五行推命学研究所
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時を読む“機祥法”   (附・市橋容疑者逃亡事件他)

                                   旧「随想閑話」(2009年11月20日)

●人を知り、時を読む法

 “人を知り、時を読む”これが五行学である。人を知るの法は、命理法であって、所謂「命占・命学」で、四柱推命と紫微斗数の陰陽両占法が車の両輪となっている。時を知る法は、同時に事象を知る法であって、機祥法と言う。これは所謂「卜占」であり、初代高木乗が説いた「機祥学」の研究をベースとしている。

 初代高木乗は、命理学(四柱推命)の大家であったが、同時に、当てもの占いの天才でもあったから、その逸話には事欠かない。一期一会で際会した人の着座位置から、初対面の人の干支(えと)や 現在の状態を、人象三局法・飛び流年などで言い当て、相手を驚かせたなどという話もある。  

 初代高木乗が駆使した機祥学(卜占の法)には、「六壬法」「超辰法(飛び流年)」「五源六府法 (鎖関法)」「鈎索法(人象三局)」「推命流日法」「命理擬人法」「天文年卦法」「梅花心易」「五行易」「五タイ易(クギリ五行法)」などがあった。これらを駆使して、時と事象を読み解いたのである。

 私が使用している「五行学機祥法」は、六壬神課を基本として、初代高木乗の方法論をも取り入れた占法なのだが、基本は当然として陰陽五行論と干支学による鑑定法である。

 10世紀の宋代にプロトタイプが成立した四柱推命に比べ、六壬神課は更に遡ること4世紀前、隋代(6世紀頃)には成立していた。浩瀚な阿部泰山全集(22巻)でも、その内約1/3に相当する7巻は六壬神課本であったし、高木乗にも『解説 六壬尋源講座(全十講)』『流年秘訣 六壬占法講座(全7講)』『六壬新式講話』などの著作がある。日の干支を中心として、命式・課式を作成して占う推命と六壬は、同一の原理上にある占術だということができる。

 相談事が入った場合、先ずは、当日の干支を見ることから始まる。これは六壬法の基本となる。六壬の演式は、当日の干支を敷衍するために、占時に月将を加えて天地盤をつくり、そこに天乙貴人を中心とする天官(十二天将)を配して四課・三伝を組み立て 、事の様態と推移を判断する。阿部泰山は“天文易”とも称していた。先行する占術である六壬の方法論が、命占である四柱推命にも応用され、生まれ日の干支を判断の機軸とするようになったと見ることもできるだろう。


●三局法の神秘

 数学に三角関数があるように、五行学の最も重要な理法に「三局法」がある。五行ではないが、西洋占星術のアスペクトにおけるグランドトラインなども同様の120度原理(360°÷3/円の三 分割)による。

 申-子-辰:水局(玄武)
 亥-卯-未:木局(青龍)
 寅-午-戌:火局(朱雀)
 巳-酉-丑:金局(白虎)

 初代高木乗は「三局の神秘」として、国家の動向から個人の人生に至るまで、三局が理法として作用していることを説いていた。三局法は、五行の化気・五行のバランス・運の盛衰・相性論・事の起承転結等、様々な場面で使われている、下手な神殺よりも、干支学の最重要理法であるとも言えるであろう。

 五行の中でも、金と火は過激である。金の神は“白虎”となり、吉化すればエンジニアリング、凶化すればリーサル・ウェポンともなる。ここで3つほど、その事例を見てみよう。

<戦争>
1937年:日中戦争勃発 (丑年)…7月7日盧溝橋事件(乙未日)
  ↓
1941年:太平洋戦争勃発(巳年)…12月8日真珠湾攻撃
  ↓
1945年:太平洋戦争終結(酉年)…8月15日敗戦・玉音放送

 ※盧溝橋事件(乙未日)を起点として命理擬人法で見ると、太平戦争勃発年は偏官沐浴、終戦 (1945年)は「比肩絶」で財戦の年となる。

<9・11同時多発テロ> 2001年9月11日
 年:辛巳
 月:丁酉  ※金局日⇒白虎旺じて金気の墓に入る。
 日:丁丑       (テロ攻撃と死者)

<金閣寺放火事件> 1950年7日2日
 年:庚寅
 月:壬午  ※火局日/犯人は寺の修行僧であった。
 日:戊戌

 ※三局の理法には、自然的現象より、人為的働きが作用することが多い。

●市橋容疑者の逃走と逮捕
 ~「リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件」~

 殺人ではなく、“市橋容疑者の逃走”自体を一つの事象として取り上げてみよう。

 逃走日:2007年3月26日午後9時40分頃。警察を振り切り逃亡。
   「己未日」(木局日)⇒青龍殺化して逃亡。

 逮捕日:2009年11月10日午後6時44分頃、大阪のフェリー乗り場から通報があり、午後8時17分逮捕される。
   「己未日」  ⇒ 比肩冠帯(比肩)

 奇しくも、「己未」の日に逃亡し、「己未」の日に逮捕されたことになる。逃走日(己)から見ると、今年 は「己丑比肩墓(比肩)」、丑未で比肩下の墓庫を冲開して、悪事露見の上に入墓=入牢、逃亡に終止符を打つ年となり、逃亡終焉の日となった。

 ちなみに、リンゼイさん殺害日は逃亡前日の25日と推定される。この日は戊午日であり、日干「戊戌」のリンゼイさんにとっては、 「比肩帝旺(羊刃)」の日。命中の年月に子子と重なるリンゼイさんにとって、羊刃(午)と飛刃(子)が交錯冲尅する殺刃の日であった。


 今回の市川海老蔵の電撃的交際発表も、妻財に化した金三局が赤い糸を演出し、そこに食神の桃花星が通関となって、縁を紡いだものと見ることが出来る。