「アスラン!」

 変声期前の柔らかな声が呼ぶのに気がついて、少年は振り返った。

「ニコル」

 少女のようなニコルの優しい笑顔に、アスランも笑顔になった。

「この間はありがとうございました」

「いや、いいコンサートだったよ」

 短い休暇中に行われた、彼のピアノコンサート。

「……寝てませんでした?」

 追いついたニコルはいたずらっぽい笑みを浮かべ、アスランの顔をのぞき込んだ。

「ね、寝てないよ! ちゃんと聴いてたさ!」

 慌てて否定するも、一瞬ぎくりとなったことは隠せない。彼の言う通りなのだ。
 二百席にも満たないこぢんまりとしたホール。
 クッションの効いた椅子と、ニコルの奏でる彼と同じ柔らかな透き通ったピアノの旋律。それは多忙で疲れ、ただでさえも音楽に疎いアスランの眠りを誘うには十分すぎた。開始後30分で堕ちた彼が目覚めたのは、演奏が終わりニコルが拍手喝采を受けているときだった。

「本当は、もっとちゃんとしたのをやりたいんですけど」

「この『オペレーション・スピットブレイク』が終われば情勢も変わり、それも叶うさ」

「……ですね」

 アスランの言葉に頷いたニコルは、彼の先回りをしてロッカールームを開いた。

「そういえば、僕、地球って初めてなんですよ!」

「俺だってそうさ」

 『あ、そうでした』と、声を立ててニコルは笑った。どうやら、自分たちはコーディネイター第2世代で、生まれたときから宇宙で暮らしていたことを失念らしい。彼らしいなと微笑んだあと、アスランは自分たちの目的地へ先に行っている友のことを思う。そして、彼らが何をしたのかを思い出す。
 大気圏ギリギリで逃したAAが地球軍本部のあるアラスカではなく、ザフトの支配するアフリカの地に降りたこと。そして名将・アンドリュー=バルトフェルド率いる部隊と交戦。その命を奪ったということを。そしてそこにはストライクとは別のMSがAAとともにいたことについても報告を受けている。

「……まさか……な……」

 パイロットスーツに着替え、イージスを大気圏突入カプセルに移乗する間もずっと考えていた。しかしそれを認めてしまうのは、アスランは嫌だった。




 パナディーヤを抜け紅海へ出たAAは、着水したままで進んでいた。
 両翼が水を切る音に混ざって、ミリアリアをはじめとする工業カレッジの先輩たちの歓声が響いている。
 それをぼんやりと聞きながら、私は彼らの目につかない位置に座り、海面を見つめていた。

「やっぱり、戦わなくちゃいけないのかな……」

 宇宙で何度も銃を向け。地表でもやっぱり銃を向け。
 憎み合って殺しあっているのならば、まだわかりやすい。
 でも先日のバルトフェルドさんの戦った理由は、憎しみじゃなく……他の感情が占めていたのだと思う。
 この戦いが何の意味を持つものなのか、私にはわからない。
 それに考えるべき問題がもう1つ……。

 問題の彼は同じヘリオポリスに住んでで、同じ工業カレッジに通ってて、自分とは1つ上の先輩。
 出会ったのはAAが初めて。おまけに言うと、プラントを出てからコーディネイターにあったのも初めて。
 救助ポッドで、いきなり抱きついてきた彼を要注意人物と確定した私は、嫌い宣言をした。

「はずだったんだけど……」

 意識しないようにして、近付いてきたら牽制して、時には実力行使して。
 それなのに、いくら追い払っても近付いてくる。

「……捨てられかけた小犬が、必死で主人を追いかけている様に似てる……」

 だからといって、私は拾い上げてやる気はしない。
 でもここ最近、ふと気がつくとキラ先輩の姿を目で追っていることが多い。声が聞こえたら、どうしてもそちらに注意を向けてしまう。見られていることに気がつくと、鼓動は早くなるし頬が紅潮するときもある。
 ミリィにそのことを相談したら、一番認めたくなかった答えをばっさり言い切ってくれた。

 いつの間にかミリィたちの声は消えていた。おそらく、休憩時間が終わりブリッジへ戻ったのだろう。私は、の専任パイロットだから整備を終えた今は比較的自由。それでも部屋に戻ろうかと思って立ち上がりかけて、それは起こった。



 ストライクの整備を終えた僕は、誰もいない甲板へ上がった。
 海の上を進んでいるせいか、それは少しべたつくようで。それでも初めてゆっくりと、地球の風を感じることができる。今まではそんな余裕は全くなかったといっていい。
 頬に掛かった海水を手の甲で拭った。けれど、それは完全には拭き取れない。後から後から頬を流れる滴は増える。とうとう僕は、我慢できなくなってひざを抱え込んでしまった。

「……ん……くっ……う……ひッく……」

 漏れそうになる声を必死で堪えて、両袖をきつく握りしめる。頭の中を流れるのは、僕が奪ってしまった人の笑顔。

「お前、泣いているのか?」

 泣き顔を見られたことが恥ずかしくて、立ち上がって去りかけた僕の腕を、彼女、カガリはぎゅっと抱きしめてくれた。

「大丈夫、だいじょうぶだから……」

 優しい言葉はポンポンと背中を叩いてくる振動と同様に、僕に染み渡っていく。何だかそれがすごく安心できて、目を閉じた僕は彼女の肩に頭を預けた。

「……落ち着いたか?」

 そう問いかけられて目を開くと、目の前にカガリの顔。思わず僕は頬を赤らめてしまった。それにつられたようにカガリも赤くなる。

「誤解するなよ、泣いている子をほっとけなかっただけだから!」

「うん、わかってる。ありがとうカガリ」

 それから少しだけど、いろいろと話をした。僕がコーディネイターなのにAAにいること、それが彼女の一番の謎だったらしい。

「お前がここにいる必要はないんじゃないのか? の奴と違って、お前はここに肉親がいる訳じゃない。
 だったらコーディネイターのお前がAAに、地球軍にこだわる必要はないだろ?」

「そうだね……。でも僕が戦わなきゃ守れないじゃない。この艦には、ヘリオポリスからの友達がいる。
 AAに乗ってから知り合った人たちもいる。だから、殺させたくないんだ」

 不思議だ。この子とは出会って間もないはずなのに、僕はすっかり心を許してしまっている。父さんや母さんにしか見せなかった弱いところも自然に見せられる。
 僕はとはまた違った意味で彼女に興味を持ち、ひかれていくのがわかった。



黒マント製作機から
  さてこれから海を越えて……。また長くなるでしょうね。
  サブタイトルの『全ての始まりへ』は結構安易だったり。
  海から命が生まれて人間が生まれなければ、ナチュラルとコーディネイターの争いも起こらなかったですからね。
  その点を踏まえて、全ての始まりとなります。
  さて、キラはカガリのことを気にかけています。当たり前ですが、恋愛感情は皆無ですからね〜。
  次は海と言えばお約束なシーンから。


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