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真・Water Gate Cafe

猫的「格闘競技とは何か!?」

what's sports fighting think by DEBU cat

「猫的格闘競技」とは何か!? ……では、ありません。
「猫的」「格闘競技とは何か!?」――です。
プロレスの章でも言いましたが、私の個人(猫)的な「格闘競技観」を表明するお部屋です。
ですが、それ以前に、「格闘競技」という表現そのものに、耳慣れないものをお感じになるでしょうね。
早い話が、「スポーツとしての格闘技」のことです。
格闘技に、スポーツとしてもなにもあるのか、とお思いの方もいらっしゃるでしょうけれど、
私は、あると思います。
ただ、プロレスの章と同じく、これはあくまでも私の個人(猫)的考え方なので、ご承知いただきたく。
では、本編へどうぞ……。

ねこかたる

スポーツ・ファイティングとは何か……。
それを語るには、まず「スポーツとは何か!?」を語らなければならないでしょう。
「スポーツ」とは、一言で言うと「趣味」のことです。
すなわち、人生の余暇を楽しむための娯楽、「生きている」ということを確認し、謳歌するための手段。
もともと、「スポーツ」という言葉には、そういった意味合いが込められていると聞きます。
ですから、チェス麻雀も、そういう意味では「スポーツ」です。
ですが、身体を動かす「スポーツ」の方が、より「生命」を直接感じることができるので、
いつしか運動すること、だけを「スポーツ」と呼ぶようになったのでしょう。
ともあれ、まずは「プレイヤー自身が楽しむためのもの」、それが「スポーツ」である、と私は考えております。
……と、言いますと

「一生懸命打ち込んでいるコトを、遊び呼ばわりするな」

――という、お叱りの声が聞こえて来そうですが……考えてみて下さい。
スポーツ選手のことを、「プレイヤー」と呼ぶではないですか。「楽しむ者」という意味です。


好きな格闘家/K-1編
マイク・ベルナルドアーネスト・ホースト、ピーター・アーツ、ミルコ<クロ・コップ>

では、スポーツにおける「競技」とはなんでしょう。
もともと、競技として作られた「スポーツ」もありますが、基本的には、

「どちらが上手にそれをできるか、比べてみよう」

――と、いうことですね。
しかし、それを比べるには、なにかしら「物差し」が必要になります。
その物差しとなるモノ、それが一定の約束事である、「ルール」という考え方です。
「ルール」を破ると、ちゃんとした比べっこができませんから、

スポーツ競技において「ルール」絶対のモノになります。
すなわち、スポーツ競技とは、

「神聖なる≪ルール≫の下に、鍛えた力と技を競い合うもの」

である――と、私は考えます。


好きな格闘家/フリーファイター編(って、ほとんどが「プロレスラー」な気が・・・)
アレクサンダー大塚藤田浩之、小川直也(!)、村上一成(!!)、エンセン井上

さて、肝心の「格闘技」だけは、上記のものとは少しく違います。
それは、もともとが「格闘」すなわち実戦から派生しているものだからです。
しかし、実戦の場から離れた平時でも、イザというときのために「シミュレート」しておきたい、

という考えからできたのが「格闘技」
実は、これはイコール「武術」でもあります。
ですが、平時に戦場と同じコトをしていたら、死ななくてもいいトコロで死にまくります。
かといって、「型」ばかりでは、実際自分がどのくらい強くなっているのか、確認できません。
そこで考え出されたのが、スポーツにおける「競技」と同じ、

ルールを決めての、力と技の比べっこ……すなわち「試合」です。
ところが、実戦の場が減ってきたこともあり、

本来の目的であった「実戦のシミュレート」という考え方はだんだん忘れられていき、
やがては試合そのものが目的になっていきます。そして、

肉体をぶつけ合う、もっとも激しい形態のスポーツ競技

として完成されたのが、現在の格闘技なのだと思います。
それはすなわち、格闘スポーツ競技……

略して「格闘競技」と呼ぶべきものなのではないか、と。


好きな格闘家/その他編
最近あまり見てないことに気づいた……。柔道の田村亮子くらい?

ということで、まとめです。
「スポーツとは、プレイヤーが生きる喜びを確かめ、謳歌するもの」
であり、
「スポーツ競技とは、神聖なるルールの下で、互いの知恵と力と技を試し合うこと」
であるのだから、「格闘競技」とは、
「神聖なるルールの下で、互いの知恵と力と技を試し合い、

自身の生命と力と成長を確認し、謳歌するもの」
である、と結論します。
もちろん相手もそうで、それは肌を合わせた者同士がいちばんよくわかるでしょうから、
よく闘いが終わった者同士が抱き合って感激しているのは、
「お互いよくやったな! 今、俺たちは、生きているんだな!」

――という喜びを分かち合っているのでしょう。
格闘競技というものが「そういうもの」である以上、よくある
「どの格闘技がいちばん強いか!?」
といった論争が、いかに無意味かということにお気づきかと思われます。
なぜなら、ルールが違えば「違うモノ」なのですから。
例えば、キックの選手柔道の選手を、レスリングのルールで闘わせても、意味はありません
まあ、どうなるかという興味で「面白く」はありますが、
「どっちが強いか」という興味、そのものへの答は出ませんから。
ちなみに私は、ヴァーリトゥードも格闘競技、と考えております。
限りなく実戦に近かったのは、最初の二回のアルティメット大会ぐらいまで、でしょうか。
ルールがあるものはスポーツなのです。
少なくとも、私はそう考える次第です。


補足……です。
ルールの意味……もうひとつ。互いの条件をなるべく平等にするため。
平等でないと、鍛えた力や技術「そのもの」の差が計りにくいからです。
ということは、K-1などは、実は格闘競技の枠からは、少しはみ出していることになります。
明かに体重の違うのや、体格の違うの同士が闘うからです。
でも、それでいいんだと思います。
なぜなら、K-1「プロ」格闘競技だからです。
「プロ」は、「お客さん」楽しませる意識が必要だ、とプロレスの項で言いました。
だから、あえてルールの枠を広げても、「面白い」闘いを提供しよう、という考えのあらわれなのでしょう。
また、小さい者が大きい者に勝つかもしれない。
いや、やるからには、勝たなければならない……。
それは、武道の精神武士(もののふ)の魂でもあるのです。
つまり、K-1は競技としては違うけれど、やっている内容は、まさに「プロレス」だということです。
でも、本当は、「プロ」を名乗るショウ・スポーツは、みんなそうあるべきだと私は思います。
野球だって、サッカーだって、みんな「凄いプレイ」を見たくて足を運ぶのです。
ならば、それを見せられるよう努力するのが、真の「プロ」ではないでしょうか。
今、それを最大限にやって「見せて」くれるのは、K-1のみ。
というわけで、
K−1万歳!
他のスポーツにも、こう叫べると嬉しいな……。

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