五行推命学研究所
五行図による安田式四柱推命学(五行推命)に関する情報サイト


名古屋4歳児虐待死事件
〜人の心に鬼が住む時、魔がさす時〜

                                            旧コラム(2003/10/31)
 
 今月(2003年10月)、名古屋で起ったこの事件は、人の親をして暗澹たる思いにさせる事件でした。下の命式は高校生による息子の殺害を隠蔽しようとして逮捕された母親の森島彩容疑者の命式です。

◇事件の概要:
2003年10月19日:名古屋市昭和区の名古屋第二赤十字病院に運ばれた森島勇樹ちゃん(4つ)が変死する事件があり、死因に不審点があるとして捜査していた警察は、男児に暴行を加え死なせたとして傷害致死の疑いで、母親と交際していた県立高校3年の男子生徒(18)と、その男子生徒をかばった犯人隠避の疑いで母親の飲食店店員・森島彩容疑者をそれぞれ逮捕した。
 森島容疑者は2000年に離婚してから勇樹ちゃんと二人暮らし。2000年09月から名古屋市昭和区内の飲食店で勤め始めた。少年と知り合ったのは今年年春。森島容疑者が勤める飲食店に少年がアルバイトで来たのがきっかけで、7月頃から少年が度々、森島容疑者宅に出入りし、泊まることもあったという。その7月頃から、高校生は勇樹ちゃんに虐待を加えていた。

◇命式について
 この命式は年上の傷官が月上の偏財を生じる並びとなり「傷官生財格」となります。生時は不明ですが、三柱ながら、下の命式と五行図を見れば、一目瞭然であるように、木に●●●で傷官が太過していること、そしてその傷官が年上の天干星にあって死神が付いていることがポイントであることが分かります。傷官は年上を嫌います。傷官下の十二運が休囚し、隣に傷官を漏気する財星が出ていますので、我が身に刃物が入ることを、ある程度抑えることはできますが、裏の五行が太過した上に、表(天干星)の傷官に死神が付くことによって、この傷官は、自己の内面性(心)において悪く働くことがあり、六親論的には夫と子供に凶作用を及ぼす可能性があります。
 このような傷官は、精神のはけ口、満たされない情の持ってゆき場を間違えると、凶事を自ら招く形となってしまうのです。もし、生時に財星を尅して傷官を強める比肩・敗財の類があれば、尚更傷官が凶象を顕わし、傷官背禄的作用となります。このような命式は比肩・敗財と、休囚した印星を忌むものです。印星が休囚してしまうと、印星が傷官を尅して(初代高木乗が好んで使っていた)”尅用の妙”を発揮するのではなく、即ち金は銑鉄となって、木を活かすのではなく、却って只単に木を傷つけてしまうのみで終わってしまうからです。また、休囚した印星は”成果が消えてなくなる”という、比肩的な象意を表すことがあります。
 「傷官生財」の特徴は利に敏いという点にあり、情と実利の間で、現実の利に走りやすい傾向があります。これが命式の配合の宜しきを得れば、無駄を嫌い、無から有を生み出す創造性とも商才ともなるのですが、命式の宜しきを得ないと、良心よりも現実を重んじて、大切なものを見失う傷官背禄的作用となってしまいやすいのです。
 また、若しこれが月上正財であれば、ある程度自分で自分の情を整理することも出来たかも知れませんが、偏財が良い働きをしない場合、自分の情を上手く整理することが出来ず、とりとめもなくなってしまい、果ては情が流されて、落とし穴に陥ることがあるのです。
 ただ、この方は仕事をしている時には、テキパキと働いている姿が見られたことでしょう。本人も、家庭の中に入るよりも、何か仕事をしていた方が、心も明るくなり、生き生きとしていたと思います。周りの人も、そのように見ていたのではないでしょうか。

◇行運について
 前述のように、休囚した印星は比肩的作用をもたらすと同時に、情に寂しさを覚えさせる作用があります。この女性は3年前、大運が辛卯印綬死(傷官)に入った年に、前夫と離婚しています。そして、昨年(2003年)は、流年が壬午比肩胎(偏財)となり、新しい生き方を始めた年であった訳です。
 しかし、今年(2003年)に入り、流年が癸未敗財養(正官)となり、内外の状況に変化が生じました。「敗財」は、安田流ではよく「弱気の失敗」と表現しますが、これは「情が横に流れやすい」という意味でもあり、情がネガティブとなり、寂しいという状態になりやすいということです。心に秋風が吹くということでしょうか。そしてその「寂しい情」に魔が入りやすいのです。笑うセールスマンではありませんが(古い!)、「心の隙間」を埋めようとして、道を誤る可能性があるということなのです。
 まして、大運が休囚している印綬で、本体の卯と流年支の未、大運の卯と流年支の未がそれぞれ局合して、木の△が2つ出て、傷官が強まることとなっています。流年支の未は正官ともなりますので、この年、寂しさから、男女問題に入る可能性があるわけです。この未が仕事に専念するという形のみで現れればよいのですが、裏に出た未が男性関係という形になると、しかも敗財の時の出会いというのは、余り良い出会いがないので、注意が必要になります。
 また、「用体」が「食神」となっていたのも、今年が子供に関することに注意を要するという暗示であったのでしょう。
 こういう年こそ、良心に基づいた判断と行動が必要です。寂しさを埋めようとし、刺激を求めて、恋の道に入ると、それこそ「恋は盲目」となって、心の目(良心の目)を失って、人の道を踏み外してしまう落とし穴が待っています。聖書にある「罪が門口に待ち伏せしています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません。」とう聖言の如く、寂しい情の中に進入しようとする誘惑の道(魔の進入)を防がなければなりません。女としての寂しい情を満たそうとするのか、母親としての愛情心に生きるかという、分かれ道となります。これを誤れば、気づくと、心に鬼が住み、悪魔が住んでいたということになってしまうのです。
 同じような状況の中でも、良心の声に聞き従い、苦しくても人の道を踏み外さずに、頑張って生きている人達も多いのです。そのような人には、苦しい行運が過ぎた時に、勝利の冠が得られることでしょう。惜しむらくは、このような事件が起こる前に、彼女に四柱推命を通してアドバイスをしてあげていれば、どんになか危険を回避できたのではないかということです。私たちが、四柱推命を研究鑑定する動機もここにあります。命理の解明を通して、少しでも避凶趨吉のアドバイスが出来ればとの願いがあるのです。
 今年の初めのコラムでも日干が壬癸の方は、10月・11月が比肩・敗財・劫財の月となりますので、注意が必要ですと、述べていたと思います。事件が起こった月日の運を見ますと下のようになっています。

 流月:壬戌比肩冠帯(偏官)
 流日:乙丑傷官 衰(正官)

これは、前日が食神帝旺の日で、高校生と彼女はカラオケをして楽しんだ翌日でした。日が傷官に変わり、地支では流年・流月・流日で未戌丑と「無恩刑(恩義無き刑)」が三つ揃う年月日となり、更にその土用の地支は、日干壬の彼女にとって官星となるが故に、男性によって刑傷刑罰が訪れ、魔が差し、鬼が来る結果となったのです。
 勇樹ちゃんを守ってあげるべき母を奪った命理の作用とは言え、短い生涯を母を慕いつつ、人としての幸せを充分に味わい得ず、生を終えなければならなかった、勇樹ちゃんのご冥福を心からお祈りします。

森島彩