五行推命学研究所
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四柱命学の変遷と五行推命(上)

                                          旧コラム(2004/02/11)

 四柱推命はあたかも完成された術学であるかのようです。しかし、果たしてそうなのでしょうか。四柱推命の大家と呼ばれ、宗家と自任する先生方には、”バ カの壁”はないのでしょうか。元来無限の宇宙の如き内的な広がりを持つのが人間です。その本質は時代の変遷にも関わらず不変であるとしても、時代と共にそ の生活様態さえも変化させて来たのが人間でした。その人間を扱う、学問や占術にもまた無限の広がりがあり、人間史と共に研究し続けられ、進化発展を遂げて 行くべきものではないでしょうか。
 四柱推命の基本原理は陰陽五行とその生尅にあり、そのことは時代を経ても変わらないでしょう。しかし推命の歴史がそうであったように、推命は今も進化発 展の途上にあります。昨年の「癸未」は”古いものの終焉”、本年「甲申」は”新しいものの萌芽”という意味になりますので、今回は年頭にも当たり、推命学 の変遷について、私なりに振り返って見ようと思います。(上下二回に分けて)


(1)李虚中の推命(唐代、〜徐子平以前〜)

 四柱推命は唐代の李虚中に始まるとされますが、実際には李虚中の独創ではなく、プロトタイプはそれ以前からあったのでしょう。ただ、史料的に見て、実質 的な四柱推命の基を作ったのは、虚中であると言えるでしょう。中国の代表的古典叢書である『四庫全書』(子部・術数類二)所収の『李虚中命書』(三巻)を 見ると、今日の推命とはかなり趣きを異にする推命を、目にすることが出来ます。これが本当に彼の著作であるかどうか、疑問のあるところではありますが、宋 代の徐子平以前の推命を知る手がかりやヒントにはなるでしょう。そこに記されている推命は下のような構造を持っていました。

    ┌─┐@年干→「禄」─┐
    │年│A年支→「命」 ├「三元」
    │命│B納音→「身」─┘
    └─┘
  ┌─┬─┬─┬─┐
  │時│日│月│胎│ ←この4つを「四柱」とする
  │柱│柱│柱│月│
  └─┴─┴─┴─┘

 『李虚中命書』(巻中)には「四柱者胎月日時…」とあり、今日の推命とは構成が違い、年の干支を中心としてこれを「年命」としながらも、これを外して、 月日時に胎月を加えた干支を四柱としています。(※下画像参照)胎月は現在の推命では一部の流派を除いて、余り使われていませんが、古法の推命ではよく使 われていたようです。「胎月」とは人が母体に孕んだ月の干支のことで、通常は月柱の十ヶ月前の干支を以って、「胎月」としています。
 因みに高木乗は胎月に代わるものとして、独自に編み出した「黄金律星」とう、胎月と類似の意味を持つ干支を算出し、年月日時の四柱に加えて、「五柱推 命」として、専売特許にしていました。
 また、年を中心として判断する方法論は、今日の推命や算命でも一部流派の中にその名残が見られます。年の干支からみた空亡や羊刃、神殺等を使用する看法 は、古法推命より引き継がれたものであると言えるでしょう。
 年干を「禄」、年支を「命」とする考えは、後に「四柱推命」のことを「禄命」と呼んだことの所以ともなっています。

 徐楽吾なども、子平学は命宮を取らず胎月を取り、時として胎月によって五行のバランスが変わり、格局さえも変わることがあるとも述べています。これは、 研究の余地があるかも知れません。誕生日で見る命占(四柱・紫微・算命・宿曜等)は、生年月日と生れた時間及び性別が同じであれば、同じ命式・命盤とな り、人間的な選択による諸条件を付加して判断する算命的手法は別にしても、同年・同月・同日・同時刻に生れた同性の人物は同じ判断となってしまいます。し かし、胎月という考え方を導入すると、生れた時点は同じでも孕んだ時期が違うために、そこに自ずと違いが出てくるとするものです。一般的にも胎教が出産後 の人生に影響するということが言われていますので、運命学的にも孕んだ時点の運気が、出生後の運気に影響を与えると見ることが出来るかもしれません。更 に、江戸時代に流行した「天源術」や「淘宮術」は、受胎した年月日の干支を割り出して占断するものでしたので、地上に生まれ出ずる以前に着目することは意 味があるかも知れません。(しかし、実際はいつ孕んだかの確定が難しく、研究も難しいのですが…)

 子平以前の古法推命では、主に神殺を以って吉凶を判断していました。そして、その運用に際しては、神殺だけでその吉凶を見るというのではなく、正五行と 共に納音五行による生尅を吟味し、五行をより立体的に運用した神殺看法で推命していたようです。五行の旺衰と言った場合、どちらかと言うと納音五行をより 主体にして、旺相・休囚を見ていました。例えば、地支の冲を七殺として、二つの干支が冲していても、納音五行が相生していれば、名声と才能が秀でるとし、 納音五行が比和すれば祖業を破る云々との解釈があり、他の神殺も同様に納音五行の生尅を見て、吉凶のありようを判断しています。


(2)徐子平以降の推命(宋代〜明代〜現代)

 徐子平は五代から宋代初めの人と言われ、その著作とされているものに、『珞碌子三命消息賦註』(二巻)があります。中には『淵海子平』を徐子平の著と勘 違いしている人もありますが、これは同じ徐でも”徐升”の著作とされています。徐升は徐子平と同じ宋代の人ですが、徐子平の推命を研究して、それをまとめ たものです。

 徐子平はそれまで、年の干支を主体として判断していたものを、日干を主として判断するようになりました。これは推命のコペルニクス的な大転換・大改革と 言えるでしょう。

 子平以後の推命は日干と月支の関係を中心として、納音五行によらす、正五行のバランスによって、命式中で有用の働きをする星=「用神」を算定して、虚中 が「神殺」によって吉凶を判じたのに変えて、「用神」によって、吉凶喜忌を判断するようになりました。近代の子平研究家であった徐楽吾は、子平推命の要旨 を次のように述べています。
 「子平法則以用神為主。次看格局。神殺為論命之補佐而巳。」(『子平悴言』巻四)
 即ち「子平の法則は用神を以って主となし、次に格局を看る。神殺は命を論ずるの補佐となすのみ。」と述べています。従って、五行のバランスを読んで、用 神と格局を決定することにより、命理の喜忌吉凶が判断できるとし、この用神と格局の取り方を子平学の根本とするとしています。
 また干支と共に、日干を中心とした干支の相対関係である「変通星」(通変星/天干星/六神)を駆使することにより、看命の幅が広がりました。『李虚中命 書』には「甲食丙、乙食丁(甲の食は丙、乙の食は丁)」「官鬼」など、変通星に相当すると思われる概念は多少なりともあるものの、明瞭な記述と運用法はあ りませんでしたが、変通星を用いることによって、より五行の生尅による命式の構造化が簡明になったのです。推命の歴史的な流れから見て、元々秘伝的であっ た変通星の方法論が、宋代より公開されたものかとも考えられます。また、五行の生尅関係を概念化した変通星のプロトタイプは、元々「五行易」や「六壬占」 などに、その基本概念を見ることができますので、それが四柱命学にも導入されたものとも考えられます。近年、変通星と用体論による推命よりも、干支を駆使 するのが、あたかも高度な推命であるかのように思われている向きもあるようですが、真相は反対ではないかと考えています。プログラミングで譬えれば、干支 のみによる推命は、マシン語に近いアセンブラ言語であり、変通星を交えた推命はオブジェクト指向言語C++であると言えるかも知れません。(これはちょっ と大げさな譬えでした)ちなみに、算命学では干支による占法を「陰占法」、変通星(十大主星)による占法を「陽占法」と分類し、「陰占」によって物事の本 質や原因、又は運気を判断し、「陽占」によって性格や使命を読むとしています。

 四柱推命が大成されるのは宋代・明代に出された著書に負うところが大きく、『淵海子平』『三命通会』『星平会海』『滴天髄』『子平真詮』『神峯通考』 『窮通寶鑑/造化元鑰』等の著書の内容をそれぞれ、後代の研究家が解釈して、それぞれの流派を形作って行きます。
 前述のように現行の推命学の基本的方法論は、命式の分析に当たって、命式の身旺・身弱の決定→格式(格局)→用神→喜神忌神…となります。ここで、格の 取り方や、用神の解釈の仕方、蔵干の取り扱い等々の違いが各流派にあり、初学者はどれを取ったら良いのかに迷うところとなってしまいました。
 古典を研究するに当たっては、よく検証を加えながら研究することが大切だと思われます。たとえ推命の聖典と言われている書籍でも、その一言一句を金科玉 条の如く、無謬とするのは如何なものかと思っています。古典には汲むべき多くの宝が秘沈されてもいますが、現実の鑑定とは合わないものも多くあることも事 実です。また実際のところ、古典の著者達がどれ程の鑑定力があったかどうか、分かりません。丁度、立派な経営学の本を書ける人が、本当に立派な会社経営が 出来るかどうか分からないのと同様です。


(3)高木乗(初代)における推命学の変革

 初代・高木乗における推命学の革新は、地支偏重の推命から、天干を重んじる推命へと転換したことです。少し長くなりますが高木乗の言葉を引してみましょ う。
 「従来行はれてゐる坊間の四柱推命術は、干を重んじないで支を重んじてゐる。所が高木乗の命理學は支を重んじないで干を重んじてゐる。之等は何れを先、 何れを後にすべきものではないが、干が主であり、支が従であることは命理の本質から考へて明らかである。否実は干支相俟って見るべきものであるが、干を支 と何れを取って先に用ふるかとなると、それは勿論干である。干で見る法は複雑であるが的中の正確さは支よりも餘計である。」(『続篇 實践命理学講座(第 一講、前書)』より)
 「これまでの推命学には、きわめて不自然な造機説がある。それは、その人の生れた月の中の多分にある天干をとって「蔵干」などと称し、それを重要な根幹 としていることである。この「蔵干」なるものは、早く私がオミットして用いないが、自体この月の蔵干なるものが、人間の運命的進行に、重要な勢力をなすと するところに誤った観念がある。元来人間の生れ来った運命的勢力にしろ、心霊的価値にしろ、それらのエネルギーにしろ、生れた月中の、いわゆる旺分(プロ スペリティー)などによって決定するものではない。むしろ母が受精され、凡そ二ヶ月半の後に、人間としての形体が始まる時から、いろいろな胞芽が出て、そ れから人間の諸機関や精神を作り、同時にまた人間としての、運の方向を決めて行くものである。即ち人間の自然的活力運動の根本は、それから凡そ七ヶ月半に して母の胎内でほぼ完成されるのである。人間の原質が、ただその生れ月に於ける蔵機の如何によって俄かにふくれあがり、または縮みかえるものではない。」 (『五柱組織 神蔵殺没法「命理学の黄金律」』より)

 従来の推命は月支の蔵干を重んじて、日干と月支の関係を中心としつつ命式の配合を勘案、用神と喜忌を決定してきました。この典拠となっているのは、沈孝 瞻の『子平眞詮』(論用神)にある以下のような文言です。「八字用神。専求月令。以日干配月令地支。」(八字の用神は、専ら月令に求む。日干を以って月令 の地支に配す。)。長らく推命はこの言辞に縛られてきました。高木乗の宣言は、「専求月令」の呪縛から開放し、天干による推命の歴史を出発させた瞬間でも あったのです。私は「求月令」自体を否定するものではありませんが、月支蔵干偏重は命理の実相を一面的にしてしまう恐れがあると考えています。

 嘗て日本の推命は阿部泰山先生の説が正統とされ、幅をきかせていましたが、近年中国系の流派や独自の説も出てきています。泰山流の月律分野蔵干によっ て、複数ある蔵干の内、一つを取って、他の蔵干を捨て去ってしまう方法には疑問が呈せられるようにもなり、中には中気を取らなかったり、蔵干そのものを疑 問視する向きさえもあり、用神に対する解釈や定義にも様々なバリエーションが現れています。推命も中々面白くなって来ました。   (つづく)


李虚中命書