていれば良いじゃないか」
「……ハウル、あんた、あたしが寝付くまであたしに覆い被さってるつもりなの?」
「ああ、勿論さ」
きっぱりと答えたハウルにソフィーの頬がぴくっと引きつりました。
「ああ、そう! それじゃあ今日は良いとして、明日は? 明後日は!? 1週間、1ヶ月、1年、10年! ずっと覆い被さってるって言うの!? 出来もしないこと言わないで頂戴!」
ぴしゃりとソフィーはそう言い捨てました。
「なあ、ソフィーとハウルとじゃ思い描いてる事に違いがないか?」
「僕に聞かないでよ」
カルシファーの呆れ声にマイケルは顔を赤らめて俯きました。
「第一! あんな汚い枕カバーに頭を載せるつもりは無いからね!」
「そんなの! 僕の腕枕で十分じゃないか!」
ハウルだって負けてはいません。ここで負けたら愛しいソフィーと過ごす甘い時間が夢のまた夢となってしまいますから。
「寝ている間に口の中にクモが入ったらどうするのよ!」
「僕がずっと塞いでてあげるさ!」
ハウルの言葉にカルシファーはニヤニヤ笑って「何で塞ぐのさ〜」と言っていますが癇癪を起こしたソフィーの耳には一切入ってきません。埒があかないとソフィーは無視して踵を返し、寝床に入ろうとします。
「ソフィー!!」
ハウルは大慌てでソフィーの腕を掴みました。
「ソフィー! 君は僕を愛してないのかい!? 僕よりもクモに目がいくなんて……!!」
ハウルは顔面蒼白のままソフィーの顔を覗き込みました。
「……」
日頃の冷静さを欠いてはいるものの相変わらずの整った顔立ちに、いつもなら見られない真剣な眼差しに、正直ソフィーの心臓がドキンと跳ね上がりました。でもソフィーは心の中で「落ち着け、落ち着け。落ち着くんだあたしの心臓!」と念じて平気なふりをしていました。
そしてピシャリとハウルの手を振り払うと「いいこと?」と言ってハウルに人差し指を向けました。
「あんたはその顔で数多の女の子をたぶらかしてきた自負ってもんがあるんだろうけどね、お生憎様! あたしには効かないんだからね!」
「ソフィー!」
ハウルの顔色はいよいよ絶望的になりました。
「良い事をおしえてあげるわ」
「…な、なんだい?」
「不細工は三日で慣れるけど、美形は三日で飽きるのよ!」
「!!!!!!!」
「お休み!」
言ってソフィーは寝床に入りカーテンを閉めました。ハウルは呆然と突っ立っています。カルシファーとマイケルはハウルが緑色のネバネバを出さないかと心配げに見つめていました。しかし五分経っても十分経ってもその兆しは見られないのでとりあえず安堵の息をつきました。
「ハウルさん、もう、今日は休みましょう?」
「そうそう、オイラ睡くてしょうがないよ!」
「……………………」
「あ、明日、僕も手伝いますから! そうすれば明日の夜はソフィーさんも一緒に休んでくれますよ!」
「……」
マイケルの言葉にハウルの肩がピクリと動きました。
「ハウル?」
「ハウルさん?」
「今すぐ片付ける!」
言うなりハウルは風のような早さで階段を駆け上り部屋に入っていきました。
「……僕、手伝うべきなのかな?」
「明日手伝えばいいさ。さっき自分でそう言っただろ」
「うーん」
「それにあの部屋片すのに三日はかかるぜ?」
カルシファーの言葉にマイケルは目を丸くしました。
「だって考えてみろよ! ハウルの綺麗とソフィーの綺麗じゃ天と地程も違うんだぜ。ソフィーの及第点を貰うにはざっと見積もって三日はかかると思うぜ」
「なるほど……。じゃあ、僕は休むよ」
「そうしなよ。オイラも寝るよ。お休み〜」
カルシファーは薪の間に潜り込みました。
「お休み」
マイケルは欠伸混じりに階段を上っていきます。ハウルの部屋からはあーでもないこーでもないと言う声が聞こえてきます。少し涙混じりな声も聞こえてきます。マイケルは自分はこんな事にはならないように、とこれからは部屋をきちんと片付けようと心に誓いました。
結局、カルシファーが言ったとおりハウルがソフィーの及第点を貰う為に三日三晩を費やし、4日目の夜は泥のように眠ってしまったのでした。
おわり