校門を出て左へまっすぐ。
―内は住宅街だろうか?
両側に塀の佇む細い坂道を一気に駆け上がって振り向くと、街並を下方に目の前には
空が一杯に広がっている。

 正午だというのにひっそりとした道を更に走っていくと、少しづつ緑が増えてゆき、
ずっと道の奥、木々に埋もれるように一軒の教会が建っていた。
 何語かは知らないが、見た事のない文字が彫られたアーチ状の門をくぐり、重い聖堂の扉を開く。
低く扉の軋む音が、そんなに広いとも思えない聖堂の中に妙に響く。他に音はない。
耳を済ませてみたが、やはりどこからも音一つしない……………

「……寝てるな…?」

 きっと俺の予想は当たっているだろう。
聖堂を横切った先にある小さなドアを開けば、そこは教会とのイメージとは懸け離れた
普通の住宅の造りだ。
広めのリビングにあるガラス張りの引き戸からは、中庭にも出れる。
わざと荒い足取りで歩み寄って引き戸を開き、俺は思いっきし怒鳴った。
「風リン、何しとんねんッ!!」

 まあ、これで誰も居なけりゃ恥ずかしいわなー
 しかしこんな良い天気だ、彼奴はそこだろう。

 芝生が一面に植えられ、数種のプランターが色とりどりに置かれている中庭の(いつも思うのだが
これらの世話は一体誰がしているのだろう?あいつだとは、あんまし思いたくねえが…)
真ん中辺りの大きな樹。
その根元に、紺の神父服に身を包んだ、少年とおぼしき人物が一人。
幹に身体を預けて目を閉じていた。
とは言っても、もう成人だったカラ青年か?
小柄な身体と幼く見える顔立ち。閉じてはいるが開けば薄く茶色がかった瞳。
木漏れ日の中、色素の薄い髪(染めてはいないらしい)なんか黄金色に輝いて見える。

―風宮あすか

俺がいつも足を運ぶこの教会の(どーも胡散臭く見える)神父の名だった。

 ―穏やかな昼下がり(イヤ、まだ正午だっけ?)
魔の担当と、恐怖の〆切りを口先三寸で丸め込み(言っておこう、あんなのは丸め込むとは言わない
頼み込むと言うと思う)私はやっと得た安息の時間を楽しんでいた。
 冬だと言うのに雲のない青空、暖かい日ざし、こんな良い天気私が見逃す訳がナイ。
教会の中庭の真ん中にある、大きな樹の幹に身体を預けて目を閉じた。
風の音、鳥の声………腹の虫…
「…………うう…腹減った‥」
何か作ろうかと思いながらも、私の料理は大層下手らしい。
『お前は台所に立つな!!』
その言葉を思い出してちょっとムっとする。別にそんな不味くはないと思うんだけどなあ…
 考えてもしょうがないので、私は更に神経を研ぎ澄ませてみる、静かで、平和だ。
 ……その時
―ドタドタドタッ!―
……ドタドタドタ…?
まさかッ?!再び魔人・担当の再来か?!しかし、この足音は…

ガラッ!!

「風リン、何しとんねんッ!!」
 風リンとは何とマヌケな、と思うなかれ、これでも本人結構気に入ってたりするんだぞ?

「何って、午後におうちの庭で優雅な一時を♪」
「知ってっか?そう云うのを世間様じゃ゛現実逃避″って言うんだぜ?」
 h…その通りデス。

 そう言って、ボサボサの、たっぷりとした黒髪を後ろで括っている少年
(イヤ、スカートはいてる少年なんて居たらオカシいわな)ではなく少女、氷雨 皇は、
私の方に歩み寄ってきて、ストンと隣に腰を落とした。
また学校を抜けてきたのだろう、制服姿が何とも似合っていない。(言ったら間違いなく瞬殺される)
「…まあ、そうとも言うね」
 タレているが、丸い眼鏡の奥からは真っ黒な瞳。
長身で細めだが、ムダな筋肉も無さそうなガッシリした体格。
空手2段だったっけ?うう、そこらのヒョロヒョロから見たらかなり羨ましいぞ…

「〆切り、今日じゃなかったっけか?」
ふとした疑問を俺は口にしてみた。風宮の脇に置かれていたノートPCを
勝手に起動させファイルを開いてみるが
新しい原稿は、前回読んだトコからそれ程も進んでねえし…あ、引きつた笑み浮かべてやがる
風宮は副業で、小説家というモノをやっていた。(とは言え、本人こっちの稼ぎで食ってる様に
見えるんだが…)
俺もまあ、一応読者の一人だ。
ノンフィクションを主にエッセイやパソコン書籍など、
様々なジャンルをこの歳で書きこなせるのは凄いと思う。
「でも、〆切り破りの常習犯じゃなあ…」
何度か担当と思しき青年を見たことがあったが、辛そうに胃を押さえてる姿しか思い出せない。
「いーぢゃないか、私だって色々忙しいんだぞ?」
「そーかそーか」
引きつった笑みでボソボソと反論を返す風宮に、俺は適当な相槌だけを返し、PCの電源を切った。
小説の続きでも読んでやろうと思ってたんだが、どうしようか…

「なあ、ひーさん」
「あんだよ」

「………腹減りました」
「そーかそーか、人間、一食位食わなくても生きれる」
「イヤ、そんな簡単に返事返さないでくれよ…」
「俺はクッキングマシーンでもなけりゃ、お前の家政婦でもねえっつーの」
「台所に入るなっつったの誰だよ、腹減りましたー。何か作って」
にこりと微笑むな!!気色悪ィ!!
やっぱり俺ってばクッキングマシーン扱いじゃねえだろうか?
げっそりと考えたくない疑問を引きずりながら、しょうがなく無言で立ち上がる。
風宮も柔和な笑みを浮かべながら立ち上がった。
……あんまし好きじゃねえな、その笑い方…

両側に塀の佇む坂道。
鈍くバイクの車体を光らせて、俺はいつもの教会へと向かっていた。
バイクはちょっとキツイんだよねえ、ここ。
重量感あるデザインのデジタル時計は7時を表示していた。
辺りはもう薄暗くなり、冷たい風が吹きはじめている。

緑に隠れるように埋もれている教会の門をくぐって、扉の前にバイクを駐車し
裏に回る。

「やっほー、今晩和♪」
教会のイメージとは懸け離れたリビングの奥の台所に皇が立っていた。
あすは…あ…外で寝てる。
寒いのになあ、まーだ起きんのかい。

「ひーさん、いいの?アレ放っといて」
「放っといても死にゃしねえよ」
「うーん、なんだかなあ」
小脇に抱えていたヘルメットをソファに置いて、自分も腰を降ろした。
夕食は皇が作って3人で食べる、それが既に日課になってからもう2ヶ月かな?
もうあすの料理は食べたくナイ、イヤほんとに
「ひーさん今日の晩飯なんだいー?」
「ロールキャベツだよ、ヒマなら手伝えっての」

んな事言われても、皿を出す位しかできないからなあ
台所の棚に置かれていた皿を取り出し、テーブルの上に並べる。

ガラッと引き戸の引かれる音がして、あすも中に入ってきた。
表情は、引きつりながらも非常に柔和だ。
「来てたんなら、起こそうよ音遠」
まだ冬だもんな、いくら良い天気だったとは云え、
こんな時間まで寝てたらそら寒い。

「ひーさんが放っとけって言うしね。あ、メシできたぞ」
「うー寒い、あったかいモノ食いたいー」
オイラは親元を離れてるし、あすも同様、皇も家族には滅多に会えない。
だからまあ、こんな夕食もいいかも知れない(タダで旨いモン食えるし←ポイント)
夕食だけとはいえ、バイトの身にとって有り難いのだよ、うん

「あ、そういや親父から手紙来てるんだっけ」
早々と食事を済ませ、食器を洗いながら俺は呟いた。
処理に困るから残すなという教訓のもと、黙々と食事を平らげていた2人も顔を上げる。
「いつ来たん?」
「んー、昨日だな」
制服のポケットから少し太めの茶封筒を取り出してテーブルに置き、椅子に腰を降ろした。
毎年誕生日以外ほとんど会えない代わりに、両親は定期的に手紙を送ってくる。
こっちで起こった事とか、今度何があるとか、読むだけで眠くなるような文がびっしりと。
返事は出したこともない、出す気も起きないが。
「…何か入ってる?」
「ホントだな」
封筒の上から触れてみると薄く、固いモノが同封されているようだ。
触感からして正方形…
「フロッピー、か?」
「うーん…?」
取りあえず封を切って中を覗いてみる。
1枚の紙切れとMO、たったそれだけ。
「珍しいな、こんだけなんて」
MOを手に取り、ひっくり返したり、傾けたりしてみる(イヤ別に何かあると云う訳でも無いだろうが)
ラベルも何も貼られていない、ただ書き込み禁止のツメが上がっているMO。
「何入ってんだろーなコレ」
「家帰ってみれば分かるじゃん」
そう言って風宮はひょいと同封されていた紙キレを摘みあげる。
何気なく開いて、その動きが止まった。
「……音遠…コレは…」
珍しく風宮が神妙な顔つきで音遠を呼ぶ。
「何か書いてあんのか?」
ついでに俺もひょいと覗き込んだが、何なんだと眉を潜めてしまった。
゛皇
 パンドラの謎を解いてくれ
 約束の荒野にて待つ ″

急いで書いたのか、少し乱れた父の字。
1枚のMO。
「…………何だこりゃ」
「何だろうねえ…」
「うーん‥」
3人共黙り込んでしまった。そりゃそうだ、ともすればおかしいんじゃないかとも思える内容だ。
何があったってんだ、親父。
フっと、奇妙な感覚が胸の中に沸き上がる。
チリチリと感覚が焦がされるような…沸き上がる苛立ち…不安?
そんな訳がない、只の狂言かも知れない、ゲームの一種かも知れない。
なのに何故こんなにイライラと気が立つのだろう。
2人も何か考え込むように俯いていた。

時間が止まったように、ただ沈黙が流れる。
しかしそれは突如として破られた。
俺の携帯電話の着信音が鳴り響いたのだ。
妙にその音が大きく聞こえる、感覚がマヒしたようにぎこちない動きで俺は携帯を手に取った。

『皇さんですか?スイマセン、会社の芝田ですが…大変なんです!!』
「………は?」
一瞬耳を疑った。現実にあるハズのないことを耳にしたきがした。
前に居る2人も目に入らなかった。
ただ世界がぐるぐると回って見えて、どんな音も聞こえなくなり…
ただポツリと、誰かに言おうとして言ったんじゃない、ただ呆然と口から滑り出た。
「家族全員…消えたぁ?!」


++