ポーリンの北東方面を1日走り回り,夕方ポーリン温泉に到着した。今日は約束済みであったので,私たち5人は,温泉施設の中の食堂で,OTさんと夕食をご一緒させていただいた。ラフレシアや蝶のことなど,勉強になるお話を色々聞かせていただき,実に有意義な時間であった。OTさんは,話そうかどうしようか,という表情を浮かべながら,
「実は,キナバル公園の蝶の調査を依頼されており,明日は公園内の調査地に行く日なのです。ご一緒に来られても,もちろん蝶は採集できませんが,調査地を案内することはできます…」
なるほど,これは場合によっては聞かせてほしくないような話である。採集したくてたまらない人にとっては,採集できなくては意味がない。かといって,むげに断るわけにも行かず,困ってしまうであろう。幸か不幸か,私とO氏は,それほど採集意欲がない。それより,長年この地域の蝶を研究されてきたOTさんと,キナバル公園の中で蝶を見て回るなんて,願ってもない話である。採集意欲のかなりある3人はもう一日採集してもらい,私とOさんはOTさんとご一緒させていただくことにした。柿沼君もキナバル公園の散策には未練たっぷりであったが,ドライバーである彼が行かないかぎり,残り二人が動けないので,彼にはキナバル公園の外で採集してもらわなくてはならない。
翌日も良い天気。3人の出発を見送り,1時間ほどしてOTさんの車がホテルに着いた。ここからキナバル公園までは大した距離ではない。公園本部の研究施設に挨拶を済ませ,SILAU SILAU TRAILを進んでゆく。尾根道,山の中のやや薄暗い道を進んでゆくと,イナズマチョウの類やジャノメチョウ類などが敏捷に止り,枝先に止まる。デリアスも飛んでいる。下り坂をしばらく進み,LIWAGU LIVERにたどり着いた。この付近でしばらく休憩。涼しい風,沢の音,そして河原に集まるキナバルオナガタイマイなどのアゲハ類やイシガケチョウ類,時折沢に沿って行き来するアカエリトリバネアゲハ。沢の両側の林の回りを飛んでいる小さなジャノメチョウもキナバル特産種だという。こんな素晴らしい場所に来て,貴重な時間を一瞬たりとも無駄にしたくないはずなのに,だんだん眠くなってきたのはどういうわけだろう。珍品と呼ばれる蝶に囲まれ,かといって夢中で採集するわけでもなく,居眠りしながらそれらをただポーッと眺める。かつて,これほどぜいたくな経験をしたことは記憶にない。
沢から戻り,公園本部で柿沼の車の到着を待った。後は,ホテルでレンタカーを返却し,翌朝飛行機に乗るだけ。レンタカー屋の車は約束の時間に到着した。汗を流して街に出る。屋台のようなものが回りを取り囲んだ,広々とした野外食堂のような場所を見つけた。Frog,シュウマイ,焼き鳥,魚,そしてもちろんビールがうまい。それにしても,いろいろな場所でいろいろなものを頼んで,しかも,私たちのほかにも沢山の人が食事をしている。日本のビアホールに似ているといえば似ているが,伝票もないし,支払いをする場所もわからない。一体どうやって精算するのか,ちょつと不安であったが,最後にナシゴレンを食べたくなり,探しに行った。私たちの座っていた席から少し離れた場所で注文した。英語で色々言っていたが,よくわからなかったので,うんうんと適当にうなずいたら,しばらくして弁当のようにパックされた状態でナシゴレンが運ばれてきた。
精算がわからなくなるどころではない。私たちがほぼ食事を終えていることさえきちんと把握されていたのである。ただ,多くの日本人のような,アルコールと一緒におかずをつまみ,最後にご飯,というような食事の仕方を彼らはしないため,
「もう食事は終わっているので,持ち帰ってホテルで食べるということだろう」
と判断したのである。この広いスペースで食事をしている人たちの状態はすべて把握されているのだろう。華僑の人たちにはいつも感心させられる。
今回の旅行を振り返ってみると,すべてが呆れるほど時間に正確だった。空港の送迎,キナバル公園への送迎,レンタカーの到着と返却。どれも5分と違わなかった。しかし,この国を旅行して,過去にいつもそうだったというわけではない。レンタカーが窮屈だったので,大きな車と交換してくれるように頼んだのに,結局来なかったレンタカー屋,道の真ん中でパンクしてしまい,1時間以内で来ると行ったのに,5時間もかかってやっと来た修理屋,ミニバスが到着して,1時間以上もたった一人で家の中で準備し(ミニバスが着いてから風呂に入っていた?),乗客を待たせた人,しかも,それに文句一つ言わない乗客や運転手…。おおらかとも言えるが,この国は約束や時間にルーズな人が多いと思っていたのに,これは一体どういうことだろうか。
東京での私の人間関係,特に仕事関係など生活に直接関係のある場面でかかわる相手には,このようなルーズなタイプの人は一人もいない。それなりに忙しい生活をしながら,少しでも時間を作り出そうとしている中では,この手の輩は恐怖の対象でしかない。そのため,ほとんど反射的に自分の回りから排除するのが習い性になってしまっている。
それでは,私はそういうルーズさが嫌いな,きちょうめんな人間かというというと全くそうではない。むしろ,ここで30分,等々爪に火をともすように作り出した時間をドーンとまとめて無駄にされることに,何とも言えないマゾヒスティックな快感を覚えてしまうのである。所詮,徹底的にルーズな時間を持ちたいため,普段は見掛け上きびきびと生活しているだけである。そういう感覚から言うと,こんなに何もかも時間通りに行ってしまうのは,何ともつまらないと言おうか,コタキナバルも東京並になってしまったと言おうか,まあ,どう考えても文句を言うようなことではないのだが,あまりにも予定通りに行き過ぎて,物足りないような…。 [完]