風光る
思う心は親心
梅雨も明け、そろそろ本格的な夏がやってきた京の都。
新選組が屯所を構える本願寺の中、セイはどよんとした目つきで病室を出た。
「あーもう暑い眠い暑い眠い暑い眠い・・・」
江戸から移り住んでもう数年が経つが、この暑さにだけはどうにも慣れることができない。
昼間の日差しは勿論のこと、特に問題なのは夜。大人数で詰め込まれる隊士部屋は互いの体温を散らすこともできず、普段の鼾歯軋り寝相の悪さに加えて熱気が凄い。寝ながらにして蒸されているようなものだ。
寝にくい環境は全ての隊士に言えることなのだが、今年のセイにとっては余計に辛いものだった。
「糸引いたご飯なんか食べるなっつーの。腹出したまま寝りゃ、風邪だって引くに決まってるし・・・」
先ほどまで居た部屋の様子を思い出し、セイは重い重い息を吐いた。
寝不足ながら、病の気など全く無いセイが病室から出てきたのには訳がある。
病人を収めた部屋には五人の世話人が付けられていたが、暑いこの時期は特に体調を崩す者が多く、それだけの人数ではとても足りない。
世話人らからの直訴に、しかし人事権を握る歳三は「一時的なものだ」と臨時の小姓を雇い入れることはせず、代わりにセイを含めた数人に交代で助っ人に回るようにとの命を出した。
新選組の機密を守る為には、外部の者をなるたけ入れない方が好ましい。その理屈は平隊士のセイでも分かる。
だがセイの人気はここでも絶大で、彼女が当番の時にのみ用事を頼む隊士も多く、彼女が当番でない時にまでご指名で呼びつける隊士も多く、相手が病人である と思えばセイも無下にも出来ず、結果として隊務に支障のないよう組まれた当番も彼女にとっては無意味にも等しく、あっという間に上記の通りやさぐれた寝不 足セイのでっきあっがりー、てなことになるのだ。
「・・・そりゃあね、他の人よりは包帯巻くのも傷の診たても、少しはましかなって自負はあるけど」
呼びつけられる理由がそれ以前にあることに気付けない野暮天女王は、ぶつぶつと呟き続ける。
総司に褒められて以来、医学書を読んだり良順に手ほどきを受けたり、少しずつ医術の技も知識も蓄えてきた。素人ながら、組の役に立てると思える程度の自信はある。
しかし、幾ら自分が医者の子で多少手先が器用だからと言っても、ここまで頼られるのはどうかと思うのだ。
腹下しや暑気中り等の軽い症状も、積もれば山となる、だ。いつかきっと自分の方が倒れる。
(・・・いっそのこと、倒れた方がましかも・・・)
そして数日の間ひたすらに寝まくるのだ。極楽はすぐ目の前に。
不謹慎なことを思いながらも体を引き摺り、必死の思いで足を運んだ。目を上げれば廊下の突き当たり、日陰となった白壁がセイを呼んでいる。
「今日は非番。沖田先生との約束まで、・・・一刻位かな」
誘惑に勝とうという気にもなれない。予定を確認し、セイは壁に凭れかかった。そのままずるずると座り込む。
「ちょっとだけ・・・」
周りに比べればひんやりと感じる空気の中、セイの口からはすぐに寝息が零れだした。



「神谷さんがどこにいるか知りませんか?」
総司の問いに、井戸端にいた相田と山口は「またか」と笑いを堪えながら口を開いた。
「先ほど賄い方にいたのは見ましたが」
「そうだ、白湯と薬を山ほど盆に乗せて、病室に行きましたよ」
「ああ・・・そういえば世話を頼まれているんでしたねえ」
二人の態度に頓着せず、総司は納得顔で頷いた。 土方から直々に看病を命ぜられ、セイがその部屋へ出入りするようになったのは半月程前からのことだ。
「土方さんの采配は適当だと思いますけど、お陰で最近遊べなくなっちゃって・・・困りますよねえ全く」
深刻そうに溜息を吐いた総司だが、そんなことを言われたら相田も山口も余計に腹筋に力が入ってしまうだけだ。ぷるぷると震え始めた二人の様子にやはり無頓着のまま悲しそうに礼を言い、総司は身体の向きを変えた。
途端、吹き出す音と「おい」とそれを嗜める山口の声。流石に驚いた総司が振り返ると、二人は揃って目に涙を浮かべていた。
「どうかしましたか?顔が赤いですが、どこか具合でも・・・」
「いえ、何でもありません!」
「神谷もきっと寂しがってますよ!早く行ってやって下さい!」
威勢だけはいい二人の言葉に、総司は目をぱちぱちさせる。だってこんなに辛そうなのに。
しかし本人らが大丈夫だと言うからにはそれ以上突っ込むこともできず、所在なく総司は頬を掻いた。
「・・・非番の日は、ちゃあんと養生して下さいね」
見当違いな総司の言葉に、二人の顔が更にどす赤く染まる。
まるで瘧を発症したかのように震えつつ、黙ってただ頷く二人を訝りながらも、今度こそ総司は歩き出した。
彼の姿が遠くなった頃。
「・・・も、もういいか・・・?」
「多分・・・、俺もう限界・・・!」
「神谷、やっぱり愛されてるよなあ!」を合言葉に、二人が腹を抱えて笑った、のは、言うまでもない。



セイと同様、一番隊組長である総司も忙しく立ち働いており、やはり夜の熱気と寝不足に悩まされる一人だった。
人口密度の低い歳三の部屋で昼寝をしたりと要領よく休養を取ってはいたものの、身体のだるさは否めない。
こきこきと首を鳴らし、「でも」と総司は顔を上げた。
「今日は久々に神谷さんと甘味を食べられますし。楽しみだなあ」
懐手ににこにことしながら、そっと病室を覗き込む。
「神谷さん・・・?」
あれ、と呟きつつ身を乗り出した。しんとした室内にはセイの姿が見えない。
「沖田先生、神谷ですか?」
挑戦的な響きに目を遣ると、末席に寝かされた五郎が半身を起こしていた。
「おや、中村さん。どこか怪我でもしたんですか?」
「怪我なんかしてないッスよ!原田先生と西瓜の食い比べをして、ちょっと腹を」
「原田さんと食べ比べなんかしたんですかあ?そりゃあ腹も壊れるでしょう。私でも勝てない自信ありますもの」
「ほんっとにそうですね、俺も痛感しました・・・ってそんなことはどうでもいいんスけど!」
腹を擦りながら、五郎はぎっと総司を睨む。
「神谷なら、手厚く看病してくれた後にさっき出て行きましたよ」
「どちらへ?」
「俺にはわざわざ湯呑傾けて薬飲ませてくれて、かいがいしく着替えを持ってきてくれたりとか」
「・・・ここにはもういないんですね。全く忙しない人なんだからなあ・・・」
「もう夫婦も同然!て感じの・・・あ、ちょっと沖田先生!まだ話は」
「とすると隊士部屋辺りですかねえ。ああ中村さんありがとうございます、お大事にして下さいね」
ひらりと手を振り、総司は部屋を後にする。
病は気から。機嫌の急降下はそのまま身体にも伝わったようで、追い縋ろうとした五郎は唸り出した腹に布団へと突っ伏した。
「ご、五郎なだけに腹もごろごろ・・・」
笑えない。どころか哀しい。
「チクショー、少しは焦ってみせろー!」
「・・・さっきから煩ぇ中村!傷に響くだろうが!」
悔し紛れに叫んだ五郎へ、罵声と枕が容赦なく襲う。衝撃にますます腹は悲鳴をあげ、五郎は慌てて四つん這いになって厠へと向かった。
いくら負けず嫌いな五郎と言えど、沖田総司と腹痛には勝てない模様。



「やっと見つけました・・・けど」
白壁を前に、総司はうーんと腕を組んだ。
ぺたんと足を投げ出し、セイは気持ち良さそうに眠っている。
「どうするかな」
しゃがみ込んで顔の位置を合わせれば、長い睫の下にうっすらと隈が見えた。
「・・・神谷さーん、水饅頭食べに行きませんかー・・・」
小声で呼びかけるが、セイの寝息は変わらない。しゃがんだ膝に肘を置き、頬杖を突いてその顔を眺めた。
「余程疲れてるんですねえ。・・・残念ですけど、甘味は次の機会にしますか」
セイと二人でないと、出かける気分にもなれない。ごく自然に甘味屋を諦め、総司はセイの様子を見守る。
「・・・ん・・・」
セイが身じろぎをし、その弾みで汗が額から流れるのが見えた。
おやおやと手拭を出し、顔と首筋の汗を拭ってやる。
「京の夏は暑いからなあ。・・・そうだ」
身軽く立ち上がって部屋から団扇を持ってくると、総司はセイの傍に腰を下ろし、彼女に向かって風を送り始めた。
セイの前髪がさらさらと揺れ、気持ちがいいのか彼女の口角が少しだけ上がる。
「あなたはいつも頑張りすぎなんですよ。・・・まあ、そんなあなただから私は、」
機嫌よく続けようとして、総司は言葉に詰まった。そんな神谷さんだから私は何だ。
「・・・・・・組の雑事でも何でも、安心して任せられるんですけど」
搾り出した自分の声に顔を顰める。間違っちゃいないけど合っている気もしない。
と、俯いた目の先に静止する団扇が見えた。総司は自分の手に「怠けては駄目ですって」とひとりごち、またぱたぱたと動かし始める。とにかく今は扇ごう。
セイはその間も身じろぎ一つせず、ただ眠りを貪っていた。
総司は端座していた足を崩し、セイに身体を向けたまま肩を壁にくっつけた。ひやりとした涼気が流れ込んでくる感触。
穏やかなセイの表情を見詰めながら扇いでいる内に、ふわあ、と欠伸が出た。
「・・・眠気って・・・うつるんでしたっけ・・・?」
目を擦りながらの総司の問いに、セイは緩く開いた口から漏れる寝息で応えた。




「・・・近藤さん、あれ」
「どうしたトシ。・・・ああ」
歳三に肘で突付かれた勇は、前方に視線を遣って「ぷ」と吹き出した。
「いや、微笑ましい光景だ。あの二人は本当に仲が良いな」
「一番隊を預かる組長としてどうかと思うがな」
眉を顰める歳三の顔も、よく見れば口元が笑っている。
二人の視線の先、総司とセイが仲良く並び、ぐっすりと眠っている。
そしてそんな状態でも、総司の手にある団扇は緩く動き、セイへとやさしい風を送り続けていた。
「親心、というか・・・総司にとって神谷は、家族のような存在なのかも知れない。そうは思わないか、トシ?」
「俺は、あいつには早く本当の家族を持って欲しいと思っているが?」
「そうか、お前は総司の母親代わりだったか。・・・うん?ということは・・・」
「あぁ?」
ちょっと複雑そうな顔で、勇が歳三の方を向いた。
「ということは、・・・・・・神谷はお前の孫・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
沈黙の後、頭を抱えた歳三は衝撃から立ち直り切れないまま、少しだけ反撃を試みた。
「・・・分かってるのか近藤さん。俺の孫なら、神谷は俺の夫役であるあんたの孫にもなっちまうんだぜ」
しかし対するは近藤勇。新選組の局長だけあって器が違う。
歳三とセイと総司を順番に見詰めた後、彼はなんと微妙に頬を染め、照れたように頭を掻いてみせた。
「いやそれは・・・かなり、嬉しいような・・・」
「あああそうかい。そいつぁ良かった」
歳三は益々頭を抱えた。そうだ、勝っちゃんには昔から勝てた例がない。

仏頂面で腕を組む妻歳三と、にこにこ笑う夫勇。
そんな二人に見守られ、五歳違いの子と孫は緩やかな風の中、やさしい時を刻み続けていた。
Fin
清井大明神様からの残暑見舞いです(*^_^*)

考えるだけでもムサい屯所の夏(爆)がなんて和やかな家族愛に満ちているんでしょうか!?
親亀の上に子亀を載せて〜 子亀の上に孫亀載せて〜 ……頑張れ歳母さん! 勇父さん!
あ、何か頂点で笑ってる おセイちゃんの妄想が……(爆)。

相変わらず五郎ちゃんが良い味だしてますね。
まだまだ諦め切れぬ17歳! そして大人げなくも譲らない総ちゃん(そこがまた良し)。
今年の夏も屯所は大賑わいですな!

清井さん、元気の出るお話しありがとうございました!!