はぐれ出羽紀行 鶴岡編 その1


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傾いてるのは写真の腕前のせい
 14:50ぐっすり熟睡したまま鶴岡駅に到着。すぐに市内を回るバスに乗り換えて鶴岡市内の観光へ向かう。15:05に図書館前で下車。図書館に勤めている大学のK先輩を訪ねる。図書館の二階の郷土資料室を訪ねるも残念ながら会議で不在。
 15:15致道博物館へ移動。受け付けのお姉さんがすっげえキレイな人!ジジババに囲まれたここまでの旅程で初めてのキレイなお姉さん。茶パツだけどもち肌(死語?)で緒川たまきをやわらかくしたイメージだったので、ここまでの強行軍の疲労も大分回復したような気がする。
 ←は旧渋谷家住宅(重要文化財)。萱葺きの多層民家で、養蚕などのスペースなど空間を有効に利用した造り。豪雪地帯の同県朝日村からの移築。この致道博物館にある建造物は、どれもに中に入る事が出来て、この民家では近世後期の生活の様子がよくうかがう事が出来た。

 えっ開智学校?
 →の写真は旧西田川郡役所(重要文化財)。1880年(明治13年)に初代山形県令三島通庸の命で着工し翌年に完成した。この年は明治天皇の東北巡幸があり、その際に行在所にも使用された。
 内部には庄内地方の考古学史料、それに戊辰戦争史料そして「西郷隆盛と庄内」の史料が展示されている。戊辰の際の西郷の庄内藩に対する寛恕からの縁で、現在では鶴岡市と鹿児島市は兄弟都市の盟約を結んでいるという事だ。
 ↓の写真は旧鶴岡警察署庁舎(県指定有形文化財)。西田川郡役所と同じ棟梁の手により、やはり三島県令の指示で建てられた擬洋風建築で1884年(明治17年)落成。当博物館の事務室として利用されている。

東武ワールドスクエア


 この致道博物館には郡役所・旧渋谷家住宅・警察署の他に、庄内藩酒井家御隠殿(写真が写っていなかった)が移築されていて、往時の姿を館内に留めている。また当館の敷地は鶴ヶ岡城の三の丸にあたっていて、鳥海山を借景といてとりいれた酒井氏の庭園も敷地に残されている(国の名勝に指定)。
 展示物は化石・石器・土器といった考古学史料に絵巻や西郷と鶴岡とのかかわりなどを記した明治維新関係史料、それに漁労・農耕文化の足跡を示す生活史料・民具類がかなりの量が所蔵されている。特に漁労に関しては北前船海運や最上川水運に関する民具が多量に保存されており、展示室には多くの用具と共に往時の船がそのまま収められている。収集・展示にかんしては量・質共にかなり素晴らしいものであり、サスガ歴史のある街だと思ったが、剥き出しの展示・中に入れる移築建造物などは保存の立場からは、これで大丈夫なのか?という危惧を抱いてしまいかねないものだった。
 16:00ころ大急ぎで展示を見終わった後、図録が欲しいのと受付のお姉さんが惜しいのがあって、お姉さんに尋ねて図録の有無を聞き、ミュージアムショップで購入、残り少なな時間を活かすために後ろ髪惹かれつつ(じっくり展示をみたいのに)致道博物館を後にする。

伊東のほうに似た名前の珍宝館がありませんでしたっけ?

 16:05致道博物館と並びの大宝館を訪れる。この館の建物は大正天皇の即位を記念して大正4年に建てられ、物産陳列場や図書館として利用された。現在では人物史料館として、高山樗牛や石原莞爾といった鶴岡出身の著名人に関して展示(この2人以外はよく知らない人ばかりだった)されていた。石原莞爾の分野が「言論」だったのはなんだかなーでした。ここは十分かそこらで駆け足で駆け抜けて最後の目的地へと急いだ。


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