夏も間近なある日。朱雀野の森での稽古を終えた総司とセイは夕暮れ道を歩いていた。
総司の足取りは常と同じく軽やかだったが、比べてセイは疲労困憊の体でその足取りはふらついていた。
「大丈夫ですか? 神谷さん」
「だ、大丈夫です!」
咄嗟にそう答えたセイが総司の視界から消えた。
「……何をやってるんですか、あなたは」
総司は心底呆れた様に地面に伏せているセイにそう言った。……何の事はない、石に躓き転けたのである。
「……」
モノの見事に転けてしまったのが恥ずかしいのかセイは一向に起き上がる様子を見せない。
そんなセイに総司は冷ややかな目を向ける。
「起き上がる気力も無いんですか? だったらいつまでもそこに転がってらっしゃい」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜今起き上がる所です!」
悔しくなってセイはガバリと起き上がった。
「あ……」
起き上がった顔をみて総司が眉根を顰める。セイの額からは血が流れていたのだ。
「何をやってるんですか、あなたは」
同じ言を繰り返して総司は深々と溜息をつき、懐から懐紙を取り出した。
「せんせ……イタッ!」
「じっとしてらっしゃい」
そおっとそおっと懐紙で血を拭うがどうにも痛いらしくセイの目は涙で潤んでいた。
(本当にもう、稽古で怪我するのは仕方ないですけど、何もない所で怪我なんかしないで下さいよ)
そう思いながらも総司は血を拭い続けるが額の血は中々治まらない。思ったよりも傷は深い様だ。
「……松本法眼の所に行きましょう。 思ったよりも酷い怪我みたいだから」
「だ、大丈夫ですよ! この程度の怪我、舐めとけば治ります!」
「駄目です! 跡が残ったりしたら大変でしょう?」
「構いません!」
後に続く言葉を遮る様にセイはそう言いきった。
「私は……、私は武士なんですから!」
血を吐く様な言葉に総司は痛ましげに眉根を寄せた。
「あなたがどう言おうとあなたは女子なんです。傷跡なんか無いにこした事はないでしょう?」
「私は女子ではありません!」
「武士だという言うんでしょう? でも……」
「違います! 見て下さい!」
言うなりセイは勢いよく着物の袷を開いた。
「なっ……神谷さん! あ、あなた一体何を……!」
咄嗟に目をそらした総司の頬は真っ赤になっていた。
「先生! 目をそらさないでちゃんと見て下さい!」
「み、見て下さいって言われても……」
「良いから早く!」
焦れた様に語気を荒げるセイに(いいのかな?)と思いつつそぉっと視線をセイに向けた。
そして……。
「……!」
突然、総司は跳ね起きた。
そこは朱雀野の森の中。隣には稽古に疲れたセイがあどけない寝顔で眠っている。総司はセイの両腕を掴んで激しく揺さぶった。
「神谷さん! 神谷さんってば起きて下さい!」
「ん、な……何ですか!?」
「神谷さん! あなたは女子ですよね!?」
突然の問い掛けにセイは激しく混乱した。
「せ、先生?」
「答えなさい! あなたは女子なんでしょう!?」
そしてセイは咄嗟に「違います!」と答えた。と言うのもこの問いかけがいつもの「お嫁に行きなさい」とか「隊を出なさい」とかと同じモノだと判断したからだ。
「私は女子ではありません!」
「ええっ!? そんなぁ!」
いつもとは違う総司の反応にセイは眉根をよせた。「先生?」と問い掛ける間もなく総司は矢も楯もたまらずセイの着物の袷を開いた。
「……」
目に飛び込んだのは勿論鎖帷子。だが総司はそれさえも当たり前の様にたくし上げた。
鎖帷子の下は晒に包まれた胸。キツく巻かれてはいたモノの男子ではあり得ない曲線を見て、漸く総司は「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜っ」と安堵の息をついた。
「ほぅら、やっっぱり女子じゃないですか」
心底安堵した様に総司は実ににこやかな笑顔をセイに向けた。
「……何の真似ですか、沖田先生」
「え?」
バチーン!!!
胸の空く様な豪快な音を立ててセイは総司の頬をはり倒した。
いつもならそんなものは喰らわない総司も今日ばかりは真っ正面から受けてしまった。見事にはり倒された総司を見向きもせずセイはその場から走り去ってしまった……。
取り残された総司はしばし呆然としていたが漸く自分が何をしでかしたのか思い立った。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
口を押さえ、思わず叫び出しそうになる程の自己嫌悪。
(な、なんて事しちゃったんですか! 私ってば!)
耳と言わず首と言わず、手先まで真っ赤に染めながら総司はその場でのたうち回った。
(だってだって、まさかあんな夢みるなんて……)
思い出すだけでも背筋が凍る。
「先生! 目をそらさないでちゃんと見て下さい!」
「み、見て下さいって言われても……」
「良いから早く!」
焦れた様に語気を荒げるセイに(いいのかな?)と思いつつそぉっと視線をセイに向けた。
「うわああああああ! かかか神谷さん! あああ、あなた!」
そう、セイの胸はぺったりと平らになっていたのだ。
袷を開いたままでセイは得意げな笑みを浮かべる。
「一日も早く立派な武士に成れるようにと神仏に祈願してたんです」
「しししし神仏にって、あなた!?」
「はい! 見て下さいよこの腕!」
袖をまくれば筋肉質の太い腕が現れ総司は真っ青になった。
「ほら、それに背だって先生と並びましたよ……」
セイが不気味にニヤリと笑って立ち上がる。並ぶ視線に総司は思わず後ずさった。
「かかかか、神谷さん! あ、あなた!」
「何ですか? 沖田先生」
そう言ったセイの声音は低い低い男の声音で……。
思わず思い出してしまって総司はブルリと身を震わせた。
(あ〜〜〜〜〜。でも夢で良かった〜〜〜〜)
心の底からそう思って総司はその場に寝ころんだ。
(ホント冗談じゃないですよね。神谷さん男子になっちゃうなんて……。夢違えのお札でも買っておいた方がいいですかね)
真剣にそんな事を悩んだり、
(う〜〜〜〜ん、それよりもどうやって神谷さんに許してもらおうかな? 甘味屋さんを奢ってあげるだけじゃ済まないですよね……)
等と思いながら総司は起きあがり、とぼとぼと屯所に向かって歩き出した。
夢で良かった
その何気ない本心の意味に総司自身が気付くのはまだ少し先のようである。
おわり