住宅施策を考える/日本建築学会東海支部都市計画委員会 住宅部会

第19回部会 「桑名市の中心市街地について」   [2002. 7.19]

参加者:11名

1 桑名市の中心市街地について
(1) 概 要
  • 名古屋から、鉄道で約20分の好立地に位置している。
  • 人口 約11万人
  • 主な産業は、日立金属、NTN、鋳物産業、時雨の貝新、サンジルシ醸造など。
  • 主な商業施設には、マイカル桑名(売り場面積:6万平米、年間売り上げ:280億円程度)、アピタ(売り場面積:1万8千平米、年間売り上げ:180億円程度)がある。
(2) 桑名市の歴史的な形成過程
  • 昔は町屋川が城下町のところを流れていたが、慶長の町割りによって川の流れを大きく変えて、今に残る城下町が形成された。
  • 明治時代に入り、城下町に鉄道路線が検討され測量が開始されるが、SLの煙の影響から住民の反対にあったことから、城から西の1kmのところに鉄道が引かれ、明治27年に駅が完成。これを契機に駅周辺が開けてゆくが、城下町周辺は閉鎖的でなかなか開けていかない。駅と城下町を結ぶ道路として、八間通りが整備された。
  • 駅から揖斐川にかけて、三菱重工などの軍需産業が集中していたことから戦災に見舞われる。単位面積当たりの爆弾の投下は日本で一番多いという。戦災復興土地区画整理事業のエリアは駅の山辺のあたりまで構想エリアとなっていたが、最終的には約半分となり、昭和41年に事業は完結した。
  • 昭和40年頃から「住宅都市として生きていこう」という方向が打ち出された。当時、住宅公団が地区選定の作業をしており、駅に近い地区が候補となり、市長代行による住宅開発が行われ、その後、市有林や国有林を活用した住宅団地開発が次々に進められた。
  • 駅周辺については、戦復のエリアからはずれ、その整備が課題となる中で、昭和40年から駅東の再開発にむけて地元に入り、昭和44年に都市計画決定、昭和47年にパルビルが完成。昭和52年の北勢線の整備完了によって、再開発事業は完結した。
  • 駅西については、区画整理の実施をねらったが、行政主導のやり方に住民が反発し中断。それから当分の間、駅西は、道路補修も行われないまま放置された。
  • 一方、住宅団地開発における保留地処分によって多額の基金の蓄積ができ、市役所を建て替えることもできた。市の人口は郊外開発以前は8万人であったが、現在は11万人。増加した人口のほとんどがニュータウン地区である。鉄道より以東の区域は昭和40年から平成2年で5万人から4万人と2割減少したが、平成2年以降は下げ止まっている。
  • 旧城下町と駅の間は昔は低湿地帯であったが、明治時代に埋め立てられ、鋳物産業の工場を受け入れた。その後、高度成長期になると手狭となり、工場は郊外へ転出。広い土地が残ったが、それがマンション等へ転換している。時代の変化にあわせて、土地がうまく活用されているといえる。
(3) 中心市街地の状況
  • 桑名の中心市街地は、駅周辺と旧市街地、その間の市街地の大きく3つに分けられる。駅周辺は都市の利便性を高めるゾーン、旧城下町は歴史文化自然環境に恵まれ、心身の健康と豊かさを育むゾーン、その間の地区は、公共公益施設が集積し、市民生活を支えるゾーンである。
  • 平成2年3月に都市景観形成基本計画を策定。うるおい・緑・景観モデル都市に選ばれる。緑の回遊ルート計画を策定し、八間通のシンボルロードを整備した。
  • 旧市街地の寺町商店街では、平成5年度に自主調査が実施され、それをもとに外堀の整備について市への提案が行われた。これを受けて、平成8年度に三重大学の浅野研究室の協力を得て、ワークショップによる歴道事業の計画づくりを行い、平成10年に事業採択を受けた。
  • 桑名城外堀線については、堀の復活に取り組んでおり、平成10年に都市計画変更を行い、平成16年度の完成にむけて整備をすすめている。ちなみに通常、都市計画道路の名称は起終点の地名が使われるが、ここでは外堀の名称を使うことにこだわり、それが認められた。
  • 駅西地区の整備は30年来の悲願であり、平成4年から仕切直しということで地元に入った。ようやく地元が了解し、平成12年に都市計画変更、平成13年9月に事業認可を受け、先行買収に入っている。地区面積26.2ha。総事業費260億円。うち、移転補償費が170億円。年間に投資できる予算は10億円程度であり、息の長い事業になると考えている。公共減歩率は25%であるが、減価補償金によって減歩率は10%に押さえている。これも事業費がはねあがった原因。
  • なお、揖斐川右岸高潮防潮堤事業に年間二百数十億円が投資されきたが、平成16・17年度にはめどがつく予定。
  • 桑名の中心市街地については現状を維持しながら、コンパクトな都市としていきたい。
(4) まちづくりのとりくみ
  • ハードの整備については一定の成果が得られており、今後はそのまちを市民がどのように使っていくかが重要であり、そのサポートをしていく必要があると考えている。
  • そこで慶長の町割から400年にあたる2001年をまちづくり元年として位置づけ、平成のまちづくり「桑名ルネッサンス」〜東海道宿駅制定・桑名開府400年記念事業〜として産業発展やまちづくりの共有を図るためにイベントを展開した。1年前から企業と市民などから構成される事業組織を立ち上げ、商店街の探検や100回近いイベントを実施した。
  • さらに、万博開催や中部国際空港が開港する2005年をめざして、自分たちができることを模索している。2005年に海津町で開催される世界ボート選手権においては、そのホストのまちとしての役割を担っていきたい。
  • また、まちづくりの目標を実現してゆくための小さな仕掛けにもとりくんでいる。まちづくりブックを作成中であり、その試読会の開催を予定している。昨年度は、歩いて暮らせる街づくりのモデル都市に選ばれ、市民とともにマップづくりに取り組んだ。今年度は、歩いて暮らせるまちの実現にむけ、まちなかを歩くイベントなどをしかけているところである。


3.質疑応答・意見交換
Q:桑名は駅前のイメージがよくない。城下町の方でこんな取り組みがされているとは知らなかった。
A:駅前のゾーンは30年間建物更新されていない。特に、パルがつぶれたことが駅前の印象を悪くしているが、パルがつぶれたのは商業環境からではなく、管理会社が新規の不動産経営に失敗し、つぶれたためである。

Q:優良再開発による整備がすすめられているようであるが、どの程度進んでいるのか。
A:制度的には市内のどこでも実施できるが、今のところ駅前の地区更新エリア内に限っており、整備事例は1箇所だけである。

Q:諸戸家はどのようにして財を築いたのか。
A:明治時代にあるきっかけで中央政財界と縁ができ、米相場や山林への投資などで財を築いた。現在、西諸戸家は六華苑(旧東諸戸家)の南側にあるが、線路の西側の丘陵地の邸宅が諸戸水道貯水池遺構の近くにある。六華苑は二代目清六が西諸戸家の北隣の土地に建てた建物を市が譲り受け公開したもので、コンドル設計による洋館が残っている。

Q:中心部の人口が減少せずにきているのは何故か。
A:若者の定着率が高い。ある年代では中学校の同級生(男)の8割が市内に居住している。石取祭があることが大きい。自治のしくみ、役割分担が身にしみついている。一旦、外に出てもまちに戻ってくる傾向が高い。桑名は石取祭にはじまり、石取祭に終わるといわれるほどである。
 寺町商店街は元気な商店街として有名であり、三八市は多いに賑わう。2代目、3代目の若者が家を継いでいる。
 城下町の部分の人口構造は昔から大きく変わっていないのではないかと思う。

Q:桑名市のコミュニティは旧城下町、農村、ニュータウン、その他という4つぐらいのコミュニティにわけられるという印象をもったが、ニュータウンにはどんな人が住んでいるのか。特徴は?
A:ニュータウンの計画人口6万人に対し、現在2.5万人が居住している。名古屋からの住み替え及び2世の居住が多い。開発当初は木曽川を越えることに抵抗があり、市内からの住み替えがほとんどだったが、公団職員や銀行員などが居住し、大きくて安いことが口コミで伝わり、名古屋からの住み替えが増えた。公団開発を中心に民間開発も行われているが、住宅のレベルは高く見るに値する地区だ。様々なタイプの住宅があり、少し異様な印象も受ける。

Q:駅周辺でのマンションの供給状況はどうか。
A:好調である。駅から5分のところで80u強、2700万円程度。マンションに住む人は名古屋からの住み替えが多く、地元の住民は少ない。

Q:現在の駅西区画整理の計画をみるとありふれた計画である。地域固有のよさをつぶしてまでやる必要はあるのか。
A:現在のまちの状況は車が細街路に進入しており、足の悪いお年寄りが外にでられない。道路のヒエラルキーができていない。住宅地の中に自動車が入ってこないように骨格の道路をつくり、その中は現在の状況をベースに修復型で整備していく必要がある。都市計画決定の必要から現在の計画をとりまとめたが、住民の意向をとりいれながら計画を見直していきたい。手法としては、区画整理ではなく、街路事業+密集事業という選択肢もあったかもしれないが、密集事業については要件を満足しないのではないかと思う。

○その他意見・感想
  • 駅と城下町の間のところが問題ではないか。八間通りはきれいになったが、美濃街道はしもたやがあり、元気がない。じわっとした日常生活、当たり前の生活ができるようにしていくしくみが必要だ。
  • 桑名のイメージが変わった。
  • 久しぶりに元気なまちの話しを聞いた。