陰陽師

父と父と娘の事情。
「ばか」
「・・・・」
「ガキ」
「・・・・・」
「どうせ今までにケンカしたことなかったんだろ。だからどうすれば良いのか分かんないだろ」
「・・・・・」(←図星)
「さっさと謝ればよかったのに。ほんとバカだな、せいめい」
「・・・・深雪」
希代の陰陽師、安倍晴明を真っ向から「バカ」呼ばわりするのは、ご存知深雪。
生まれはヒトだが、現在は一介の化生である。
色鮮やかな紅梅色の袿を身に纏い、晴明の前に用意されている素焼きの皿から箸で肴を摘み上げる。
ちろりと紅い舌を覗かせつつ、それをぱくりと口に収めた。
焼いたばかりの鮎だ。
視線だけでなく全身を庭に向けてしまい、濡れ縁に座している晴明は深雪を振り返ることもしない。
晴明が深雪に対してそのような態度を取ることなど非常に珍しい。だが事の成り行きの一部始終を傍観していた深雪は、大して気にすることもなくずけずけと物を言う。
白い指で箸を使い、器用に身をほぐしてまた一口食べる。
「あーあ。せいめいと食べようと思って持ってきたんだろーな、ひろまさ」

ちくり。

「寝不足でキゲン悪いっていっても、仕事じゃなかっただろ。好きで夜更かしして徹夜したくせに、八つあたりじゃないか」

ぐさり。

「ひろまさはなんにも悪くないのに。あ〜あ〜、しばらく来てくれないかな〜・・・」
「――深雪っ!」
「・・・なんだよ。ほんとのことじゃないか!!」
内心かなり腹が立っていたらしい。諌めるように声を荒げた晴明を睨みつけ、深雪は怒気も露わに大声を出す。
深雪が言っていることは正論。そのことは晴明もよく分かっていた。
自覚しているからこそ、それ以上は指摘しないで欲しいのだ。
そんな晴明の心中を知ってか知らずか、深雪は眉間に皺を寄せたまま晴明の前に回り込み視線を合わせる。
これほどまでに不機嫌な表情を見るのはお互い初めてではないだろうか。
「せいめい、今までにケンカのひとつもしたことないからそうなるんだ。気取っていい気になってるから“いざ”って時に「ごめん」も言えないんだろ」
「・・・・・・いつ俺が気取っていい気になっていたのだ」
「今!そうやって素直に頭も下げられないところが気取ってる・ん・だ!!」
遠慮の一つもない真っ当な指摘に、晴明は内心で溜め息を付いた。
視線は逸らさず、真っ直ぐに深雪の双眸を見やったまま。
(何処で間違ったんだ・・・・・)
ここまで勝ち気な性格とは予想外だった。
確かに最初から大人しい印象は持たなかったが、まさかこんなにも口達者になるとはさしもの晴明も予想できなかったのだろう。
深雪のそれは裏を返せばあって当たり前な当然の言い分。普段なら特別やかましいという程のものではないのだが、苛立ちと眠気と疲労でそれすらも酷く鬱陶しい。
今の晴明にとっては神経を逆撫でする喧騒にしかならない。
(・・・五月蝿い・・・・)
「せいめい!ちゃんとひろまさに謝れよ?このままなんて嫌だぞっ!」
(もう・・・黙れ・・・・)
「顔みて言えないなら式でも使えよ。でもひろまさが起きてる時にな」
「・・・・・い・・・」
苛立ちが募る。払い切れない睡眠欲が機嫌の悪さに拍車をかけた。
五月蝿い。静かにしろ。

―――深雪!!

ぱちん、と乾いた音が響く。

弾かれたように深雪の顔は晴明から横に逸れていた。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
驚きに目を見開いたのはほぼ同時で。徐々に深雪は眸を潤ませ、晴明は自分の手と深雪の顔を交互に見つめる。自分で信じられない。まさかこんな・・・。
―・・・今、俺は何をしたのだ?
いや、よく分かっている。自分が何をしたのか。深雪にどんな事をしたのか。
鈍った思考が追いつかないだけ。
深雪の頬に・・・平手打ちを浴びせたのだ。
「・・・みゆ――」
「――――」
「・・・・・・」
白い頬が、見る見るうちにぷっくりと膨れる。それも赤味を帯びている。
思わず顔を顰め晴明は手を伸ばし、だが深雪はその手を迷わず叩き落とした。
眠気が消し飛んだ。
瑠璃色の双眸は涙で滲んだように晴明を睨み上げている。
身体は小刻みに震え、それでも堪えるように口を引き結んでいる。
「・・・やっぱり、せいめいはバカだ」
「・・・・・・」
「みゆきは、せいめいもひろまさも好きだけど・・・バカなせいめいはきらいだ」
「・・・・深雪・・・」
「きらいだ。・・・・せいめいなんか・・・だいっ嫌いだ」
大粒の涙を零しながら晴明に背を向ける。
自分の片頬を掌で覆い隠し、深雪はその場を離れてしまう。
呆然と深雪を見送った晴明の背後で、なにやら思案気な蜜虫と綾女が立ち上がり、そそくさと何処かへ行ってしまった。





(何をしておるのだ俺は・・・ただの八つ当たりではないか・・・)
丸一日以上睡眠をとっていない晴明の身体だが、睡眠どころか休養すらも要求していない。そんなものは一気に吹き飛んでしまった。
ぐるぐると頭の中を駆け巡る、“娘”の泣き顔(と「だいっ嫌い」)。
未だかつて、ここまで自己嫌悪に陥ったことがあっただろうか(博雅はどうした)。
あーでもない、こーでもないと唸っているうちに、陽は傾き、空は橙に染まる。
そんな時刻の流れも、今の晴明はまったく気付いていない。
素焼きの皿に乗った鮎ばかりが、いつの間にか冷たく硬くなっていた。

(・・・博雅がいれば・・・)
こんなとき、博雅がいれば。
博雅は宮仕えの童にも好かれている。冬には共に雪遊びをし、一年を通して子供の輪に交じっている。博雅は子供が好きなのだ。
ことの発端を棚に上げて(本題は博雅とのケンカであったはずなのに)、晴明は親友の訪問を切望する。
博雅がいれば、深雪にご機嫌伺いをしてもらえる。
博雅が来れば、深雪が機嫌を直して出てくるかもしれない。
博雅ならば、深雪を上手く宥めてくれるだろう・・・・・。
脳裏に浮かんでは消え、浮かんでは消える「博」と「雅」の二文字。
自分が謝罪するとか、頭をさげるとかいうことが一切抜け落ちている辺り、さすがは天下の安倍晴明といったところだろう。

来てくれないだろうか。
いつものように、肴や瓶子をぶら下げて。
――博雅。
「呼んだか!?」
「は?」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
無意識に出ていたらしい呟きを聞きつけ、知らないうちに来ていたらしい博雅が声を上げた。
博雅恋しさ(?)に無自覚で瓜二つの式でも作ってしまったか、と晴明は一瞬なさそうでありそうな事を考えてみるが、目の前に仁王立っている者は確かに本物の博雅だ
った。
「・・・博雅か?・・・どうしてここに・・・」
「おお、博雅だ!おい晴明!!一体何があったのだ!!?」
「何、とは?」
「何って、深雪の様子がおかしいと蜜虫が屋敷まで言いに来たのだぞ!」
「・・・蜜虫・・・・?」
晴明が深雪を引っ叩いた直後に姿を消した蜜虫は、それを理由に博雅を呼びに行ったのだ(綾女は深雪の介抱)。
人付き合いが乏しかったため、親友にも素直に謝れない主を思っての事だった。
自分の式にまで心配される陰陽師、安倍晴明。
この機会を逃すまいと、彼はすかさず謝罪の言葉を述べた。
「――博雅。・・・済まなかったな」
「ん?」
「昼間のことは、俺の一方的な八つ当たりだ。本当に悪かった」
「・・・晴明」
「今まで他人に頭をさげたことがなかったのだ。上辺だけの付き合いしか、したことがなかったからな。人と言い争いになっても、修復しようと思った事がなかった」
「・・・・・・」
「だが・・・お前とこのまま疎遠になるのだけは嫌だった。お前とは生涯酒を酌み交わしていたいのだ」
「・・・うむ」
こんなことを言われた日には思わず照れてしまいそうだが、そこは漢・博雅。
赤面する事もなく、また普段のような晴れやかな笑顔を浮かべた。
晴明もまた、ようやく肩の荷が下りたように胸を撫で下ろす。・・・何か忘れてるぞ。
にこにこと愛嬌のある笑みを浮かべていた博雅は、しかし突如として我に返り、身を乗り出して晴明の胸倉を掴む。
「おい晴明!違う、違うだろう!!」
「何!?」
「俺はな、深雪の様子がおかしいというから来たのだ!!どうしたのだ!?」
「・・・・・・」
「おかしいとはどういうことだ!?何か悪い病か!!どうなんだ晴明っ!!」
まさか“博雅とのケンカのことで責められイライラして平手打ちをかましたら泣いた”とは口が裂けてもいえない。
内心で冷や汗を滝のように流しながら、晴明は何食わぬ顔でホラを吹いた。
「腫れ物だ。大分タチが悪くてな、しばらくは引きそうにない」
「腫れ物だと!?どこにだ!!」
「顔だ。片頬が見事に、な」
「か・・・顔〜〜〜〜っ!!?」
嫁入り前の愛娘の顔に腫れ物・・・。想像するだけで顔色をなくす博雅に、晴明はここぞとばかりに言葉を続ける。
「だからな博雅。まことに申し訳ないが、今日のところはこれで帰ってくれ。ゆっくりと休ませねば、腫れ物の治りも悪いからな」
「・・・晴明。今日の昼間には、深雪の顔に腫れ物なんぞ見当たらなかったぞ」
「!?・・・うむ、そうだったな。博雅が帰った後になったのだ」
「そのようなことがあるのか・・・・?」
「ある!(きっぱり)」
「・・・・そうか・・・そうなのか・・・」
晴明に言われるとどんな大嘘も鵜呑みにしてしまう漢、博雅。
してやったり、と博雅を見送りに立ち上がった晴明だったが、御簾越しに聞こえた声に安堵は瞬く間に崩れ去った。
「ひーろーまーさーっ!」
「深雪!?」
ばさりと豪快な音を立てて捲り上げられた御簾の向こうから、可憐な顔を涙に濡らした愛娘が飛び出してくる。咄嗟に腕を伸ばした博雅にしがみつくと、深雪はわんわんと大声で泣き出した。
「ひろまさぁ〜〜〜〜っ!!!」
「深雪・・・これはまた随分酷い腫れだな」
「せいめいが悪いんだっ!」
「?どういうことだ」
嗚呼、さようなら陰陽師。
さようなら、安倍晴明。
君の思い浮かべた近未来は、謀らずも見事に的中するであろう。
「せいめいがひっぱたいたんだも〜〜〜んっ!!!」
「何ぃっ!!?」
博雅に火がついた。
事態を把握した父は、沸々と込み上げる怒気を視線に込める。
殺気がこもっている。
これほどまでに瞬間殺傷率「大」な源博雅を見た人間は他にいないだろう。
「博雅、落ち着け!」
「・・・・せ〜いめ〜い・・・・」
「・・・・・!!」
もともと長大な方ではあるが、この時の博雅はまるで大熊の如き大きさだった(晴明視点に限る)。殺気と怒気を孕んだ低音の声と射るような視線に、晴明は微動だにしない。
表面上は大した変化を見せていない晴明を見て、博雅にしがみついたままの深雪はさらりと油を差した。
「ひろまさー。せいめいな、みゆきに謝らなかったんだぞ」
「なんだと・・・?」
「深雪っ!!」
我関せず、とばかりにそっぽを向くと、深雪はさっさとその場を後にしてしまった。
たった一言を残して。
「あ〜、ほっぺた痛〜い・・・」
その日に土御門小路で轟いた殿上人の怒鳴り声は、百鬼夜行の鬼共をびびらせるほどだったらしい。
深雪に手を上げるのだけは今後二度としない、と晴明はひとり誓ったことだろう。



おわり



あとがき
【後書き】
晴明・博雅・深雪。今回は三人とも怒ってます。
引っ叩いちゃいかんよ、晴明さん。
追い討ちかけるなよ、深雪ちゃん。
晴明より強いんですね、博雅さま。
深雪ちゃんは意外と粘着質なんでしょうね〜…。
「すまなかった」の一言を言わなかったために火に油を注がれてしまった晴明さん、憐れです。
次!次からはおそらく超絶シリアス突入です!!
♪素直〜にぃ I'm sorry. うま〜く言えないけれど〜

ってやっぱり、素直には言えないもんですね。
マジな場面であればある程難しい……。
でも、言っちゃったら後は楽なんですよね。私の経験談ですが……。

それにしても今回の晴明様。か〜な〜り減点パパですね。
相手を黙らせるのに手を出しちゃイカンよ!
やっぱ博雅さんは満点パパっぽいですね。

それにしても、キチンと復讐を果たす深雪ちゃん。
やっぱりあなたが最強です。

蓮美さ〜ん次作(超絶シリアスなんてドッキドキ)も楽しみにしてま〜〜〜す!
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