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Crow the Dark Sweeper

 ルポライターの天野絵莉は、呆然としていた。
 敵に操られ、真神の子たちを危険な目に遭わせるという失態を演じてしまったことで、
いささか落ち込んではいたが、そんなコトで自分を失うような彼女ではない。
 やはり、「憑依」の対象とされたことによる、心身の消耗のせいだろう。
 しかし、そのせいで、彼女は気づかなかった。
 自分の乗っているタクシーが、指示とはてんで見当違いなトコロを走っていることに。
「……? 運転手さん? ここはドコかしら?」
 やっと、そのことに気づいた時には、周りは、ひとけもない、見知らぬ山の中だった。
 帽子を目深にかぶった運転手は、何も答えず、黙ったまま、車を進めた。
 そして、もはやロクに道さえない、という山奥で、静かにサイドブレーキを引いた。
「……お客さん、着きましたよ」
 ぼそりと一言つぶやくと、ドアをフルオープンにする。
「ふうん。私は、渋谷って言ったんだけど? 最近の渋谷って、意外と閑静なのねぇ……」
 絵莉は、怯えてはいなかった。
 ルポライターとして、様々な修羅場をくぐってきたし、

女性であるが故の危険にも、さんざん出会ってきたのだ。
 ちょっとした護身術にも覚えがあるし、なによりペンという最強の武器がある。
 ――ただし、それらが力を発揮できるのは、

相手がただの、スケベ心を出した犯罪者であった場合に、限るのだが……。

 絵莉は、雪隠詰めの危険を回避するため、周りに注意しながら、ゆっくりと車から降りた。
「ぐるるる……」
 とたん、地の底から響くような、獣のうなり声が聞こえてきた。
 それも、周りの繁み、あちこちから。
 日も傾きかけた、「遭魔が時」の薄闇のなかに、そいつらの目が、無数に輝いた。
「――獣! じゃあ、あなたはやっぱり……!」
「くっくっく……」
 運転手は、ゆっくりと帽子を取った。
 その顔は、目は三白眼で血走り、唇はめくりあがり、端からよだれまで流していた。
 もはや、今回の事件では見慣れてしまった、獣に「憑依」された者の凶相だ。
「火怒呂様の名と顔を知った者を、生かして返すわけにはいかない……」
「……そういうわけね。予想はしてたけど」
 そして、この期に及んでも、絵莉は怯えてはいなかった。
 ゆっくりと両足の靴を脱ぎ、両手に嵌める。
「行け!」
 運転手の掛け声とともに、1頭の山犬が飛びかかってきた。
「!」
 その、鼻面めがけて、手に嵌めた靴の、硬いヒールの部分を、思いきり叩きつける!

「ぎゃうん!」
 悲痛な叫び声をあげて、山犬は吹き飛んだ。
 それを見て、同時に飛びかかろうと構えていた他の獣たちは、一瞬ためらった。
 その隙に、絵莉は後ろの車の扉を勢いよく閉め、背後を取られないようにと、

その車体を背中に背負って、次の襲撃に備える。
「くっくっく……健気なことだ……。だが、いつまで続くかな?」
 運転手は、次々と指令を出した。
 それに従い、犬や狐や狸が、次々と襲いかかってくる。
 絵莉は、よく防いでいたが、ただでさえ消耗していた体だ。
 だんだん息が上がってきた。そこに、
「あうっ!」
 突如、足元に激痛を感じ、絵莉はうずくまってしまった。
 車体を乗り越えて来るやつは、音ですぐわかるので対処できたのだが、

これは、車の下をくぐってきた、猫に噛みつかれたのだった。
「くっ」
 靴で思いきりひっぱたこうとしたが、今度はその靴に噛みつかれてしまった。
 そのままの態勢では、どんどん他のヤツに、のしかかられてしまう。
 しかたなく、絵莉は「武器」を片方、あきらめた。

 と同時に、絵莉は、車の上に登った。
 地上にいると、どんどん足元への攻撃を受けてしまうからだが……、
「それで、どうなるというのだ? 自分で逃げ場を、無くしただけではないか」
 運転手は、せせら笑った。
「……」
 だが、絵莉は、委細構わず、ボンネットから、屋根の上にまで這い上がった。
 すると、獣たちは、窓ガラスに爪が滑って、素早く襲うことができなくなった。
 足を負傷したので、どちらにせよ、逃げるという選択はできなくなった上、

武器も片方失ったので、なるべく動かず、

いっぺんに叩く相手の数を、減らす算段だったのだ。
 それに、最初から逃げるつもりなど、なかった。
 獣たちは自分を取り囲んでいるのだし、脚の速さでも、かなうわけがないのだ。
「ふん、なるほど。時間かせぎというわけか……。
無駄なことを。ここで悲鳴を上げてみても、人里には届かんし、
お前の仲間は、今頃火怒呂様に……くっくっく」
 絵莉は、そんな運転手の高笑いになど、付き合っている暇はなかった。
 相手の動きが鈍ったとはいえ、自分もそうなのだ。
 しかも、「憑依」された獣たちは、絵莉の攻撃では、完全に沈黙はさせられない。
 傷は増えていくし、疲労は高まるばかりだ。
 このままでは、ジリ貧である。

 と、その時!
 絵莉は、樹の上にも、無数の「眼」が光っていることに、気がついた。
(鳥……? まずいわね……)
 空中からの攻撃には、今の自分は、格好の標的でしかない。
 ここで、鳥にまで参戦されたら、仲間や警察の助けが間に合うとは思えない。
 しかも、鳥・・・特に鴉の攻撃には、前に酷い目に遭わされている。
「あっ!」
 上に気を取られ、アゴを上げた瞬間、空いた喉元めがけ、山犬が飛びかかってきた!
 かろうじて、靴で防いだが、張り飛ばすことはできず、噛みつかれてしまった。
 最後の「武器」が押さえられ、無防備の背後に、別の犬がとびかかる。
「あうっ!」
 首への攻撃は避けたが、肩に噛みつかれてしまう。
 しかも、2頭の犬は、はっきりと、絵莉を引きずり降ろそうとし始めた。
 車の周りは、「獣」たちで一杯である。

 ざざっ!
 その時、凄まじい羽音を立てて、巨大な鳥たちが飛び立った。
 そのうち数羽は、明らかに、絵莉めがけて、飛びかかってきたのだ!
「……!」
 絵莉は、思わず目を瞑った。
「ぎゃうーん!」
 だが、次の瞬間、悲鳴をあげたのは、絵莉ではなかった。
 鳥たちが襲ったのは、絵莉を引きずる犬の方だったのだ。
 2頭の犬は、巨大な鴉に目を突つかれ、悲痛な叫びを上げて車の下へ落ちた。
 車の周りでは、運転手も含めた、他の獣たちも、巨大な鴉の大群に全身を突つかれ、
悲鳴をあげていた。
「……か、鴉? まさか……」
 その時、どこからともなく、笛の音が聞こえてきた。
 いつか、聞き覚えのある音色だった。
 と、同時に、鴉たちは獣たちから一斉に離れた。
 何羽かは絵莉の周りを守護するように、車の上に。他は樹上に戻る。
 うち1羽だけ、笛の音が聞こえてくる、ふもとへの道の方へと飛んで行った。
「まさか……もしかして……」
 ふもとの方から、ゆっくりと、ひとりの少年が歩いてきた。
 彼は、吹いていた笛を口から離すと、止まり木の形に曲げた右腕で、飛んできた鴉を迎えた。
「あ、あなたは……!」


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