5.第二トメアスと言うところ
さて,ここで我々の最初の目的地である第二トメアスについて少し紹介しておこう。以下の記述の主には,第二トメアス自治会発行(1984年6月15日)の『アマゾンに挑む−第二トメアスー移住地20年史』(以下,『二十年史』と記す)に拠った。
トメアスは,アマゾン川の河口にあるパラ州の州都ベレンの南東,直線距離で125kmの位置にあり,「第二」がつくのは,第二次大戦以前,1929年からの移住地であるトメアス移住地(旧アカラ植民地)に対するものである。第二トメアスは,トメアス移住地に隣接しているが,その歴史は比較的新しく,1962年以来の入植者からなる。
『二十年史』の家庭生活(1)衣食住の項目は,「生活は一口に言って楽である(食生活)」という書き出しで始まっている。しかし,入植者の動態を見ると,1962年から82年までの間に新たに入植した539人(出生による増加を除く)のうち,199人が退耕(結婚その他の理由によるものも含む)しており,44人が死亡していること,死亡者のうち,70歳以上が4人のみで,働き盛りの40〜50代や新生児が多いことに気づく。この地に入植した人達の生活が決して生易しいものではなかったことを数字が如実に語っている。
初期はビンメタ(コショウ)単作であったが,1974年には水害およびそれに続いて蔓延した病害により,60%の減収を見ている。60%と簡単に言うが,世帯によってはほとんど収入0という場合もあっただろう。また,コショウは相場の変動も激しく,コショウのみに頼る農業はかなりの危険が伴う。このような経験を経て,現在ではカカオ,各種フルーツも含め,多角的な栽培が行われている。
現在,農作業のほとんどは現地の労働力を利用し,日本人の農場主の仕事は,作物の植え付けから収穫,出荷に至る企画,立案などの頭脳労働が主である。そのため,一見したところ,のんびり暮らしているようにも見え,多くの人が素朴なイメージとして持っているような,アマゾンの開拓農家とは実体はかなり異なる。
しかし,入植当初は自分で木を切り,何もないところから畑を作り,耕していた。奥さんが日本に出稼ぎに行ったこともあるという。車で一回りするだけでも,相当時間のかかる広大で整然とした耕作地。今,私たちは作り上げた成果だけを見ている。その過程を思い浮かべるとき,『二十年史』の「生活は楽である」という表現に,ある種の凄みを感じてしまうのは考え過ぎだろうか。