セイは、白い霧の中にいた。
「あ、れ・・・」
きょろきょろと辺りを見回す。誰もいない。
(ここどこ・・・?!)
地面さえ見えないほどの濃い霧。何もない、のっぺりとした空間。
セイは心細くて堪らなくて、あてもなく走り出す。
「どなたか、いらっしゃいませんかー・・・!」
両手を口元に当て懸命に叫ぶが、その声に応える者はどこにも見えない。
「だれか・・・・・・沖田先生!兄上、父上、・・・この際副長でも伊東先生でも誰でもいいから、誰か・・・!」
ぐるぐると駆け回り、叫び、不安に涙を溜め。
やがて、薄く人影が見えた。
「・・・すみませ・・・!」
はっと、セイは立ち止まった。
あの後姿は見紛うこともない。総司だ。
総司がこちらに背を向け、誰かと話をしている。
途端に心が緩み、セイはそこへ駆け寄ろうとした。
霧が絡みつき中々前へ進まない。うすい白が全ての音を飲み込み、セイの声は彼に届かない。
それでも少しずつ近付くと、ぼんやりと総司の前にいる人物の姿が現れ始めた。
「・・・え?どうして・・・?」
祐馬がいる。父である玄庵と共に、三人で笑い合っている。
「おきたせんせー!あにうえー!ちちうえー!!」
必死に叫び手をぶんぶんと振る。祐馬が顔を上げ、総司に指し示した。
それに応え、総司はこちらにちらりと目線を投げ、
「っ、沖田先生?!」
ばいばいと手を振り、セイに背を向け、三人で歩み去ろうとする。
(だめ、そっちは・・・!)
何があるかは知らない。
ただ不安で。白い闇に消え行く三人に。死者と共に去ろうとする総司に。
ぐんぐんと背中が遠ざかる。セイ一人を置いて、楽しげに笑いながら、どこか遠いところへ。
「いやっ、おきたせんせ・・・!」
「神谷さん?!」
びくんと身体が痙攣し、目を開けた。
間近に総司の顔。暗闇の中、心配そうにセイの上に顔を覗かせて。
「・・・おきた、せんせ・・・」
「こわい夢でも見ましたか?随分、魘されてましたけど」
手拭で顔に浮かんだ汗を拭ってくれる。
セイはおそるおそるその腕に触れ、胸元に飛びついた。
「・・・!な、そんな、怖い夢、だったんですか?」
「・・・・・・うええぇぇ・・・・・・」
総司は暫くおたおたしていたが、声を殺して泣くセイに溜息を吐き、宥めるように背を撫でた。
「大丈夫。大丈夫ですよ、神谷さん」
低く柔らかく耳元に囁く声。合わせるようにぽん、ぽん、と背を叩く大きな手。
あったかい。
総司の体温、総司の匂い。総司はここにいる、自分の傍にいる。
セイは益々ぎゅっと総司にしがみついた。
「沖田先生・・・」
「何です?」
「・・・先生は、ここにいらっしゃいますよね?」
ちら、と総司を見上げる。ぽかんとした表情が映り、セイは慌てて彼の身頃に顔を隠した。
安心して、余計に怖い。
今は大晦日の夜。いや、既に元日になっただろうか。
初夢だというのに、こんな、不吉な・・・。
ぎゅうと、胸元につよく顔を押し付けられた。
もう片方の腕が背に廻り、セイは総司の全身に包み込まれる。
「いますよ」
短い応え。
「ちゃあんとここにいます。あなたの傍に、いますから」
何にも怖いことなんかないんです。
身体の力を抜くセイを胸に抱きこんだまま、総司は自分の布団に戻った。
「寒くて変な夢見ちゃったんでしょう?こうして一緒に眠れば、怖い夢なんか近寄って来ないですよ」
そう言って笑う総司を、いつもなら「馬鹿言わないで下さい!」と問答無用で殴り倒していただろう。
でも今日は、今日だけは。
「ありがとうございます、沖田先生・・・」
セイは総司を見上げ、少し笑った。
「明日は初日を拝まなきゃいけませんからね、早く寝ましょう」
おやすみなさい、と笑みを向ける総司の腕の中で。
セイはゆったりと目を瞑った。
夢に出てきたのは、柔らかく萌える草原。
さらさらと風に靡くその中で、セイは総司と祐馬と玄庵に囲まれ、楽しげに笑っていた。
「セイ!」
祐馬に呼ばれ、玄庵に頭を撫でられる。
「神谷さーん」
総司が手を振っている。
「・・・ふふ・・・」
微かに笑い声が聞こえ、総司は目を落とした。
眠りながら笑うセイをやわらかく見詰める。
「全く、あなたって人は・・・」
心配で心配で、一時も目を離せないんだから。
総司は一層懐深くセイを包み、自らも目を閉じた。
腕の中の愛しいこの子と、幸せな夢を紡ぐために。
「・・・なんて、嫌な初夢見ちゃったんですよ〜」
「へぇ?勝手に死なせようとしたんですか私を」
明くる日、初日を拝んだ帰りに夢の内容を告げると、総司はからかうようにセイを睨んだ。
「っだから!それで魘されてたって言ってるでしょう?!ほんとに怖かったんだから・・・」
「まあ、許してあげましょう。・・・それと神谷さん、初夢は昨日見た夢じゃなくって、今日見る夢のことを言うんでしょう?」
「へ?」
セイは目を丸くした。口を開けたまま考え込む。
(初夢って・・・・・・あれ?大晦日から元旦にかけて見る夢は・・・)
「違いますって。今日見るのが本当の初夢ですってば」
確信を持って言い切る総司。あやしい。あやしいけど。
「・・・まあ、そういうことにしておいてあげましょうか」
「ひどっ!酷いですよ神谷さん、本当ですってば!」
それが嘘か本当か、そんなことはどうでもいい。
総司がそう言ってくれているんだ。法螺話でも慰めでも、それが本当ということにしてしまおう。
「・・・そうしたら、今夜は仕切りなおしですね!」
にこっと笑うと、総司も嬉しそうに「そうそう」と頷いた。
「今日こそは、私を殺さないで下さいよ?」
「あーもう、根に持たないで下さいよ武士らしくもない!」
「武士らしくないって・・・あなたに言われたくはないですよ神谷さん」
「私は武士ですってば!」
どが、と蹴りが総司の足に飛ぶ。
いつもの日々が、今年もやってきた。
そうしてその夜、セイが仕切りなおして見た初夢は。
「あんまり、言いたくありません・・・」
「ええ〜?教えて下さいよ神谷さん!まさかあなた、また私を・・・」
「違いますっ!違うけど言いたくないんです!」
総司の顔をした鷹が、ひょろろ〜と富士山の周りを飛び回っている夢、だった。
その富士山からも、何故か満面の笑みを湛えた総司の顔がこちらを見ていて。
(縁起いいって・・・言ってもいいのかな・・・)
茄子が出てくれば完璧だ。でもそこにまた総司の顔が付いていたりしたら。
怖い。怖すぎる。
「・・・やっぱり教えない〜!」
想像して鳥肌が立ち、セイは半泣きで逃げ回る。
総司が何としてでも聞き出そうとそれを追いかけ回してくる。
「そんなこと言うと余計気になるじゃあないですか神谷さん!」
「いーやー!」 さて、彼らの今年の運命や如何に?
おわり