六ノ月


 麻布運動場脇の並木道を抜け、ちびうさは有栖川宮記念公園に辿り着いた。一の橋公園から休みなく走ってきたので、公園の入り口付近で息が切れてしまった。
 やはり二十世紀は空気が澱んでいる。三十世紀では、このくらいの距離を走っても息が切れることはない。
 僅かな目眩を感じながらも、ちびうさは公園の敷地内に足を踏み入れる。呼吸を整える意味もあって、一度立ち止まると、ゆっくりと公園内を見回した。
 見える範囲には、ちびうさが捜すふたりの姿はなかった。
「池の方か………」
 うさぎと衛が待ち合わせ場所に使っている噴水前のベンチにも、ふたりの姿はなかった。入れ違いで移動していないことを祈りながら、ちびうさは池の方に向かう。
 池に降りてみる。
 何組かのカップルが畔を散歩し、年輩の男性が数人釣りを楽しんでいた。
 ちびうさは立ち止まって、周囲を見回してみた。うさぎと衛の姿は見えない。やはり、入れ違いになってしまったのだろうか。
「いらっしゃいませんねぇ………」
 ちびうさの頭の上に乗っているダイアナが、落胆したように言う。
「うん………」
 残るは裏手の散歩道だけである。そこにいなければ、ふたりはもう有栖川宮記念公園にはいない。
 ちびうさは大きく息を吸い込むと、再び走り出した。池の畔を右に折れた。
 散歩道は普段でも人が少ない。今日も殆ど人影を見掛けない。
 静かで、のどかすぎる散歩道。都会の中にあって、都会であることを忘れさせてくれる場所だった。衛とうさぎのふたりが有栖川宮記念公園を選ぶのは、こうして静かな場所で、ふたりでのんびりと過ごせるからだ。都会の喧噪も、そして戦いも何もかも忘れて、ふたりだけの時間が持てるから、この場所が好きなのである。
 ちびうさは前方を見つめながら、大きく肩で息をする。
 するりと背の高い男性の姿が見えた。その男性の左側で、腕に(すが)り付いて甘えているお団子頭の女の子。
「うさぎ! まもちゃん!!」
 ちびうさはその場で声を張り上げた。駆け寄りたかったが、これ以上はもう走る体力が残っていなかった。
 前方を歩くカップルは、ビクリとして足を止めた。ふたりは揃って首を巡らせる。ちびうさと視線が合わさった。
「ちびうさ!?」
 驚いたように声を張り上げたのは、うさぎだった。衛はちびうさと目が合うと、彼女が大好きな優しい笑顔を向けてくれた。
「あんた、どうしたの!? 突然………」
 うさぎは衛から離れ、ちびうさに歩み寄ってきた。
「声を聞いたの!」
 ちびうさは叫ぶように言った。
「声!?」
 うさぎは首を傾げる。衛が怪訝そうな表情をした。
「うさぎの声………。悲しそうな声だった………。あたしに助けてくれって………。だから、あたし来たの!!」
「え!? 何を言ってるの?」
 うさぎは足を止めた。困惑した表情でちびうさの顔を見つめる。
「あれは………。あの声はうさぎじゃないの!?」
 ちびうさとしては複雑な心境だった。うさぎの救いを求める声を聞き、うさぎに応えるために二十世紀にやって来たのだ。だが、そのうさぎは元気そうに衛とのデートを楽しんでいる。それは即ち、自分の考えが間違っていたと言うことを意味している。うさぎの身に何も起こっていないというのであれば、それにこしたことはないのだが、ジュンジュンとベスベスのふたりまで連れてきているちびうさとしては複雑である。カルテットのふたりを伴うように指示したのは父親のキング・エンディミオンなのだが、二十世紀に行きたいと言い出したのはちびうさの方なのだ。
「ちびうさ。うさの声を聞いたのか?」
 衛はうさぎのすぐ後ろまで歩み寄ってきていた。混乱し、今にも泣き出しそうなちびうさの顔を、真剣な眼差しで見つめる。
「うん。聞いた。『ちびうさ助けって』って」
 衛の顔を真っ直ぐに見つめて、ちびうさは小さく顎を引く。衛は自分の言うことを信じてくれている。そう感じた。そう感じることで、気持ちが少しだけ楽になった。
「もう………。ばっかじゃないの!? なぁんであたしがあんたなんかに助けを求めなきゃいけないのよ! あたしにはまもちゃんがいるんだから、そんな必要ありませんよぉだ! ウソを付くんなら、もう少しまともなウソを付きなさいよね。二十世紀(こっち)に遊びに来たいんなら、素直にそう言えばいいじゃない」
 うさぎは呆れたように両手を腰に当てると、一気に捲し立てた。
「ウソじゃない!! ホントに聞いたんだもん!!」
「強情なコねぇ………」
「ホントだもん!!」
 カチンと来た。ウソだと言われたことに対してではない。自分の言うことをウソだと決めつけるうさぎに対して、憤りを感じたのだ。少しは、自分の言うことも信用して欲しかった。心配してやって来た自分の気持ちも、少しは酌んで欲しかったのだ。心配をして駆け付けてきたのに、そこまで言われる()われはない。
 ダイアナはどうしていいのか分からず、縮こまって成り行きを見ている。
「うさ!」
 止めろと言う風に、衛はうさぎの肩に手を置く。
「んもぅ、まもちゃんは甘いのよ! まったく………いつもいつも人のデートを邪魔しに来て………。お邪魔虫!」
「言い過ぎだぞ、うさ!」
 衛が少し強い口調で(たしな)めた。
 ちびうさは顔を真っ赤にし、その場に真っ直ぐと立ち尽くしたまま、小刻みに体を震わせていた。やり場のない怒りを、どこに向ければいいのかが分からなかった。
「しょうがないわねぇ………。突然家に行ったって、あんたの分の夕食なんてないんだから、あたしたちと一緒に夕飯食べに行こ」
 うさぎは諦めたように言うと、ちびうさに歩み寄って彼女の右手を取った。その瞬間―――。
「!?」
 頭の中で何かが弾けた。ちびうさは慌ててうさぎの手を払う。
「どうしたの?」
 ダイアナが不思議そうに声を掛けた。ちびうさは自分の右手を見つめながら、無言のまま立ち尽くす。
「な、なによぉ………。いつまでも怒ってないの!」
 手を払われたうさぎは、困ったような表情をする。駄々を()ねている我が子の対応に苦慮している、母親のような顔をしていた。
「………違う」
「え!?」
「なんか違う!」
 ちびうさはうさぎにではなく、彼女の後ろにいる衛に向かって叫ぶように言った。
 衛は表情を変えなかった。ちびうさの「違う」と言う言葉の意味が分かったように、一度だけゆっくりと瞬きをした。
「うさぎ。ルナとアルテミスがいないって聞いたけど」
「え!?」
 突然話題が切り替わったので、うさぎは慌てた。何を聞かれたのか、分かっていないようだった。
「ルナとアルテミスよ」
 ちびうさは、うさぎが理解できるように、ゆっくりとした口調で再び言った。
「あんた、もうそれ知ってるの?」
 意外だと言う風に、うさぎは答えた。二十世紀にやって来たばかりらしいちびうさが、既にルナとアルテミスの姿が見えないことを知っているのが、うさぎとしては不思議だったのだろう。そう、うさぎは、ルナとアルテミスがいないことを知っていたのだ(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)
「心配じゃないの?」
「そりゃあ心配だけど、ふたりももう子供じゃないんだし………」
 うさぎは困ったような顔をする。どうにも対応に苦慮しているという表情だ。救いを求めるように衛に目を向けるが、衛は無言だった。幾分、表情が険しく見えた。何故衛が、険しい表情をしていたのか、うさぎは分からなかったが………。
「スモール・レディ」
「うん」
 頭の上からダイアナが、小さな声でちびうさを呼ぶと、ちびうさは僅かに肯いた。と、その時―――。
「うひょひょひょひょ〜〜〜〜〜!!」
 どこからともなく、甲高い妙な笑い声が響いてきた。
「な、なに!?」
 うさぎが顔を上げる。素早く周囲を見回した。
「ケンカだ、ケンカだぁ〜〜〜。ケンカは良くないぞよ〜〜〜」
 白い物体がフヨフヨと宙を漂ってきた。ずんぐりむっくりの一反木綿と言う表現が似合う、妙な生物だった。
「この地に救う地霊(ゲニウス・ロキ)ケンカリョーセイバーイじゃ〜〜〜」
「地霊ですって!?」
 聞き覚えのある名称だった。この(たぐい)(やから)とは、何度か戦った記憶がある。それにしても、ふざけた名前である。
「ケンカはリョウセイバ〜〜〜イ!!」
 地霊はそう言うと、煙玉のようなものをうさぎとちびうさに投げ付けてきた。狙いは全くのデタラメである。避けなくても勝手に外れてくれる。
 地面に激突すると白い煙を発したが、量が僅かなので視界を(さえぎ)るまでには至らないし、異臭がすると言うわけでもない。煙を少々吸い込んでしまったが、眠くなるわけでも体が痺れるわけでもなかった。
「全く、訳分かんないやつが出てきたわねぇ………! そうでなくても、あたしは頭が混乱してるんだから、余計に話をややこしくしないでよね!!」
 うさぎは憮然とした態度で言った。
「ムーン・エターナル・メイク・アーップ!!」
 うさぎはセーラームーンに変身する。白い美しい翼を大きく広げたエターナルセーラームーンが、光の中から現れる。
「エターナル!?」
 ちびうさが驚愕の表情を見せる。衛は眉を顰めた。
 エターナルセーラームーンは、クイーンに最も近いとされるセーラームーンの最終形態―――だった。「だった」と言うのは、三十世紀のネオ・クイーン・セレニティがエターナルの形態までしか経験していなかったためである。白き美しい翼を模した飾りは、セーラームーンをより神々しく見せ、そのパワーも凄まじいものがあった。だが、その美しい翼が、セーラームーンの機動力を著しく低下させ、結果的にパワーだけが突出したバランスの悪い形態になってしまったのだ。だから、シャドウ・ギャラクティカとの戦いの後、もう一段階変化しているはずなのだ。今更、エターナルの形態に変身する意味がないはずだった。ちびうさと衛が訝しんだのは、そのためだ。
「シルバー・ムーン・クリスタルパワー・キッス!!」
 懐疑的なふたりの視線に気付かずに、セーラームーンは必殺の一撃を放った。
「うひゃぁぁぁ!!」
 なんとか直撃を免れ地霊は、一目散に逃走していった。
「ありゃりゃ、逃げちゃった………」
 セーラームーンは追撃しなかった。地霊があまりにも情けない逃走ぶりだったので、呆気に取られて呆然と見送ってしまったと言うのが、本当のところではあるが………。
「うさぎ………」
 ちびうさの呼び掛けに、セーラームーンは振り向いた。茫然とした表情のちびうさの顔が、そこにあった。その理由は分からない。ちびうさは、セーラームーンを数秒間だけ見つめると、
「ゴメン!」
 そのままどこかへ走り去ってしまった。
「おかしな子ねぇ………」
 呆れ顔のセーラームーンを、衛は強張った表情のまま見つめていた。

 一の橋公園は大好きだった。すぐ近くにある網代公園には、ブランコや滑り台などもあったが、ちびうさは差し当たって何も遊ぶ器具がない、この一の橋公園の方が好きだった。
 すぐ上には首都高速道路が走っているので、大型車が通ると騒々しいのだが、網代公園と比べると圧倒的に遊んでいる子供の数が少ないので、一の橋公園の方が落ち着くのだ。
 それにここにいれば、衛と出会すことが多かったから。
 KO大学から自宅アパートのある元麻布に戻るときは、衛は一の橋公園の脇にある歩道を通るのだ。だからうさぎも、よく待ち合わせ場所にここを使う。
 ジュンジュンとベスベスは戻ってこなかった。どこかでちゃんと任務を遂行しているのか、それとも油を売っているのかは分からないし、今は考えたくもなかった。ベンチに腰を下ろしも行き交う車をぼんやりと眺めているだけだった。
 物思いに(ふけ)っているちびうさに遠慮をして、ダイアナとルナPは少し離れた位置でちびうさを見守っていた。ダイアナとしては、特等席のちびうさの頭の上に乗って彼女を勇気づけたいところなのだが、何と言葉を掛けていいのかが分からないので、ルナPのところにいるのだ。
「あら? ちびうさちゃんじゃない?」
 ちびうさは突然の声に顔を上げる。長い黒髪が美しい女性が、自分の顔を覗き込むようにして佇んでいた。
「あっ! ふみなお姉さん!!」
「久しぶりね。こっちに遊びに来てたんだ」
「うん!」
 女性は原崎ふみなだった。衛の幼馴染みで、KO大学の同級生である。うさぎの前世でのフィアンセであるオリエンが覚醒した事件の際に、ちびうさたちと知り合った。うさぎがセーラームーンであることをその事件を通じて知ってしまったが、ちびうさが未来のうさぎと衛の娘であることは知らなかった。うさぎの従妹だと思っている。
「みゃあ!」
 この時とばかりに、ダイアナがちびうさの頭の上に飛び乗って、ふみなに挨拶をした。ふみなと協力すれば、ちびうさを勇気付けられるかもしれないと思ったからだった。
「きゃあ、可愛い!! ちびうさちゃんの猫?」
 ふみなとダイアナは、こうして顔を合わせるのは初めてだった。以前も一度会っているのだが、一瞬だけだったのでふみなには気付いてもらえなかった。
「ダイアナって言うんだぁ」
「ダイアナちゃんか………。よろしくね、ダイアナちゃん」
 ふみなはダイアナの頭を右手で軽く撫でた。
「みゃあ〜」
 ダイアナはそれに答える。
「凄ぉい! ダイアナちゃんが返事した! ダイアナちゃんは、人間の言葉が分かるんだね」
「うん、分かるよ」
 猫の姿を借りているだけで、本当は人間なのだから言葉が分かるのは当然である。人語も介せるが、まさかこの場でしゃべるわけにはいかない。
「ダイアナちゃん、エライ!」
 ふみなは再びダイアナの頭を撫でた。もちろん、ふみなはちびうさの言う「ダイアナが人間の言葉が分かる」を本気に捕らえているわけではない。子供特有の夢のある言葉だと思っている。そんなことはない、と否定してしまうのは簡単である。だけど、子供の夢を大人が壊してはいけないと常日頃から思っていた。あり得ないことでも、時には信じてあげることも重要なのだ。ふみなは、子供の素直な夢を、無遠慮に壊すような大人にだけはなりたくないと考えていた。
「やわらかぁい………」
 ダイアナの頭を撫でながら、ふみなはにこやかに微笑んだ。ダイアナを喜ばすつもりが、逆にダイアナによって癒されているのだ。心に余裕ができたふみなは、ちびうさの様子に気付いた。
「どうしたの? 悩み事?」
 浮かない表情のちびうさに、ふみなはようやく気が付いた。
「うん………」
 ちびうさは表情を曇らせた。ふみなはダイアナの頭を撫でていた手を休め、心配そうに、顔を覗き込むようにした。
「うさぎさんとケンカでもしたの?」
 ちびうさが黙りこくってしまったので、ふみなは屈み込んで目線を合わせるようにした。
「ケンカはしょっちゅうしてる。でも、違うの………」
 ボソボソとした聞き取りにくい声で、ちびうさは答えた。何と説明したらいいのか、説明に困っていた。ちびうさ自身、漠然とした考えしか持っていないので、他人に上手く説明できるはずもない。それに、全てをふみなに話してしまうわけにはいかないのだ。
 ふみなは黙って、ちびうさの言葉を待っていた。ちびうさが浮かない表情をしている理由を早く聞いて、彼女に何かアドバイスをしてあげたいのだが、説明を急かすわけにはいかない。急かしてしまっては、返ってちびうさの心を閉ざしてしまう。
 長い沈黙の後、ちびうさがようやく口を開いた。
「うんとね………。同じ人なんだけど、違う人に感じるってことあるのかな?」
 妙な質問だと自分でも思った。だけど、この他に言葉が見つからなかった。こんな訳の分からない質問をされても、された方は困るだろう。しかし、ふみなは真剣に考えてくれた。
「う〜ん………。例えばさ。あたしにとっては、小さい頃の衛クンと今の衛クンは違う人に見えるわ。記憶云々のことはあるけど、雰囲気が少し違うかな。生き方によって、その人の持っている雰囲気って変わると思うし………。あと、人は気分によってもだいぶ印象が変わることもあるんじゃない? あたしなんて、気分のいいときと悪いときのギャップが激しいから、友だちからは二重人格じゃないかって言われるし………。ちびうさちゃんも、うさぎさんにはたまにしか会わないんでしょ? しばらく会わないうちに、ちょっと印象が変わるなんてこと、あると思うな」
 ふみなはちびうさが悩んでいる理由は、うさぎとの間に何かがあったためだと決めつけていた。当たっているから、ちびうさも否定はしない。
「あたしも違って見えた?」
「うん。少し、大人っぽくなったかな」
 ふみなに大人っぽくなったと言われたちびうさは、少し嬉しくなった。二十世紀の時間で言えば、ふみなとちびうさが会うのは約二ヶ月ぶりだった。だが、ちびうさの実際の時間(三十世紀の時間)では、半年ほど経過しているのだ。銀水晶の力で成長の度合いはゆっくりとしているが、直接的な言葉でそう言われると、ちびうさは嬉しかった。
 ちびうさの表情が少し明るくなったので、ふみなはホッとしたように微笑を浮かべた。
「ねぇ、ちびうさちゃん。少し時間ある? すぐに帰らないといけない?」
「うん大丈夫だよ」
「じゃあ、お姉さんのお薦めの店に、ケーキ食べに行こうか?」
「ケーキ? うん! 行く行く!!」
「よし、レッツゴー!」
「オー!!」
 ふたりは元気いっぱいに、一橋公園を後にした。

 二十二時を回っていた。
「それじゃあ、お休み」
 衛はそう言うと、受話器を置いた。
 ソファーに振り返ると、ちびうさが真っ直ぐに自分の顔を見つめていた。衛は柔らかい笑みを返した。
「今夜はうちに泊まっていい」
 うさぎとデートを終え、アパートに戻ってみると、ドアの前でルナPを抱えたまま座り込んでいるちびうさが待っていた。ふみなと別れたあと、ちびうさは衛のアパートにやって来たのだ。あんなことがあった後なので、うさぎの家には行きづらかったのだろう。
 うさぎが心配するといけないと思い、衛はうさぎが家に着いた頃を見計らって電話をし、ちびうさを一晩預かることを告げて電話を切ったのだ。
「どこで時間を潰してたんだ? まさか、ずっとドアの前で待っていたのか?」
「ふみなお姉さんと一緒だった」
「原崎と?」
「うん」
 ちびうさはコクリと肯いた。衛は安心したように、小さく息を吐いた。
「ケーキを食べて………。それから、お夕飯ご馳走になった」
「ケーキはデザートじゃないのか?」
 先にケーキを食べたと聞いた衛は、呆れたように微苦笑した。バツが悪そうに、ちびうさも笑った。突然アパートに押し掛けてきたので、衛が怒っていると思っていたちびうさは、衛が軽口を叩いたので安心したようだ。衛としても、もちろん怒る理由などない。ただ、ずっとアパートの前でひとりでいたのかもしれないと思ったから、心配しただけだ。
「あの地霊は、ルナPだな?」
 ルナPは、ちびうさの足下をコロコロと転がっていた。ちびうさは視線を落とすと、コクリと肯いた。有栖川宮記念公園でうさぎたちを襲ったのは、どうやらルナPを使ったちびうさの狂言だったようである。衛はそれを見抜いていた。
「ごめんなさい」
 ちびうさは素直に詫びる。
「変身させて見れば分かると思ったの。もし、今のうさぎが誰かの変装だったらセーラームーンにはなれない。だけど、うさぎはセーラームーンに変身した。銀水晶も使った」
 ちびうさはそこので言うと一端言葉を切り、衛の顔を見上げた。
「でも、変身したのはエターナルセーラームーンだった」
 ちびうさの瞳には、明らかに動揺の色が浮かんでいた。
「まもちゃんは、どう思う?」
「判断するには材料が少ない。ちびうさも、分かっているんだろう?」
 ダイアナは不安そうに、テーブルの上で、ちびうさと衛の顔を交互に見ていた。ダイアナ自身、判断付きかねる状態なので、ふたりの会話に口は挟まない。
「あれはうさぎだった。それは間違いないと思う。だって、銀水晶の力を感じたもん。銀水晶を使いこなせるのは、うさぎしかいいない………」
「………」
「だけど、うさぎじゃない」
 ちびうさは大きく頭を左右に振った。矛盾していることは分かっている。相手をうさぎだと認めているにも関わらず、一方では否定しているからだ。
「今のうさぎは、エターナルセーラームーンにはならない。だけど、今日のうさぎはエターナルセーラームーンだった。どう言うこと!? あたしは来る時代を間違えた? この世界では、まだギャラクシアと戦っていないの!?」
 錯乱したように頭を振ると、ちびうさは涙を一杯に貯めた瞳を、衛に向けた。
「………間違ってはいないと思う。ちびうさは、ちゃんと自分が望んだ時代に来てるはずだ。ギャラクシアとの戦いは終わっている」
「じゃあ、どう言うことなの!?」
「もう少し待て。きちんと調べる。うさの異変に、美奈とレイも気付いている。ふたりも、いろいろと調べているはすだ」
「美奈Pとレイちゃんが?」
「ああ、これから会うことになっている」
 衛のその言葉が終わるか終わらないかのタイミングで、電話が電子音を響かせた。衛は受話器を取る。
「はい、地場です。………美奈か。うん。うん。分かった。こんな時間なのに、出てこれるのか? そうか。じゃ、火川神社はどうだ? ああ。レイとも話がしたい」
 電話の相手は美奈子のようだ。
「うむ。じゃあ、三十分後に」
 そう言い終えて、衛は受話器を置いた。
「あたしも行っていい?」
「もちろんだ」
 ちびうさがそう言うことは想像が付いた。だから、衛はレイとも会おうと思ったのだ。今夜のうちに、明日以降の具体的な行動内容を計画し終える必要があると感じた。そうしなければ、手遅れになるような、嫌な胸騒ぎを感じていた。

 美奈子は二十分ほど遅れてきた。自転車を使うと、音で外出したことがバレてしまうので、自宅から走ってきたと言うのだ。家は窓から抜け出したと言うことなのだが、さすがに自転車までは動員できなかったようである。
「変身して飛んで来ればすぐじゃん」
 ちびうさのその一言を聞いた瞬間、汗だくの美奈子は一瞬のうちに燃え尽きて灰となった。
「馬鹿はほっといて、話を始めましょう」
 美奈子が復活するまでは少々時間が掛かりそうだったので、レイは打ち合わせを始めることにした。レイもちびうさの意見に賛成だったからだ。緊急時なのに、人力で来る必要はない。もっとも、美奈子らしいと言えば美奈子らしいのだが………。
「うさぎから、銀水晶を感じたんですね?」
 確かめるように、レイは尋ねた。衛は重々しく肯く。
「それは間違いない。うさは銀水晶を持っている」
 レイは考え込んでしまった。有栖川宮記念公園の一件を聞いてしまうと、うさぎは本人だと思えてしまう。いや、本人に違いない。そうでなれば、銀水晶が発動するわけがない。うさぎではないかもしれないという考えのもと、レイと美奈子のふたりは調査をしていたわけだが、それが間違った考えである可能性が強くなってしまった。
「でもなんでエターナルなの?」
 ようやく立ち直った美奈子が、衛に尋ねた。うさぎなら、何故今更エターナルセーラームーンに変身する必要があるのか。その点が不可解なのである。
「あたしは違うと思う」
 衛が無言でいると、ちびうさが口を開いた。
「違うって?」
 自分の質問に対する答えとは別のものが返ってきたので、美奈子はすぐさま聞き返していた。
「あのうさぎは、うさぎじゃないと思う。ううん。少なくても、あたしの知っているうさぎじゃないような気がする」
「頭混乱してきた………」
 美奈子は両手で頭を抱えてしまった。ちびうさが言わんとしていることは分かる。自分たちも同じように感じているから。だが、それだけでは彼女がうさぎではないと言う証拠にはならない。
「あのコはうさぎ………。うさぎだと思う。だけど、何かが違う気がする………」
 美奈子の呟きは、この場にいる者全員の気持ちを代弁していた。結局は、そういうこと(・・・・・・)なのだ。どこかが違っている気がする。それが違和感として感じるのだ。だから、うさぎだと言い切れない部分がある。
「確かに、微妙な矛盾を感じる。俺もあいつは、うさだと思う。何者かの変装だとは思えない。だが、どこか心に引っ掛かるものがあるのは確かだ」
 衛は両肘をテーブルの上に置き手を組むと、その上に顎を乗せた。
「直接本人に確かめるのが手っ取り早いかもしれないけど、何の物証もないわけだから、勘違いだと言われたら、それで終わりよね」
 レイは首を小さく左右に振った。全ては憶測の域を脱していない。
「ルナとアルテミスがいないことを、うさが知っていた」
「なんですって!?」
 レイが気色ばんだ。うさぎはまだ、ルナとアルテミスがいなくなったことを知らないはずだった。
「本人は、うっかりそのことを口にしたのを気付いてはいない。確かに、ルナがいないと言う話はした。だが、アルテミスまでがいないと言う話まではしていない」
「妙ね………。うさぎが知らないはずのことを知っているなんて………。百歩譲って、知っていたならあたしたちに話があってもいいわけだし」
 美奈子は瞳をクルリとさせた。
 結局全員は、視線を衛に向けるしかなかった。衛としても判断しかねる状況ではあったが、このまま成り行きに任せているわけにはいかない。方針を決めねばならなかった。
「明日の勉強会は?」
「中止にしたわ。ちょっと気まずくって、勉強会どころじゃないもの………。うさぎは喜んでたけど」
 レイは嘆息した。レイと美奈子は、完全に亜美とまことと対立してしまった。こんな状態では、勉強をしても頭に入らない。
 渦中の人でありながら、何も知らないうさぎは、勉強会中止の知らせを聞いて大喜びだったらしい。
「そう言う反応は、やっぱうさぎなのよねぇ………」
 美奈子はポツリと言った。レイも同じ考えであったらしく、目だけで肯いた。うさぎと直接会話をしたのは、レイなのだ。
「ならば明日、うさともう一度会おう。ルナの件を持ち出して反応を見る」
「あたしたちはどうすればいいの?」
「美奈とレイは有栖川公園に先回りしていてくれ。俺たちが来たら、物陰から様子を見ていてくれ」
「デートの覗き見は気が引けるけど………」
「別にデートをするわけじゃない」
「分かった」
 美奈子とレイは肯いた。
「まもちゃんは、あたしは?」
 衛の指示の中に自分の名がなかったので、ちびうさは尋ねた。この期に及んで、仲間外れは嫌である。
「ジュンジュンとベスベスが来てるんだろう? ふたりから、今日の調査の結果を聞いてくれ。そのあとで、有栖川公園に来てくれればいい。美奈とレイに合流してくれ」
「うん、分かった」
 ちびうさが肯くのを確認すると、衛は唇を噛み締めた。表情が険しかった。明日、全ての決着を付ける気でいるように感じられた。