四ノ月
土曜日は兼ねてからの予定通り、勉強会はなかった。今日は皆、それぞれ息抜きのために自分の好きなことに没頭することになっていた。うさぎは今頃、どこぞで衛とデートを楽しんでいるはずだった。
美奈子とレイは、この機会に聞き込みをするべく、それぞれ主立った場所に出向くことになっていた。
「うさぎちゃん? いつもと変わんないと思うけど………。何? ケンカでもしたの?」
美奈子にうさぎのことを質問された宇奈月は、やはり首を傾げた。いきなり「最近のうさぎ、変じゃないですか?」と質問されても、返答する方は困ってしまう。変なのはいつものことだからである。だから、「変」の度合いが分からないのだ。
パーラー“クラウン”の担当は美奈子だった。美奈子の方が、レイより宇奈月と親しかったからである。美奈子が質問した方が自然だったのだ。今週一週間はまこともアルバイトを休んでいるから、店内で鉢合わせすることもない。
「いえ、ケンカしたってわけじゃないんだけど………」
逆に美奈子の方が説明に困ってしまう。うさぎの異変は、自分の思い過ごしであるかもしれないのだ。だから、こうして聞き込みをしているのである。
「ま、まさか!?」
宇奈月は大袈裟に足を一歩引きながら、身構えてみせた。
「まさかって?」
宇奈月の反応の意味が分からないから、美奈子は首を傾げる。
「衛さんの子供が出来ちゃったらしいとか?」
「はいぃ!?」
「それで心配になって調べてる?」
さすがは宇奈月である。話を飛躍させることに長けている。何をどう考えたらそう言う答えが出てくるのか、一度頭の中を見てみたい。
「カンパがいるんだったら、早めに言ってよね。できれば、給料日直後がありがたいわ!」
「あ、いや、違うんだど………」
おっきな汗を滴らせながら、美奈子は顔をヒクヒクさせる。取り敢えず宇奈月の誤解をこの場で解いておかないと、後々大変なことになってしまう。
「え? 違うの?」
「う、うん。だ、だいいち、まだやってないと思うよ、あのふたり………」
「マジ!?」
「た、たぶん………」
もちろん、本人たちに確認したわけではないから、想像でしかない。うさぎの様子を見て、なんとなくそう思っているだけである。
「それはそれで問題よね。あのふたり、付き合い始めてどのくらいになるっけ?」
「えっと、あいつが中学二年の時からだから、三年とちょっとってトコね」
「そろそろいいでしょ、いくらなんでも!」
宇奈月は声を張り上げる。お客の視線もなんのそのだ。美奈子の方が慌ててしまう。幸い、見知った顔はないから、宇奈月さえ口止めしてしまえば今日の会話はうさぎに知れることはない。
「いや、それはふたりの問題だから………」
そう、それは周囲がとやかく言う問題ではない。
なんだか話がとんでもない方向に行きそうだったので、美奈子は早々に話を切り上げて店を出た。
店の外にはレイが待っていた。
「どうだった?」
「いつもと変わらないと思うってさ」
美奈子は肩を竦めてみせる。
「そう………」
予想通りの答えではあったが、レイは気落ちしたように肩を落とした。やはり、自分たちの思い違いなのだろうか。そう考えてもみたが、何か釈然としないのも事実だった。
「ルナには訊いたの?」
レイは話題を変える。
「うさぎと一緒に住んでるから、うさぎ変化があれば、ルナが真っ先に気付くんじゃない?」
ルナの話を持ち出した途端、美奈子の表情が曇った。美奈子は大きく頭を振った。
「日曜日の夜から姿が見えないらしいのよ………。実は、アルテミスもなんだけどね」
「アルテミスも!? なんで黙ってたのよ!」
「ゴメン。夕べまもちゃんに言われるまで、あたしも気付かなかったんだ」
美奈子は夕べ衛から電話があったことを、手短にレイに話して聞かせた。
「ふたりとも姿を見ないって、何か変じゃない?」
自分もそう思うから、美奈子も肯く。
「まもちゃんは司令室にも来ていないようだって言ってたの。だから、あたしは『BOSS』に確認したんだけど、やっぱり日曜日から来てないって言ってた」
「BOSS」とは司令室のメインコンピュータの愛称である。シルバーミレニアムのホストコンピュータとも直結し、人工知能を持った優れものである。セーラーV時代は、よくこの「ボス」からの指令で美奈子は行動していたものだ。最近は「生きた電子頭脳」亜美の活躍で、「BOSS」自体はあまり目立ってはいないが、ルナやアルテミスは重宝していたようである。
「何か事件の匂いもするけど、確証が持てないわね。単にふたりがいないと言うだけじゃね」
「旅行に行ってたってオチも考えられるしね」
旅行に出掛けるなら出掛けるで、あらかじめ連絡がありそうな気もするのだが、レイは敢えて口に出さなかった。美奈子らしい突拍子もない意見だと思ったが、その可能性が全くないとも言えない。
「まもちゃんも、ふたりがいないことに引っ掛かっているみたい」
「うさぎのことは?」
「そんなこと訊ける雰囲気じゃなかったわ」
美奈子は欧米人種的なアクションで、肩を竦めた。
「無駄足になるかもしれないけど、ルナとアルテミスの足取りも調べましょう」
可能性があるのならば、ひとつずつ潰していく。今はそうするより他に手はなかった。
仕方なく「BOSS」の手を借りようと、ゲームセンター“クラウン”に向かおうとしたふたりの前に、亜美とまことが立ちはだかった。
「あら、ふたりともパーラー?」
美奈子はにこやかに微笑んでみせたが、亜美とまことの表情は氷のように冷たく固まったままだった。
「やだなぁ、何そんな怖い顔してるのよぉ!」
じゃれるようにまことの肩に手を伸ばした美奈子の腕を、レイが止めた。驚いて美奈子がレイの顔を見る。レイは無言で見つめるだけだったが、その神秘的な瞳を見ただけで、美奈子は彼女が言わんとしていることが分かった。
美奈子とレイのふたりは、亜美とまことに目を向ける。数秒間睨み合うように、お互いの顔を見ていた。
先に口を開いたのは、まことだった。
「何故、うさぎのことを調べている?」
まことはいかにも不機嫌そうだった。亜美の表情も強張っている。自分たちが密かに動いていたことを、ついに知られてしまったようだ。惚けても無駄だと分かった。
「気になっているから調べてるだけよ」
毅然とした態度で美奈子は答えた。
「あたしたちに内緒でか?」
「確信が持てないから、ふたりだけで調べていたのよ。別にあなたたちに隠していたわけじゃない」
「何故、うさぎなんだ?」
「気になったのが、うさぎだからよ」
言い合いは美奈子とまことのふたりだった。傍らのレイと亜美は黙ってふたりの会話を聞いていた。
「うさぎのどこが気になる!?」
「あたしはあたしの直感を信じる。ただそれだけよ」
「うさぎが信じられないのか!?」
まことが一歩詰め寄る。その気迫は鬼気迫るものがあったが、美奈子は動じなかった。
「そのうさぎがおかしいと思うから、調べてるのよ」
「おかしくはない! いつもと変わらないよ。こそこそと調査するなんてフェアじゃないな。そう言うやり方は気に入らない」
「じゃあ、どうしろと言うのよ!?」
「うさぎはうさぎだ! 信じていればいい。あたしたちの役目は………」
「でも、そのうさぎが違うとしたら?」
「何が違うんだ!? 彼女からは『星の力』も感じる! うさぎに間違いはない!!」
言い合いは平行線だった。ふたりとも頑固な方である。決して自分からは折れようとはしない性格だった。
「美奈、これ以上話しても無駄よ」
レイが会話に割り込んだ。まことの表情がいっそう険しくなる。今のレイの言い方が、彼女の気に障ったらしい。
「言っても聞かないなら、こっちにも考えがある」
まことは凄んでみせた。それがただの威嚇ではないことは、彼女の気迫で分かる。力尽くでも阻止しようという構えだった。
だが、亜美がそれを制した。
「ふたりがそう言うのなら止めはしないわ。好きにすればいい」
今まで無言だった亜美が、ここで初めて口を開いた。
「亜美!?」
まことが驚きの表情で亜美の顔を見下ろした。自分たちはレイと美奈子の行動を阻止するべく、この場に来たはずだった。なのにその行動を許可するようなことを言うのは、当初の目的とは正反対の行動をしていることになる。
まことの声が聞こえなかったのか、亜美はレイと美奈子をそれぞれ二秒間ずつ見つめた。
「あたしたちはうさぎちゃんを信じてる。彼女がうさぎちゃんであることを信じて疑わないわ。あなたたちふたりが違うと思うのなら、思う存分調べるがいいわ。ただし………」
亜美はひと呼吸置く。
「ふたりがうさぎちゃんを傷付ける真似をするようなら、あたしにも考えがあるわ」
亜美は「あたしたち」ではなく、「あたし」と言った。あくまでも、自分ひとりの考えと言うわけだ。亜美が凍てつくような視線を、美奈子とレイに向ける。
「どうする気?」
美奈子も負けじと睨み返した。こうなってしまっては、結果が出るまで後には引けなかった。
「例えふたりが相手だとしても、あたしはうさぎちゃんを守るために戦うわ」
亜美の静かなる決意は、美奈子とレイを凍り付かせるには充分な言葉だった。
まことは言葉を失って、亜美を見つめる。まさか亜美がここまでのことを言うとは、まことも思っていなかったようである。
亜美は凍り付いた表情のまま、ふたりにくるりと背を向けると、そのまま歩き出してしまった。
「亜美のやつ………」
まことは小さく呟くと、亜美の後を追った。
レイも美奈子も、しばらくはその場から動くことができなかった。
「参ったわね………」
火川神社の境内で、竹箒を片手に掃除に励んでいる熊田雄一郎を何気なく見つめながら、美奈子は呟いた。
亜美とまことと口論になったあと、美奈子とレイは重い足取りを引きずるようにして、やっとの思いで火川神社に移動してきたのだ。
「どうする?」
美奈子はレイに顔を向ける。まさか、こんな事態になるとは考えてもいなかった。
「あたしたちは、あたしたちの信じたことを貫くしかないわ。例えそれが間違っていたとしても、結論を出さなくては亜美もまこも納得しないわ」
「だよねぇ………。厄介だわ」
ガクリと美奈子は、頭を垂れた。
「落ち込んでいる暇はないわよ。やらなければならないことは、たくさんあるんだから」
気落ちしている美奈子を、レイは慰めるように言った。本当は自分も誰かに慰めてもらいたいところだが、そんな泣き言を言っている状態ではなかった。
「衛さんに相談したいところだけど、今はうさぎとデートの最中だろうしね。夜まで待つしかないのか」
それまでに何かできることはないかと、レイは思案する。だが、なかなか思い浮かばなかった。
「せつなさんも仕事だろうしね」
こんな時頼りになりそうなせつなも、今は仕事をしている時間かもしれなかった。東京湾天文台は年中無休である。職員の休みは、交替で取ることになっていた。だから、土日だからと言って、せつなが仕事が休みだとは限らない。
「どうしたんです? ふたりとも………。難しい顔をして」
掃除が一段落付いたのか、雄一郎が歩み寄ってきた。
「ちょっとね………。友情の危機って感じかな」
少しばかり戯けたように、美奈子は言った。雄一郎に本当のことを説明しても、分かってもらえるような話ではない。それに、嘘は付いていない。
「女の子同士のケンカは難しいですからね………。悪いのは、どちらです?」
意外に雄一郎は遠慮がない。答えにくいことを質問してくる。
「あたしたちの方が正しい、と言いたいところなんだけどね。今のところ、はっきりしないのよ。これから調べるとこ」
「長引かなければいいですけどね。でも、変に焦っては余計に拗れるかもしれません。辛いかもしれませんが、時には我慢することも必要でしょう。あ、妥協して謝った方が良いと言っているわけではないですよ」
雄一郎は言いながら、チラリとレイを見た。レイが無言で地面を見つめたまま、会話に参加してこないから気になったのだろう。
「何か出来ることがあったら言ってください。及ばずながら、力になります。どちらにしても、真実はひとつです」
まるで喧嘩の理由を知っているかのように雄一郎はそう言うと、ふたりに背を向けて社務所へ歩みだした。
「真実はひとつ、か………」
雄一郎の広い背中を見つめながら、レイはポツリと呟くのだった。
休息室から海を眺めていたせつなは、胸騒ぎを覚えていた。
何かが起こりつつある。いや、既に何かが起こっている予感がする。
(この感覚は、なに!?)
海岸に打ち寄せる波が、白い飛沫を上げている。脳裏に一瞬だけ映像が浮かぶ。闇の中、フラッシュに照らし出されたが如く浮かび上がったそれは、その時間があまりにも短かったために、どんな映像だったのが認識する間もなかった。
(今の映像は!?)
必死に思い起こそうとするが、はっきりと思い出せない。
(救いを求められたような気がしたけど………)
映像と共に、何者かの意識も感じたような気がした。それは深い悲しみでもあり、救いを請うものでもあるような気がした。そう言う気がした( のであって、はっきりとそう感じたわけではなかった。)
「釈然としないわね………」
せつなは知らず知らずのうちに、口に出してそう呟いていた。
「………なら、俺たちに協力してくんない?」
間近で声が聞こえた。せつなはドキリとして、声が聞こえた方に目を向けた。
「あ、あなたたち!?」
そのせつなの目が、驚きのために大きく見開かれた。
やはり、うさぎは普段と変わらなかった。
彼女の笑顔を見たとき、衛の不安は一瞬で吹き飛んでしまった。あどけないその笑顔は、紛れもなくうさぎのものだ。久しぶりのデートではしゃぐその姿は、見慣れた彼女の姿だった。
いつもの有栖川宮記念公園。公園と風景と同じように、うさぎにも目立った変化は感じられなかった。違和感を感じたのは、やはり自分の思い過ごしなのかもしれないと、衛は思う。
「どうしたの? あたしの顔ぼんやり見つめちゃって」
「いや、別に理由はない」
自分でも気付かないうちに、衛はうさぎの顔を見つめていたようだった。
「うさぎちゃんがあんまり可愛いからって、そんなに見つめられたら照れちゃうんだけどな」
そう言ううさぎは、とても嬉しそうだった。自分だけを見つめていてくれることが、うさぎは嬉しくてたまらないのだ。
「………うさ。最近ルナの姿を見掛けないんだが、元気なのか?」
「え!? ルナ!?」
うさぎはその表情に、僅かに動揺の色を浮かべた。一瞬だった。注意して見ていなければ、きっと気が付かなかっただろう。だが、衛はそれに気付いてしまった。
「う〜ん………。そう言えば、最近帰ってきてないわねぇ………。美奈Pのところにでもいるのかな」
(一瞬だけ見せた。うさの反応は何だったんだ?)
ルナの存在をつい忘れがちになるのはいつものことだったが、そのことを尋ねられた時に見せた一瞬の動揺はなんだったのだろう。動揺しなければいけない理由など、ないはずなのだ。
「それよかさ、今日は泊まってもいい?」
うさぎは衛の左腕に縋( り付いた。うさぎの柔らかな胸の膨らみが、衛の腕に触れる。いつもなら気にもしないことが、今日は妙に気になってしまった。うさぎの表情が、どことなくいつもと違う。強請るその表情に、普段とは違う意識を感じた。)
「駄目だ。育子ママに怒られるのは、俺なんだぞ」
「だぁいじょうぶよぉ! まこちゃんちに泊まるって言うから!」
一度泊まると言い出したら、うさぎはなかなか引き下がらない。せめてもの救いは、まだアパートに戻っていないと言うことだ。アパートにいる場合はうさぎは強行に泊まると主張するのだが、有栖川公園にいるうちならば、何とか口実を付けて家に帰らせることができる。今夜は、美奈子と電話で打ち合わせを行うことになっている。ルナとアルテミスのことだったが、うさぎにはその場にいてもらいたくなかった。先程のうさぎの妙な動揺を見てしまうと、尚更だった。
「今日デートしてることは知ってるんだろう? まこの家はバレバレだ」
「じゃあ、美奈Pんトコ」
「育子ママがお礼の電話するから、間違いなくバレるぞ」
「そ、そんじゃあレイちゃんち!」
「だ・め・だ!」
「えぇぇぇ〜〜〜」
「『えぇぇぇ〜〜〜』じゃない。泊まりは許さんぞ」
「けちっ!」
「けちってなぁ………」
うさぎはむくれて、衛の顔を睨む。一緒にいたいという気持ちは嬉しいのだが、泊まるとなると話は別である。別に泊まるからといって何をするわけでもない。一緒のベッドで仲良く眠るだけだ。
「そんな目で見ても、駄目なものは駄目だぞ」
衛は念を押す。うさぎが益々頬を膨らませて自分を睨んでくる。幾ら家族公認の仲だからと言っても、度を過ぎる行為は問題である。衛は節度を弁( えた男だった。うさぎの両親に信頼されているのも、衛がこういう男であるからなのだ。)
「さぁ、行くぞ」
拗ねているうさぎの頭を二度ほど軽く叩くと、衛は歩を進めた。陽が傾きかけている。今日はこのあと六本木に移動して、一緒に夕食を取ることになっている。
むくれた表情のまま、うさぎは衛に引きずられるようにして歩みを始めたその時、突然呼び止められた。
ふたりが振り向くと、そこには小さな影がひとつ、こちらを向いて立っていた。