五行推命学研究所
命理学・五行学・五行推命に関する情報サイト


時空を読み解く「陰陽五行学」

                                   旧「随想閑話」(2007/07/31)

君子周而不比

 先の日曜日、資料調べに近所の図書館へ行った。そこの2Fで書道展が開催されていたので、のぞいてみることに。書の持つ古典と結びついた独特の世界観、文字の躍動や濃淡が生み出す感受性の世界が好きな私としては、書展にぶらりと訪ね、古典・漢文の世界に触れることを楽しみにしている。そこでは、必ずと言っていいほど、久しぶりに出会う言葉があり、昔読んだ古典と再びの邂逅がある。今回は論語<為政篇>の「君子周而不比、小人比而不周」に再会した。訓ずれば、「君子は周して比せず、 小人は比して周せず」となる。意味は、徳ある人(君子)は、偏りなく人に接し、個人的な感情や利害損得で分け隔てをしないものだ。それに反して、徳を成さない人(小人)は、常に個人的な感情や好き嫌い、損得感情から人を嫌ったり、逆に人に媚びたりして、公の立場から人と交わることをしないものだ。自分に徳があるとは思っていないが、『論語』には、こうありたいと思わせる言葉が多い。

 先月、或る地方都市で占い師同士のトラブルを聞いた。占い派遣のトラブルだが、一方の占い師は「怨んでやる!」と叫んだという。いろいろ事情はあるにせよ、私が聞いたところに よると、その事情も双方とも少し心を広く持ち、徳を修めようとする心さえあれば、相手を罵ったり、邪魔をしたりという、小人的な言動はしないものだ。占いの技術だけでなく、人としての徳や品格を磨いて欲しいものである。

○○の品格

 以前もコラムで書いたが、私はどうも“占い”という如何にも胡散臭いものが嫌いであった。その理由は大きく二つある。一つは、君子たるもの“身(己)を修めて以って命を待つ”というのが、本当だろうと思っていたからである。運がいいとか悪いとか、方位が如何だとか言うのは、人生に逃げ道を見つけ出そうとする姑息な人間の考えることだろう。正々堂々と生きて行けばそれで良いと考えていたからである。

 もう一つは、占いを事とする人士には、“変な人が多いな”と感じていたからである。昔、江戸では占い師のことを“ロクマ”と呼んでいたという。これは“ごまのはえ”(護摩の灰/胡麻の蠅)の上を行くということかららしい。“ごまのはえ”も胡散臭い連中であるが、それでも彼らはあちこちと走り回って汗を流す。占い師は汗も流さず、口先三寸で儲けようとするというところから、“ごまのはえ”よりも悪いと、5の上で“6魔”と呼んだらしいのだ。今でも、占いをただ単なる金儲けの道具としか考えず、きちんと勉強もせず、的屋商売をしている人達も見受けられる。まあ、それでも、法外な鑑定料を要求したり、変なものを高額で売りつけたりしなければ問題はない。夜店のゲーム程度に考えれば、許されるだろう。

 近頃、“○○の品格”という本がよく出ているが、本の内容はともかく、誰しもが「品格」という、近頃、日本人としての失われた“質”というものが、必要だと直感しているからだろう。私は占術を学ぶ者にも、それなりの品格は必要だと思っている。先日、ある人から「最近売り出しているカリスマ占い師の○○先生が、ネットでいろいろバッシングされているようですね」と聞いた。 “出る杭打ちは打たれる”というところかとも思ったが、その掲示板の一部を見たが、読むに耐えない、汚い言葉が並んでいた。匿名性の故に人間の下卑た面が表に出るから、誹謗中傷は2ちゃんねるの常だが、多少なりとも占術の専門的な知見を持つ人が、このような言葉を書き込んでいるとしたら、非常に残念でならない。たとえ、匿名で人には分からないにしても、そんな下品な言葉を書いたという事実を、残念ながら自分自身には隠せないのだ。昔から「天知る、地知る、我知る」という。時として“占いは人を下品にする”ので注意が必要である。占術理論を学ぶ前に、自分に向き合うこと、人としての品格を先に学ぶことが必要かも知れない。

  ただ、批判を受ける側も、それによって器の如何が量られてしまうことがある。批判を受けた時に、すぐ感情的になって、批判した人と同じレベルで怒りを現せば、同類となってしまうものだ。匿名の掲示板による批判などは、無視するのが“大人の対応”というものだろうが…。論語が語る「君子周而不比」は、言うは易くも行なうは難い。論語には心に響く名言も多いが、それを実践するのは難しいと、つくづく思う。

芸能人の年齢詐称>  (
羽賀研二&引田天功

 「四柱は嘘をつかない」。いつも感じることだ。つい先入観で人を見てしまうことも多い。特に、なまじ知り合いであったり、身内であったりすると、良く見ようとする心理が働くかも知れないが、そんな知人でもやはり問題が起こると、やっぱり四柱通りの人だったなどということもある。最近もそんなことを感じたことがあった。

 芸能人なども同様である。その世界の人は、とかく詐称が多い。これは昔からのことで、今更ながら驚く程のことではないが、教室などで質問されると、答えなければならないし、分かり易い例として芸能人を取り上げることも多々あるので、生年月日の詐称には注意が必要である。この点、何の検証もせずに、安易に公表されている生年月日で占って、解説などを書いている占術家がいるので、一応の検証能力、命式を読む力が問われてしまう。

 今月も、データベースにある2人の芸能人の誕生日を修正した。2人とも教室の前に、命式を調べたところ、どうも命式から読み取られるその人の個性や、行運から予測される象意がおかしい。事実(事件・事故)と合わないのだ。

 まず、羽賀研二の恐喝未遂事件だが、公式サイトでも公表している誕生日で命式を出すと、今年の運気は多少荒れてはいるものの、逮捕日を見ると、逮捕されるような日ではなかった。それで、ネット検索をかけたところ、ウィキペディア(Wikipedia)に年齢詐称の可能性が書かれてあった。それで生年を修正したら、確かに逮捕日6月30日は流月が「丙午傷官長生(傷官)」、流日が「乙未比肩養(偏財)」。これを四柱本体と大運・流年との相対的関係から見ると、“金銭トラブルなどで名誉に傷が入り、果ては法的問題ともなって、悪事の露見することあり”という月日となっていたのだ。このことからも、公表されている1962年ではなく、前年の1961年生まれの命式であることが分かる。ウィキペディアの記載にもあるように、警察発表の年齢となる。

 【 羽賀研二A(1962年生) 】      【 羽賀研二B(1961年生) 】
羽賀研二


 もう一人は、世界的イルージョニスト・引田天功である。彼女は今月22日、福井県鯖江市で公演中、機材トラブルに見舞われ重傷を負った。この日を、公表されている生年月日で命式を出したならば、大怪我を負うような日ではない。確かに機器の故障くらいはあるだろうが、骨を折るほどの重傷には程遠い日である。

 【 引田天功A(1959年生) 】      【 引田天功B(1956年生) 】
引田天功

 勿論、四柱推命は生時の如何によって、喜忌が変わるのだが、それでも引田天功の場合、こんな日にそんなことが起こる筈がないという日となっていた。それで、これもネット上で検索をかけて見ると、羽賀研二の場合と同様、ウィキペディアに、公表されている1959年生まれは「アイドル時代のサバ読みである」と書かれてあった。誕生日は6月29日と見て、生年を変更し1956年で命式を出すと、生日は「丁卯」。大怪我をした7月22日は「丁卯月/丁巳日」であるから、「比肩冠帯/比肩帝旺」の日となり、大きなトラブルや事故が予見される。命式本体を看ると、1959年生まれでは日干「壬午」の「庚午偏印胎(偏財)/己亥正官建禄(敗財)」の年月で、これでは確かに才能と社会性はあるものの、地味な三柱なので、時柱に派手な星が出ないと、あのように世界的な奇術師として派手な活躍は出来ない。どちらかと言うと、実務者型の命式となってしまう。それに対して、本当の生年と目される1956年で命式を出すと、日干「丁卯」で年月に「甲午印綬建禄(劫財)/丙申劫財沐浴(正財)」が出る。大風呂敷を広げたような派手な才能で人を煙に巻ける命式に変身する。また、1959年生まれならば、とっくに結婚しているであろう。1956年生まれでは、才能と派手さはあっても、結婚運や家庭運は弱くなる。もし不明の生時に財官がなく、傷官などが出れば、余計に“喧騒の中に孤独な静寂が支配する”ような命式となる。

 このように、四柱推命はあくまでも本当に生まれた日で占わなければならない。本当の生年月日と戸籍が違う場合、戸籍で占えばよいという占術家もあるようだが、戸籍の方が当たっているというデータは私の手元には一つもない。中には戸籍の影響を受けるとの説もあるが、これはデータ的に検証していないので、何とも言えないが、たとえ影響があっても、鑑定を決定的に左右するほどの大きな誤差は出ないと考えられる。「四柱は嘘をつかない」とは本当の生年月日こそが、天がその人に与えた「命(天命)」の存するところなのである。

歴史年表の更新

 久々に「東洋占術歴史年表」を更新した。細々と、チェックしてみると錯誤も数箇所あった。また、メールで年表について指摘してくれる人もあり、修正を加えた。今回は修正のついでに、名称も変更している。 新しい名称は「
五行学歴史年表」である。これは年表のページにも書いたが、今後、年表の内容を所謂“占い”に限定せず、東洋占術をも含めた<陰陽五行学>的視点から、中国・日本の歴史を展望する年表にしようという試みからである。当然のこととして当サイトは四柱推命をメインテーマとする性格上、四柱推命に軸足を置いていることには間違いない。将来的により広い研究分野を視野に入れた上で、東洋占術に限定せず、東洋思想・中国医学・東洋文化等を陰陽五行学的視点から、切り込んで行こうと考えているからだ。

 更に、歴史的事件についても記載している、これは直接<陰陽五行学>とは関係がないように見えて、その実、歴史的事件をも陰陽五行の影響下にあると看ているからだ。一旦、時間が干支によって記述されると、陰陽五行の理法によって時空のキャンパスに歴史が織り成され、人間ドラマが演出されて行く。勿論、陰陽五行が全てではない、そこには天も干渉し得ない人間の自由な主体的意思が介在している。常に、選択の自由は人間にある。しかし、我知らず人の精神と行動に影響を与えているのが、陰陽五行の理法でもあるのだ。

 今回は、干支によって記述された歴史という視点を加えるために、年表に時々の干支を配し、随時、月日の干支も書き加えている。中には、生年月日(所謂“八字”)を記載している人物もある。解説や逸話なども、短く書き入れている。

 例えば、「五行学歴史年表・中国篇」では、唐代、白居易(楽天)に「在天願作比翼鳥、在地願爲連理枝」と詠われた『長恨歌』の主人公、玄宗皇帝と楊貴妃についても書いている。命式や行運について、推命的視点から看ると面白い。

 また、「(同)・日本篇」では、太平洋戦争の開戦日と終戦日を事象的観点から、ロッキード事件については、四柱推命によって予言された事実等を書き記した。今後も随時、歴史的事実の記述と同時に、五行学的視点から註解を書き込む予定でいる。

 先週、飲酒運転で送検され、涙の謝罪会見をした織田信成君だが、その先祖・織田信長は本能寺と共に炎上し滅亡している。事件(本能寺の変)が起こった月は「丙午」月である。これは初心者でも分かるが、火が炎上する陽火の専旺干支である。命式本体と行運に、これに呼応して火局したり、火の炎上が凶星(忌)として働く命式の人は、特に注意が必要である。信長の命式はそれに当たっていた。今年も、6月は「丙午」月。当然、火事などの火の炎上に注意となる。案の定、渋谷の松涛温泉で爆発事故が起こり死傷者が出た。イギリスでも爆破テロがあった。一般の人は、突然のことに何故?と思うが、暦の知識のある我々は、火事など身辺の火の元には注意していた月なので、「ああ〜やっぱり…」と、或る程度予測が出来る事態ではある。中には蜘蛛膜下出血や心筋梗塞など、火の病として出る場合もあった。年初めに、このような月(今年でいえば6月・7月)は必ずチェックして、この月は「火事に気をつけて下さい」となる。

 このように、人間も事象も「干支」という、天地の五行を記述する記号によって、人と歴史を読み解くことができる。かの東洋思想の碩学・安岡正篤も、こっそり四柱推命の原書などを読み、娘さんの命式を看ていたというのも頷けよう。

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<補注>

杭打ち】:
くいうち。風水や気学で、避凶・開運法として行なわれる手法で、ポイントとなる位置(方位)に釘などを柱などに打つもの。
 
(※「出る杭は打たれる」が本来。)

長恨歌】:
ちょうごんか。訓読「天に在りては願わくは比翼の鳥となり、地に在りては願わくは連理の枝とならん」。白楽天が唐代の玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋を歌いあげた長編の漢詩。「比翼の鳥」とは、想像上の鳥で雌雄が片方の翼を担って一体となった鳥で、男女の深い契りを象徴する。「連理の枝」とは、二本の木がその枝を絡ませ連なって一つになっているさま。比翼鳥と同様に、男女が仲睦まじく一つになっているさまを意味している。

本能寺の変】:
ほんのうじのへん。天正10年6月2日(ユリウス暦1582年6月21日)に、明智光秀が主君の織田信長に謀反を起こし、京の本能寺に滞在していた信長を攻撃、信長を自刃に至らしめた事件。光秀の背後に謎の黒幕があったとも言われ、いろいろな説もあるが、日本史の謎とされている。光秀の言葉「敵は本能寺にあり」が有名。

渋谷松濤温泉シエスパ爆発事故】:
2007年6月19日午後2時28分、渋谷区松涛にある女性専用温泉施設で起こったガス爆発事故。従業員3名と通行人1人の4名が死亡。