三ノ月
昼休み、まことは亜美に屋上に呼び出された。午後の授業が開始されるまで、あと十分しかない。のんびり会話するには時間が足りないはずなので、屋上で自分を待っていた亜美の姿を見付けたときは、まことは怪訝な表情をしていた。
昼食を取る生徒たちの為、昼休みだけ屋上は開放されていた。午後の授業が始まれば、屋上に出る強固な鉄の扉は固く閉ざされてしまう。
屋上には、亜美の他に数人の生徒がいた。亜美は昼食を食べ終わって雑談している生徒たちから少し離れた金網の前で、まことを待っていた。
「どうした? 何か相談があるのか?」
自分だけ呼び出されたと言うことに、まことは少しばかり不信感を抱いていた。自分だけと言うことは、うさぎや美奈子には聞かれたくない話だと言うことになる。しかも、屋上の隅で話していれば、誰かに盗み聞きされる心配もない。
「レイちゃんと、美奈。なんか最近、おかしくない?」
「え?」
亜美の唐突なその質問は、まことはすぐには理解できなかった。
「おかしいって、どういう風にさ?」
だから、反対に聞き返していた。
「なんだか、うさぎちゃんのこと調べてるみたい」
「うさぎのことを調べてる!?」
まことは思わず声を張り上げてしまったが、周囲の視線を気にして、すぐに小声に戻した。
「なんで、レイと美奈がうさぎのことを調べる必要があるんだ?」
「分からないけど………」
それを知りたいのは自分の方だと言わんばかりに、亜美は首を左右に振った。
「ふたりがうさぎちゃんの何を疑って調べているのかは、あたしも分からない。だけど、何かを調べているのは確かよ」
「あたしたちに内緒でか?」
「あたしもまこちゃんも知らないって言うことは、そう言うことね」
「気に入らないな」
まことが腹を立てたのは、レイと美奈子がうさぎのことを調べていると言うより、自分たちに内緒で行動されているということだった。仲間である自分たちに、内緒で行動する必要がどこにあるのか。
「そう言や、夕べ。ふたりでこそこそ何か話していたな」
まことは夕べの勉強会の帰りに、外で立ち話をしているふたりを窓から見たことを、亜美に話して聞かせた。
「あたしが手を振ったら、あたしを避けるように場所を移動した………気がする」
あの場ではそんな印象を受けなかったが、亜美からそう言う話を聞かされてしまうと、何となく自分の目を避けたようにも見えた。それこそ気のせいである可能性が高いので、まことは断定はしない。
「うさぎはもちろん知らないよな?」
「ええ」
尋ねてからまことは、自分が確かめる必要もない質問をしていたことに気付いた。うさぎが知っていたら、亜美がわざわざ自分だけを呼び出す必要はない。
「あいつらが何の理由もなく、うさぎの身辺を調べているとは思えない。何か理由があるはずだ。まずは、本人たちにそれを確かめる方が先じゃないか?」
「どんな理由があろうと、うさぎちゃんを疑うことは許せない。今のうさぎちゃんの何を調べる必要があるって言うの?」
「だから、それをあいつらに訊かないといけないだろ?」
亜美は少しばかり熱くなっているいるように感じた。うさぎが疑われていることの怒りなのか、それとも自分と同じでふたりから何の相談も受けていないことに対しての怒りなのかは、今のまことには分からない。亜美に確かめたくとも、尋ねられる雰囲気ではなかった。
予鈴が鳴った。
当番の教師が、鉄扉の前で校舎に戻るように呼びかけている。
「明日の土曜日はフリーだわ。ふたりもきっと行動するはず。その時に確かめるわ」
亜美は鉄扉に向かって歩きだした。
まことは僅かに肩を窄めてから、その亜美の背中を追った。
珍しく、亜美が集合時間に遅れていた。うさぎは今週は掃除当番だから、今頃は教室の掃除をしている頃だろう。十番高校の正門前には、まことと美奈子のふたりだけしかいない。
美奈子に不自然さは感じなかった。とても、自分に隠れて何かをしているとは思えなかった。
「なぁ、美奈」
まことは思い切って口を開いた。
「何か調べてるのか?」
その瞬間、美奈子の顔色に僅かな変化が見られたことを、まことは見逃さなかった。
「別に、何も。どっかした?」
美奈子は惚けた。作ったように涼しげな顔を、自分に向けてきた。
「いや、何も調べていないのならそれでいい」
怒りを抑えながら、まことは言った。こいつは明らかに、何かを隠している。まことはこの時確信した。
「何か怒ってない?」
気持ちを抑えたつもりだったのだが、声音には怒りが隠ってしまったのだろう。美奈子が眉を寄せて、自分の顔を覗き込もうとする。
「うさぎの方が早かったな」
美奈子の視線を避けるように、まことは顔を背けた。偶然にも昇降口から出てくるうさぎの姿が見えたので、まことは救われた気分になった。これで、美奈子にこれ以上問い詰められる心配はない。自分も嘘が苦手な方だから、これ以上は逃げ切れる自信がなかった。
「あれぇ? 亜美ちゃんまだなんだ?」
自分を待っていたのがまことと美奈子のふたりだけだったので、うさぎは珍しがった。
「なんか、職員室に寄ってから来るって言ってた」
まことが答えた。
「亜美ちゃんのことだから、授業で疑問に感じたことを聞いてるんじゃない?」
「うん。そうかもね!」
美奈子の言葉に、うさぎはしたり顔で肯いた。
(このうさぎの何を調べてるって言うんだ?)
夕べのドラマの話をし出したふたりを見ながら、まことは心の中で美奈子に尋ねる。目の前にいるのは、間違いなくうさぎである。何を調べる必要があるのか。
(うさぎが知ったら、悲しむぞ………)
どんな理由があるのかは分からないが、自分が疑われていることを知ったら、うさぎが傷付くのは分かり切っている。それなのに、敢えて調べているらしい美奈子に対して、まことはいつの間にか激しい怒りを覚えていた。
衛はゲームセンター“クラウン”の地下にある司令室に来ていた。特に理由があったわけではない。ここに来れば、ルナかアルテミスのどちらかに会えると思っただけのことだった。
だが、生憎とふたりとも司令室にはいなかった。
「妙だな………」
司令室を見渡した衛は、そこがあまりにも整然としていることに疑問を感じた。静まりかえった司令室は、どこか不気味だった。
生命の“気”を感じない。
自分以外誰もいないのだから当然なのだが、司令室に誰かが出入りしていればその“気”の波動が残っているものなのである。だが、今は全くそれを感じなかった。それはつまり、この司令室がかなり長い時間放置されたままであったことを意味している。
「うさたちが来ないのは分かる、しかし………」
ルナとアルテミスにとっては、ここは第二の家である。それぞれ、うさぎと美奈子の家にいない時は、大抵ふたりはここにいた。
平和な世の中であっても、ふたりは安穏としているわけではないのだ。他の星系のセーラー戦士たちと情報を交換し合い、緊急時に備えているのだ。そのふたりが、波動を残さないほど司令室に来ていないと言うのは、明らかにおかしい。
思い起こせば、確かに最近ふたりの姿を見掛けていない。
「俺たちの知らないところで、何かが起こっている………?」
衛は激しい胸騒ぎを覚えていた。
明朝、うさぎの家に珍しく亜美が迎えに来た。十番高校へ行くには、うさぎの家に寄っていたのではかなり遠回りになるのだが、亜美は遅刻しない程度の時間に、うさぎの家の呼び鈴を鳴らした。
うさぎを迎えに来た亜美を見て、母親の育子が驚いた顔をしたが、すぐに笑顔を作ってうさぎを呼びに行った。亜美は、うさぎが出掛けていないだろうという時間を狙って、やってきたのだ。
「どしたの?」
案の定、うさぎも驚いたような顔をした。同時に、亜美の背後をキョロキョロと見る。
「あたしだけよ」
柔らかい笑みを浮かべながら、亜美は言った。うさぎの行動の意味が分かったからだ。うさぎは自分を迎えに来たのは、亜美だけではないと思ったらしい。
「どしたの?」
同じ質問を、うさぎが繰り返した。自分を迎えに来たというのにも驚いたが、亜美がひとりだと言うことにも驚いたようだった。
「早く起きすぎちゃって………。お母さん夜勤で戻ってきてないから、家で時間を潰すのもなぁと思って。うさぎちゃんを迎えに来ちゃった」
亜美は嘘を付いた。母親が夜勤なのは事実だが、早く起きたのは自分の意志である。
「ふぅん、そうなんだ」
うさぎは素直に肯いた。
「ほらほら、玄関先で立ち話してないで! せっかく亜美ちゃんが迎えに来てくれたんだから、遅刻したら亜美ちゃんに悪いでしょ!」
家の中から育子ママの声が聞こえてきた。
「はぁい! んじゃ、行ってきまぁす!」
うさぎはようやくドアを閉めた。
「一緒に行くのって、久しぶりだね」
うさぎは嬉しそうだった。いつもはひとりで登校する亜美も、うさぎが一緒だと足取りが軽くなったような気になる。
うさぎは途中でなるちゃんと合流するから、ひとりで登校することは少ない。寝坊したときくらいだ。だけど、亜美は違う。登校時はいつもひとりだ。
「おっはよ〜。なるちゃん!」
待ち合わせ場所になるちゃんの姿を見付けたうさぎは、声を張り上げながら手を振る。
「おはよう、うさぎ! アレ? 亜美ちゃんだ」
「今日は特別」
やはり驚いたなるちゃんに、亜美は照れたような笑顔を見せた。
三人は並んで十番高校に向かう。後ろから海野が追い掛けてきて、強引に仲間に加わった。
他愛のないおしゃべりをしながら歩くと、いつもは長く感じる登校時間もアッと言う間に過ぎていく。気付いたときには、正門が見えていた。四人でわいわいとおしゃべりしながら登校をしていると、中学生時代に戻った気分になる。中学のときは、よくこうしてみんなで一緒に登校したものだ。
(うさぎちゃんは、いつもと変わらない)
亜美は確信していた。朝のうさぎの反応。なるちゃんや海野との会話。おかしなところはひとつもない。どんな理由があれ、やはりうさぎを疑うことは許せなかった。ましてや、自分たちにその理由を明かさないと言うのも許せない。
(うさぎちゃんは、あたしが守る!)
屈託のないうさぎの笑顔をぽんやりと見つめながら、亜美はそう決意するのだった。
「………さん、レイさん」
「え!? ああ、ごめん………」
声を掛けられ視線を向けると、心配そうなほたるの顔があった。
「どうしたんですか? ぼおっとして………」
ほたるがそう言うからには、随分と前から声を掛けていたのだろう。
礼拝堂の最前列の椅子に腰を降ろしたまま、レイはステンドグラスから差し込む光を、ぼんやりと眺めていたのだ。
「ほたるこそ、礼拝堂に来るなんて………」
「いえ、あたしは掃除当番なんです」
よく見れば、確かに数人の生徒が来ている。レイは自嘲気味に小さく笑った。
「何か、事件ですか?」
「どうして?」
「レイさんがそう言う表情をしているときって、何か不安を抱えているときが多いですから」
ほたるは洞察力に優れた女の子だった。人の表情やちょっとした仕草で、その人が考えていることを読み取ってしまう。
「事件性があるかどうか、まだ分からないのよ。だから、今調べてるトコ。まだ、みんなには秘密にしておいてね」
ほたるには嘘は付けない。その人並み外れた洞察力で、嘘を見破ってしまうのだ。だからと言って、全てを話す必要もなかった。
「そうですか………。わたしに出来ることがあったら、何でも言ってください」
ほたるはそう言うと、掃除に戻った。
電話が鳴った。
美奈子はシャワーを浴びて、脱衣所で体を拭いているところだった。
「美奈、電話よ」
母親が呼びに来た。
「誰から?」
母親の口調がいつもと違ったから、美奈子は尋ねた。よく掛かってくるのは、うさぎやひかるちゃんである。そう言う場合は、「うさぎちゃん(ひかるちゃん)から電話よ」と取り次いでくれる。たまにしか掛かってこない友人たちでも、大抵○○ちゃんからと言って取り次がれる。掛けてきた相手の名を伝えないのは希なのだ。だから、美奈子は尋ねたのだ。
「地場さんて言う男の人」
「え!? まもちゃん!?」
美奈子は慌ててバスタオルを体に巻くと、廊下の電話機に向かった。一階に子機は置いてなかった。衛が相手なら長電話にはならないだろうと思ったから、美奈子はバスタオルを巻いたままの姿で電話に出ることにしたのだ。
「美奈! そんな恰好で風邪引くわよ!」
予想された母親の声を背中で聞きながら、美奈子は保留中の電話を取った。
「もしもし。なぁに、何かあったの?」
衛から電話が掛かってきたことは、今までに記憶がない。恐らく、初めてではないだろうか。衛が理由もなく自分に電話を掛けるわけはないだろうから、美奈子はそう尋ねた。もしかしたら、うさぎのことかもしれないと思ったが、そうではなかった。
「アルテミスはいるか?」
「アルテミス!?」
そう言ってから、美奈子は足下を見下ろした。普段、何気なく自分に寄り添っているから特に気にはしていなかったが、そう言えばここ数日姿を見ていないような気がする。
「ねぇママぁ! アルテミス知らない?」
「アルちゃん? 一週間くらい帰ってきてないわよ。うさぎちゃんのところにいるんじゃないの?」
ルナとアルテミスが仲がいいのは、母親も知っている。(もちろん、猫同士と言う意味ではあるが)お互いの家で泊まりっこをしているので、一週間くらいなら姿を見掛けなくてもそれほど心配をしないのだ。
「うちにはいないわよ。うさぎんトコは?」
「育子ママに聞いたら、ルナも一週間ほど帰ってきてないそうだ」
「育子ママ? うさぎに訊かなかったの?」
「うさはもう寝たらしい」
衛の言葉を聞いて、美奈子は電話の液晶画面に表示されている時計を見る。間もなく二十三時になろうとしている。最近のうさぎにしては、早寝である。
「ああ、明日デートだからか」
美奈子は思わず口に出してしまう。受話器の向こうで、衛が笑ったような気がした。
「“クラウン”は?」
居間で両親が聞き耳を立てている可能性が高いので、「司令室」とは言えない。
「いない。今日行ってみたんだが、ここ数日来た様子がなかった」
「妙ね………」
美奈子は眉根を寄せた。衛に言われるまで全く気が付かなかったのだが、アルテミスが姿を見せないと言うのは、何か事件が起こる兆しのときが多い。
「くしゅん!!」
不意に肌寒さを感じて、美奈子はくしゃみをする。間もなく紅葉を迎えようとするこの季節、バスタオル一枚でいるには少しばかり肌寒い。
「風邪か?」
「実はお風呂上がりでさぁ。今、バスタオル一枚だったりして………。長くなるんだったら子機に切り替えて、湯船に浸かって話すけど? オールヌードの美奈子サマとお話しできるなんて、滅多にないわよぉ! お風呂ん中だと妙にエコーが掛かっていい感じだと思うよ」
何がいい感じなのかよく分からない。受話器の向こうの衛が、苦笑しているのが分かる。
「すまなかった、明日の晩でいい。時間があったら、アルテミスのこと調べてくれ」
平静を装って、衛が言ってきた。
「オッケー! じゃ、明日の晩ね。今くらいの時間だったらお風呂入ってるから、オッケーよ」
何がオッケーなのか、益々分からない。
「………分かった。時間は考える。おやすみ」
「おやすみ、まもちゃん。変な想像しちゃダメよ!」
「す、するか!!」
衛は大慌てで電話を切った。
「アルテミス………」
受話器を置くと、美奈子は考え込んでしまった。テスト勉強で忙しかったのは事実だ。うさぎのことで頭も一杯だった。
「リーダー失格だわ」
自分で自分の頭をコツリと叩く。肝心な自分の相棒の存在を忘れるとは怠慢である。もっと早く気が付くべきだった。
「はっくしょいっっっ!」
ゾクリとした寒気を覚えて大きなくしゃみをするまで、美奈子は自分が裸であったことを忘れてしまっていた。