五行推命学研究所
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英会話と四柱推命   附「中央大教授殺害事件」

                                   旧「随想閑話」(2009/01/24)

或る人曰く

 先日、二人の人物から偶然にも同様の電話質問を受けた。

(某)「推命は難しくはないですか?」
(私)「確かに難しい面もありますね。でも英会話と同じですよ。」

 二人とも、決して推命の門外漢ではない。泰山流・旺陽流・高木流・武田流・算命学・中国的子平推命など、先生についたり書籍をかじったり、色々してきたらしい。ところが、実践的な看命の段になると、非常に難しさを感じていたという。

(某)「えっ!英会話ですか?」
(私)「そうです。日本の英語教育では過去分詞・関係代名詞など難しい文法用語を沢山詰め込みますが、いざ現地へ行くと上手く話せないことが多いものです。でも、米国のネイティブな子供達はそんな難しい文法や用語を知らないけれど、限られた単語を駆使してでも、自由自在に英語を話していますね。四柱推命も、それと同じですよ。」
(某)「へえっ〜」
(私)「四柱推命は結局、“五行”なんですよ。」
(※この言葉は、西村先生に、初代高木乗がその極意を話された時の粋言でもある。)
(私)「五行の運用法と、そのコツさえ掴めれば、自由自在に命式を読めるようになるものなんです。」

 こんな会話から、いろいろと他流派との違いや、推命の現代的課題などを話した。

 この質問は、同日にあったことで、不思議な感じがしたものだが、鑑定や問い合わせを受けていると、よく出くわす現象で、流日・流月のしからしむるところではある。同じような相談が同日にあったり、中には全く同じ誕生日の人から、それも同日に鑑定依頼があったなどということもあった。(生時は違っていたが)

 確かに、四柱推命は深い。“淵海子平”というように、海のような深さと広さを持っている。それは、推命の鑑定対象である“人間”そのものに、無限の個性があり、それこそ人類の数と同じだけの個性と内的世界がある上、一人の人間の心の中にも無限の深海のような深みと、そして闇があるからに他ならない。

 どのような道も、極意は意外にシンプルなものである。とは言っても、決して稚拙な部分推命や、 安易な神殺推命ではなく、しかし、五行の生尅・制化・俯瞰・通変というシンプルな原理を、巧みに駆使すれば命理の匠となる。

 中には、有り余る知識と難しい秘伝まで知ってはいるが、悲しいかな実践的鑑定力がないという大家もいらっしゃる。(鑑定力のなさを知識で誤魔化しているような…)

宿命の存するところ

 運命学は決定論的宿命観ではないが、免れざる運もあり、開発できる運もある。それを見極めるのが「命理学」、所謂「四柱推命」である。その中で“画竜点睛”となるのが、第四の柱「時柱(生時)」であろう。同じ日に生れても、生時の違いで、時として持って生れた宿命に天地の差が出る。生き方による違いを論ずるのは、生時まで出揃って四柱八字が確定し、持って生れた宿命が確実視されてからのことになる。

 ここに三つの命式がある、どれも生時は不明、Xであるが、三柱での干支は全く同じ。@は殺人鬼、Aは研究者で殺人事件の被害者、Bは偉大な宗教家。ちなみに@とAは同日生まれである。
 この三命式は、先頃、教室の実例として取り上げ、時刻を推定したが、皆様も、考察推定してみて頂きたい。Bは節気の浅深もあるであろうが、この不明の生時「X」こそが、この3人の命運を分け、命理を左右する龍眼とも言えるだろう。

@宅間守(職を転々、「池田小児童殺傷事件」犯人)
AT教授(研究者、「中央大教授殺害事件」被害者)
Bマルティン・ルター(宗教改革者・神学者・牧師)

 【@宅間守】   【AT教授】   【Bルター】
宅間他



 特に@とAは、同じ殺人事件でも加害者と被害者、性格や人物評も全く正反対。@の宅間はトラブルメーカーの典型、Aの先生は周囲の証言からは、トラブルと全く無縁で温厚な人柄と言われている。これはどうしたことであろう。皆様はどう思うか?どう推理し深察するだろうか?
 悪魔は元は天使だという。命理学的には、同じ日に生れても、時柱の差は命式全体に深刻な差異をもたらし、時には天使となり、時には悪魔ともなるものなのか。奇しくも、両者は若くして既に鬼籍の人となった。その事実は、共通しているのだが…。(T先生のご冥福をお祈り致します)

画竜点睛も一端を以って論ずべからず

 蛇足ながら、敢えて一言。生時が“画竜点睛”であるとは言っても、生時だけを切り取れば、やはり部分推命となり、年月日との関係から総合的に勘案してこそ、本当の意味を持つことは論を待たない。高木流でも、嘗ては『三命通会』に出典する「生日時断課」という奥義的看法があった。しかし、これも、そこだけを鵜呑みにすると、折角の奥義も結局は単なる「○○の一つ覚え」となってしまう。同じ日時の干支でも、年月が違えば、全く違う命式(個性・運気)となるっている例は枚挙に暇がないから、注意を要する。