さて、まず少し皇の家のことを説明してみよう。
皇の家族。
―正しくは一族は皆なのだが、皇の母方の祖父が設立した
コンピューターソフトウェア製作をメインとする会社で働いている。
社員はほぼ皇の一族の者達、いわゆる同族会社だ。
父も母も2二人の兄も皆、エンジニアとして多忙な日々を送っている。
皇もいずれそうなるのだろう。
物心ついた時にはパソコンを与えられ、様々な知識を教えてこられた。
幼少より始めた格闘技は父譲り。
どんな時でも精神(こころ)を落ち着かせ、強くある為に。
(本当にそれが役に立っているのかどうかはナゾだが)
家族や祖父達に皇は、機械の事だけではなく、本当に様々な事を学びつつ

―今日に至る。

すっかり暗くなった街中。
軽いエンジン音を上げて、銀と赤の車体が滑るように
一戸建ての家の前で停まった。
音遠の乗るバイクの後ろには皇。
「ひーさん、着いたぞ」
声をかけてみるが反応はない。
虚ろな瞳が只、星空を見上げている。
「……………」
どーしたモノかなあ?
少し考えて自分の被っていたメットを……
―がぽッ
「ひーさんついたぞおー」
ぐりぐりぐりッ!
被せたメットごと揺り動かす…………あ、手が震えてる
「のわぁにすんじゃこんボケェッ!!」
わっ、頬つねるなッ、痛いんだってソレ。
「ふぇーひゃめたかひー?(目ー覚めたカイー?)」
「……お陰さまでな」
引きつった笑みを浮かべてバイクを降りる。
まだ冷たさを含む冬の風が吹き付けてきた。
「寒いなー」
「風邪ひかない内に家入れよ」
「おーよー、じゃあ後でなッ」
ひらひらと手を振りながら、皇は明かりの灯いていない暗い家の中へと消えていった。
「おー、また、後で」
玄関に内カギをかけ
いつものように暗いリビングの電気をつける。
時刻は10時に差し掛かろうとしていた。
きれいに片付いた食器類、部屋の隅にちょこんと置いてあるソファ
テーブルの周りには5つの椅子。
どれも一度に使われる事はもう滅多にない。
ソファに丸まって寝ていた黒猫が、お帰りを言うかのように顔を上げた。
皇も黒猫の隣に腰掛け、ぐりぐりとその頭を撫でる。
「はぁ……」
溜息しか出なかった。
そもそも゛消えた″と云う事自体おかしいと思う。
電話をしてきた社員は、すっかり気が動転していて、゛消えた″としか言わなかったのだ。
消えた……夜逃げの様に姿を消してしまったのだろうか?
誘拐の可能性は…メリットが何かあるとは到底思えない。
いくらエンジニアとはいえ、そこまで重役ではないし、身代金目的で、全員攫っていっては意味がナイ。
いつもは会社に泊まり込んでいるのだし、電話がかかってきたのは夜だ。
少なくともそれまでは会社に居たのだろう。
―人間が、その場から忽然と消えるなんて事、あるんだろうか?
「ある訳ねえだろ……」
馬鹿馬鹿しい、三文小説みたいだ。
そんな皇の姿を、淡い金色の眸が、不思議そうな顔で見ていた。
いつも全くこっちに興味のないようなカオしてるクセによ……
苦笑してまたネコの頭をぐりぐりと撫でる。
暖かくて、柔らかい感触。
ネコは不服そうな顔をしながらも、高く澄んだ声でニャオと応えた。

『Light;ほお、それで全員消えたとな…?
  御木;知らねーケド、そうみたいだ(-_-;)
トレント;寂しいじゃんそれって、大丈夫なの?(^_^;)』
カタカタカタと部屋にキーを叩く音が響く。
あれから少し寝、いつものようにテレホタイムの始まる午後11時にはPCのスイッチを入れ
皇は行きつけのサイトのチャットルームに居た。
前にネット上を漂流(?)していた時に偶然見つけたTRPG系を取り扱うサイトで
今となっては常連と化している。
いつもここに来るヤツらが決まっているのも何だが…
ちなみに常連メンバーの内の2人は、いつもメシを食わせてやっているアイツらである。
ちょっとした賭けに負けてああなってしまったのだ…
画面には次々と文字が流れてゆく。
(ちなみに「御木」は皇のHN。以下風月があすかで、KINEは音遠であると言っておこう。)

『KINE;んで、ひーさんどうするんだ?
  御木;取りあえず明日会社行ってみる、送れ!(爆)
 KINE;いや、別に構わないけどさ〜
 御木;うわ、マジか?(^_^;)』
確かに会社は遠い。電車1本で行けるには行けるが、金と時間がかかるのだ。
ここはまあ、連れて行って貰った方がいいかも知れない(バイトはどうした)
いくつか音遠と言葉をかわして、ふと手元に置かれてあるMOを思い出す。
―そういや、コレ結局何なんだ……?
一旦チャットルームから退室して、ドライブにMOを差し込む。
軽い振動音とともに、フォルダが現れた。
開いてみると、そこにはアイコンが一つ。
「………『PANDORA』……パン…ドラ…?」
アイコンの絵は小さな宝玉の様に見える。
説明書も何もなく、フォルダの中にはそれだけしかなかった。
「……………」
虎穴に入らずんば虎子を得ず、ってか?
一体何のソフトなのか全く分からないのだが、見ているだけでは何もならない。
何の為に両親は自分にこれを託したのか……
分からないかも知れないが、一見の価値はある。
そう思い、皇は『PANDORA』を立ち上げた。
「………まるっきりRPGじゃねえか…」
立ち上げると現れた「PANDORA」とロゴの入ったCG。
3Dより2D重視で、アニメーションの要素を多く取り込んでいた。
開発者に家族の名が見える……開発中の新作ゲームと云ったところだろう
「Start」をクリックすればゲームが始まる、体した変わりもないが……
それでも『パンドラの謎を解け』とあったのだ、きっと何かある。
(説明書がないと扱いにくいな……)
製作中なら一般ユーザー向けに貼付されている筈のマニュアルが無いのも頷ける
取りあえず少し攻略していくことにした。
主人公に名を入力すると、OPデモが静かな旋律と共に流れ始める。

―貴方に全てのものを贈りましょう
私はすべてを贈られ
すべてを贈る者
宝でも地位でも力でも
―さあ 

「貴方の望みはなあに?」
「ッ?!」
直接耳に届いた声、優しく甘く、謳うような女の声。
デモの画像がぐにゃりと歪み………そこに微かに女の顔が浮かび上がる
「何…だ、コレわッ?!」
咄嗟にゲームを終了しようとしたが
「マウスが…」
固まってしまったまま動かない。
となれば強制終了ッ!!
ピンをリセット穴に差し込む寸前何者かに阻まれるように
皇の視界は白く弾けて、途切れた。

画像に浮かび上がった女は一瞬ニタリと笑い
ブラックアウトするPCの画面の中に消えていった………


―俺の、望み
欲しいもの、やりたい事なんざ山程あるけど
本当に、欲しいもの?
それは…

「それは…………」
自分の呟きに目が醒める。
眩しい陽の光が頬を焦がした。堪らず目を閉じる。
手を影にしてそろそろともう一度目を開くと、何ものにも遮られることのない蒼穹の天が見えた。
………確か今は夜で……もう冬近くなかったっけか?
まだ意識は朦朧とし、物事を深く考えられるまでには回復していなかったが
それでも皇は、ゆっくりと思考を巡らせ、少しづつ先刻の事を思い出してみた。
風リン家でメシ食って、家族が消えたトカ云う電話がかかって
ネットに繋いで…………送られてきたMOを開いて…
―それから……それから?
「俺のマックッ?!」
イヤ、大事なマック(正しくはiMac)に変なおばはん(と思わしき)のカオが浮んできたんだった!!
思わず身を起こす、目はチカチカするし、頭の中はぐらぐらする。
ひどい目眩だ。
「h〜〜〜ッ」
それでもなんとか、足に力を込めて立ち上がる。
周りに掴まるモノが何もなかった為、少しふらついたが、軽く頭を振って意識の回復を謀った。
むりやり開いた目でゆっくりと辺りを見回す。
自分が立っているのは一面の草原。太陽は眩しかっただけでそう暑くもない。
どちらかというと暖かい、春のような陽気だ。
風は優しく吹いて頬を撫で、微かに水のにおいがした。水場があるのかも知れない。
「……………ドコだよココは…」
げんなりと空を見上げる、先程と同じ、蒼穹の空
建物等の姿は全く見えない、遥か遠くに見える地平線までずっと若草色の地面が見えていた。
……今の日本にこんな土地ある訳ねえ、水平線だって今日減ってきてんだぞ、オイオイ
って、まあそんな事は置いといて、日本じゃなかったらどこだというのか。
ガキの頃にこんなトコ来てたら、パソコン人生歩んでなかっただろうなあ
特にこの人生に文句はないが、何となくそう思ってみて苦笑した。
さて、これからどうするか
時刻も分からなければ方角も分からない。こんなときは…
「テキトーに歩いてみっか…」
そう思い、ジーパンのポケットに手を突っ込んで適当にぶらぶらと歩き始めた。

優しい風、水のにおい。しかし何か違和感を感じずに入られない空気。
この違和感の正体は何なのかと、歩きながら神経を集中して考えてみる。
水のにおいは歩く程に少しづつ近くなる。
「…………風は吹いてるし、においもする。でも………」
ちょっと立ち止まって目を閉じる。
皇は幼い時からこうやって自然を身近に感じるのが好きだった。
「風の音も………土の匂いさえしねえ」
どんなに緩やかに吹く風にも音はある。遥か彼方まで草原は続いているというのに土の匂いもしない。
感じていた違和感、合致しない世界、ここは…
「どこの世界だよここは……」
何気に呟いた次の瞬間、目の前の空間が突如『歪んだ』

「……………ッ?!」
瞬時に歪みから身を引く。
そこから発せられるモノは今まで自分に向けられた事の無い
………いや、一度だけ感じたことのある、身の毛のよだつようなT殺気″
「何なんだ、ったく!!」
歪みからはだんだんと赤いモノが収縮され、そこからできたモノは
前後左右にいくつもの顔を持つ、巨大な赤い球状の塊だった
「うーわーRPG」
呆然と呟いては見るが、まさしく目の前に居る塊は
ゲーム内にしか絶対出てこないようなモンスター
いくつものブヨブヨとした触手が、絡み合って蠢いている。
「いっちゃん最初なんだから、ザコでよろしくッ…何て言っていいのかなあ」
ゲームはあくまでも作られたもの、そんなに世の中甘くなかった
今頭の中にはかなり確信がある。夢ではない、この世界は……
『エサ……アタラ…イ…エ…サァァァッ!!』
いくつもの顔の声が重なりあって響き、塊は猛スピードで突進してきた!!
「だぁぁぁッ、触りたくねえーーーッ」
考え事なんかしてる場合じゃない。エサになる気なんてのも毛頭ないッ!!
触手が絡み付くのを跳んでかわし、当初通り水のにおいのする方へと思いっきり駆け出す。
あちらのスピードはかなり速いが、こちらの方が少しだけ上手のようである。
触手をかわしながらも冷静に判断できる様、心を落ち着かせる。
(ってか、水場があったとしても…追い詰められるだけジャン?!)
当たり前な事に今さら気付きしまったと思いつつ、それでも足は緩めない。
直後皇は自分の行き当たりばったりな性分を呪った。マジで
「………………マジかーーーッ」
水のにおいの正体は、なんとも流れの強そうな急流。
進んだ先は急に拓け、遥か下方に勢い良く水が流れ出している
(音が、してなかった…………クソッ)
後悔の念にかられている余裕はない、後ろに引き返すヒマもない。後ろにはもう……
(だー、ぜってー触りたくねえ)
自分の徒手空拳がどこまで通用するかも分からない相手だ、こうなれば!!
「こうなれば………」
ちろりと下を見た。一応逃げ場はある、死ぬけど、絶対
「運がよければ死なねえ………イヤ無理かぁ」
だからってあんなのに喰われるくらいなら、うーん………
(躊躇してないで飛び込め!!)
「?!」
声が、した?知らない声のような、知ってる声のような……
「飛び込めって…オイオイ、誰か知んねえケドよ……」
(大丈夫、死にはしない。それとも後ろのヤツに喰われたい?)
その言葉を聞いてハラは決まった。
「一応信用しといてやるケド、死んだら恨んでやるからな!!風リンッ」
塊の延ばした触手は空を切り、次の瞬間空が、光った。


++