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下の3200型と同仕様の車両ですが、車号が3300番台に乗ったため型式が分けられました。また、台車が3200型では空気バネを使用していたのに対し、3300型では金属バネ車も製造されています。扉はすべて両開きです。
通称、「赤電」といわれる3000型グループの一形式です。 この3200型は京成としては初の両開き扉を採用しています(一部車両は特急運用に使用するため片開き扉、トイレ付きで製造されています。トイレは現在撤去されています)。京成では、 都営地下鉄浅草線に直通する車両を限定していないので、この3200型を含めすべての車両が浅草線に直通しています。
京成では最古参の車両です。京成では基本的に車種を限定した運用をしていないらしく、この車両も特急で使用されることもあります(エアポート快特にはさすがに使っていませんが)。
日本初の空港連絡特急用車両として昭和47年に製造されました。が、空港開港が昭和53年と大幅に遅れることとなったため昭和48年に上野〜成田間の特急として運転を開始しています。成田空港開港の開港した昭和53年には、成田空港開港反対の過激派によって放火されてAE29号車が全焼するという事件もおこっています。登場当初はブラウンとクリーム色の塗り分けでしたが昭和58年に写真の塗色に変更されています。現在はAE100型の登場で引退し、3400型に生まれ変わっています。
3700系投入前、車両冷房化を推進する際の車両数が不足した時期に京浜急行から1000系をリースして使用していました。車体色は変更されず、方向幕を京成のもの(青地に白文字)に変更したのと種別表示窓を前面貫通扉に設けた所だけが変更点です。既に廃車されており、在籍した期間はわずかでした。