はぐれ出羽紀行 鶴岡編 その2
大宝館を後にし16:20庄内藩の藩校だった致道館に到着。16:30が最終入場だったのでギリギリセーフ。やる気の無いおじさんに受け付けをしてもらい入場。致道博物館内の建造物はすべて移築したものだったが致道館は往時からの場所に建っていて、→の写真はその本館のような建物で講堂として利用されていたようで、現存していない建物は館庭に「〜跡」というように印が建っていた。初代山形県令三島通庸はここで執政していた時期もあったようで、広間の一番奥の三島が座っていたであろうところに座って三島になりきってみたりした。立派な建物ではありまた藩時代の展示品も沢山あったが時間が押していて10分で全部見たので残念だったが、徂徠学を教学としていた関係でそれ関係の史料が多かったようだった。
16:35致道館を出て鶴岡公園を散策する。左は明治14年の東北巡幸の際に明治天皇が宿泊したという碑であり、右はそのすぐそばにある庄内神社の神官の息子として生まれた石原莞爾の生まれたところを記すものだった。「永久平和の先駆」というのは凄いなあと思った。いまでも庄内神社は石原さんがついでいらっしゃるらしい。
鶴岡公園は鶴ヶ岡城の本丸等の跡地でかなり広くお堀端にはカモが休み、園内には鹿が居るほどだった(右下写真:カモはワタシに追っかけられて逃げているシーン、鹿もベストショットを狙うワタシの視線を避けてるシーン)。17:00に駅前で待ち合わせだったので公園をつっきって駅方面へ歩こうと思ったところ、公園の端にでるとバス停があって1日6本ほどの本数ながら16:45にバスがあったので朝6時の出発から歩きっぱなしで疲労困憊だったので乗車。鶴岡駅に向かう。
16:50ころ鶴岡駅に到着。ジャスコで失われた水分を求めて2リットルの麦茶を購入。急いで駅前に戻り、鶴岡到着12時間目にして漸く本来目的である資料調査のメンバーと合流。調査先である櫛引町へと車で移動。こうしてはぐれ旅は一端の中断を迎えたのであった。
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