00/11/05 更新
かつて、現在の阪急京都線が”新京阪”と呼ばれ、別会社であった頃、淀川右岸地域にも京阪バスは
多くの路線を有していました。”新京阪”が京阪と合併、その後の阪急との戦時合併、そして戦後の分離
時に、”新京阪”線と共にほとんどの淀川右岸の京阪バス路線は阪急バスに移されたのです。
その中で、京阪地盤地区(淀川左岸)とを結ぶ路線が、京阪バスに残されたのでした。
このページでは、そうして阪急地区の淀川右岸に姿を見せる、京阪バスにスポットを当ててみました。
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Tenko_Anton