メロドラマ

メロドラマ


1995/12/7
良い子新聞に言わせると、光害は深刻な問題なんだそうだ。だから限られ た紙面を一杯に埋め突くし、星を愛する人達の主張を大きく取り上げる。 これがいかに滑稽な事で、その良い子新聞である朝日新聞甲府支局がいか に低能かを証明しようと思う。

星を愛する人達が自分達の趣味としての星の観測条件としての暗い夜空を 求め、明るくなってしまった夜空を嘆くのは良く解るし、それらの主張も ある種のエゴイズムとして美しくもある。

問題は、大多数が善として認めてきた光の利便性と、その恩恵を彼ら自体 も享受しつつ、星の鑑賞という数ある趣味の一つにすぎない欲求を満足さ すべく、ご都合主義的に光が他の動植物の生態系を狂わせているなどとい う傲慢な説を持ち出すことだ。

我々人間は、他の動植物の生態など一度として心配したことはない。 それらの生態系の乱れが我々にとって決定的な不利益になる事を回避する 範囲において関心を持つにすぎない。

彼ら自体が一番良く知っているように、夜空を明るくする主なる原因が光 であると同時に光を反射する物質が空間に充満しているという大気汚染に あることは常識である。彼らが最も敵視する夜空に向っての光線も反射す るものがなければ明るく見えない。大気中に反射物質がある以上、地上の 光はどのような角度で放射されようと最終的には空に向って行くわけで、 我々の生活の諸活動の総体として、夜空の明化は避けられない宿命を持っ ている。

どう言うわけか、星を愛する人達は、光を悪者にする半面、大気汚染につ いては、問題視しない。それは彼らが常に自分達が被害者であることを強 調したいからなのだ。光害より遥かに大気汚染の方が深刻であるのも常識 である。

夜空が明るくなることによって決定的な被害を受けている人間がいるわけ ではない。一部の特殊な趣味を持つ人達が(実は彼らも加害者のシステム に組み込まれていながら)自分達は決定的な被害者だと理不尽に叫んでい るだけのことである。

SL機関車が消えていったように、我々の利便性の追求の中で暗い夜空も 消えていく宿命を持っている。そういうシステムに好むと好まざるに関わ らず我々は組み込まれている。それを嘆くのはいいし、そのシステムを疑 問視することは必要だろう。しかし、自分達の趣味を高尚な特権視した立 場から、安直に先験的にあるものを悪者に仕立てるような、安っぽいメロ ドラマを作り始める。そして、そのメロドラマをメディアが増幅していく。

安手のメロドラマは、毛羽毛羽しい派手な風俗営業の夜間広告塔に白羽を 立てる。悪者にしやすいものを標的に、安っぽいメロドラマは社会正義を 演じて見せる。商売を営業をする者に言わせれば、経費を掛けずにすむの ならそうするわけで、照明に経費を掛けるのは、それなりの必要性と必然 性を持っているからだろう。そして、それらが多分に過剰な照明で、エネ ルギーの浪費であるけれど、かつてポップアートの旗手だったアンディ・ ウォーホルが深夜のエンパイアステートビルの照明の大いなる浪費を美し いと呼んだように、我々人間は自然の星座に感動するように、ばかばかし いほどの浪費にも感動する動物なんだ。

知的と呼ばれる新聞社の支局は、大いなる安っぽいメロドラマを大々的に 演出する。母親に駄々を捏ねる幼児のような欲求を途方もない環境問題と 勘違いし、広くもない紙面を埋め尽くす醜態にただ飽きれるだけだ。