ギリヤーク尼ヶ崎(大道芸人)

 
 大道芸(だいどうげい)と言う言葉を辞書で引いてみると『大道で演ずる卑俗な芸』とある。
 大道は『幅の広い道路、おおどおり、大路』とある。
言い回しに少々気になる部分があるが、劇場等の建物内や野外演舞場にある舞台ではなく、街頭で披露されるさまざまな芸の事を大道芸と考えていいのだろう。
演ずる人が『人間国宝』にされたり、それが『世界遺産』とか称されている芸能の発祥は大道で演じられた芸とされているから、芸能の基本形は大道芸なのだろう。
 大道芸をする人を一般に『大道芸人』と称しているが、その1人、ギリヤーク尼ヶ崎の街頭公演を観る機会に、先日恵まれた。
 ギリヤーク尼ヶ崎の芸は自身の創作した舞踊(舞踏)、つまり創作舞踊である。
創作舞踊と言うと、イメージとしては何かどろどろとした暗黒を垣間見るような部分があって、好き嫌いが別れるものである。
実際のところ私もどちらかと言うと苦手な部類の芸能である。
しかしながら、彼の創作舞踊には暗黒的な部分こそが感じられるものの、変に奇を狙った部分は感じられない。
演目自体もどちらかと言えば和風と言うか、日本国内での古来から民間伝承された舞踊が混ざり合った様な印象を受ける。
最近のいわゆる『路上パフォーマー』が『西洋風』の演目が多いのに対して、彼の演目はあくまで『和風』な『日本に古来から存在する』物である。
演目の中には題材に西洋を借りている部分もあるが、あくまで『日本風』に昇華されており、単なる西洋のコピーではない。
あくまで『和風』である。
だからこそ、『路上パフォーマー』『ストリートアーティスト』では無く『大道芸人』と言う言葉が似合うのだ。
 さて、彼の略歴を簡単に紹介すると……
 1930年8月13日函館に生まれる
 1953年9月より3年間邦正美舞踊研究所に学ぶ
 1957年全日本芸術舞踊協会主催の全国合同公演にてデビュー
 1968年初の街頭公演を行う
そして、以後、全国各地の街頭で舞踊活動を続け現在に至っている。
今年(2004年)でデビュー47年目、街頭公演36年目になる、長期間活動されている大道芸人である。
しかも、他に職業を持っていてその片手間とかパートタイムワーク(アルバイト)をしながら公演しているのではなく、大道芸そのものを生活の糧(つまり投げ銭が収入)を得ているのだ。
大道芸人として本来あるべき(ハズの)姿で活動しているのだ。
ちなみに、今回の公演に際して配られた宣伝ビラには大道芸の神様と言うキャッチフレーズがついていたが、あながち大袈裟とは言えないだろう。
私もミスター大道芸と言う名を冠したい。
長期間の活動もさることながらながら、驚く事がまだある。
それは、彼が「東京都に住んでいながら『ヘブンアーチスト』のライセンスを取得していない」事である。
この『ヘブンアーチスト』の制度は石原慎太郎が東京都知事になった際の執行されたユニークな都政の1つであり、「ストリートアーティストや大道芸人を審査し、合格した者の活動を公認(都の指定する場所の使用を許可)する」いわゆる大道芸ライセンス制度である。
この制度が発表された時には「ギリヤーク尼ヶ崎も(都内で)安心して活動出来るなぁ」なんて事が私の頭に浮かんだものだが、その期待を裏切って(?)彼はこのライセンスの申請さえしていないと言う。
ちなみに、東京都より申請要請はある模様だが。
実は、彼自身がこの『審査』(現在の審査員は萩本欽一、小沢昭一)と言う行為に疑問を持っているようで「ダメな芸なら投げ銭は来ない、人は集まらない」と言う、ある意味役所のお墨付き(ライセンス)よりもシビアな見物客の判断(投げ銭)が大道芸の判断の全てであると言う認識だそうである。
しかしながら、「公的機関が大道芸に対して動いた」初めて事である点は、評価しているようである。
ちなみに、これまでに数十回程警察のお世話(道路交通法違反など)になっているそうだから、肝が座っているのかもしれないが。
 私が彼の街頭公演を観るのは、実は、今回で3回目になる。
以前観た時(1989年、1994年)の舞踊は、人の奥底に眠る『怒』と『哀』を体現したような、まるで『鬼』が踊るようなものだった。
人の感情を『喜怒哀楽』(きどあいらく)と表すなら、『鬼怒哀羅苦』(きどあいらく)とでもすべきものだった。
この『鬼怒哀羅苦』が強すぎて(と言うか私に免疫が全く無かったので)、初めて観た時はその途中で食当たりにあったような気分になり、観るのを中止した位だった。
ちなみに、2回目は最後まで観る事が出来ましたが。
この当時の彼の舞踊は『鬼の踊り』と称されていたが、まさにその言葉通りのものだったのだ。
しかしながら、今回(2004年)に観たものは、違っていた。
以前同様に公演場所で衣装換えと化粧をして、幕で演目を示した後に踊り始めると言うものでその流れ自体にも、演目の舞踊にも特に変化は無いのだが、「何か印象が違う」と言う感じを受けた。
以前と変わらぬ激しい舞いを見せながらも、どこか温かい、慈悲慈愛の、祈りの空気を感じたのだ。
私も初めて見た時から歳を重ねた、しかし、彼も歳月を重ねるうちに『鬼の踊り』から慈悲慈愛の『祈りの踊り』へとその舞が昇華されたのだろうか。
だが、この変化は必ずしも年月だけが理由ではなかった。 彼の言から察すると、「1994年に阪神大震災の被災地(神戸市長田区の菅原市場等)で『念仏じょんがら』を踊った」事で「自分に出来る事は祈りしかない」と感じ『鬼の踊り』から慈愛に満ちた『祈りの踊り』へと自然に昇華されたのではないか。
震災が、いや、震災の犠牲者の魂が『鬼神』を『慈神』へと変えたのだ。
 しかしながら、残念な事もある。
ギリヤーク尼ヶ崎は高齢(当年で74歳)である。
体が動く限り現役であろうとするし『街頭公演○○周年』なんてものだけで無く、茶目っ気を出して(道路交通法違反による)『検挙100回記念公演』なんて事も目論んでいるかもしれない。
また、公演後も年齢を感じさせない元気にハキハキとした口調である。
しかしながら、その踊りの激しさから体(特に膝や腰)はボロボロである。
だから、実際に活動可能な期間がどの位になるのか分からない。
それに神出鬼没であるから、何時何処で公演が行われるのかも全く分からない。
大道芸人の舞台は陸のあるところ全てなのだ。
何時何処でその公演を観る事が出来るのかは本人のみぞ知るところである。
つくづく私の居住地近くの商店街が公演を招聘した(らしい)事で偶然にも彼の公演を観る事が出来たの本当に幸運であった。(もしかしたら、今年の運はこれで使い果たしたかも)
もしもこれを読んでいる方が彼の公演を目にする事があれば、通り過ぎずに最後まで見て欲しい。
そして、公演終了後には投げ銭を忘れずに!
 
参考文献
 広辞苑第五版 新村出編、株式会社岩波書店発行
 週間金曜日2004.4.30号(506号)
 ギリヤーク尼ヶ崎街頭公演時に配布されるビラ
 六角橋商店街での公演時(2004年5月15日)に配布されたビラ
 
お断り:公演時に配布されたビラにはギリヤーク尼ヶ崎の連絡先(住所及び電話番号)が記載されていますが、(本文章作成時)許可を取っていないので掲載しません。
(以上、敬称略)
 
(了)

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