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「唐栖亮一、見参……」 漆黒のコートに身を包んだ、長い髪の美少年は、ぼそりと一言つぶやくと、 ゆっくりと、絵莉のいる車の前まで、歩を進めた。 「か……唐栖クン!」 驚きのあまり、絵莉は、傷の痛みも忘れて、叫んだ。 「……久しぶりですね、ルポライターさん。
相変わらず、厄介事に首を突っ込むのが、お好きなようだ……」 「どうしてあなたがここに? どうして私を!? 体は……大丈夫なの?」 かつて、敵として自分を襲い、後に真神の子たちに倒されたはずの男の登場に、
絵莉は、少々混乱気味だ。 「まあ……話は後です。今は、この……」 唐栖は、とんとん、と車の上に駆け登り、絵莉を庇うように、その前に立ちふさがった。 そして、血だらけになって倒れている運転手を見下ろす。 「獣の王――を、詐称する男に、いいように操られている愚か者を……、 片付けなければ、ね」 運転手は、のろのろと立ちあがると、、車の上の唐栖を見上げた。 「貴様……何者だ……?」
「鴉の王……」 唐栖は、髪をかきあげ、昂然と名乗りをあげた。 「鴉の王、だと……? 獣の王たる、火怒呂様に、楯突くか……!」 「ふん、僕に断りもなく、何が獣の王だ。そんな輩がのさばるのは……許せないね」 「き、貴様……。行け!」 運転手の叫びと同時に、1頭の山犬が、唐栖に飛びかかった。 が、その右腕に留まっていた鴉が、すかさず飛び立って迎撃した。 「ぎゃうん!」 犬は目をえぐられて、地面に落ち、鴉は、唐栖の肩に戻った。 「無駄だよ。鴉は、都会の食物連鎖の、頂点に立つ生き物。 犬や狐程度の小動物では、相手にならない。人間である、お前でも……ね」 「くっ……」 その時、運転手の手元に、刃の光が輝いた。 「この!」 大きなサバイバル・ナイフが、手裏剣のように鋭く投げつけられ、唐栖の 顔面を襲った! 「……!」 獣に憑依された者が、武器を使うとは思わなかったので、唐栖は、完全には避けそこねた。 ナイフは、唐栖の顔をかすめ、髪を幾筋か切り散らして、飛び去った。 顔には当たらなかったようだが、 たとえ髪といえども、自分の体に当てられたのは、確かだ。
唐栖の目が、冷たく光った。
「……僕に、傷をつけたね? ……許さないよ」 唐栖は、すい、と懐から笛を取り出し、唇に当てた。 現れた時とは、少し違う音色が、その笛から流れ出すと、 「ぎゃうんきゃうん!」 「ふぎゃあああ!」 「ぎゃるるるがぅぅぅっ」 とたん、獣たちの間に、凄まじいパニックが巻き起こった。 皆、毛を逆立て、2メートルも飛びあがったり、地面を転げ廻ったり、激しくもがき苦しんでいる。 「うぎゃあああああっ」 運転手も同様で、頭をかきむしり、目を飛び出させて、のたうちまわる。 やがて、唐栖が笛を吹き止めた時。
運転手も、周りの獣たちも、ピクリとも動かず、泡を吹いて倒れていた。 「美幻の音……。僕の笛からは、誰も逃れられないよ……」 そして……、宵闇迫る郊外の山に、静寂が戻った。
「……こ、殺したの?」 その狂態を、口に手を当てて呆然と見ていた絵莉は、恐る恐る聞いた。 「ふん。あんなやつ、死んだところで、なにも惜しくはありませんがね。
それで、あなたに殺人の疑惑でもかかっては、気の毒だ。……殺しては、いませんよ」 肩の鴉が、同意するように、カー、と一声あげた。 「どうなったの?」 「”獣の心”を、壊す波長の音波を流したのです。 あの男の精神が、ただ獣を”憑依”させられただけならば、しばらくすれば気がつくでしょう。 その間の記憶は無くしているでしょうけれどね」 「そう……」 絵莉は、ほっと胸を撫で下ろした。 やはり、目の前で人に死なれるのは、気持ちいいことではない。 「でも」 「?」 「もしも、心の底まで獣に支配されていたなら……植物人間ですね」 「! そんな……」 「それも、自業自得というものです。
邪悪な意識の支配に、抵抗することもせず、みずから心を委ねた……ね」