五行推命学研究所
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滝沢馬琴と四柱推命(第2回)
                              旧コラム(2003/02/02)
 
 先頃刊行された『安倍晴明の文化学』(新紀元社)を目にする機会があり、その中で鈴木一馨氏が執筆を担当された項目に、大変興味深いことが書いてありました。それは滝沢馬琴が四柱推命について言及しているというものです。滝沢(曲亭)馬琴と言えば、江戸時代の戯曲作家で『南総里見八犬伝』の作者として有名ですが、日本で最初に四柱推命を翻訳した桜田虎門とほぼ同時代の人です。面白いことに、馬琴が文化7年(1810)に刊行した随筆『燕石雑志』の中で、四柱推命について触れているというのです。早速、資料を調べて見ました。この『燕石雑志』は随筆の形を取りながら、俚言・童謡・方言・地理・物産・歴史・人物等々に関して、和漢の古書238部を引用しながら、彼の博識の薀蓄を傾けて5巻6冊に著した書で、馬琴の博覧さに驚かされるものです。(巻末に238部の燕石雑志引用書籍目録が掲載されていますが、それを見ただけでも、馬琴の読書量の半端でないことが分ります。)
 その中に「巻之一、(四)丙午」の項があります。この項は「女子丙午の年に生るゝものは、必ずその良人(おっと)を食ふ」とか、「丙午の年必ず火災あり」との迷信を論破している内容ですが、その根拠の一つとして、中国の四柱推命について触れている部分があります。原文を読むと次のような下りがありました。「
宋より以降人の命運を談ずるものは、かならず八字を唱ふ。只その年をのみ忌、その日をのみ忌というよしを聞かず。 ……… しかりとも禄命家の説に、生れたる年をのみ取るということは絶えてなし。かゝれば丙午の年をもや。」とあります。この「八字」とは勿論、年月日時の干支による「四柱八字」のことであり、当時はまだ「四柱推命」とう造語は無かった時代ですから、命学家のことを「禄命家」と呼んでいます。
 時期的に見て、『燕石雑志』が刊行された文化7年は、桜田虎門が『推命書』を文政元年に刊行する8年も前です。ということは、桜田虎門が『推命書』を翻訳刊行する以前に既に、当時の知識人・文化人の間では、中国(当時は清)との交流を通して、中国大陸に生年月日時の干支によって人の命運を占う「八字」が流行していて、それを占う「禄命家」がいる事が知られていたと考えられます。

 ※原文所収:『日本随筆大成 <第二期>19』(吉川弘文館刊、編者:日本随筆大成編輯部)P.282〜P.283